秘密

 パッと目が開く。


 ひどくゆがんだ顔のようなものと目が合った。


 両目の大きさはちぐはぐで、顔全体の輪郭すら揺らいでいる。


 そのいびつな顔が、木製の天井に浮かび上がる木目であると気づくのに、数秒の時間を要した。



「.......知らない天井だ」



 人生で一度言ってみたいセリフランキング上位に入るであろうお決まりのセリフを吐きながら、俺の意識は徐々に目覚めた。


 上体を起こして軽く周りを見回してみれば、そこが畳の広がった和室のような場所であると気づいた。


 畳を軽く数えてみると20畳以上はある、とても広い部屋だ。その真ん中にぽつんと敷いてある布団の上に、俺は寝かされていた。


 優しいい草の匂いが俺の鼻腔をくすぐり、この光景が夢ではないと遅れながらに自覚する。


 

 愛する我が家である夜凪家は全てフローリングなので、ここは俺の慣れ親しんだ家ではないのは確かだ。


 

「えぇ、ここどこ.......」


 

 俺は我ながらとても情けない声でそう呟く。


 考えても見てほしい、突然目が覚めたら自宅や病院ですらない、知らない和室で目が覚めるとかちょっと混乱する。


 ともかく、このまま寝転がっていても仕方がない。


 俺はふかふかの布団から名残惜しげに抜け出すと、ぴしっと閉じられていた部屋の襖をガラリと開けた。


「.......すげぇ」


 そこには、絶景が広がっていた。


 綺麗に手入れされた和風模様の庭園が広がり、その真ん中にはかなりの大きさの池がある。


 カコン.......


 その池の中央には、ししおどしが軽やかな音を響かせていた。

 



「おはようございます」




 綺麗な庭に思わず見蕩れていた俺に、突然隣から声がかけられる。


「ッ!」


 弾かれたようにそちらを見ると、そこには高級そうな和服を着こなした老婆が、まるで最初からそこにいたかのように静かに座っていた。


「..............」

「お召し物です」


 驚き固まる俺に老婆がそういって差し出したのは、見覚えのある俺の私服だった。


 そういえばと、俺は今自分の着ている服に目を向ける。


 肌触りのいい、浴衣のような服だ。

 これも恐らく、この老婆が用意してくれたものなのだろう。


 一体、この老婆は何者なのか.......


「お嬢様が、奥でお待ちです。」


 老婆はそれだけ言って立ち上がると、静かな動きで屋敷の奥へと去っていく。


「..............よし」


 俺はパパッと着替え覚悟を決めると、老婆の後を追い屋敷の奥へと歩みを進めた。




「あら、起きたの。おはよう」


 そうさらりと箸を片手に俺に声をかけたのは、見蕩れてしまうほどの美貌を持った黒い少女、古神ツカサだった。


「.......とりあえず、おはよう」


 俺は頭に浮かんだ数々の言葉をすんでのところで飲み込み、挨拶を返した。


 古神は、ひどく広めに取られた食堂のような場所の端っこで、一人で朝食を食べていた。


 そのメニューは鮭や味噌汁、白飯といった酷く庶民的なものではあったが、そこは学校随一の美少女、何を食べていても絵になるものだ。


「..............」

「とりあえず、座ったら?」


 古神はこちらを一瞥して俺にそう声をかける。


 俺は、警戒6割、しかし興味4割といった様子でおずおずと古神の対面の椅子に腰掛ける。


「.......聞いていいか?」

「何を?」

「昨日のこと」


 俺は真剣な顔でそう問いかける。


 本当はお腹が空きすぎて目の前の古神のご飯をぶん取りたい気分だが、食欲より不安と興味の方が大きかった。


「.......なんのこと、といったらどうする?」

「何をどうしたら俺がお前の豪邸に泊まることになるのか小一時間問い詰める」


 古神の意地悪な問に俺は即答する。

 

「.......ふふっ」


 その様子が面白かったのか、古神は口元を抑えてくすくすと笑うと、綺麗な瞳を鋭く尖らせ、ニコリと笑う。


「.......ほんとに聞きたい?」


 瞬間、ゾッと場の空気が凍りつく。


 首筋に刀でも突きつけられているかのように錯覚してしまうほどの威圧感。


 古神の口元は変わらずにこやかにほほえんでいるが、その瞳は昨夜と変わらず深い闇に染まっている。


「私の秘密を知れば、あなたはもう普通の生活には戻れない.......闇の一端に触れるってことはそういうことなのよ」


 全身の鳥肌が逆立つのを感じる。


 これがただの、普通の少女の発言であれば、やっかいな厨二病程度で済んでいただろう。


 だが、目の前にいる彼女は違う。


 いくつもの修羅場をくぐってきたが故の言葉の重み、強さ。


 昨日の男のものとは違う、全く別の〖バケモノ〗の形だった



 だが、俺は喉に詰まった固唾をゆっくりと飲み込むと、答える。


「聞く、決まってる」

「.......」


 古神の目は変わらない。が、微笑みは消えた。


 表面状の言葉を取り繕っても仕方ない。俺はそう考え、心の中に浮かび上がった言葉をそのまま吐き出した。


「あんたが何者なのか、あの化け物はなんだったのか、どうしてあんな場所にあんな時間までいたのか、聞きたいことは山ほどある。.......でも、それをあんたが聞かれたくないんだったら、無理には聞かない」


 でも、違うならば。


 もし、俺に聞く権利があるのであれば。


「知りたい。あんたのことも、あいつのことも.......変わってしまった自分の身体のことも」


 今朝起きた時から、いやもっと前から感じる身体の違和感。

 

 それの原因も、俺はなんとなく分かっていた。


「まぁ、もしそれで俺がどうなったとしても構わないよ」


 .......それに、と俺は自嘲する。


「いまさら、何も知らないフリして生きていくなんて、こっちから願い下げだ」


 俺は肩をすくめてそう締めくくった。


 熱くなって色々と恥ずかしいことやら訳の分からないことを口走ったかもしれないが、そこは一旦置いておく。

 俺はさも当然かのように椅子にふんぞり返って座り直した。


「..............」


 古神は、俺の話を聞いて少し考え込むように黙っている。

 やはり、失礼なことを言ってしまっただろうか。

 今からでも謝るべきなのでは、と俺の中の臆病で心配性な部分が声を上げるが、その辺はボーカーフェイスで表には出さないでおく。


 内心、心臓がバクバクである。


 古神はそのまま動く様子もなく、俺のお腹も既に限界である。


 さすがにこのまま放置されるのは色々と辛い、ので少し躊躇いながらも声をかけようと試みる。


「.......なぁ、こが」

「朝食をお持ちしました」


 そしてただでさえ緊張でバクバクうるさい心臓が、突然現れた誰かの声でビクンッと飛び上がる。


「.......どなた?」

「使用人第2号よ」


 俺の問いに、古神が短く答える。

 そんな、人をロボットみたいに呼ぶなよ。

 そう思ったが、口には出さなかった。


 それは、新しく現れたその使用人第2号に原因がある。


 見た目は、先程の老婆と同じくらい歳の老人だ。老婆と違うのは、着物と違いきっちりとした執事服に身を包んでいる事だ。

 しかし、その見た目とは裏腹に背筋はピンと鋼のように張られており、その瞳は研ぎ澄まされた刃のように鋭かった。


 そして、問題はその瞳である。


 .......めっちゃ睨まれてるぅ。


 俺が何をしてしまったかは分からないが、おじいさんから凄い形相で睨まれている。


 いや、普通孫娘が知らん男を連れてきたらかなり警戒するだろうけど、流石に睨みすぎな感じがする。

 

