18 Good-Night
何でもいい。どうだっていい。彼はどうして私を狙っていたのか、そんな理由だって考えていられないほど、頭に血がのぼっていた。
どうしてあんなに大好きだった兄はこうも変わってしまったのだろう。いや、昔からああだったのかもしれないが、それでもどうして私ばかりを殺そうとするのか、甚だ疑問だ。
今まで彼から逃げていたこの足は、今度は彼を追う側へと変わる。彼を殺すための追いかけっこが始まる。
角を曲がればすぐにあの背中が見つけられた。
ひとつ深呼吸をして、感情を殺す。殺意はバレてはいけない。逃げられてしまえば全てが無駄になる。一撃で仕留める。
「お兄ちゃん」
私が呼びかけると彼はゆっくり振り返る。その顔には笑顔。先程までの暗いものではない。悪意も何も感じられない。ただ、嬉しそうな本心からの笑顔。
「思い出して、くれたの……?」
「ごめんね。忘れてたなんて、私最低だね」
「そんなことないよ。ありがとう」
彼はふわりと笑うと、ナイフを落とした。
「こんなもの、もう要らないね」
まだだ。まだそのときではない。もっと、もっと気を抜いたとき、それが一度きりのチャンス。
「私たち、また、いつでも会えるのかな」
「ふふ、もちろん」
勢いよく抱き締められて、一瞬息ができなくなる。今までの感情は伝わってこない。これは私を殺そうとしているのではないらしい。ただただ再会を喜ぶだけの抱擁。
しかし、私はそうじゃない。この男には何度も困らされてきた。記憶の向こうでそう感じている。
これは私の夢の中。念じれば欲しいものが手に入る。
落ちていたナイフが音もなく浮き上がり、私の右手に入ってくる。抱き返すフリをして、彼を、刺す。
「うっ……」
彼の背中はすぐに血で濡れはじめる。
「……どうして」
「どうしてなんて、良く言えるよね」
「僕は……僕のために……」
私の足元で彼はもだえている。痛いのだろうか、苦しいのだろうか。それを私に味わわせようとしていたことには気付いているのだろうか。
「君は……僕の、ために……ただ身体を……」
彼は光となって消えていく。蛍のように飛んでいく様だけは美しいと思えた──。
目を開くとそこは真っ白の部屋だった。周りには家族がいて、心配そうな顔を並べている。
「だ、大丈夫、姉ちゃん?」
これは母と再婚相手との息子、私の新しい家族。あんな兄よりずっと私のことを大切に思ってくれている。かわいい弟だ。
「うん」
「あなたいきなり暴れ出して、大変だったのよ」
「ナイフ持って父さんたちに向けたと思えば、自分の腹を──」
「お父さん、今起きたばかりなのよ。そんなに焦らなくていいでしょ」
「しかし……」
会話の感じからして、意識のない中、私はナイフを持って家族を殺そうとしていたらしい。しかし怪我人は私ひとり。勝手に腹を切って倒れたのだそうだ。
寒気がした。あのまま夢の中で兄を受け入れていれば、どうなったのだろうか。もしかすると、私は自分の手で愛すべきこの家族を壊していたのかもしれない。そう思うと怖くてたまらなかった。
あの夢はきっといつか死んだ兄の残骸で、私を乗っ取ろうとしていたのだ。兄が死んだのは、いつだったろうか。離婚してすぐ、だったろうか。今を生きていたなら、彼は世紀の殺人鬼になっただろう。それくらいの狂気を感じた。
「ごめんね、みんな」
隣に置いてあるカレンダーを見て、今日が結婚記念日であることに気付く。こんな日に私はなんてことをしてしまったのだろう。最悪だ。
「今日、本当はパーティーだったのにね。私のせいでこんなことに……」
「いいえ、お母さんこそごめんなさい。あれからあなたときちんと向き合うことをしてこなかったから」
母は目に涙をためながらも、悲しそうに微笑んだ。
「酷くストレスをためてしまったのね……お兄ちゃんのこと、忘れられないのよね」
「ううん、もう良いの。お兄ちゃんのことはもう、大丈夫だよ」
私の中の兄は、私が殺したから。もう二度とおかしなことはない。
「結婚十周年、おめでとう」
Ending6 『Good-Night』
Escape from Madness たぴ岡 @milk_tea_oka
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