第3話

 俺はそんなルシアーノのことはさほど気に掛けず、これはチャンスだと閃いた。ロベルトを本当に

 父上に相談すると、父上も賛同してくれた。

 その日ロベルトは、父上の温情で王宮から離れた塔に匿われている、産みの母親に会いに行っていたのだ。よって、地下の部屋はもぬけの殻だったというわけ。

 この日以外にも、月に一度ほど、ロベルトは俺の手引きで王宮を抜け出している。このことを知っているのは父上と俺、そして父上に昔から仕える数名の者のみ。俺はさっそく使いを出し、ロベルトに事の次第を手紙で知らせ、塔から王宮に戻らないよう命令した。

 そして後からそっと、本当の母親と供に、ロベルトを国の辺境へと送り届けた。ロベルトは目がだいぶ弱っていたみたいだから、もちろんその後も生活するのに困らないようにサポートしている。

 母上は邪魔者を排除できて、はた目から見ると大人しくなった。

 そして流行り病であっけなく逝ってしまった。後を追うように父上も。俺は急遽王位を継ぐこととなった。信じられないぐらい忙しくて、ルシアーノの変化に気がつかなかった。というか気にかけていられなかった。まだ十四歳の弟は、心のよりどころである兄を亡くして、あの日から、、自分の妄想の中に囚われてしまったのだ。


 「国王陛下、ルシアーノです。来週の予定のことで、少しお話よろしいでしょうか」


 執務室の両扉の向こうから、抑揚のない声がした。カルロスははっと我に返り、回想をやめた。


「入りなさい」


 焦りを微塵も見せずに、国王たる威厳に満ちた声で、カルロスは許可した。老齢の側近が恭しく、扉を開ける。


 王弟ルシアーノは糸につられた人形のように、どこかちぐはぐな動作で部屋に入ってきた。その顔に表情はなく、カルロスはいつ見ても、そんな弟を不気味に思ってしまう。

 ルシアーノは二十四歳になっていた。午前から昼過ぎにかけては、こうやって自分の仕事をちゃんとこなしている。


「……うん、予定に変更はなしだ。官僚たちに至急下達してくれ」

「承知しました」

「他に、何か困ったことはないか」

「ございません。お気遣い感謝します。カルロス兄上」


 きちんと会話も成立する。カルロスが、自分の兄で、現在国王であることも理解している。なのに午後になると誰の制止も聞かず、どんな予定があろうとも、空のランタンを片手に毎日毎日欠かさず、あの地下の部屋に向かうのである。

 その様子はまるで、今にもスキップし始めそうな子供のように、生き生きとしているという。まるで恋人に会いに行く少女のようだ、と陰で揶揄する者さえいる。

 カルロスも何度か見たが、確かに、頬を紅潮させ、目を輝かせている弟はそんな風に形容できなくもない。


 カルロスは目の前にじっと立つ弟を見つめた。自分と同じダークブラウンの瞳は、どこにも焦点を結んでいない。そこに意思や感情はひとかけらも見当たらない。ルシアーノにとって、現実世界は「虚」なのだ……カルロスはそう思うしかなかった。

 ロベルトは実は生きていて、幸せに暮らしているよとルシアーノに何度説明しても、無駄だった。ルシアーノは受け入れないのだ。泣いたり喚いたり、怒ったりするわけではない。ただ、受け入れないのだ。


――何を仰っているのです? ロベルト兄上は、地下のあの部屋にいらっしゃるではありませんか、カルロス兄上、いえ、国王陛下――。


 宙を彷徨う目で、眉ひとつ動かさず、そのセリフをくり返すルシアーノに、カルロスはそれ以上何も言えなかった。


「こっちへおいで、ルシアーノ」


 執務机から少し離れた所に立っている弟を、カルロスは呼んだ。ルシアーノは言うとおりにした。

 カルロスは手を伸ばして、弟の頭をそっと撫でてやった。自分の座っている場所は床より一段高くなっているので、少し手を伸ばせばカルロスの手は、ルシアーノに届いた。


 カルロスは後悔していた。


 あの、ロベルトがいなくなった日に、ルシアーノは壊れたのではないのだ。多分、もっと前から、弟は王室の生活になじめず、心を蝕んでいたのだ。

 月に一度会うロベルトが「ルシアーノがたまにおかしなことを言う」と俺にこぼしていたが、俺は子供の空想で、大したことじゃないと考えていた。

 そうじゃなかったんだ。あのときすでに、ロベルトが心のよりどころだったルシアーノは、自分の中に閉じこもり、理想のロベルトを作り上げていたんだ。


 すでに青年になったルシアーノは、カルロスに頭を撫でられていても、何の反応も示さなかった。その目には何も映っていない。




 ――ああ、やっと午後の勉強が終わった。ロベルト兄上に会いに行こう。

 ロベルト兄上のお話を聞かせてもらうんだ。

 あんな地下に閉じ込められて、可哀想な、可哀想な兄上。

 そうだ、今日は、今日こそは言ってみようかな。僕が、ここから連れ出してあげるって。僕とこんな国捨てて、二人でどこかで静かに暮らしましょうって。

 ロベルト兄上は、長い前髪のあいだから真っ赤な目を細めて、やれやれって、僕に笑いかけてくれるんだ――。 

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囚われの目隠し王子 ふさふさしっぽ @69903

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