 正直言って怖いですはい。


「.......ほんとうに、戻れやしないわよ」


 古神が、意を決したようにつぶやく。


「分かってる、とは言えないけど…覚悟は、出来てるつもりだ」


 俺は俯く古神の顔を見てそう答える。

 真横で睨むおじいさんは一旦無視だ。


「.......早く食べないと、冷めるわよ」

「.......おう」


 思い出したかのようにそう言って話を逸らす古神に、俺は少し残念げにそう答える。


 心の中では、そんなに勿体ぶらなくてもいいじゃんとは思ったが、そこまで簡単に考えられることでは無いのだろう。


 何しろ、生死が関わる問題だ。

 

 下手したら俺はあの時死んでたかもしれないし、今でもあの時の痛みと喪失感は俺の体に卑しくこびりついている。



 俺はたった数時間でこのザマだ。


 

 古神がいつからこんなことに巻き込まれているのかはまだ分からないが、恐らく数日や数週間程度では無いだろう。


 そんな辛く苦しいことを、簡単に分かるなんてことは口が裂けても言えない。

 

 無理やり答えさせることなんてのも論外。


 せめて、古神が自分から話すのを待つ方が懸命だろう。



 .......はい、建前ここまで。



 空腹に支配された俺の意識は、目の前に存在するご馳走へと集まる。


「いただきます」


 俺は綺麗に手入れされた箸を持つと、まずは鮭の塩焼きに手をつける。


 

 うまい。


 まず塩と焼きの加減がちょうどいい。

 口に含むと、舌の上でとろけるようだが、それでいて後味がしっかりと残っていてご飯が進む。


 次に、白ご飯。


 まるで米の一つ一つが自ら光を発しているかのような神々しさには、流石と俺も唾を飲んだ。

 一口食べてみれば分かる、これが〖ご飯〗なのだ、と。


 最後に、お味噌汁。


 こいつが、口に残った塩っけを優しく洗い流し、代わりに味噌の旨みを口内にこれでもかと叩きつける。


 うまい、いや何これまじうまい。


 こんなのが毎朝食えるとか最高かよ。

さすがは日本有数の大金持ち、軽く嫉妬してしまいそうだ。


「.......ねぇ」

「ん?」


 俺があまりにも美味しい朝ごはんに舌鼓を打っていると、古神は控えめな声でそう言ってきた。


 俺が疑問げに首を傾げると、古神は食堂に一つだけ置いてある時計を指さす。


「時間、大丈夫?」


 それに釣られて俺も時計を見るが、現在時刻は〖7時45分〗、ホームルームが始まるのは8時30分なので、時間的にはまだまだ余裕がある。


 俺の自宅は学校から徒歩10分ほどの近い場所にあるので、いつもなら少しでも睡眠時間を補うために2度寝をしている頃なのだが.......


 そこで俺はあることに気づく。



 あ、ここ俺の家じゃない。



 瞬間、頭を電流が走る。


 普段なら、支度と登校を合わせれば30分程度で済む登校時間、それに今日は古神宅からの帰宅も含まれる。


 それに許された時間は、極わずかである。



「やっべぇ!間に合わねぇ!!」


 俺は残った朝食を急いで胃に流し込む。

 少しむせたが、そんなことを気にしてる余裕はない。

 

 とにかく急いで家に帰らなければ.......


「.......昼休み」


 ふと、古神の声が俺の動きを止める。

 俺は足を片方だけ上げたひどく滑稽な格好のまま、耳を傾ける。


「昼休みに、私の所に来て.......そこでいろいろ話してあげる」



◆◇◆◇



「ハァ......あっぶねぇ、ギリギリセーフ」


 俺は学校の机に頭を突っ伏し、乱れた息を必死で整える。


 教室は登校して来た生徒たちで溢れており、彼らは今日の授業について気だるげに話している。

 が、俺にはそんな会話に参加するほどの元気が無かった。


 古神の豪邸を後にし、俺は猛ダッシュで帰宅した。

 声を荒らげる母親とキラキラした目で事の説明を求める妹を躱しつつ制服へと着替えそのまま学校へと向かう。


 おかげで朝イチであるにも関わらず、すでに疲労困憊である。


 

「おーい、授業始めるぞぉ」


 チャイムとともにガラガラと教室の扉が開き、教師が入室したのを皮切りに教室は一気に静かになる。


 

 1時限目の教科は数学、もちろん全く分からない。


 数式がああたらこうたら、公式がああたらこうたらと、まるで理解できる気がしないのだ。


 まぁ、そんなことは置いておき、別のことに思考を割くことにしよう。


 

 それはもちろん、今自分が置かれている状況の確認、整理である。



 まずは軽く確認だ。


 

 俺─夜凪キヅナは昨夜、古神ツカサのストーキング.......もとい調査をしていた所、古神と謎の白スーツとのトラブルに巻き込まれる。

 

 白スーツの男は謎の変身能力と再生能力を持ち合わせており、その戦闘能力は尋常ではなかった。

 割と冗談じゃないレベルで死にかけたし。


 なんとか男の油断をついて一泡吹かせることには成功したが、安心したのもつかの間、男がなにか薬品のような物を自身に注入したのに気づいたとき、俺は致命傷を負っていた。


 痛みと喪失感で意識が朦朧とするなかで、古神の優しい声掛けと手のひらの感触を覚えている。



 あぁ、そしてアレ。


 あの真っ黒い血。


 あれが目の奥から離れない。



 光の届かない暗闇の中でもハッキリと認識することが出来るほどの〖濃厚な黒〗。


 一晩たった今でもはっきりと思い出せるくらいの大きな衝撃が、アレにはあった。


『亡血姫』


 男が呟いたその単語が頭に浮かぶ。



 あれを体内に入れてしまった影響なのか、俺はいま自身の体に違和感を感じていた。



 ある程度落ち着いた今、俺はその違和感の元を探ろうと試みる。


 目を閉じて、全身の感触を頭から満遍なく確かめてみる。



 すると、ドクンッ、ドクンッと大きく脈を打つ感覚を感じた。


 心臓から全身へと流れ出るそれは、今まで自分の中を流れていたそれとは全く違う。


 俺は視線をゆっくりと下におろし、だらんと机に伸ばした自分の右手首へと、それを注ぐ。


 

 通常そこには酸素を多く含む動脈血と、二酸化炭素を多く含む静脈血が流れている。

 

 しかし、今の俺にはその二つを見分けることができない。



 俺の血管は、皮膚の上からでもはっきりと分かるほど黒く変色していた。その様子は、まるで真っ黒な稲妻が迸っているかのように思えるほど。


 

 きっと腕だけではないだろう。

 

 俺の体を駆け巡る血潮は、周りにいる他の人間のそれとは全く違う、漆黒のものへと変貌していたのだ。


 

「.......たった一晩でどうしてこうなるんだよ」


 

 俺は誰にも聞こえないようボソッと自嘲気味につぶやく。

 


 昨夜、男を全力で殴ったその瞬間から何となく分かってはいた。


 もう自分は今までの自分とは全くの別物なのだろうと。


 あの瞬間、昨日までの自分は死んでしまったのだろうと。


 でも、なんとなく分かっていたとしてもショックだった。


 あの時、自らの意思であの場に戻ったのだとしても、やはり動揺はするものだ。


 

 突然、他の周りの人間たちと一線を引かれたような感覚だ。



 

 疎外感.......心にぽっかりと穴が空いた気分だ。



「….......」

 


 もしかしたら古神も、こんな気持ちなのだろうか。


 ふとそう思う。


 俺よりも長い間、こんな体で戦ってきたであろう一人の少女を思い浮かべる。


 彼女のことだって、未だ謎のままだ。結局今朝は何も聞けずじまいであったし、圧倒的に情報が足りていない。


 彼女を取り囲んでいる不可解な状況を知ることが出来れば、なにか見えてくるものがあるとは思うのだが.......



 まぁ、昼休みには話してくれるみたいだし、それまでは一応待機かな。


 俺はそう考え、一旦この状況についての考察をやめにする。



 俺は物語の考察とかでも、考えすぎて全く逆の方向に突き進んでしまうタイプである。


 変な推理を無意味にするよりかは、後でゆっくりと古神の話を聞いた方が有益だろう。


 というわけで、俺はこのまま二度寝と洒落込むとしよう。



「.......?」



 俺が机に組んだ腕を枕にして瞼を閉じようとすると、ふと視線を感じた。


 方向は、俺の右斜め前。


 俺はなんとなく、ちらりとそちらの方向を伺ってみる。


 


 すると一瞬、ある人物と視線が重なる。


 .......原田、か?

 

 

 すぐに視線を戻されてしまったが、俺の方を見ていたのはたしかに、俺の友人である原田アヤだった。



 なんか俺したっけ?


 すぐに自分の失態を疑うが、最近はあまりやらかしたことはしていない。


 いや、昨夜は数え切れないくらいしたけど、それは原田には関係ないだろう。


 原田をよく見ると、頬が僅かに赤くなっているような.......


「.......風邪か?アイツ」


 具合が悪いのなら、後でさりげなく気遣ってやるとしよう。



 そう考えるが、別に俺が言わなくとも先に誰か他の友達が言うだろうと遅れて気づく。


 やべ、なんか悲しくなってきた。





(.......まあ、暇だし少しくらい授業を聞いてみるか。)



 俺はそれから数十分の間、教師の長ったらしい数式の解き方を聞くことに勤しんだ。


 もちろん、何一つ分からなかった。




●●●



 結局俺はなんの成果も得ることはなく授業は終わり、休み時間となった。


 俺はほとんど書き込みのない教科書とノートを机にしまい。次の授業の道具を引き出しから取り出す。


 それが終われば、後はすることも無くいつもは昼寝でもラノベでも読んでいるのだが、今日は普段とは少し違い俺に話しかけてくる人影があった。


「や、やぁ、おはよう。」


 原田だ。

 やはり、少し微熱でもあるのだろうか。顔はほんのり赤みがかっており、歯切れも悪い、普段とは少し違う感じがしていた。


「おう、ていうか体調大丈夫か?顔赤いぞ?」

「え!?だ、大丈夫だよ!全然!何時でも元気なのが私の取り柄だから!」


 本人はそう取り繕うが、なんというかいつもより動作や挙動がオーバーな感じがする。


 そう考えていると、原田はもじもじして少し考えるような様子を見せた。


 それから覚悟を決めたように息を詰めると、俺に問いをなげかけてきた。


「ねぇ、昨夜送ったメール、読んでくれた?」


 .......メール?

 俺の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。心当たりを探ろうと過去の記憶を探るが、そこでようやく思い出した。


「あ、そうだ俺スマホ失くしたんだ」

「えぇ、なんで!!??」


 俺の発言を聞いて、原田は今まで聞いた事がないくらいの声量で驚き、信じられないものを見る目をこちらに向けてきた。


「いや、昨日ちょっとドタバタしてて、その時落としたみたいなんだよ.......」


 原田から向けられる視線にいたたまれない気持ちになりながら、俺はそう弁明の言葉を放つ。


「.......はぁ、タイミング悪すぎ」


 ボソッと俺に聞こえない程度の声で何かを呟くと、ぐっと決心した様子で笑う。


「もう、だったら直接言うね。」


 原田はそういって、俺の耳に顔を近づけて囁いた。



 昼休み、体育館裏に来て




「え?」

「じゃ、そういうことで!」


 予想していなかった言葉に俺が固まっている隙に、原田は友人たちと共に教室を出てしまった。


 残された俺は、原田の発言を何度も頭の中で再生し、その意図を読み解こうと試みる。


「.......これって」


 もしかして、告白イベントでは?




◆◇◆◇◆



 ラブコメディ作品においてもっとも盛り上がるシーンとも言えるのが、告白シーンである。


 抑えきれない強い思い、それを言葉や行動にして示すそのシーンは誰しもあっと息を飲み、一度は夢見た光景であろう。


 そんな俺も幼い頃は「こんな漫画みたいな素敵な女の子と付き合いたいな!」とか思っていた過去はある。


 しかし、まさかこんなに突然そのチャンスが来るとは思ってもみなかった。


 時間は3時間目の授業を過ぎた頃、教科は英語だがこれも迷いなくスルーする。


 俺の脳内リソースは、あの原田の思わせぶりな発言に注がれていた。


『昼休み、体育館裏に来て』


 それは、見ればひと目で分かる告白の誘いである。


 古今東西、様々な少女漫画で使われてきたフレーズが現実に存在していたことに軽く震えつつ、頭は様々な可能性を模索していた。


(何かのイタズラか?のこのこ告白を期待して来た俺を笑いものにでもするつもりか?.......いや、アレで原田はオタクにも優しいタイプのギャル、そんな意地の悪いことはしないとも思うし、なら.......)


 色んな可能性が浮かんでは消えていき、やはり1つの答えにたどり着く。


(告白、かなぁ)


 それくらいしか思いつかなかった。


 正直いって、自分が人に好かれるタイプだとは少しも思ってない。


 が、もし万が一原田が自分に好意を持ってくれているのであれば、俺はどうするのが正解なのだろうか。


(..............そういえば、)


 俺は原田との初対面の時を思い起こす。



『あ、それ今度アニメ化するやつだよね。』


 突然、そういってラノベを読んでいた俺に話しかけてきたのが、原田だった。


 俺は高校に入学した当時も、ゲームやアニメにばかり気を取られ、クラスの友人など必要ないとか思っていた。


『.......あぁ、そうだけど』


 そんな時に話しかけられたので、確かとても不機嫌そうに言葉を返したと思う。


 でも、彼女はそんなことも気にせずに笑って言った。


『それ私も好きなんだよね!えっとね、特に好きなキャラは.......』


 そんなことをいいながら、一人で話し続ける原田。

 でも、そんな俺だって、同じ作品が好きな同士を見つけて心の中では子供みたいに浮かれてしまっていた。


『おっ、それ俺も読んでるぞ』


 後ろからそういって話しかけてきたのが、佐々木である。



 そんな風に2人と仲良くなり、一緒にご飯を食べたり、休みの日には遊んだりもした。


 きっと、俺一人であったならここまで学校生活が楽しいなんて思わなかっただろう。


 俺に人と過ごす楽しさと思い出をくれたのは、間違いなくあの二人なのだ。


(もし、原田と俺が付き合ったら.......)



 俺はちらりと、佐々木の席を覗き見る。


 そんな佐々木も、ノートを取る振りをしながら、他の席を覗いていた。


 その視線の先にいるのは.......



(..............どうすればいいのか、)


 そんなことを思いながら、俺は原田のセリフを思い起こす。


『昼休み、体育館裏に来て』



 ん?なにか忘れているような。


 昼休み、体育館、昼休み.......あ、



『昼休み、私のところに来て』



 あ、やべ.......どうしよう。


 それから俺の脳内リソースは、新たな難題を解くことに注がれた。


 古神と原田、どちらの約束を優先するべきなのかと。


◆◇◆◇◆

 

 

 長い授業もひと段落、昼休みだ。



 気が逸るように早く進む俺の足は、着々と体育館裏へと近づいていた。


(原田の話を聞いてから、直ぐに旧校舎の屋上にいこう.......)


 もし長く待たせて怒らせでもたら、何されるか分からない.......そんな危うさが古神ツカサにはある感じがした。


 長く使われてサビついた扉が目に入ると、俺はそこを左に周り裏へと入る。


「あ、来たね。」


 そこには、待ちくたびれたような仕草をする原田がいた。


 

 改めて、俺は落ち着い原田をみる。


 クリクリとした大きな瞳に、サラサラのショートヘア、人懐っこい笑みに、自然と周りを和ませる性格。


 はっきり言って、かわいいと思う。


 学校の男子100人に聞けば全員が可愛いと答えるであろう彼女は、ほんのりと頬を赤めながらこちらを見つめている。


「..............」


 原田は、モジモジと何かを考えている様子であった。


 そんな様子見せられたら、俺だって期待してしまいますよ!

 

 そんなくだらないことを考えたながら、俺は彼女が話し始めるを待つ。


 もしかしたら、ただ周りに聞かれたくないだけの普通の話かもしれないな、なんてことも一応考えてはいた。


「あ、えぇと、やっぱいざとなると恥ずかしいなぁ!」


 えへへと笑いながら、原田は話しかけてくる。


「恥ずかしいもなにも、俺はなにも聞いてないんだけど?」

「えぇ、ここまで来てまだ気づかないの??鈍感なのか、もしかしてわざとかも?」


 緊張が解けたのか吹っ切れたか、ようやくいつもの原田らしく俺をからかいって来た。


 いつもの調子を取り戻したところで、原田はすぅーと深呼吸をし、俺に笑いかける。


「ねぇ、目つぶってくれない?」

「目?」

「うん、見られてるとちょっと恥ずかしくて」


 見られると恥ずかしいことをするんですか原田さん!!


 原田の思わせぶりな行動の数々に、俺の頭の中がパニックを起こし始める。


 ただでさえ、こんな空気は慣れていないのだ。


 得意のボーカーフェイスで顔には出ていないのが唯一の救いではあるが.......


「ねぇ早くして?」

「..............ん」


 俺は覚悟を決めて、目を瞑る。


 視界が塞がったおかげで、ほかの感覚が強く働くようになった。


 原田の息遣いが、少しづつ近づいてくる。


 それと共に、俺も心臓が高鳴り始め、淡い期待が湧き上がる.......


(あぁ!ダメです原田さん!!これ以上は、アァァ!!)


 1歩、また1歩と足音が聞こえ、感覚で原田がすぐ目の前に来たのを感じ───




 チクリと、痛みが走った。



「.......ッ?」



 鋭いもので刺されたような痛みが首筋に走った。


 それを手で抑えて確認しようすると、


 突然、世界がグニャリと歪んだ。


「.......ぁ、」


 世界の次は、自分自身が真ん中からグニャリと歪んでしまったかのような感覚に襲われ、上下左右すら分からなくなる。


 そんな中で、ニコリと微笑む原田が視界に写った。


 ぴくりとも動かないその顔は、まるで鉄の仮面を付けているようにも見えた。



◇◆◇◆◇



「あ、もしかして起きた?凄く強い薬なのに、やっぱり君やばいねぇー」


 その声で、微睡みから一気に意識が浮かび上がる。


 バッと体を起こすと、体がつっかえる感覚があった。


 どうやら、椅子に縛り付けてあるらしい。



 容易に動けないように手と足がなにかロープ状のもので固定されており、抜け出すことはとても困難に思えた。


 場所は狭い個室のような場所で、目の前には自分が座っているのとは別の椅子、視界の両端には謎の大きなものが置いてあった。


 そしてそこには一人の人影が存在している。



「.......原田?」


 最初はそう思った。見た目は先程まで話していた彼女そのままだ。


 しかし、そんな考えはそいつと目が会った瞬間に塗りつぶされる。


 瞳の奥が見えなかった。


 淀んだような、沈んだような、普段の彼女からは考えられないような一変した様子に、思わず疑問を抱いてしまった。


「うん、そうだね。でも、【それ】はもう捨てたから」


 原田だったものはそう意味深な言葉を吐き捨てると、俺の眼前に用意されたもうひとつの椅子に腰掛ける。


「さて、初めまして亡血くん。あなたの血をいただきにきたわ」



 黒く淀んだ瞳が俺を貫いた。




「は、はぁ?何言ってんだ原田?ドッキリかなにかかこれ?」


 しかし、俺は状況が上手くのみ呑めず縋るような気持ちで原田に声をかける。


「原田 あやは実在しない。ただの戸籍上の人物だよ」


 そんな俺を突き放すように、原田は衝撃の事実を口にする。


「.......ぁ?」

「もともとは彼女に近づくための都合のいい人材なんかを確保するための布石だったんだけど、それが回り回ってこんな成果になるなんて正直予想は出来なかったわ」

「まて、」

「学校のみんなや先生たちには心配をかけるけど、まぁそこら辺はあっちが何とかしてくれるでしょ」

「待って」


 頼むから、待ってくれ。


「.......お前は、なんなんだ。」


 俺が喉の奥から絞り出すように出したその問いに、原田は無感情のまま答えた。


「別に、世界にありふれたただの【ナナシ】よ。」


 原田─ナナシはそういいながらわざとらしく肩を竦めた。


 その普段の原田を思い起こさせる動作に、不快さと気持ち悪さが同時に襲いかかってくる。


 だがしかし、問わなければならないことがある。


「ここはどこだ、てかなんで俺はこんな目にあってるんだよ」

「.......まぁ、来るまで暇だし、答えてあげてもいいか」


 俺の強い問いに少しも怯む様子もなく、ナナシは気だるげに話し始める。


「ファイル06〖亡血姫〗、彼女は一部の奴らにとっては千の金塊よりも価値がある代物だ。その身に流れる黒い血はこの世界に置ける全ての法則から外れた存在、まぁ平たく言ってしまえばこの世に残された数少ない【不思議】といったところね。」


 オカルト、なんて呼び方もある。


 そうナナシは付け加えた。


 話の感じからして、恐らくそれは古神ツカサのことなのだろう。


 今まで聞いた断片的な事柄からみて、その亡血とやらを狙って色んな人達が古神を狙っているようだ。


 しかし、それが何故俺を捕まえる理由になるのかは未だ疑問だ。


「.......まだ気づいてないんだ」


 俺の顔をみて察したのか、ナナシは呆れたようにため息をつく。


 そして、懐から何か光るものを取り出す。


「あのね、亡血姫の呪血は言ってしまえば【猛毒】なの。どんな人間であれ、体内に入ったその瞬間に、誰一人例外なく心臓の鼓動がとまってしまう」


 人を亡くす血、それで亡血。

 誰が名づけたのかは知らないが、ひどく不快なセンスだ。

 

 そんなアダ名で呼ばれる彼女の気持ちは.......想像に固くないだろう。


「でも、そんな中で唯一彼女の血を受けて生き残った人間がいた」


 そこでやっと、ナナシが手に持っているものが確認できた。



 それは、鋭く尖ったナイフだ。



「それが、君だ」



 ナナシはナイフを大きく振りかぶると、俺の太ももに向けてナイフを振り下ろした。



「あッ!がっぁあッ!!」



 鋭利なナイフが肉をえぐり、神経を犯す。

 それが痛みとなって俺の心を鋭く穿つ。



「地球上に存在するただ一人の生存者、これがどれほどの価値をもつ実験対象か分かる?」


 そんな俺を無表情で見つめるナナシは、さらにナイフ持つ手に力を込めて俺の傷口を深く抉っていく。


「いッ、なァっ!!何すんだ.......!?」


 突然振るわれた凶刃に、怒りと恐怖が同居した感情を吐きだす。



 しかし、気づけばナナシの顔は俺の目の前にあった。


 眼球同士がぶつかってしまいそうなほどの距離、視界は彼女の瞳で埋め尽くされる。


 空虚な瞳には、反射する俺の顔すら写っていない。

 ただ、黒い暗い深淵のような闇があるだけだった。



「ほら、見てよ」


 ナナシは、俺の太ももに刺さったナイフを指さす。


 いや、正確にはその下を。


「君、もう人間じゃないんだよ」


 指さされたその傷跡からは、血が流れ出ていた。


 制服に滲み出す血は、とても暗い黒い色をしている。


 それは決して光の加減による錯覚などではなく、昨夜見た彼女のものとそう違いがないように思えた。


「やっと理解出来た?君はね、彼女に関わったからこんな目にあったんだよ。変な好奇心から助けたみたいだけど、それが身を滅ぼすみたいだね。」


 そこで初め、ナナシはハハッと笑った。


 変に下卑た様子もなく、ただ義務的にそうしただけといった印象すら抱いた。


「俺が、古神を助けたから.......?」

「そ、昨夜変に彼女と関わらなければ、いやそもそも〘あんな奴がいなければ〙君もこんな目に合うことはなかったかもしれないね」


 昨夜、あんな目に合わなければ、外出したりしなければ、



 古神ツカサなんて、いなければ.......




