粒あんエクスチェンジ
ささやか
まんじゅう
金曜日の遅くに帰宅し疲れ果てていると、加藤啓司の眼前に神が顕現した。
何故神だとわかったかと啓司に訊かれても答えられない。神だから神。そういう認識しかできないから神なのだ。
神がどのような姿をしているのかしっかりと見ているはずなのによくわからない。美女かと言われれば美女のようだった。老人かと言われれば老人のようだった。ペペロンチーノキャンディーかと言われればペペロンチーノキャンディーのようだった。
「ガチャをひきなさい」
神はガチャと仰った。
ガチャ。
あのアプリゲームでユーザーに湯水の如く金を吐き出させるため用いられる狂気のシステムだ。だが啓司は神に課金した記憶などなかった。いや、神社で賽銭を投げたくらいはあるがその程度は誰でもしているだろう。
「あの、ガチャとは……?」
「異能ガチャです」
「異能ガチャ」
「
「な、なるほど?」
異能ガチャではまんま引き当てた異能を得られるらしい。若干α魔法が意味不明だが、それ以外はフィクションでありそうな異能だと啓司は己を納得させる。
しかしどうやって異能ガチャをひくのだろうか。啓司がいぶかしんでいると、突如として彼の目前にクルクルと一枚のカードが現れた。空中に浮かぶカードは回転しながら銅色に光り、銀色に光り、金色に光り、そして虹色に光る。
そしてひときわ強く輝いたあと、カードのレアリティが明らかになる。
――UR
最高のレアリティだ。それだけで啓司の心がわきたつ。SSRでも凄い異能なのだからURならどれほど凄いのだろう。
そしてカードの絵柄がわかるようなった。半分に割られたまんじゅう。中の具は粒あん。
――粒あんエクスチェンジ
それこそがURというとびきりのレアリティに区分された異能であった。
「…………は?」
啓司がなんとかしぼりだせたのは一音だけだった。
粒あんエクスチェンジ?
啓司はパニックになった。意味がわからん。え、何それ。どう考えてもハズレかつネタ枠でしょ。というかそもそも何ができるの?
そうして啓司が混乱の極致に陥っていると、神は「汝に幸あれ」とだけ宣って姿を消した。
あまりにも衝撃的な出来事を体験した啓司は何をすべきか悩んだ末、「ほわ―――――――!!!!」と絶叫してみることにした。何も問題は解決しなったが、なんと彼の気分がいくらかスッキリした。素晴らしい効能であった。
啓司がまず行うべきは粒あんエクスチェンジなる能力が何かを把握することだった。これは簡単だった。いつの間にか言語を理解していた幼児のように啓司は粒あんエクスチェンジがなんたるかを理解していた。
つまり、粒あんエクスチェンジとは、どんなまんじゅうであろうとその具を粒あんに変えることができる、という異能であった。
「バチクソ役に立たたねーじゃねーか! URとか詐欺師もびっくりの詐欺だわ!」
啓司は怒声をあげた後、五体投地する(フローリング)。
「テレポーテーションが良かった。テレポーテーションなら通勤も絶対楽勝だし旅行も行き放題だった……」
啓司はさめざめと己の不運を嘆きつつ、ガチャの引き直しとできないだろうかさせて下さいと祈っていたが神がリポップする気配は微塵もなかった。
「気持ちを切り替えるべきだ。元々0だったものが0だったというだけじゃないか。俺は何も失っていない。もしかしたらこの粒あんエクスチェンジで世界を救える可能性がないわけではないような気がする今日この頃じゃないか。まずは粒あんエクスチェンジを試してみよう」
啓司はあえて声に出して己に言い聞かせる。だが独身男性の一人暮らしにまんじゅうが常備されているはずがない。やむなく啓司はコンビニへまんじゅうを買いに行くことにした。
深夜に煌々と輝くコンビニは目に染みる。啓司の他に客はいなかった。店内をうろつきまず普通のまんじゅうを手に取る。粒あんだったが、別の粒あんに変わるのかを確認するためにもちょうどよかったので二つ買うことにする。
次はクリーム大福だ。大福とまんじゅうはもしかして別物だろうかとの疑問が啓司の頭をよぎるが、まあどっちも和菓子でなんか包んであんこを入れているし同じようなもんだろうと自分を納得させる。
そして最後にレジでピザまんを頼んで、啓司は帰宅した。
粒あんエクスチェンジは対象となるまんじゅうを明確に指定し、その具を粒あんに変える認識するだけで足り、いちいち呪文を唱えるなどの特別な手順を踏む必要がない。これだけ考えると凄い能力だった。
啓司はピザまんに粒あんエクスチェンジをかけ、二つに割ってみる。中に入っていたのはまごうことなき粒あんだった。食べてみる。
「これは……めちゃくちゃうまい……!」
それは啓司が今まで食べた粒あんの中で段違いに美味しい粒あんだった。しとやかな口あたり。粒の食感。舌に残らない甘み。どれをとっても最高だ。まさに神の粒あん。啓司は瞬く間にピザまんだったあんまんを食べ終えてしまった。
次に粒あんのまんじゅうの一つに粒あんエクスチェンジをかけ、味を比べてみる。粒あんエクスチェンジをかけていないまんじゅうには先程のような感動はなかった。こんなものをまあまあ美味しいと感じていたのかと愕然とする。啓司は一口食べた後に粒あんエクスチェンジをかけた。
そうしてクリーム大福も粒あんエクスチェンジをかけて粒あんに変えられることを確認した後、啓司は粒あんエクスチェンジもそこまで悪くない異能だなと思い直して眠りにつくのであった。
粒あんエクスチェンジを得た翌日、啓司は粒あんエクスチェンジで一儲けできないかと考えるに至った。そこで大学時代の後輩である越後屋に会いに行くことにする。
越後屋は金と女に汚い性根に難のある男だが、マイルドヤンキーよろしく親交のある人間に対しては情に厚い一面を持つ。その上、越後屋の実家は和菓子屋を営んでおり、啓司の知り合いの中で粒あんの相談をするには最も適当な相手と言えた。
越後屋の実家はそのまんま「えちごや」という屋号で和菓子屋を営んでおり、最近は越後屋のアドバイスでイートインスペースを設け、そこそこ繁盛しているという。
越後屋はそのイートインスペースの椅子にだらしなく座り、スマートフォンをいじっていた。明るい茶髪と右耳の大きなピアスもあいまって、店側の人間どころか店に迷惑をかけようとする輩にすら見える。
越後屋は啓司が来店したことに気づくと右手を上げる。
「加藤先輩マジ久しぶりっすね、元気でしたあ?」
「仕事がクソいから辞めたいが概ね元気だ」
「そゆときはやっぱ女っすよ女。パコって元気だしましょーよ」
越後屋はとんでもない暴言をはく。幸いにも夕方の少し手前という中途半端な時間帯だったおかげか他に客はいなかった。
「今使えそうなセフレ手元にないんすよ。さーせん」
「まあ女もいいが今回は違ってだな。このまんじゅうを食ってくれ」
啓司は粒あんエクスチェンジ済みのまんじゅうを差し出す。コンビニで買った適当なまんじゅうだ。
「え、なんすかドッキリ的なアレっすか。わさび入り的な」
「いや、単純に味を評価してほしい」
「え、なんすかグルメレポ的なアレっすか」
「まあとりあえず食ってみろ」
促され、まんじゅうを一口食べると、怪訝そうにしていた越後屋がたちまち目を丸くした。
「うまっ!」
越後屋はぺろりとまんじゅうをたいらげた。
「俺は素人より少しだけ和菓子の知識がある
「ああ、それがマジでその粒あんは神が作ってるんだ」
啓司は粒あんエクスチェンジを得た経緯を説明する。もちろん越後屋はその荒唐無稽な話をすぐ信じることができなかった。
だからこそ啓司は実演をする。
「なんでもいいからまんじゅうを持ってきてくれ。さっきと同じ粒あんにしてやるよ」
「わかったっす」
越後屋は自ら店のまんじゅうを選び、啓司に手渡す。こしあんのまんじゅうだ。―粒あんエクスチェンジ。そして粒あんになる。
「ほら、食ってみろ」
「マジかよ――ってマジか!」
越後屋が戻されたまんじゅうを食べると確かに先ほどと同じ味の粒あんになっていた。もはや粒あんエクスチェンジなる異能を信じるしかなかった。
「それで粒あんエクスチェンジしたまんじゅうを売れば金になると思うんだが」
「いけるっすよ。ちょうど俺、ペーパーカンパニー作って申請すれば何十万か補助金ちょろくもらえるっての教えてもらって準備してたんすよ。この会社使ってまんじゅう売りましょうよ。とりあえずうちの店に委託って感じで」
「いいな、それでいこう!」
こうしてとんとん拍子に二人のまんじゅう販売が始まった。
