12 味わいすぎた闇

――それは、クインエスが眠りに浸かろうとする夜中。

 町の方から、緊急の知らせを告げる狼煙のろしがあがっていた。


 言葉を失うクインエス。そして、嫌というほどに味わった真っ黒の闇が頭の中を支配し、彼女に呼吸の仕方を忘れさせる。


 しかし、膝を付いて現実界げんじつかいから逃避させるいとまさえ、この世界は与えてくれない。

 

 凍えそうになる体になんとか力を入れ、彼女は走り出す。


 夜間に襲撃されたことは恐らく今日が初めてであった。人々は夜ならばと安心していたが、今日この時を持ってそれすらも砕かれた。


 震えすぎる心を掴むように、左胸にぐっと拳を当てる。

「動け……。今はそれしか出来ないだろ」

 うつろに言葉を漏らし、壊れそうになる理性を正す。


 しかし、どれだけ冷静を心がけても、やはり景色は闇に飲まれている。

 構わない。もうその味すら覚えたそれだ。

 

 クインエスは駆けた。もうどこまで広がっているか分からない闇に向かって、星を探すように。



 数え飽きたそれらに、別れの言葉さえも忘却し、ただひたすらに輪廻に還ろうと、星の光の仲間に加わっていく。その眺めをただひたすらに忽然と眺めている僕がいた。

 

 黒翼族の奇襲は辛うじて沈めた。

 

 重たすぎる体を引きずるように歩ませて、またあのいつもの場所へと戻る。


 全てが憎かった。張り付いて離れないにおいも、ただの一つも、覚えた感覚全ても、そして瞬いている星にさえも。感情が暴走して気が狂いそうになる。

 

 やがてたどり着いたいつもの場所。海が近いので、そこは非常に冷える。

「リズベリー……」

 涙に消えない日々が薔薇よりも深く突き刺さって離れようとしてくれない。

 どこで何をしていても、彼女と過ごした日々が、もう果てない彼方に移ろおうとしているのに、この身を惑わしてどうしようもない。


 暗闇に過ごす。どうにも彼女がくれたものたちは、この身には眩しすぎて、痛くて突き刺さる。

 味わうように浴びた闇に浸り続けてもうその冷たささえ冴えない日々の感覚みたい。

 

 太陽が輝き方を忘れたようにして、訪れた冬の景色に彷徨っている。果てしない昨日ばかりを見過ぎたせいで、赤子のように明日への歩き方さえおぼつかなく、やがて忘れそうにもなる。

 どれだけ感情を振り回されても、その度に自我を保っても、世界はまるでいつものように笑って過ごしているだけ。


 笑い方を忘れそうになる日々に生きる自分をまるであざ笑うかのように爛々と輝いている景色の数々。置いていかれた何かが何だったのか、考える余力さえ手のひらをすり抜けるほどの少数。

 残ったのはただの一つ、あるのは絶望と憎悪と復讐の心。

 

 奴らを今すぐにでも皆殺しにしてやりたい。しかし、どうしてかこの体は進むのを怖がっていた。まるで味わい尽くした闇から離れることを恐れるように、希望に光っているそれに手を伸ばすことを恐れているみたいに。


「ユー?」

 呼ばれた。それは求めているのに逆に遠ざかってしまう光からの声なのか。そう思ってしまうくらい、その声かけは儚く、しかし確かな鮮やかさを秘めていた。

 クインエスはその方に向く。いつの間にそこにいたのであろう。対するのは過去に天使とも形容したリズベリーであった。

「泣いているの?」


 尋ねられ、咄嗟に目元に指先を添える。

 まさかの一つ、涙など一滴も流れていなかった。

 だのに、対するリズベリーの容姿は霞んで見えた。


「人が死んだんだ。どれも救えるはずだったたくさんの命が」

 発する声音も不思議と震えて聞こえる。何と表したらいいのか分からないそれに感情が揺さぶられて、同時に景色の霞も増していく。

「僕がもっと上手くやれば、もっと早く奴らの尻尾を掴んでいれば……」


 言葉が失せる。あらゆる後悔と懺悔が吐くだけ儚く思えて夜風と詠わせるだけ無意味に思えたからだった。

 クインエスはリズベリーの元から離れようとした。どんな光もこの身には降り注がない。いっそのこと闇の方が今は心地よくさえ感じている。

 

 瞬間、クインエスは彼女に抱き寄せられた。

 リズベリーからの言葉はない。しかし、これほどまでに強く優しい無言は感じたことがない。

 

「こんなこと突然言われてもユー困るかもしれないけれど、リズはユーのおかげで今を生きていられているの」


 そして、ふと投げかけられる言の葉。

 クインエスは驚愕した。そのようなこと言われたの、およそ人生で初めてであったからだ。

 

「ああ、確かに困る」

「あはは、だよね」

 

 リズベリーははにかみつつ、言の葉を連ねる。


「翼を剥ぎ落とされ、リズは何も分からないままに放たれた。翼を失くしたことで、景色の見え方が変わった。翼の民と人間たちの無意味な争い。そしてリズは平和を願うようになったの」


 彼女のまるで鈴を転がすように心地の良い声は耳に馴染み、通る。だのにどうしてかクインエスは理解に追いつくのに、僅かな暇を置いた。


「『平和の呪い』。リズにはそれを叶える力があること知った。そして知っていくことが多すぎて追いついていないのに、ただひたすらにこの地を走った。それが多分人間でいう孤独って感覚何だと思う。確かな光は見えているのに、確かなゴールに近づいているのに、それを全部見えなくするくらいそれは眩しいから、やがて心っていうものがすり減っていった。そんな時、ユー。あなたに出会ったの」


 嗚呼、なるほど。クインエスの理解が追いつく。


「リズ、君は……」


 潤いを沢山に帯びた二つの瞳。笑みを浮かべたその口元に、しかし僅かながらの儚さを感じる。

 だからクインエスはその先を言わない。その先を言ってしまうと、もうこれまでの関係を維持できないと思ってしまったから。


「『平和の呪い』。これが完成すれば、黒翼族リズたちは封印される。そうすれば、この争いも終わる」


 まるで夢のような話だ。しかし、クインエスは不思議と彼女の言うことに強い信頼を置いていた。

 夜は更けていく。どこまでも駈け出していくその先に何があるのか分かるはずなのに、目を瞑ったまま、見なかった日がもう何日も続いていた。

――だから、もうユーは休んでいて。後はリズに任せて。

 その先の言葉。容易に想像できた。

 だから、クインエスは闇に溶けるためにこの場を立ち去ろうとする。


「ありがとう、リズ。君の言葉は信じよう。しかし、悲しいかな。君のその告白によって、愚かなことに僕は君との壁を作ってしまった」

 

 リズベリーにはもう産まれたばかりの時の心は残っていないであろう。しかし、確かに彼女たち同胞の手によって失われた命の数々が多すぎる。割り切れない自分をクインエスは強く恥じた。

 クインエスのその言葉に、リズベリーは静かに頭を振った。


「僕の方こそだ、リズ。むしろ僕の方こそ君に貰ったものの方が多い」

 せめてこのわだかまりが解けるまで。クインエスは続ける。

「その名前、大切にしろよ」

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トライ・マジェスティ 雅憂輝 @uiki1921

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