『おねがい.......助けて』



 そこで、泣きそうに震えた彼女の声が思い起こされる。


 沈み込む意識の中で、ただそうしたいの思った俺が最後に聞いた言葉。


 そういったのは誰だったかを思い出した。



「.......何、その目」


 ナナシは薄い笑いを引っ込め、俺を不快そうに見つめる。


「.......確かに、昨日俺が変な時間に外出しなければ、古神の後をつけなければ、生き残った後にあの場に戻らなければ、俺はなんの変哲もなく日常を生きていけたかもしれない」


 それは紛れもない事実だ。でも、断じて違う。


「あいつを助けたのは俺の意思だ。あの子が困って、縋って、助けてって言ったから、俺は自分の身を投げ打って彼女を助けようとしたんだ。」


 そこに後悔なんて、微塵もない。


「悪いのは、こんなくだらない低俗なトラップに引っかかった俺だけ.......古神は何一つ悪くなんてないんだよバカ!」


 俺は低次元な暴言を吐きながら、ナナシを睨みつけた。


 痛みも、怖さも失ってはいない。でも、彼女の存在すらなければなんて言った奴に対する怒りの方が僅かに大きかった。


「.......まぁ、暇だし。ちょっと遊ぼうか」 


 ナナシはそういって俺から離れると、部屋の隅へと足を運ぶ。


 そこをよく目を凝らして見てみると、何か光を反射するものが見えた気がした。


「拷問ごっこ、しよ」


 そういってナナシが抜き払ったのは、刃渡り1mはあろう巨大な電動肉切り包丁だった。


「............................ワッツディス?」

「外国から取り寄せた年代物、ちょうどいい重さで、切れ味も悪くてちょうどいい」


 .......すぅ、あれ?なんか、冷静に考えてみれば、思ってた数十倍はやばくない?この状況。


 そういえば、なんか俺実験材料にされるみたいな話じゃなかった?


 あれ??俺めっちゃピンチじゃん!!この土壇場でやっと理解したわ!!


「あ、あのすみません、謝るんで許してくれません?話せば分かる、話せば分かるから、」

「うぃぃぃぃん」


 そんな効果音と共に、回転するギザギザの刃が俺の顔面に近づいてくる。


 や、やだぁ!死にたくない!


 いや、拷問ごっことか言ってたから、殺す気はないはず。


「死ね」 


 わぁ、全然殺す気だ!!


「いやぁ無理ぃ!誰か助けてぇぇー!!!!」


 

 恥も何もを吐き捨てて、俺は心の底から絶叫した。



 しかし、スンッと音を立てて電動の刃が止まる。


「.......へ?」


 怖さのあまりまぶたを全力で閉じていた俺は、恐る恐る目を開く。


 すると、ひどく怪訝な様子をしたナナシが目に入った。

 

 部屋の壁へと目を向け、何かを訝しんでいるようだった。


「.......おかしい、なんの音だ」

 

 ナナシのそんな発言に疑問を持った、瞬間だった。


 俺たちのいる部屋が、大きく揺れた。


「.......くっ!」

「え!なに、今度は何!」


 ガン、ガンと叩きつけられるような衝撃に流石のナナシも動揺し、俺は更なる事態の急変に再び頭がパニックを起こしていた。


 それが何度かした後、今度はギギギといった不穏な音が聞こえてきた。


「.......え?」


 その音の発信源を辿ってみると、そこは部屋の天井にあたる部分だった。


 そしてそこに、何か太いアンカーのようなものが飛び出していた。


 それが、ギギギと音を放ちながら動き、少しづつ外の灯りが漏れだしてくる。


「.......まさか」


 みるみるうちに光は広がり、部屋の天井部分はベロリと剥がされてしまった。


「こんなに早くたどり着くなんてね」


 ナナシの視線には、ある人影があった。


 クレーン車の運転席から体を出し、仁王立ちするその少女は、光を弾く黒い風貌をしていた。


「遅刻だけでは飽き足らず、ほかの女と密会なんていい度胸ね。.......覚悟は出来ているんでしょ?夜凪くん。」


 古神ツカサは、そうダイナミックに登場した。



◆◇◆◇◆



「.......なんか、さらりと俺の責任になってない?」


 突然登場した古神の発言に、思わず俺はツッコミをいれてしまう。


 普通だったらここは、「大丈夫?」とか「私が来たからもう安心」的なヒロインを気遣うセリフをいうと思うのだが.......いや、俺は別にヒロインではないが。


「.......低俗な女スパイに鼻を伸ばして、よくそんなセリフが吐けるわね。」

「なっ!なんで知ってるの!」


 いや、別に鼻の下を伸ばしていたわけじゃないけど。


「あなたの体には既に発信機と盗聴器を埋め込んであるわ。プライバシーなんてあると思わない事ね!」

「怖すぎィ!!」


 なんか知らぬ間に宇宙人にチップ埋め込まれてたみたいで鳥肌たったんだけど!

 てか、あなた昨夜とキャラ違わない!こんな意地悪な口調だったっけ!?


「.......まさか、本命が釣れるとは思っていなかったわ」


 そこでようやくナナシは古神に話しかける。


「あなた達ごときが私を推し量れると思うなんて、1000年早いわ。胎児から人生をやり直してきなさい」


 古神はそれに対し、不遜な態度を少しも崩さずに答えた。

 いや、てか不遜ていうより最早煽りなんだけども。


「.......まぁ、こうなったら姫ごと一緒に頂くか」


 その一言と共に、ナナシのスイッチが切り替わる。

 先程までの俺との会話は彼女にとって文字通りただのお遊びだったのだろう。


 しかし、どれだけ注意深く見てみてもナナシの身体は普通の女子高生のものと変わった雰囲気はなく、歴戦の猛者といった空気も感じない。


 実力行使に出るとはとても思えないのだが.......


「コードZ 1854 起動」


 突然ナナシはそんな言葉を発した。

 

 それに反応したのは、視界の端にあったもうひとつの塊、鉄製の箱のようなものだった。


『起動コード確認、【MAIDEN】起動します』

 

 そんな機械音声と共に、箱から腕のようなものが飛び出る。


「.......え?」


 みるみるうちに箱は変形をとげ、10秒後には3メートル程の大きさの人型ロボットになっていた。


「何それめっちゃかっこいい!!」


 俺は状況も忘れてそう叫んだ。


 しょうがないだろう。変形ロボットは男の子のロマンなのだから。


「メイデン、対象はあの女、殺害はNG、必ず活かして捕縛しろ。」

『了解しました』


 メイデンと呼ばれた人型ロボットは、命令を執行しようと古神に向かって右アームを向ける。


 その先には、何本ものバレルを装着したマシンガンが装着してあった。


「安心して、メイデンには軽い医療機能も搭載してるから、何発か当たっても死にはしないさ」


 いや不味い、これは不味い。


 流石の古神でも、マシンガンなんて撃たれたらひとたまりもない。


 しかし、古神はなおも仁王立ちのままで動く気配ない。


 それはまるで、何かを待っているようで─


「夜凪くん」


 そこで、古神は俺の名を呼んだ。


 俺は未だ椅子に縛り付けてあり、拘束状態にある。


 そんな今の俺には、彼女のために出来ることなど.......


