第3話 収束
どこをどう走って帰ったのか覚えていない。
気が付くと、真っ暗な部屋の真ん中に座り込んでいた。締め切ったカーテンの隙間からは、ぼんやりとした朝が零れて揺れている。
低い音がしていた。自分の心音だろうか。それにしては、やけに耳に響く。
首を巡らせて、漸くそれが玄関扉を叩く音だと気づき、緩慢に立ち上がる。のたりのたりと身体を引きずり、扉を開けた。
「どうも、おはようございます。早くにすみません」
中折れ帽をかぶった見知らぬ男が、朝日を背ににこやかに笑っているのを目にして、赤坂はびくりと我に返った。なぜ、不用心に開けてしまったのだろうと悔やんでいる間に、男がするりと身体を捩じ込んでくる。
「早朝から、ご迷惑かと思ったのですけどね。チャイム、壊れてたみたいなんで。あれ、鳴りますね」
ぴんぽん、と間の抜けた音がインターホンから鳴った。
「いえいえ、すぐにおいとまします。落とし物を届けに来ただけですので」
「……落とし物?」
息苦しさを覚えて、赤坂は拳で胸を擦った。何度宥めても、心臓がひくりと痛む。
男はにこにこと微笑みながら、ぶら下げていた物を無造作に赤坂に突き出した。赤黒く汚れた紙袋を包むビニールの口は、知らない形に結ばれている。開けたのか。吐き出した呼吸が、喉でひりついた。
そんなことにはお構いなしに、男は赤坂の肩を気安く叩く。
「同僚がね、会社でミスをしたんです。不良品を納品しちゃったんだ。で、それを誤魔化そうとして、代わりの品を会社に内緒で出荷した。商品の数は棚卸で調整すればバレないと思ったんでしょ。でも、商品を巻き付けていた土台が残った。それを普通に捨てりゃあいいのに、見つかるのが怖くて、バラして捨てようとしたんです。ところがこいつが、金具と堅いボール紙でできていてね。思ったように切れない。途中で厭になっちゃって、中途半端に捨てたもんだから、逆に目に付いちゃったんですよ。勿論、バレて始末書だ」
べらべらと喋りながら、ビニール袋を赤坂の胸に押し付けた。
「はい、これ。貴方が土壇場でバラした人の腕です。どうしてこれだけ捨てたんですか。莫迦ですねえ、あのままにしとけば……まあいいや。タラればなんて無意味ですからねえ」
「ど、どこで見ていた」
「厭ですよ、覗き見の趣味なんてありゃしません。聞いたんです」
「誰に」
「この人です。って、腕か」
男の顔から、急に笑顔が消え失せた。真っ直ぐに見つめる黒い目に身動き一つとれない赤坂の鼻先で、ビニール袋がポトリと落ちる。
男の手が紙袋から無造作に、灰色の腕を掴みだした。
「土壇場になって、腕に残っちゃったそうです、この人。あなたを掴もうとして、細胞に意識が集中しちゃったんでしょうね」
空を掴む形に広げて歪んだ指先がぎしぎしと蠢いて、赤坂の腕をぎゅっと掴んだ。
「お返ししますよ」
帽子の鍔を軽くつまんで、爽やかな笑みを、男が浮かべた。
昼近くの交番に、男が一人、入って来た。
男の身なりを見た警官は、慌てて男を取り押さえ、応援を要請した。
男は腕に、切り取られた腕を抱えており「生首を持ったあいつが俺を捕まえに来る」と主張した。
詳しく事情を聴くも、赤坂と名乗った男は繰り返し「自分がバラバラにした男が、生首を持ってやってくる」と騒いだため、自宅を確認したところ、浴槽から片腕のない男の遺体が発見された。
不思議なことに、赤坂の腕に食い込んだ腕はなかなか離れなかったとのこと。
一方『ネオライフ』では、生首を持った男の幽霊がタンバという名の術師によって退治され、手記を含めた一連の出来事が、よくできたホラーイベントとして盛り上がりを見せたという。
嘘つき 中村ハル @halnakamura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます