第2話 優狐

 昨日の疲れからか、昼の十一時に起きてしまった。大賀は眠い目をこすりながら、右手に持った歯ブラシを動かし、昨日の出来事を思い出す。


 痛みを感じたから、アレは夢じゃない? 夢ならこんなに鮮明に記憶に残らないはずだし。でも、にわかには信じられない。


 その時、ピンポーン、と静かな空間にチャイムが鳴り響いた。すぐさまうがいをし、宅配便だろうと思い、判子を片手に玄関のドアを開けた。


 「どうも、いつもお疲れ様…え?」


 ドアの先には、いつものおじさんではなく、髪が一つ縛りで、白の半袖Tシャツに水色短パンの女性…優狐が立っていた


 「おはよう。いや、もうこんにちはの時間か。会う約束、忘れてないよね?」

 「何で俺の住んでるアパートがわかった!?」

 「ヒント、幽霊」

 「…着いてきたのか、ここまで」

 「そうだよ。偶然帰り道が一緒だったから、ストーカーしてた」

 「だからいつでも行けると…いややってる事犯罪だろ」

 「いーじゃんもう友達みたいなもんだし。じゃあ、お邪魔しまー」

 「ちょい待て、お前年齢幾つだ? 男の家に入れたら連れ込みとか色々マズいことに」

 「私、大学生だから。大賀くんと同い年なら何の問題ないでしょ。じゃあ改めてお邪魔しまーす」


 優狐はお構いなしに大賀の家に入り、クッションの上に胡坐をかいて座った。突然押しかけて来た嫌気と共に、昨晩のは夢じゃなかった事を確信することが出来た。ていうか、同い年だったのか…。


 「上がってきても、俺の家に客をもてなす茶菓子なんて何にもないぞ」

 「いいよいいよ、突然押しかけた私も悪いし。それに今日は、大賀くんの悩み事を解決してあげようと思ってきただけ」

 「悩み事…? 俺の生活費がヤバい事くらいしかないが」

 「それだよ。これ見て…」


 優狐がカバンから取り出したのは、一枚のチラシだった。


 「ウチ、喫茶店やっていて、それでバイトの子が一昨日でやめちゃって。それで今人手不足でさー。だからウチで働いてみない? 週二回でいいから」

 「バイト勧誘か…でもお金に困ってるのは事実だし…せめて店に連れていいってもらえない?」

 「そのつもり。じゃあ早く着替えて支度して。外で待ってるから」


 ご機嫌そうに、優狐は大賀の部屋から出ていき、無音の空間へと元通りになった。突然の出来事に、大賀は寝巻きだった事すら忘れていた。


 こんな暑い日に外に出たいと思わないが、生活費の為なら仕方ない。そう思い、太賀は寝起きの体を精一杯動かし、支度に取り掛かったのであった。


 ※



 十分後、支度を済ませた大賀は、鍵を閉め、アパートの階段を下りた。入口の近くにある大木の木陰で、優狐がコーラを飲んで待っていた。


 「遅い。暑くて日焼けしちゃう」

 「これでも頑張った方なんだけど…中で待ってても良かったのに」

 「大賀くんの着替え姿は見ないようにしてあげたの。プライバシーは守る主義だから。じゃあ行こ」

 

 発信機仕掛けた奴が何言ってんだ…と思いつつ、太賀は優狐について行った。

 

 今日も天気は晴天。偶には雨でも降ってくれないかと思う程暑苦しい。優狐の額は大賀以上に汗が流れている。


 「タオル使うか?」

 「うん、ありがと…これ男くさい」

 「男性用洗剤だから仕方ないだろ。大体、女性に使ってもらう事なんて想定してなかったし…」

 「彼女とかいないんだ。カワイソ」


 優狐は大賀の顔を見て、フッ、と笑った。このような態度に、太賀は少し苛立ちを覚えた。


 「何だよ…それより、お前は何で昨日あんな所に居たんだ?」

 「見回り。狐の一族は森の安全を守らなきゃいけないからね。でも本当は蚊に刺されるから嫌」


 優狐も家庭の事情があって大変なんだな、と大賀は思った。でも、幾ら半分幽霊だとは言えども、こんな美形が歩いてたら危険なんじゃないか? と不安も過る。


 「大賀くんはどこの大学行ってるの?」

 「家から一番近いミュア大学の文学部。優狐は?」

 「ここから電車で三十分くらいした所の大学。芸術学部で絵の勉強してて、コンテストで特別賞も取ったことあるんだ」

 「それは凄いな。一度見てみたいよ」

 「気が向いたら見せてあげる。ほら、ここが私の家」


 歩いて十分程しか経ってない場所に、レトロな雰囲気を醸し出している喫茶店が立っていた。というか、近所だったんだ…。


 「ただいまー。さ、太賀くんも入って入って」

 「お、お邪魔します…」


 お邪魔します、と言うのも変な気がするが、一応そう言ってみた。内装は薄暗い空間に明るい照明や、大正ロマンを感じる椅子が並んでいた。そして何より冷房が効いていて、とても涼しい。