「助けて」


 何か問題があるか?


 彼女のセリフの裏で、そんな副音声が聞こえた気がした。



◆◇◆◇◆



 銃身が火を噴く。


 無数の弾丸が古神ツカサ目掛けて放たれる。


 殺意が込められた弾丸は、彼女がいたクレーン車目掛けて降り注ぐ。


 エンジンに当たる部分に当たったのだろう、クレーン車は油を撒き散らしながら炎上した。


 

 しかし、そこから古神ツカサの気配はもうしない。


「.......ちッ」


 ナナシは空になった拷問椅子を見て舌打ちすると、大きな扉を開け小部屋─貨物用コンテナから外に出る。


 そこは、普段は使われていないコンビナートの端だった。


 海上から運搬された荷物を一時的に保存する場所は、総じて街のすみにあり人目には付きにくい。




 そんな人気のない場所のただ中にそいつはいた。


 

 古神ツカサを横抱きに抱え、こちらを鋭い目で睨むその男。


 その体は、身体中がほとばしるような黒いエネルギーで覆われていた。


「全く、面倒くさい」


 ナナシは繰り返しため息をつく。


 全く、嫌になる。


 そんな風にして、ナナシは人生で〘二度目〙となる化け物狩りに挑む。


◆◇◆◇◆


 俺の体から、真っ黒な稲妻のようなものが流れ出ていた。


 それは俺の身体を流れる黒血によるものであるのは明白で、自分がもうただの人間ではないことを突きつけているように思えた。


「.......はやく降ろしてくれない?」

「あ、ごめん」

 

 そう言われてやっと、俺は横抱きにしていた古神を地面におろした。


 半ば本能的な行動だったが、なんとか間に合ったようだ。


 俺を拘束していたロープを引きちぎり、素早く古神の元まで到着、銃弾が着弾する前にその場を離れる。


 言葉にすれば、まぁやはりバケモノじみている。

 離脱する際に何発か食らった痛みがしたが、気づいた時にはもう痛みは引いていた。


 というか、ナナシに刺されたはずの太ももの傷もいつの間にか塞がっている。


 ちょっと自分のことながら現実感がない。

 超能力を手に入れたと言うよりは、知らぬ間に改造手術を施されていた感じだ。


 しかもこの能力が発動するスイッチすら不明だ、好奇心よりも若干恐怖が勝る。


「.......来たな」


 だが、今自分がいるのは紛れもない戦場だ。


 短く息を吐き、気を引き締めなおして敵を向く。


 その視線の先には、俺が先程まで監禁されていた小部屋.......貨物コンテナから出てくるナナシの姿がある。


 その後ろには、変形ロボットのメイデンがピッタリと張り付いている。


「.......まるでSF映画みたいだな、この状況」

「こんなのまだまだ序の口よ。私の知ってる限りでは、城が空を飛んでたわ」

「それなんてファンタジー?」


 若干、自分の存在もファンタジーになりかけている事実から目を逸らしつつ、ナナシの行動に目を向ける。


「.......メイデン、追加オーダー。男は可能なら殺してもいい。それと、奴に銃器は効果が薄い、近接武器に変更。」

『了解しました』


 ナナシは、痺れを切らしたかのようにメイデンに俺の殺害命令を出した。



 メイデンはその右手にもつマシンガンをガシャりと落として捨てると、両のアームから二本のブレードに換装する。



「あっちも完全にやる気だな、さて古神.......」


 どうする、と続けようと思い隣にいるはずの古神を向く。


 しかし、そこに古神はいなかった。


 いや、正確にはその奥のコンテナ群の中にそれらしい人影があるのだが.......


「じゃあ、囮よろしく」


 ..............へ?


 その瞬間、メイデンがその巨体を尋常ではない速度に加速して襲いかかってきた。


「うわっ!てか早!!」


 咄嗟に身を屈んでやり過ごすと、俺の頭上スレスレをメイデンのブレードが通り過ぎていく感覚があった。


 その巨体に見合わないスピードすら持ち合わせているとは、科学の力ってすげー.......


「いや、そんなこと考えてる暇はない!」


 亡血によって強化されているとはいえ、俺はもともとただの一般高校生。喧嘩慣れしているどころか、口喧嘩すらここ数年していない。

 そんな温厚な男子高校生なんです。


「はぁ、はぁ、」


 なんとか這う這うの体で倉庫内にある無数にあるコンテナ郡の中に紛れることには成功した。

 が、すぐそこでメイデンが俺を探している音が聞こえる。


 このままでは、見つかってしまうのは時間の問題に思える。


「.......ん?」


 そこで、隠れているコンテナから盛れ出ている何かに気づいた。


 それは粉末のようなもので、香り的に判断すると小麦粉のようだ。


 それを見てパッと思いついたアイディア。


 それに必要なアイテムと能力、それらを合わせて考えれば.......


「やれる、かも」


 算段はついた。


 あとは勇気と運だけだ。


◆◇◆◇



 ナナシはメイデンと付かず離れずの距離を保つ。


 お互いの距離が遠すぎてしまえばマスターであるナナシが各個撃破される危険性があり、逆に近すぎるとメイデンがナナシを無理に守ろうと本来の実力を発揮できなくなる。


 だから、ナナシはメイデンを引き連れて隠れた化け物たちを探しているのだが。


「..............ちっ、どこだ」


 物音は聞こえる、気配もする。


 しかし、いまいち捉えることが出来ない。


「.......コソコソと逃げ回って、まるでネズミみたいね!」


 軽い挑発を投げかけるが、反応はない。


 このまま倉庫の外に脱出されるかもしれない、そんな予想が頭をよぎる。


(まぁ、そうなったら)


 次のカードをきるまで。


 ここに自ら出向いた時点で、【亡血姫】は詰んでいるのだ。


 このまま無駄な時間が流れることを嫌ったナナシが次の策を打とうとした、その時。


「ここだ!」


 非情な処刑者の前に堂々と現れる愚かな罪人がいた。


 夜凪キヅナは堂々と、ナナシの前に姿を見せる。


「.......どういうつもり?まさか、わざわざ死にに来たの?」


 位置がバレていないのであれば、不意打ちを狙うのは鉄則であろうに。

 やはり素人か。

 ナナシはそう分析する。


「.......それはどうかな」


 しかし、夜凪は不敵に笑う。


 その表情に危機感を覚えたナナシ。

 

 しかし彼女が動くよりも早く夜凪は動く。


「.......おっらぁ!」


 夜凪はすぐ隣にあったコンテナの扉に手をかけると、亡血により強化された力でそのまま鍵を壊してこじ開ける。

 

「.......ふうん」


 確かにその怪力は脅威ではあるが、近づかれなければどうということはない。


 ただの威嚇、彼の行動をナナシはそう判断する。


「メイデン、行け」


 マスターの合図で、メイデンが夜凪に向かって接近する。

 

 そんな中で夜凪は、コンテナの中から何かを取り出し、メイデンに向かって放り投げた。


「.......?」


 それは一見、ただの麻袋のように見えた。


 しかし、メイデンの自動迎撃機能によって瞬く間に両断されたそれからは、大量の粉が溢れ出た。


「何を.......?」


 そこで、ナナシは気づく。


 ちょうどメイデンが袋を斬り捨てた、その足元に何か光るものがあることに。


 それは、動線がむき出しになった電気配線であることを瞬時に察する。


「なっ.......!」


 しかし、遅い。


 散りばめられた細かい粉の粒子が電線の火花に引火、メイデンのいる空間そのものを爆弾へと変質させる。


 粉塵爆発。


 耳を覆うほどの音と共に炎がメイデンを包む。


 流石のナナシもこれには動揺する。


 

 しかし、メイデンは戦闘兵器。この程度の爆発ではビクともしない、辛うじてそう判断できた。


 だが、その一瞬が命取り。


「.......ッ!」


 爆発の煙が収まったかと思えば、ヌッとそこから人影が現れた。


 夜凪だ。



(バカな!)



