恋と呪いは使いよう
ヨムカモ
第1話
静謐な雰囲気が漂うお寺の境内。
鳥のさえずりや葉擦れの音が耳をくすぐるような爽やかな早朝に。
「――ぎゃああああああ!?」
怪鳥じみた悲鳴が響き渡り、私は頭を抱えることになった。
ことの発端は詠(え)巳(み)の思いつきだった。
「理(り)胡(こ)がさ、あれだけ必死に声優のレッスンをしてるのに芽が出ないのは、演技力に難があるからだと思うのよねえ。で、あたし、そこを補う方法を考えてみたの! やってみて!」
詠巳は頼りになる幼なじみだが、たまに突拍子もないことを言い出すときがある。今回も、彼女の提案を聞いて途方に暮れてしまった。
まず、近所のお寺の賽銭箱の上に、一抱えほどの大きさのだるまを設置する。隣には、「願い事を唱えよ。さすれば叶うだろう」と書いた木札を立てかける。そして私は、ヘッドセットとピンマイクを装備し、木陰に身を隠す。
詠巳によれば、参拝客というものは、そんな縁起のいいだるまがいたら必ず願い事を口にするものらしい。そうしたら、私はだるまに内蔵したマイクでその声を拾い、同じく内蔵したスピーカーを通して返答する。だるまになりきってお告げをすることで演技力が向上する、という試みだという。
だるまのマネでどうして演技力が向上するのか、そもそもなぜだるまなのか、突っ込みどころが満載だ。物置からでも拾ってきたのだろうが、せめてもっとかわいいフォルムの女声が合う物体はなかったのか。
遠慮したい気持ちは山々だったが、彼女の好意をむげにもできない。道具も場所も準備してくれたのだ。せめて警察沙汰にならないよう、比較的人気の少ない早朝に実行することにした。
指定された位置につくと、ヘッドセットを隠すために買った大きめのキャスケットを押し上げ、参拝客を物色する。いい人だと可哀想だが、だからといって、悪い人だと弱みを握られて脅されたりするかもしれない。ちょっとイタズラをしても罪悪感を抱かず、黙っていてくれそうな手頃な人間はいないものか。
けれど、もし私の探しているような人物が通りかかったとしても、私には一目で人格を看破するほどの眼力などない。
やっぱり、誰も引っかからなかったことにして帰ろうか、と思い始めた時だった。茶髪の青年がやってきて、賽銭箱の上に鎮座しているだるまを見つけると、おもむろにこうのたまった。
「バカ女はもううんざりだ。まともな女、紹介してくれ」
「……」
チャラ男だ。正真正銘、真のチャラ男だ。
長めの前髪にイマドキのおしゃれな服装からしても、チャラ男以外の何者でもない。
チャラ男に対する過去の恨みを思い出した私は、電光石火の速さで決断した。限界まで低くした神妙な声をつくり、厳かにお告げを下す。
「あなたは、呪われるでしょう」
――その結果が、あの悲鳴である。
チャラ男は腰が抜けたのか、地面に尻餅をついている。一方、私は、予想外の大音声に泡を食い、大事になる前にとんずらすることに決めた。チャラ男が逃げるのを待って、だるまを回収しよう。
しかし、彼は何を思ったのか、よろよろと立ち上がると、だるまを抱えて走り去った。
「えっ、ちょ……っ!?」
なんでそれを持って行くの!?