 「優狐、お帰りなさい。あら、その後ろにいる方が、太賀さん?」


 厨房から出てきたのは、優狐のお母さんらしき人であった。


 「どうも初めまして、鮫中大賀と申します。優狐さんにバイト勧誘されて、こちらに伺いました」

 「暑い中来てくれてありがとうね。でも今の時間帯混みやすくて、面接は午後になっちゃうかも。優狐、太賀さんを客室に上がらせて」

 「はぁい。じゃあこっち来て」


 優狐に手招きされて、太賀は奥にある階段を登った。登って直ぐの扉を開けると、沢山の本や漫画が並んでいた。大賀は一目で書斎だと気づいた。


 「そこのソファに座ってて。今飲み物とか持ってくるから」


 優狐は俺を書斎に残して出て行った。


 もう一度、部屋をじっくりと見る。文豪たちの小説や、少し古い雑誌まである。そんな中、ある一冊の本を見つけた。「食べれる野草」というタイトルで、気づけば勝手に大賀はその本を手に取っていた。


 最悪、野草を食べて凌ぐしかないと思っていた所で、ページをめくればめくるほど、意欲が湧いてくる。ミゾソバにヤブガラシ、それに…。


 「野草食べて過ごそうと思ってるの? まじ?」

 「うおっ! 急に話しかけてきたから心臓止まったかと思った…」

 「ウチで働くなら、そんなの全く役に立たない知識になるよ。じゃあ早速手伝いしてもらうから。これ見て」


 テーブルの上には、沢山の材料や工具が置いてあった。これで何をするのだろうか。


 「幸運を呼ぶ狐グッズを作ってもらうよ。あ、胡散臭そうって思った顔した。狐の私が心を込めて作ったら、幸運がやって来るって評判いいんだよ」

 「でも俺が作ったら、幸運なんて招かないんじゃ?」

 「幸運力を分けてあげるから、手貸して」


 大賀は左手を差し出すと、優狐が右手で掴んだ。すると、太賀の左手にどんどん謎の力が流れ込んでくるのが分かった。ドク、ドクと脈の音が聞こえるが、これはどっちの意味で鳴っているのか、それは大賀自身もよく分からなかった。


 「これで幸運力が沢山含まれたから、太賀くんも狐になったも同然。さ、取り掛かろ」

 「お、おう…」


 確かに大賀は今、とても運気が上がったような感覚にとらわれた。自販機の下で百円が見つかりそうな、又は茶柱が立ちそうな…どれもちっぽけな幸せばかりだ。


 「まずはヘアゴムから。プラスチックで出来た狐のお面を付けるだけ。よく見てて…」

 「そういえば、今日はお面付けてないけど、もしかしてそのヘアゴムで代用してるの?」

 「うん。いつもあんなの付けていたら邪魔でしょ。これにも私を実体化させる力を含めているから、大学行くときとかお出かけする時にはいつもこれ付けてる。てか無駄話してる場合じゃないから早く覚えて」

 「は、はい…」


 大賀は、長時間内職を強いられるのであった。


 ※


 面接は無事合格し、明日から正式に働ける事になった。今日はとりあえず帰ろうと思ったが、優狐はまだ家に帰してくれなかった。

 

 「俺なんかがモデルに務まる?」

 「十分。次のコンテストで優勝は間違いないと思う」


 優狐は太い尻尾を左右に振りながら、太賀をスケッチし始めた。

 

 先程、特別賞を取ったと言っていたのは、漫画部門だったらしい。今回は今流行している悪役令嬢の話を書くらしいが、俺はどの役のモデルになるんだが…と大賀は考えていた。


 「ねぇ、優狐は生まれたときから半分幽霊だったの?」

 「まさか、そうだったら生まれてきてないよ。私が十一歳の時に、急に発症して。おじいちゃんが狐のお面を持てば大丈夫だと知っていたから助かったけど、もしおじいちゃんが居なかったら…ゾッとする話だよね。これ怖い話大会に使っていいよ」


 今の話を聞いて、太賀は背筋が凍りついた。もし自分が同じ境遇に会ったら、と考えるだけで…正に本当にあった怖い話である。


 「…ていうか、自分が半分幽霊で更に狐であるって、みんなに公表してるの?」

 「信頼出来る人にはね。私の漫画サークルの友達にも言ってるし、高校生の友達にも言ってるよ。でも大賀くんは特別」

 「どうして?」

 「…モデルのアイデアになると思ったから? 私も良くわかんない」


 別に好意があってとか、そういう理由がある訳じゃなく、結局、そういう事か。別にそれで構わないんだけど、なんか、その、複雑な気持ちになるというか。


 「…はい、オッケー。おつー」

 「疲れたぁ…ちょっと見せて」

 「はい、これ…」


 渡されたスケッチブックを見ると、そこには白馬に乗った王子様が書かれていた。今時こんなのアリか? とも思ったが、一応プロトタイプって事で受け止めておくが…でも、この王子のモデルが俺?


 大賀は優弧の顔を見ると、その顔はとても赤面であった。


 「な、何? いや、別に大賀くんが王子様に見えるからとかじゃなくて、ただモデルにするにはいい顔だなって思っただけだから、そこ勘違いしないでほしいなーなんて…」

 「そ、そうか…」


 書斎にはとても気まずい空気が流れている。まるでお通夜のように静かだ。


 「…ねぇ、気晴らしに森のパトロール行こっか」

 「う、うん。そうしようそうしよう…」


 優狐の提案で、二人は書斎を出て、森のパトロールに行くのだった。



 ※



 

 




 

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キツネと人のQuarter~そして半分幽霊~ 飛永英斗 @Tobinagaeito

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