越後屋が会社を通して大量にまんじゅうを仕入れ、啓司がそれに粒あんエクスチェンジをかける。そうしてえちごやに置いてもらう。やることはそれだけだ。
うさんくさい会社が売る高価なまんじゅうだ。その上、二人にはろくなノウハウもない。当初の売れ行きはかんばしくなかった。
だが粒あんエクスチェンジによる粒あんは越後屋をして至高と言わせるほどの美味。口コミが広がることで徐々に売れるようになり、そしてある時、有名人がSNSに投稿したことで爆発的に認知されるようになった。
一度火がつくと後は燃え盛るだけだった。いくらか高価だとしても誰もが満足する至高の粒あんなのだ。十分すぎるほどリピーターは定着した。
やがて売上がのびすぎた結果、もはや自店舗が必要になってくる。人手を確保するため、二人は頭の緩い越後屋のセックスフレンドを何人か従業員として採用した。
そうして二人がまんじゅうを売るだけで生計を立てられるようになった頃、越後屋がまんじゅうの欠点を指摘した。
「やっぱもっと売るためには皮と量だと思うんすよね」
「どういうことだ?」
「今だと元々のまんじゅうのあんを粒あんに変えているから、皮のレベルと粒あんのレベルがかみ合ってねーんすわ」
「なるほどな」
啓司は頷く。粒あんのレベルに匹敵するまではいかなくとも上手く調和する皮であるほうがまんじゅうとして望ましいに違いなかった。
「一度まんじゅうにして粒あんエクスチェンジするより、最初からあんこに粒あんエクスチェンジできれば、その粒あん使ってよりマッチしたまんじゅうを作れるし、というか粒あんだけ売ってもいいし、量もさばけるようにするんすけどねー」
「でも粒あんエクスチェンジできるのはまんじゅうだけだからなあ」
「そういえばまんじゅう以外はできないって試したことあるんすか?」
「いや、ないけどダメでしょ。やってみっか」
啓司はスマートフォンを握り「粒あんエクスチェンジ!」と唱えてみる。しかし何も起こらなかった。スマートフォンはまんじゅうではない。お茶の入ったペットボトルを握り「粒あんエクスチェンジ!」と唱えてみる。しかし何も起こらなかった。お茶の入ったペットボトルはまんじゅうではない。
「ダメだな。やっぱまんじゅうじゃないと粒あんエクスチェンジはできないな」
「ならせめて皮のバリュエーションを増やすとかしてみますー?」
「黒糖まんじゅうとか大福とかそんな感じ? まあ悪くなさそうだな」
「そうっす。大福はまんじゅうじゃないから粒あんエクスチェンジできないっすけど」
「いや、大福はできるだろ。前やったけどできたよ」
啓司は越後屋の誤りを指摘する。大福に粒あんエクスチェンジできることは初日に確認済みだった。
「大福とまんじゅうは親戚ってかちょっと名前が違うだけみたいなもんだろ? だから大丈夫なんだよ」
「違います、加藤先輩。まんじゅうの皮は小麦粉から作られていて、大福の皮はもち粉や白玉粉から作られているんす。だからまんじゅうと大福は起源も製法も違う全く別の和菓子なんですよ。粒あんエクスチェンジが大福に使えるのはおかしいはずなんです!」
「なっ……!」
啓司は己の勘違いを理解し、愕然とした。
「え、じゃあなんで粒あんエクスチェンジできたの……?」
「さ、さあ……」
大福はまんじゅうではない。ならどうして大福にも粒あんエクスチェンジが使えたのか。その謎を解き明かそうと脳味噌をフル回転させた越後屋悟は、人生史上最も聡明な発言を捻りだすことに成功する。
「もしかして加藤先輩がまんじゅうと同じだと思ったものなら粒あんエクスチェンジできるんじゃ」
「なるほどな!」
啓司は思わず越後屋を指さして叫んだ。思考する。まんじゅうの本質はなんだろうか。それは皮とあんだ。あんを皮で包んでいることがまんじゅうの本質なのだ。
啓司は再びお茶の入ったペットボトルを手に取る。ペットボトルの中に緑茶が入っている。緑茶がプラスチックに包まれている。つまりこれは。
「まんじゅうと同じだ」
「へ?」
「――粒あんエクスチェンジ」
真理(誤)を悟った啓司が粒あんエクスチェンジをかけると、ペットボトルにはぎっしりと粒あんが詰まっていた。顔を見合わせた後、啓司と越後屋は肩を組んで喜びを分かち合った。