私も慌てて後を追う。
だるまを盗んでどうするのだ。もしや、イタズラの証拠として、警察に突き出すつもりなのだろうか。
叫びだしたい衝動をこらえて通りに出ると、少し先を歩くチャラ男の姿を発見した。ほっとして、一定の距離を保ちつつ、歩調を合わせる。尾行なんて初めてだが仕方ない。
チャラ男はだるまに話しかけながら歩いており、通行人からやたら奇異の目を向けられている。
「なんで俺が呪われなきゃなんねえんだ」
「……う、宇宙的な意思である」
「なんだよそれ。どうすればいいんだよ」
「と、徳を積めばいいのではないかな」
どうやらバレてはいないようだ。
私の滅茶苦茶な答えにも、チャラ男は疑う気配をみせない。自分が呪われるという恐怖から、冷静な判断が出来ないでいるのだろう。
これなら、とりあえずはごまかせそうだ。
緩みそうになる頬を引き締め、求められるがまま指示を出していく。
「まずはそこのゴミを拾うがいいだろう」
そう言うと、チャラ男は素直に従って、落ちていた缶を近くのゴミ箱に捨てた。道に迷っている観光客を見つけたら道案内をし、具合の悪い人がいたら病院まで付き添い、風で飛んでしまった店先の商品を拾う。
あまりに従順なので、ちょっと面白くなってきた。
調子に乗って次々に指令を出していると、数人の若い女性が彼を見つめているのに気がついた。彼女たちはだるまを後生大事に抱えているという奇行にもひるむことなく、チャラ男に近づいていく。
これは逆ナンというやつだろう。確かに彼は長身でイケメンかもしれないが、どう見てもチャラ男だし、だるまが本当にしゃべると信じてしまったお馬鹿さんである。しかも、願い事からすると、女好きなのは疑いようもない。
そんな男でいいのか。相手をよく見るよう忠告したいところだが、彼女たちの前に姿を現すわけにもいかない。私は電柱の後ろに隠れてただ見守ることにした。
しかし、彼女たちの将来を除けば、これで一件落着だ。デートをするなら、さすがにだるまは置いていくだろう。私は彼らが去った後にだるまを回収し、何事もなかったように日常に戻ればいい。
胸をなで下ろす一方で、少しだけ拍子抜けしていた。
どうせなら、世の女性たちのために、チャラ男の性根をたたき直してやろうと思い始めていたのだ。最後までやり遂げられなくて残念である。念のため断っておくが、決して私の私怨のためではない。
だが、そんな私の予想を裏切って、彼は善行を優先した。名残惜しそうに離れていく女性たちに軽く手を上げると、倒れている自転車を起こす作業に戻る。
よっぽど呪いが怖いのだろうが、目先の利益に簡単に流されると思っていたので、ちょっぴり見直した。ごほうびに、チャラ男ではなく名前で呼んでやろう。彼女たちとの会話の中で、彼の名前が判明したのだ。「御名(みな)丘(おか)健(けん)詞(じ)」というらしい。
ただし、彼女たちの誘いに心が揺れたのは、遠目からでも明らかだった。お昼になってそば屋に入ると、今度は女性店員を目で追い始めたので柱の陰から釘を刺しておく。
「異性にだらしないと呪われるぞよ」
御名丘はそばを口に入れる寸前で固まった。いったん箸を置くと、小声で反論してくる。
「だらしないって、オレがか? 向こうじゃなくて? おまえ、神サマなんだよな? それ、オレのこと全部知ってて言ってんの?」
神様じゃなくて仏様だけど。
「まあ、確かに、浮気されたってことは、オレにも原因があったんだろうし? 全部向こうが悪いとは言わないけど……。でもな! 限度があるだろ! つきあって一ヶ月で三人の男とって、多すぎないか!? 独身だって言ってたくせに旦那が殴り込んできたり、同棲して一週間で通帳から五十万引き出されたり! むしろ、すでに呪われてんじゃないかって思ってたんだよ。厄払いで有名な寺だからわざわざ来たってのに、なんでさらに呪われなきゃなんねえんだ」
「……」
それは、それぞれ別の彼女との話なのだろうか。それが本当だとしたら、女を食い物にしているタラシではなく、逆に、軽そうな見た目のせいで食いものにされている不憫な人ということになる。
思い返せば、雑用を命じても、彼は嫌な顔一つしていなかった。親切にした相手に恩を売るふうでもなく、自然体。それは、善行をし慣れているからなのだろうか。
もしかしたら、私の思っているようなチャラ男ではないのかもしれない。
今もそうだ。おいしいものを独り占めせずに、仲間と分け合う優しさを彼は持っている。