 ナナシは夜凪と対極の位置に立っていた。

 つまり、夜凪がナナシの元にたどり着くには必ずメイデンを通過したければならないのだ。

 それを許すほど、メイデンはガラクタではない。


 ならば、何故か。


 原因、メイデンにあった。


 メイデンのような戦闘用決戦兵器は、サーモグラフィーによって対象を識別する。


 どんな対象であれ、動くのであれば熱を放つ。

 それを認識し攻撃をするのがメイデンの機能だ。


 しかし、それが災いした。


 粉塵爆発により舞い上がった炎は、メイデンのサーモグラフィーを一時的に故障させるには十分だった。

 

「メイデン!」


 しかし、視界が機能しなくてもまだ聴覚がある。


 音声識別機能により、マスターの異変を感じ取ったメイデンは声に向かって反転、動き出す。


 メイデンと夜凪たちの距離はわずか、ギリギリ間に合う。


 そう判断した、その時だ。


 夜凪が、くるりと身体を翻した。


「!?」


 そう、初めから彼の狙いは、メイデンである。


(バカな!メイデンは旧式とはいえ、その装甲は本物、それを素手で.......)


 しかし、ナナシは知っていた。


 昨夜、彼の異常なまでの力を。


 闇を打ち砕く、黒い稲妻を。



 視界の奪われたメイデンに、夜凪の拳が吸い込まれる。



 そして、黒い稲妻が鉄を穿った。



 壮大な爆音とともに、メイデンが吹き飛ばされる。


 メイデンはそのままの勢いでコンテナへと激突し、動かなくなった。


「.....................。」


 ゆっくりと、こちらへ向き直る夜凪。


 その圧は、先程までの彼とはまるで別人。


「..............くっ!」


 ナナシは即座に次の策を切る。


 懐からスイッチのような物を取り出し、即座に起動。


 そうすれば、予め近くに用意してあった小型の兵器が一斉にここになだれ込むのである。


 メイデンがやられるとは想定していなかったが、それを使えば逃げるくらいの時間は稼げる。



 そう踏んだ考えだったが、やはり遅かった。


「.......え?」


 反応がない。


 何度、何度押しても、兵器たちがなだれ込む音は聞こえて来ない。


「なんで.......!?」

「幼稚な策ね」


 そういいながらナナシの真後ろに現れた人物。


 古神ツカサは、その長い黒髪を弄りながら言った。


「悪いけど、私って天才なのよね。こういう頭を使うものに関しては特に.......もちろん、他のやつも全て対処してあるわ」

 

 ナナシはその言葉を聞き戦慄する。


 まさか、この女は全てを潰したというのか。


 ナナシは日頃から2の手3の手を考えて策を立てる。


 それらの全てを対処したと、この女は言うのか。


「ありえない.......」


 そんなことは、とても常人に可能なことではない。


 化け物、彼らがそう呼ばれていることを、ナナシは身をもって実感する。



◆◇◆◇◆


 どうやら、古神が上手くナナシを追い詰めてくれたみたいだ。


 明らかにナナシの顔色が悪い。

 さっき俺の事を散々痛めつけてくれたので、少しスッキリした気持ちになる。


「.......ふっ」


 しかし、追い詰められているはずのナナシは、何故か不敵に笑う。


「.......使うなって話だったけど、しょうがないよね」


 不穏なセリフが聞こえた、その時である。


「メイデン!コードオーバー0719!」

 

 ナナシはそういって虚空に向かって叫んだ。


『.......ジジッ.......了解しました。オーバーロード、起動します』


 それに反応するのは、最早鉄くずに成り下がったはずの兵器。


 メイデンはボロボロの機体を変形させて、立ち上がる。


 それは、まるで固定砲台のような形状だった。


 胴体から飛び出しているのは、口径が10センチはあろうほどの大きな砲台。


 そして、最後の力を振り絞るかのようにエネルギをその銃身にチャージしていた。


「な、なんだあのいかにもなエネルギー砲は.......」

「オーバーロード、見た感じ制限を超えた異常稼働のようね」


 オーバーロード、言葉はとてもかっこいいがいざ直面してみると圧が凄い。


 もしまともにあれを食らってしまえば、ひとたまりもないだろう。


「おいナナシ、こんなの食らったらお前だって巻き添えにな.......」


 ことの元凶である女の方に目を向ける、がしかしそこには既に女の姿はない。


 逃げやがったなあいつ!!


「.......取りあえず夜凪くん、これを使って」

「.......え、何このマント」

「そこら辺に落ちてたひらりマント」

「二十二世紀製になってから出直してこい!」

「なら夜凪くん、ミラーフォースよ」

「ごめんね、俺ポケットに入るタイプのモンスターじゃないんだ!」

「じゃあ夜凪くん、波動砲で相殺を.......」

「えお前俺の事なんだと思ってんの!?」


 てかあんたかなりいい所のお嬢様だよね?なんでそんなネタしってるんだよ!

 

 そうこうしているうちにも、メイデンのエネルギーはどんどん溜まっていく。


「こんなコントしてる場合じゃないだろ!どうするんだよ!」

「.......でも、そんなに慌てても何にもならないわよ」


 先程までボケ散らかしていた古神が、真面目な顔をして言う。


「短い時間に色んなことが起きて混乱するのは分かるわ。でも、そういう時ほど頭を冷やしなさい。そして回すの、いま何をするのが最善なのかを」


 いま、何をするのが最善か。


 メイデンは、変わらずこっちをロックオンしながら近づいてきている。

 急いで退避したとしても、ひたすら追いかけてきそうだ。


 ならば、どうするか。


「.......できる、かな」


 不安になる。

 どうすればいいかは分かった。


 しかし、それが可能なのかが分からない。


 失敗すれば、俺だけでなく古神も傷つけてしまう、下手すれば死んでしまう。


 それが、途方もなく怖い。


「.......なら、最高にロックなアドバイスをあげる」


 古神はじっと俺を見つめて言い放つ。


「あなたを信じるわ。全力でやりなさい」


 信じる、こんなにも軽い言葉は初めてかもしれない。


 たった24時間、話したのだって一時間足らず、それで俺の何が知れたというのだろうか。


 何を信じれるのだろうか。


 だが、そんなことを言われたら、引くに引けないではないか。


 力は与えられ、背中も押された。


 覚悟はもう、決まってる。


 