「うおおおおおおおお、おっしゃー! すげえええええ! 先輩マジすげええ!」
「お前もマジ天才! これでガンガンまた売れるな!」
「やったりまっしょー!」
「しょえーい!」
二人は肩を組んで狂喜し、リンボーダンスを踊った。
粒あんエクスチェンジにより大量の粒あんを手に入れることが可能となり、ますます会社の売上は上昇した。ここで満足すればよかったのかもしれない。しかし万人の欲望は果てることなく、二人もまた同様だった。
ジーニアス越後屋は粒あんエクスチェンジの新たな活用方法を考案した。それすなわち廃棄物処理である。粒あんエクスチェンジを使えばまんじゅうのあん(に該当するもの)は問答無用で粒あんになる。これを利用して粒あんエクスチェンジで廃棄物を粒あんにしてしまえばどんなに危険な廃棄物であろうと安全かつ安価に処理が可能になるというわけだ。
結論から言うと、越後屋の案は概ね上手くいった。まんじゅう販売と同様、ノウハウがないため当初の業績は伸び悩んだが、段々と口コミで顧客がつくようになった。それがよくなかった。
粒あんエクスチェンジ式廃棄物処理は正々堂々脱法行為である。この秘密が越後屋からセフレに、セフレからヤクザに流水の如く漏洩した。
ヤクザに秘密が漏洩すると何が起こるか。
ヤクザさんが会社を訪問してくる。
というわけで、右目に大きな刀傷を負ったパンチパーマのいかにもヤクザが応接室のソファに笑顔で座っていた。いかにもヤクザは上園と名乗った。
「いやいや、うちもおたくらを取って食おうってわけじゃないんですわ」
嘘だ、と啓司は思った。越後屋も思った。
「ただその力をね、ちょいとお借りしたいってわけですわ。もちろん協力してもらえますな」
ガハハハッと上園が豪快に笑った。対する二人はひきつった笑いしか出なかった。断るなんて選択肢があるはずもない。どんな危ない物でもきっちり隠滅する処分屋が開業した瞬間だった。
それからの裏の営業も順調だった。越後屋は「金も貰えるし、別に手間じゃないし、おとなしく従っときゃそれでいいっしょ」と放言し、多少の不安こそあるものの、啓司も同意見だった。小市民は強者に従っておけばいい。
処分屋としての評判は上々で、二人を傘下に置いた上園の地位も上昇した。そのため、上園が二人を連れて夜の街で遊ぶことも増え、裏社会に両足とっぷり感が増した。
元々遊び好きな性格であったが、これにより越後屋はますます派手に遊ぶようになっていった。ひきずられるように啓司もめくるめく刺激に耽溺していく。粒あんエクスチェンジの発動にコストはかからない。一時間もあればその日必要な粒あんエクスチェンジは済んでしまう。製造や販売といった後の面倒ごとは越後屋のセフレなどの従業員にやらせとけばいい。
この夜遊びが災いし、粒あんエクスチェンジの情報が啓司からセフレに、セフレから敵対組織の重鎮に流水の如く漏洩した。
敵対組織の重鎮に秘密が漏洩すると何が起こるか。
拉致されて荒縄でぐるぐる巻きにされる。
というわけで、二人揃って荒縄でぐるぐる巻きの上、何処とも知れぬ倉庫で正座することになった。越後屋はやべえやべえと小声でつぶやきながら下半身のホースから放水を始めており、ジーパンの股間部分が変色していた。
左目に眼帯をつけたスキンヘッドの敵対組織の重鎮がにっごり笑うと、部下が越後屋の左手小指をさよならさせた。
越後屋の絶叫が深夜の倉庫に響く。
その悲痛な叫びに表情を変えたのは啓司だけであった。
スキンヘッド重鎮が越後屋の額に銃口を突きつけ、のんびりとした口調で言う。
「あんたらが色々ふざけたことやらかしてるせいで、こっちは迷惑してんだよねえ」
「あ、謝ります。すみません、すみません、ごめんなさいッ! 許して! 許して許して! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい許してええ!」
「うっせんだよどボケが!」
パァンッと破裂音。銃声だ。鬼のような形相に豹変したスキンヘッド重鎮が、なりふり構わず喚いた越後屋を撃ったのだ。越後屋は虫けらのように痙攣しながら崩れ落ちた。
スキンヘッド重鎮は、越後屋だった死体を一瞥した後、また穏やかな表情を作る。