つまり、だるまの口元にそばを押しつけている。
分かち合いの精神への感動より、だるまを汚して詠巳に怒られる恐怖が勝った。不作法にならない程度に断固としたうなり声で威嚇すると、御名丘は、だるまにそばを食べさせるのを諦めてくれた。
「今まで散々な目に遭ってんだよ。もう自分の見る目は信じられねえんだ。神サマに頼りたくなるのも当然だろ……」
彼は大人しく自分でそばをすすりつつ、ぽつりぽつりと人生相談をし始めた。
彼の話を要約すると、女運の悪さを断ち切りたい、そして、女性を見る目に自信がなくなったから、次の彼女を選ぶのも神様にお願いしたい、ということらしい。さっきから女性ばかり目で追っているのはそのせいなのかもしれない。そこまでして彼女をほしがる心情は理解できないが、自分の見る目のなさに落ち込む気持ちは私にも分かる。
元彼のことを具体的に思い出そうとすると、心がずんと重くなる。
告白されて、いい人そうだったからつきあったが、あっという間に浮気された。「おまえ、つまんねーから」とあっさり別れを告げられて、終わった。
御名丘の事情に比べたら、取るに足らない出来事だ。けれど、あの悔しさは未だに昇華できないでいる。詠巳に何度合コンに誘われても、全く気分がのらないのはそのせいだろう。
御名丘の話を聞いて反省した。彼を標的に選んだのは、完全な八つ当たりだった。今の私は、開運だるまなのだ。自分以上に傷ついている人を、さらに気落ちさせてどうする。
心の中で懺悔しながら、私は一つ決心をした。お詫びというわけではないが、ここは一つ、だるまの本領発揮といこうではないか。
「ほう悲観ふるでない。わひの言うほおりにふれば、いいこほあるぞよ」
「ん? ……おまえ、マジで喰ってる?」
考え事をしながらそばを平らげていた私はむせそうになった。御名丘がだるまを凝視している。万が一解体でもされたら、マイクの仕掛けがばれてしまう。
「わ、わしは、お供えものの精気を食べているのだ。よ、よし、もう十分だ。おぬしも早く食べるがよい」
「あれ? なんか、ここに一度開けた跡みたいなものが……」
「いいから早く食べるのだ! そばはのびる前に食べきらないと、もったいないおばけがとりつくぞよ!」
だるまの継ぎ目から気を逸らすべく口にした脅しは効いたようだ。御名丘は、瞬く間にそばを完食した。
予想以上に早すぎて、私がついていけなかった。慌てて店を出たときには、御名丘の後ろ姿は随分先にあった。
お腹がいっぱいだったが、走って彼を追いかける。性能が良くないマイクなので、ある程度近くにいないと声が拾えない。なんとか追いつくと、冷や汗をかきながら、何食わぬ顔をして彼の後ろを歩いた。
「――おい。聞いてるのか? 次は何をすればいいんだ? もう終わりでいいのか?」
「う、うむ。もう、奉仕活動は、十分であろう。悪運は、祓ったから……、次は、運気を、あげる、行動に、うつろうではないか」
「ん? なんか、息切れてないか? ……いや、だるまは呼吸しねえか……?」
「い、いいから次! 次いくぞよ!」
この程度で息を切らすとは声優失格だ。明日から走り込みを追加しよう。
けれど、早食いの上、食後すぐに走ったせいでおなかに違和感がある。次の作戦にいきたいところだが、その前に小休止がほしい。
そう思ってきょろきょろしていたのが悪かったのかもしれない。
「……そういえば、後ろの女、ちらちらこっち見てるんだよな。もしかして、オレに気があるんじゃねえか?」
(……え?)
後ろの女、というのが判らなくて、御名丘の方へ視線をやった。
――目がバッチリと合った。
それって、つまり。
「――それはない!」
とっさに背を向け、これ以上無いほどきっぱりと断言した。
ちらちら見てくるイコール自分に気があると思うなんて、自意識過剰も甚だしい。これは演技力を高めるための修業の一環なのだ。失礼にも程がある。
御名丘は勢いに気圧されたように「お、おお……」とつぶやいたが、
「……けど、なんか他の場所でも見かけた気がするんだよな。オレに気があるんじゃなきゃ――、あ! これが運命の出逢いってやつか!?」
「それもない!」
「じゃあなんだよ、偶然にしちゃあ、なんか動きも不自然だし……。あ、もしかして、あの女もろくでもない部類か。大人しそうな顔して、金盗んだり男心もてあそんだりするのか?」
「そんなばかな!」
私にそんな小悪魔みたいなスキルがあるわけないだろう!