 メイデンの元に、一歩、また一歩と歩みを進める。


 そうしながら、俺は自分の身を流れる亡血をさらに鼓動させる。


 ドクンドクンと身体中駆け巡る血液が、破壊をもたらす黒いエネルギーとなって顕現する。


 距離は5メートル。 


 メイデンのエネルギーは最高潮。


 それが放たれるいまという瞬間で、俺はその拳を振り抜き、砲身に突き刺した。


 高密度のエネルギーにより拳が焼けただれる痛みが走るが、力は一切抜かない。


「ぶっ.......とべ」


 俺は血の導くままに、思い切り拳を振り抜いた。


「──────────」



 瞬間、重い鉄の塊は倉庫の壁を突き破り、海へと吹き飛ばされる。


 そのまま鉄くずは夕焼け空を見上げながら海へと沈み、その数瞬後爆発し大きな水しぶきを上げた。


「.......はぁ」


 俺は力尽きた様子で崩れ落ちる。


 さすがに疲れてしまった。


 身体的な疲労は亡血によるおかげかそこまで酷くはないが、それにしても頭が疲れた。


 色々なことがあって、変なやつと戦って、でも生き残れた。


「はぁ、散々な目にあった」

「お疲れ様」


 俺の泣き言に、古神が労う口調で声をかける。


 それを聞いて古神の方をじっと見ると、彼女は「なによ」て胡乱な表情を見せた。


「いや、やっぱりキャラ違うよな。さっきと言い昨夜と言い、どっちが素なんだ?」

「.......キャラって、なんの事?」


 このお嬢、はにゃ?といった様子でとぼけやがった。


 そんな彼女の様子にげんなりしていると、


「お疲れ様でしたお嬢様」


 横から突然声がした


「うわぁ!!」


 咄嗟にそちらを見ると、そこには執事服を着た老人、使用人2号がいた。


「えぇ、2号もお疲れ様。そちらどうだった?」

「はい、少々時間がかかり、助太刀が遅れてしまいました。申し訳ありません」


 ん?2号のセリフに少しの違和感を覚えたが俺だが、その理由は直ぐに分かった。


「えぇ、何この地獄.......」


 港に停泊してあった大型の船、そこには10人近くの武装した男たちが白目を向いて倒れていた。


「どうやら、この船でコンテナごと運んで連れ去る予定だった様子ですな......まぁ、十手は策が足りなかったようですが」


 怖い、この執事じいさん怖い。


 今もふっふっふっとか言いながら倒れた男たちを冷ややかに見下ろしてるし、危険な香りしかしない。


「そうでした、逃げだしたネズミもあそこに転がしているので、それを回収して屋敷に帰りましょう」

「ネズミ.......あ、」


 2号の視線の先、コンテナの傍らにもう一人白目を剥いて倒れている人影があった。


 俺の友人でもあった原田がすんごい表情で気絶している。


「.......まぁ、とりあえず騒ぎになる前に撤収するわよ」


 その号令と共に、俺たちはコンビナートを後にした。


◆◇◆◇◆



「.......気がついたか?」


 俺は微かに瞳が動いたナナシに対し、そう問いかける。


 ナナシは数秒寝たフリを続けていたが、諦めた風にハッと笑うとその瞼を開く。


「さっきとは立場が逆転したわね、夜凪くん」


 確かに、さっきは俺がこいつに叩き起されたのだ。

 思えばこれも意趣返しに当たるのか、なんてことを考えながらナナシの姿を観察する。


 今俺たちがいるのは、古神邸に隠された地下牢である。


 ナナシの手足は鎖によって拘束されており容易に抜け出すようなことはないように思える。


「さて、私を生かして捕えるなんてなんの目的かしら。聞かせてくれる?」


 ナナシは艶のある仕草で俺に問いかける。


「.......お前の知っている情報を全て話せ」


 その仕草に軽い吐き気を覚え、そしてそれを隠すことも無く言葉を吐く。


 それに対しナナシはわざとらしく悩むような仕草を見せる。


 その脳内では、今ここで逃げるための算段か、もしくは上手くこの場をやり過ごすことでも考えているのだろう。


 だが、それは彼女には全く意味の無いことだった。


「何を勘違いしているのか知らないけれど、貴方に拒否権なんてものはないから」


 そう言い放つのは、変わらず黒い制服を身につけた古神ツカサである。


 その言葉にナナシの言葉は詰まり、苦笑いを浮かべる。


「あぁ、拷問でもしてみる?言っておくけど私これでも.......」


 何かをのたまおうとしていた様子のナナシだったが、次の言葉で今度こそ表情が変わる。


「あなたの体の中にはいま、私の血が入っている」


 ナナシは一瞬キョトンとした顔を見せ、直ぐにその顔を歪める。


「な、血が入ってる.....ならなぜ私は死んでいない!」

「いつから私が自分の力を制御できないなんて思っていたのかしら。まぁ、最近なんとか形になった程度ではあるけれど.......その気になれば、あなたの血管を内側から突き破ることだって出来るかもね。」


 予想外の展開に、ナナシの顔がさらに歪む。

 そのままゆっくりと目を閉じ、様々な知略を巡らせた結果、


「.......何が聞きたいの?」


 快く要求を飲んだ。


「さっきの通り、あなたが今まで調べた全ての情報と.......これからあなたが知る全ての情報ね」

「.......これから?」


 ナナシは引っかかった言葉に疑問を持つ。


 古神の説明を分かりやすくすると、ナナシに二重スパイをやらせるつもりなのだ。


 ナナシの首輪を亡血というなの爆弾で繋ぎ、現状維持を装うと同時にそのまま組織の情報を横流ししようという訳だ。


 味方ながら、直ぐにそういう策を思いつくところは本当に怖いと思う。


「.......はぁ、分かった。私も死ぬのは嫌だし、あなたたちに協力するわ」

 

 最終的にメリットとデメリットとを測りにかけたナナシは首を縦にふった。


 それに満足したのか、ナナシはくるりと背を向けて牢から出る。


「じゃあ、あとはよろしくね。一号。」

「.......おまかせくださいませお嬢様。」


 あとを任せたのは、和服を来た老婆である使用人一号。


 その手に持つものを直視することが出来ず、俺は古神の後に続く。


「え.......ねぇ、おばあちゃんその手に持ってるの何?え、まってそれほんとにダメなやつだから.......えやだ、ちょっとまってやだ!まってたすけ──」


 そこでバタンと地下への扉が閉じる。


 防音は完璧なようで、物音一つ零れてこない。


 中の様子は.......怖いので考えないようにしよう。


「.......ありがとうな」


 俺は扉を出た瞬間、古神に感謝を伝える。


「べつに、その方がメリットが大きかっただから」


 古神がそういってさらりと流すが、俺の感謝は消えなかった。


 最初、古神はナナシのことを殺そうとしていた。


 絞れるだけの情報を絞ったあとは、足がつかないうちに処分する、と。


 それを、なんとか生かすことはできないかと言ったのは俺だ。


 そういった途端2号からとんでもない視線が飛んできたが、古神がなんとかなだめてくれた。


 先程の脅迫も嘘である。


 実際はナナシの体には発信機と盗聴器が埋め込んである以外にいじったところは無い。


 あ、俺も発信機と盗聴器埋め込まれてたけど、それは頼んでなんとか外してもらった。


 流石にずっと行動が見張られているのはゾッとする。


「.......これで、なんとか表面上は保てるだろうか」


 もちろん、俺はナナシがしたことをそう簡単に許すことはできない。


 もし学校で顔を合わせたとしても、前のように笑顔で挨拶が出来るかと言われれば、とてもではないが無理だ。


 しかし、それは俺とナナシだけが知っている事。


 ほかの友人は、佐々木は何も知ることは無いし、ショックを受けることも無い。


 たとえ、いつかは破綻するよう薄氷のような舞台でも、あと少しな間だけは持たせてみせよう。


「.......それにしても、あなたこれからどうするの?」


 古神にそう問われて、俺は一瞬その言葉の意味を考える。


「どうする、とは?」

「あなた、これからアイツみたいな奴らに狙われ続けるけどどうするの?ってこと」

「.......」


 あ、言われてみれば確かに。

 

 昨日までならまだしも、俺はもう既に古神の血を受けて生き延びた唯一の存在。


 つまりは貴重な実験対象である。


 一部の奴らから見たら、垂涎の獲物なわけである。


「うちにいれば、そういった輩だってそう簡単には手を出してはこれないし、情報だって入ってくる」

「..............」

「財力やコネクションだって豊富だし、色々な経験が得られるわ」

「..............」

「.......なんなら給料もだす」

「ぜひお世話になります」


 こうして俺は、なし崩し的に古神家の世話になることにした。


 まだ自分の身に何が起こっているのか、彼女が何者なのか、分からないことだらけではあるが、なんとか生き残ることができた。


 これから少しづつ、知っていけばいい。



 ここから長い不思議だらけの1年が始まる。

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亡血姫の黙示録 セイ @seikun0516

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