「そうそう。あんたらのケツ持ちしてた上園の首も昨日飛ばしてきたんで、あの世でよろしく言ってやんなさいな」
もはや悲鳴すら出せず、啓司はどうしてこうなったのかと後悔する。調子に乗らなければよかった。つまるところ、まんじゅうとか粒あんとかそんなものが原因で死ぬことになるのか。
ゆっくりと銃口を突きつけるスキンヘッド重鎮の顔はにこやかな悪魔のようだった。ふと啓司は気がつく。丸顔でスキンヘッド。まるでまんじゅうのようだ。だが人間はまんじゅうじゃない。本当に? 啓司の脳味噌がフル回転する。人間は皮で肉と骨を包んだまんじゅうではないか。いや、それにしては自律的に行動する上、穴まで空いている。これはもうまんじゅうではない。
「最後に何かあるなら遺言くらい聞いてやるよ」
ならば人体でまんじゅうに等しいものはないのか――心臓、肺、胃袋、大腸、脊髄、どれも違う。だが、脳味噌。
「粒あんエクスチェンジ」
丸い頭蓋骨に包まれた脳味噌はもはやまんじゅうだ。
拳銃の引き金にかけていた指が力を失い、ぐらりと重鎮スキンヘッドが倒れる。周りの部下が慌てて駆け寄るがもう遅い。彼の生命は失われていた。頭蓋骨の中には脳味噌の代わりに粒あんがたっぷりつまっている。
何はともあれ、スキンヘッド重鎮を死に至らしめた犯人は啓司であることは明らかだった。故にこのままだと自分が殺されてしまうことも啓司はちゃんとわかっていた。
――粒あんエクスチェンジ。
残った部下の脳味噌も粒あんに変換する。これで身の安全は確保された。啓司はゆっくりと立ちあがり、己の所業の結果を確認する。四人。それが啓司が殺した人間の数だった。
この日を境に啓司の人生は一気に暗転した。殺人犯として追われる日々の始まりだ。
啓司はただひたすらに逃亡した。裏も表も関係なく、啓司を捕えようとする者はことごとく脳味噌を粒あんに変換してやった。啓司とて初めは殺人に忌避感を抱いていたが、やがてそんなもの消え失せてしまった。その日の食事や寝床のために無辜の市民に粒あんエクスチェンジをかけて殺した。どんな人間であろうと脳味噌が粒あんになってしまうのだから差異などないに等しい。啓司は薄く笑った。壊れた笑みだった。
無論、そんなことをすれば日本どころか世界の敵となってしまう。そんな啓司を救ったのはやはり粒あんエクスチェンジだった。粒あんエクスチェンジをかけるにあたっては啓司が対象を特定し認識していればよいのであり、肉眼で見ることは必須条件ではない。そこで啓司は世界各国の首脳陣やら大企業のステークホルダーやら、ちょっとでも有名な人間に片っ端から粒あんエクスチェンジをかけ、彼らの脳味噌を粒あんに変換した。
その結果、世界中において、政治は混乱し、経済は低迷し、治安は悪化し、恐怖が蔓延した。そんな阿鼻叫喚に陥った世界こそ啓司が生き延びられる唯一の地獄だった。
だが地獄において最後まで逃げおおせることなどできるはずがない。ある日のこと、晴れやかな空の下で啓司は名も無き狙撃兵に心臓を撃ち抜かれ倒れ伏した。
嗚呼。啓司は己の終わりを悟り嘆く。どうしてこうなってしまったのか。こんなはずではなかった。越後屋と馬鹿みたいに遊んでいた頃を思い出そうとするが、啓司の目に映るのは燦々と輝く太陽だけであった。眩しいと啓司は思った。憎らしいとも思った。太陽。丸い。まあるい。燃え盛る層に包まれている。その中に核がある。ならそれはまんじゅうと同じじゃないか。
もはや声を出す力もない啓司は、最後の力を振り絞り、己の異能を行使した。
――粒あんエクスチェンジ
そして啓司は息絶えた。
さて。
太陽のうちどこまでをあんとするかは個々人の認識により分かれうるところだが、啓司の認識では表層のコロナより内側はあんであった。そのため、太陽は粒あんがたっぷり詰まったまんじゅうに早変わりし、皮とであるコロナの高温により燃え尽きた。これすなわち太陽の消滅である。
地球から太陽までの距離は平均して約1億4960万キロメートル、太陽から地球まで光が届くには8分20秒ほど。啓司の死亡という吉報と太陽の異変という凶報は同日中に世界を駆け巡ることになった。
太陽を失った地球は公転をやめ、行先不明の直進運動を始める。地球温暖化という誤差が吹き飛ぶほど地球表面の気温は低下し、明けることのない極寒が始まった。