目を白黒させて否定する。すると、
「ふうん。ならやっぱり、声かけてみるか」
という答えが返ってきて、私の目は点になった。どうしてそうなるのだ。
「だって、変な女じゃないんだろ? ちょっとかわいいし……、神サマのお墨付きなら、ここで逃したら勿体ない」
「わ、わ、わしがいつそんなお墨付きを!?」
御名丘との会話を振り返ってみても、そんな誤解を生むようなやりとりは無かったように思う。
「それにオレ、次もまともな女とつきあえなかったら、もう諦めるつもりなんだよな。きっとオレにはそういう縁が無いってことだろうしさ。だから、最後のチャンスなんだ。そう、寺でも願掛けしてきたし」
そうだったのか!
――っていうか、重い!
呪われているのは私の方なんじゃないだろうか。ひと一人の一生を左右するような重責を担わされて、私は泣きそうになった。
だが、正直それどころではない。御名丘はどんどん近づいてくるのだ。とっさに来た道を戻りながら、必死で視線を巡らせて隠れられる場所を探す。
とにかく、彼との会話は避けなければ。だるまの声は変えているが、直に話したら気づかれる危険がある。
しかも、私が断ったら一生独身を貫くと言うのだ。私は最大限に焦りながら、同時に腹が立ってきた。
これで最後だというのに、彼女を選ぶ理由がそんなに軽くていいのか。
気がありそうだから?
変な女じゃなさそうだから?
そんな選び方をしているから、痛い目に遭うのだ!
――そう思ったとたん、それが自分にも当てはまることに気がついた。
告白されたから、いい人そうだったから、軽い気持ちで付き合った。だからきっと、相手を軽んじる気持ちもあった。
うまくいかなかったのは当然だったのだろう。私達は二人とも、相手を大切にする覚悟が足りなかった。
「……」
思考が脇道に逸れた。軽く現実逃避していたのかもしれない。
気がつくと、目の前に二人組の男性が立っている。
「? なにか……?」
「ねえ、君、一人? これからどっか行くの?」
「俺たち、うまい店知ってるんだけど、一緒にどう? おごるからさ」
「えっと……?」
頭がうまく働かない。私は呆然として彼らを見つめる。
もしかして、私はナンパをされているのだろうか。だとしたら、今日はナンパの日か何かなのだろうか。
いや、相手を間違えている可能性もある。自慢じゃないが、生まれてこの方、ナンパなんて一度もされたことがない。
それともあれか、珍しくかぶっているキャスケットのせいか。夜目遠目笠の内効果で、美人だと錯覚されているだけなのか。
しかし、なぜよりによってこんな時に!
せっかくだが、丁重に、穏便に、かつ一刀両断する感じできっぱりとお断りしたい。そのためにはどういう言い回しをすればいいのだろう。
断り方がわからなくてまごまごしている間に、チャラ男二人は距離を縮めて迫ってくる。
背後からは御名丘が、
「え? なんだって? ――いや、待て、あれって知り合い……、じゃないよな? なんか、困ってるよな? ここは、助けるべきだよな!」
と、いらぬ正義感を燃やして近づいてくる気配がする。
「ちょ……、ちょっとそこ、どいて下さい!」
前門のチャラ男、後門のチャラ男。
チャラ男に前後を挟まれてピンチに陥った私は、やけになって声を上げた。
「急いでるんです! 急用なんです!」
「えー、そんな風には見えなかったけど?」
「すぐそこだよ。そんな警戒して。大げさだなあ」
へらへらしている二人組にいらついた。切羽詰まっているこの様子がわからないのか。
もう他に方法は思いつかない。私はあるイメージを頭の中に思い描きながら、息を深く吸った。
「――ごちゃごちゃうるせえんだよ、いいからそこをどけ!」
ドスの利いた重低音が周囲に響き渡る。
この前のレッスンで演じたパン屋のクレーマーBのアレンジだ。おまえはヤクザかとやり直しを要求されたもの。
新人声優だからって甘く見るな。
目の前の二人組だけでなく、背後の御名丘の気配まで固まった気がした。ちくりと胸が痛んだが、これできっと、御名丘も私に声をかけようなんて思うまい。
私は二人の横をすり抜け、足早にその場を立ち去った。
……しかし、このままフェイドアウトするわけにはいかない。
だるまを通じて御名丘を誘導し、植物公園へ入場する。
