第五話 白昼夢
体の異変に気付いたのは昼食の時だった。
午前の実技訓練を終え、皆が食堂に列を作る昼下がりの一角。
トレーに嬉々として乗せていたはずの魚肉団子を咥えた時、俺は思わず「…不味い」と呟いていた。
「マズイ?えー、今日の配食は外れかー…?」
向かいに座ったシーミアが反応する。ちゃっかり俺のトレーから肉団子を奪って味見しては「うーん?そうかなー?」と首を傾げていた。
だが事の違和感に激しく動揺していたのは俺のほうだった。
食欲はある。朝餉も問題なかった。だが、今は体が食事を受け付けない。喉が食物を嚥下することを拒否している。
甘餡と薬味のかかった肉団子は確実に俺の食欲を刺激している。はずなのに、神経が体から乖離して、食欲が直接嘔吐感に結びついてるかのような錯覚を覚える。
今のレオは明らかに浮いている。
「ごめん、ちょっと体調が良くないかも。診療部に行ってくる。」
レオは食べかけの団子を乗せたトレーを持って席を立った。
「ハァ……ハァ……ハァ………くぁっ…!……うゥ……」
レオは人目の付きにくい屋外へと逃げ去り、丁度放水用の蛇口を見つけ、混乱した思考と神経を冷やそうと、頭から水を被っていた。
熱く爛れた神経が、呼気の内側から違和を唱えて叫び続けている。心臓を掴むように胸を抑え、口から酸素を取り入れるごとに、細胞が破壊と再生を繰り返し激しい熱を発生させる。
唐突に訪れた、悪夢の如き白昼夢である。
体の不和は精神状態にも影響を及ぼし始め、レオはもう水に濡れるに任せて嗚咽を溢し始めていた。
(これが……エビルドリームの副作用……?だがレイラさんに聞いていたよりは……!)
覚悟も自覚も醸成していない少年の胸中である。
殊に世界の真理を抱えるには不相応の境遇だった。
今までの同級生が、まるで別人に見えてしまって。
あの八木山を照らすマンション群が、今では蛾の蝟集する街路灯のようにくすんで見える。
――エビルドリームとは謂わば、人類に寄生した精神的癌よ。
癌に侵された精神は、その白き混乱を以て宿主の体を作り替えていくの……――
これは兆候なのだと信じたい。もう書き換えられるなんて信じたくない。
そうでなければ、何かを考える時間さえくれないほど、俺の存在がちっぽけであったかのようじゃないか……。
「あの………レオ君?大丈夫ですか?」
キン、と琴を鳴らすような声が聞こえた。
顔をあげるとそこに、
耳にかかった浅葱色の髪。
伊達アマネだった。
「アマネさん……いま、は、ちょっと…見ないでほしいな……」
「見ないで、って…そんなことできないよ!今にも倒れそう、って顔してるよ!?」
薄くちぎれそうな意識が、小さな火花を散らして自分が自分たらんと振る舞う。
だが、出来ること言えば虚勢を張るのが精一杯のレオだった。
「……よし。――ね、レオ君、肩貸して。」
「アマネさん…?」
濡れた体を意にもせず、レオの右腕を肩に回す。
半ば寄りかかる形で、伊達アマネはレオを立たせた。
「私、レオ君のこと心配だから。一緒について行ってあげるから、ね。診療部に行こ?」
「……っ!」
もたれかかるのが恥ずかしくて、慌てて体を引き離す。
ぐしゃぐしゃに濡れた俺の顔を見つけると、アマネは「ほらひどい顔」といって微笑み返してくる。
――誰のものかもわからない心臓が、トクンと跳ねた。
訓練棟の一階にはグラウンドに面する形で養成学校の診療部がある。
屋外からも連絡路に出入りできるため、アマネと共に来たときには誰とも会わずに外から入る事ができた。
保険医の
水に濡れた体にタオルをあてがい、火照った
だが余計な詮索はしまいという気遣いが二人の上で表面的な会話を運ばせる形となっていた。だから、最初に口火を切ったのはレオの方からだった。隔靴掻痒の感に耐えきれず、心中から湧き上がる不安の様相を吐露したいという気持ちに駆られてしまった。
―――女王の眷属たる、青葉の貴族たち。彼らの忠節は、このエビルドリームを経て通じた女王の意識を取り込むことで成立するものなの。だから、この社会も、大人たちも、みな同じ白昼夢に魅入られている……適応できない者を残して、ね。――――
「――アマネさん。俺は、もしかしたらもうすぐ消えてしまうのかも…しれない。」
「…えっ?」
「もうじき俺の体は作り替えられる。だって、俺もあの薬を飲んだから…」
「…レ、レオ君……?もしかしてあのエビルドリームを飲んだの…?」
「……うん。」
幸い、今は楠子川先生も席を外している。だが自然と声を潜めてしまうのは、僕らの会話が触れてはいけない禁忌を犯しているという感覚がそうさせたに違いない。
「今はアマネさんのおかげで落ち着いてる。けど、もし眠ってしまったら、明日になってしまったら、………違う自分になってしまうのが怖いんだ――。」
伊達アマネの表情には驚愕と困惑が浮かんでいた。猫みたいに大きな瞳が落ち着きなく揺れている。それもそうだ。彼女はまさしく女王なのだから、王の秘密を知った狼藉者を前にしては、たとえ同期生であろうともその歯牙にかけなければいけないのだから――
「……なぁ姫様。俺はどうするれば救われるんだ?」
口を突いて出たのは情けない程に萎縮した己への執着だった。
あたかも神に祈るかのようにレオの首が垂れる。
あるいは、自らの魂を捧げるかのように。
だが―――
「えっ……そんな……私、わかんないよ…。レオ君がエビルモンスターになるだなんて……突然言われても全然わかんないよ……?」
伊達アマネの反応に、違和感を覚える。女王の意識と通じた者ならば、真実に辿り着いた子供たちを決して見逃さないはずだ。ましてや、駆除対象へと変貌を遂げようとする者ならば。
しかし、伊達アマネの困惑は「全く事情を呑み込めない」といった類の反応であった。
視線を浮つかせた彼女と、顔をあげたレオの目線が、不意に一致した。
交錯した意図に弾かれて、糸引く違和感を正そうと試みた、その時。
昼休憩の終わりを告げる、午後の訓練の集合チャイムが響いた。
「あ……ごめんねレオ君!私、そろそろ行かなきゃ……」
「………うん、いいんだ。俺のことは構わず訓練にいきなよ。」
「うん……でも!レオ君の事情はわかんないけど、きっとなんとかなるから!私も力になるし、あまり思いつめないでね……!」
申し訳なさそうに踵を返すと、彼女はリノリウムの床を鳴らしてパタパタと教室に帰ってしまった。
入れ替わるようにして楠子川先生が戻ってきて、俺の体調を案じて今日は休みなさいとベットのカーテンを閉める。
一人残されたベットの上に、無機質な時計の音ばかりが響いてくる。
――結局、何も分からなかった。
伊達アマネは女王ではなかったのか?
だが、眷属としての青葉の貴族たちは、明らかに伊達家を一国の王家として奉っている。斑鳩ツバルも、その一人のはずだ。
どういうことなのだ?レイラさんの話が嘘だったのか?
――いや、この状態は良くない。レオは暫く考えこんでからそう結論づけた。
折角彼女のおかげで精神的に落ち着いたのに、また考え込んでしまっては、元も子もない。
今は動くべきだ。
この自我が保たれているうちに。
寄生型知脳彗星エビルドリーム もぶぷりん @Midwest
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