人類はすぐには滅びなかった。人類史上最悪の環境変化に果敢に抵抗し、熱エネルギーの豊富な火山地帯付近に移住し、やがて温度が安定した地下での居住を行うようになる。地下生活には、熱エネルギーの効率的な運用、食料の恒常的生産など多くの課題があったが、奇跡的な技術革新や文明社会における慣習の放棄によって人類の生存をなんとか維持することができた。
だが地下生活は地上生活よりもキャパシティが小さく、必然的に選別がなされることとなる。粒あんエクスチェンジの災禍により混乱に陥っていた社会は更なる恐慌に突き落とされ、選別の過程において莫大な犠牲者が生じた。
環境は常に過酷で、かつ悪化していった。時間は人類に極めて厳しいペナルティを科した。極寒の中、海面は凍結し、ごく一部の微生物などを除き、地表の生物は全て絶え果てた。大気中に含まれた酸素すらも液体に、そして固体になり、やがて酸素が雪となって地表に積もるようになる。
それでもなお、人類は地下により深く潜ることによりかろうじて生き延びていた。だがそれも風前の灯火であった。生存の道を模索し、かつてであれば決して許されぬ非人道的実験がいともたやすく行われた。もはや人権など過去の遺物であり、極めて厳しい身分制度と全体主義が歪に結合した社会になっていた。
非人道的実験の全てが分の悪い博打であり必然の如く徒労に終わったが、ただ一つだけ希望とも言えぬ希望が微かに灯る実験があった。それはホモサピエンスとしての生存を諦め、別の生物に変化することによって生存を図ろうとするものだった。
無論、綺麗な話ではない。実験によって転換された人間はぶよぶよとした丸い肉塊となり、知能はもちろんのこと、生存以外の能力をほぼ全て失っていた。
だが少なくとも生存は可能だった。僅かなエネルギーを摂取し、微かに肥大していきやがて他の肉塊と結合し、複数に分裂する。この肉塊生物の生存能力は極めて高く、地中であれば今後の地球でも生き延びる可能性があった。
それは極めて大きな決断だった。人類は全てを捨てて生き延びることを選んだ。地球の環境が改善された暁に、再度進化して知性を獲得するという絶無に等しい可能性に賭けたのだ。そのためには直進運動を続ける地球が恒星の重力圏に取り込まれ、安定した環境になることが必要になる上、肉塊生物が人類に等しい知的生命体に再度進化できるかについては何ら保証はなかった。それは狂人の博打であった。
こうしてホモサピエンスは滅び、代わりに地下ではホモサピエンスだった肉塊生物が棲息するようになる。地球は直進運動を続け、その距離と時間を計算する者はもはやいなかった。
長い時間が過ぎた。
太陽系から遥かに離れた。
そして転機が訪れる。
いくつかの銀河系を横断するほどの距離を理論上直進していた地球は、奇跡的にとある恒星の重力圏に取りこまれ、新たな公転運動をするようになった。狂人の博打は第一条件を突破した。
地球がかつて太陽系の地球であった頃と比べ過酷な条件ではあったが、それでも直進運動を続けていた頃よりも遥かに環境は改善し、気温は上昇し、地下の肉塊生物も徐々にその数を増やしていった。このまま時間が経てば地球にかつてのような知的生命体が誕生するかもしれなかった。
だが肉塊生物が進化をする前に、別の知的生命体が地球に登場した。それは地球を捕えた恒星の重力圏下にある別の惑星で育った知的生命体だった。彼らは新たに惑星となった地球を探索しに来た。
知的生命体は地球をくまなく調査し、豊富な資源や地球独自の生物があることに歓喜した。そしてその際、地下に棲息する肉塊生物を発見する。
肉塊生物は彼らの母星に持ち帰られ、様々な研究がなされた。当初は役に立たないと考えられたが、肉塊生物の有意義な活用方法が一つだけ見出させれる。食用だ。飼育と繁殖が容易な肉塊生物は食用にちょうどよかったのだ。肝心の味も悪くなかった。
こうして肉塊生物はその惑星の食卓に普及していく。肉塊生物には学名以外にも名前がつけられ、それはその惑星の言葉でまんじゅうと呼ばれた。
粒あんエクスチェンジ ささやか @sasayaka
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