「情感を養うため、ねえ。……まあ、来たことなかったから試しに見てみるか」
男の人はあまり来る機会が無いのだろうか。御名丘は物珍しそうに花畑を見渡している。
本格的に脇腹が痛くなった私は、ツツジの群生を回り込み、木製のベンチに腰を下ろした。御名丘からあまり離れるわけにはいかないが、この東屋は周囲を背の高い草花に囲まれていて、絶好の隠れ場になっている。
カラフルな花々を見ても、以前のようには心が沸き立たない。
ここは、元彼から別れ話をされた場所なのだ。
ずっと避けていたのだが、他にちょうど良い所が思い浮かばなかった。
けれど、思ったほどは気分が沈まなかった。元はお気に入りの場所だからか、それとも、一人ではなく、御名丘がそこにいるからか。
様々な花のかぐわしい香りを乗せた風が首筋をなでる。あまりに気持ちよくて、思わず目を閉じた。
――だから、油断してしまったのだ。
御名丘の声が、その後しばらく聞こえなかったことも、特に疑問に思わなかった。
私は目を閉じたまま横になり、まぶたの裏でゆらめく木漏れ日に身をまかせた。
ほんのちょっとだけ、休憩しようと思った。
そして、水が土に吸い込まれるように、すうっと意識が遠のいていった。
はっとして目を覚ますと、夕方になっていた。
朝が早かったせいか、ぐっすり寝入ってしまったらしい。
帽子に手を当て、慌てて飛び起きる。
御名丘はどうしただろうか。あれからどのくらい時間が経ったのか。
青ざめて腕時計を確認しようとしたとき、イヤホンから声が聞こえた。
「ああ、ようやく起きたのか」
御名丘の声だ。私はほっとしてだるまの声を作る。
「ね、寝てなどおらぬ! ちょっと……、そう、瞑想していたのじゃ!」
「……へえ?」
「わ、笑うでない!」
御名丘は、声を抑えるようにしてずっと笑っている。それを聞いているうちに、また元彼のことを思い出した。
彼は待つことが嫌いだった。のんびりしている私は、物思いにふけったり、動きが遅かったりして、よくおいて行かれたものだ。気がつくとどこにもいなくて、探し回ったことが何度あっただろう。
だが、御名丘は、私が寝ている間、ずっと待っていてくれたのだろうか。
「まあ、眠くなる気持ちも判るけどな。昼寝するのに最適だよな、ここ」
きれいな景色を満喫したかのような、リラックスした声が聞こえてくる。
不覚にも胸が高鳴った……、のだが。
「それじゃあそろそろ、説明してもらおうか」
「……えっ?」
今、マイク越しではなく、直接声が聞こえたような……。
背後からの肉声に振り向くと、意地悪そうな笑顔を貼り付けた御名丘がこちらを見つめていた。ベンチの後ろから乗り出すように背もたれに肘をかけて、私の顔をのぞき込んでいる。
そして隣には、見覚えのあるだるまが、寄り添うように座っている。
――バレた。
「――きゃあああああっ!」
本日二度目に響いた悲鳴は、私のものだった。
植物公園は閉園したため、だるまの正しい所在地であるお寺へと連行された。
道中、洗いざらい吐かされてひたすら謝った。だるま片手に質問攻めする男と、ひたすら頭を下げ続ける女。怪しさ満点の二人組は、夕暮れ時の大通りでも結構目立っていた。
「しっかし、すっげえでかい悲鳴だったな。まだ耳がキンキンする……」
溜息をつきながらだるまを賽銭箱の上に戻す。別にそこに戻さなくてもいいのだが、余計な口は挟まずに見守る。
チャラ男二人組を追い払ったとき、私はマイクの電源スイッチを切るのを忘れていた。御名丘にはそこでばれたらしい。
あの大声をステレオで聞かされた御名丘には同情するが、ベンチで眠っていた私を見つけてしばらく寝顔を観察していたというのだから、殴り飛ばさなかったことでその件はチャラにして欲しい。
しかし、丸一日騙していたというのに、御名丘からは怒りの気配を感じられない。それが本当に不気味だった。
「で、演技の練習ついでに元彼の八つ当たりか。なに、そんなにそいつ、オレに似てたわけ?」
「えー、似てたというか……、チャラ男だったので」
「……それって、オレがチャラ男って言ってる? ……ああ、いい。大体わかったから」
私の表情で何かを察したらしく、遠くを見つめて悩み始める御名丘。オブラートに包めないこの口と顔が憎い。
「……まあ、いいや。それで、どうだったんだ? オレがあたふたしてるのを見るのは、さぞかし面白かったんだろうな?」
「! そんなことは……!」
初めて聞く御名丘の皮肉げな口調。私は、つい声を荒げかけ、それから唇を噛んだ。
「最初は、正直、いい気味だとか思ってましたけど……、でも……」
御名丘の人となりを知るにつけ、申し訳なさが募っていった。色々指図するのは面白かったが、それは彼が滑稽に見えたとかいう理由ではなく、ただ、素直に従ってくれるのが嬉しかっただけで。
だけどこれは、言い訳でしかない。結局最後まで騙そうとした私が何を言っても、偽善にしかならないだろう。御名丘に非難されて傷つく権利も私にはないのだ。
言葉を続けられなくていると、なぜか御名丘が慌てた。
「ああ、いや、悪かった。嫌な聞き方した。あんたはそんな嫌なヤツじゃないよな。騙されてたのは正直気分悪いけど、あんたは真剣に練習してたんだろうし。もしそれで少しでも役に立ったんなら、オレも報われるっていうか……」
頬をかきながら、そんなことを言う。今まで騙されていたというのに、騙していた私を嫌なヤツじゃないと言い、意地の悪い言い方をしたと謝る。
この人はどこまでいい人なのか。
違う意味で絶句した私を見て、疑われていると思ったのか、彼はさらに慌てて付け足した。
「いや、だからさ、もしそういうヤツだったら、きっと、もっと変なことをやらされたんじゃないかって思ったんだよ。……あんたが寝てる間、考えてたんだ。だるまを通してオレにやらせようとしたことが、あんたが普段見てるものなんだろ? 困ってる人ばっかり、よくあれだけ見つけられるもんだよな。だから多分、悪いヤツじゃないんだろうなって思ったんだけど……」
「……」
勝手に、頬と胸が熱くなっていくのが分かった。
お人好しすぎる。
自分を騙していた相手までフォローするなんて、いい人にもほどがある。
私はどうすれば、この人の善意に応えることができるのだろう。
「あの……、ほんとに、お詫びのしようもないんですけど……、何か私にできることがあれば、少しでも、償わせていただきたいと……」
つっかえつっかえそう言うと、彼は困ったように顔を逸らした。
「あー……、一つだけあるんだけど。……いや、でも、なんか、弱みにつけ込むみたいでちょっとな……」
しばらく考えた後、御名丘は口重そうに切り出――さずに、途中から独り言になってしまう。
「えっ? なんですか!? 言って下さい!」
しかし、御名丘は何を迷っているのか、言いあぐねるように視線をさまよわせる。
「お願いします! 私に二言はありませんから!」
もともと悪いのは私なのだ。この期に及んで私の不都合まで考慮する御名丘に、もどかしさまで感じてしまう。
私がだめ押しをすると、御名丘はようやく決心したように私の顔に視線を定めた。
「……そこまで言うなら言うけどさ。ここって、悪縁を断ち切る以外にも、縁結びでも有名だよな。あんたも、多分、知ってると思うけど。……で、オレが今日ここにきたのはそれが目的であって」
もちろん知っている。ここはうちの近所だし、詠巳の実家でもある。
そして、御名丘の願いも、だるまを通して聞いている。
彼の願いは、厄払いと、縁結び――……。
「オレの話、聞いてたんならわかるだろ? もし次の相手ともうまくいかなかったら、女と付き合うのは諦めるって。……で、次の相手って、さっき、決めちゃったんだよな」
いつの間にか私の手はしっかりと握られていて、至近距離で御名丘と見つめ合っている状態だった。
ようやく、私は気がついた。
詠巳の突飛な思いつき。大騒ぎになることもあったけど、なぜかうまくいくことの方が多かった。
ここの御利益は、縁切りと縁結び。
だるまは、寺院を代表するラッキーアイテム。
そして、元彼という縁を引きずり続けていた私。
――もしかして、願いを叶えてもらったのは私の方?
「……オレも、二言はないんだけど」
初めて正面から見た御名丘の瞳があまりにもまっすぐで、私はもう、この視線から逃れられないことを知ったのだった。
恋と呪いは使いよう ヨムカモ @yomukamo
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