1 亡血

 突如、俺は後頭部を襲う衝撃で目が覚めた。


「..............んぅ」

 

 俺が机に突っ伏していた頭を気だるげに上げると、クラス中の視線が俺に集まっていることをようやく理解した。


「おい、いつまで寝てるつもりだ。早くノートをとれ。」


 頭上から聞こえる教師の声に、俺は大きな欠伸をしながら「はい」と答える。

 どうやら、先程の衝撃は教師の手にもつ教科書が原因のものらしい。


 時刻は午後3時過ぎ、教科は現代文という現代日本でもトップクラスに眠気が襲ってくるコンディション(自分調べ)。



 それに抗うことはこの俺、〖夜凪 キヅナ〗には実に困難なことであった。




 結局、一度睡眠の姿勢に入った脳が、もう一度学習へ意識を向けることはなかった。

 それから授業が終わるまで、俺は自分の瞼を閉じないことだけに全神経を使った。


「お前、ほんと度胸あるよな」


 それは放課後、ホームルームが終わり教師が退室した途端、俺の机にカバン片手に寄ってきたクラスメイトの言葉であった。


 名前は佐々木 ユウシ


 俺によく話しかけてくるクラスメイトだ。

 クラス全体での評価は、底抜けに明るいスポーツマン。

 得意は運動全般、サッカー部に所属しており、その甘いマスクに何人もの女子が虜にされている、らしい。


 俺とは真反対の、いわゆる陽キャというやつである。


「度胸ある、ってどういう意味だ?」


 俺は未だ眠気が取れない眼で佐々木に聞き返す。


「いや、先生の前であんなに堂々と寝る奴なんて、今時そうそういないぞ」

「いや違うんだ、昨日は忙しくてまともに寝れなかっただけなんだ」

「どうせ夜中までゲームで遊んでたんだろ?」

「FPSは遊びじゃないのでノーカンさ」


 佐々木の呆れ顔に、俺はしたり顔で返した。


「ねぇねぇ、なんの話してるの?」


 そんな声にふと横を見ると、明るい髪をふんわりとボブに仕上げた一人のイマドキ女子と目があった。


 彼女は原田 アヤ。


 俺や佐々木のクラスメイトであり、クラスの女子の中心とも呼べる人物である。クラスでの評価は誰とでも気軽に話せるみんなのアイドル。

 これは自称ではなく他称である。


 ちなみに、生徒会に所属している。確か広報だっただろうか?


「なんだ原田よ、お前もFPSに興味があるのか?」

「FPS?何その新しいアイドルグループみたいなの、美味しそうだね。」

「美味しそう!?お前の中でアイドルは食べ物なのか?.......いやFPSはそもそもアイドルじゃねぇよゲームの種類だよ」


 ちなみにいうと、原田はかなりの天然である。

 今のような一見ネタのように見える言動も、わりとガチでそう考えてることがたまにある。

 こいつと接する上で注意するべき点である。



「あぁ、そうだ。お前らこんな話、知ってるか?」


 突然、佐々木が思い出したかのように話し始めたので、俺と原田は耳を傾ける。


 それは特に珍しくもない、よくある怪談、というか噂話だった。


「真夜中の街中を歩いてるとな、全身を真っ白のスーツに包んだ男が現れるんだってよ。で、それに追いかけれて捕まってしまったら..」

「たら?」

「.......さあ?」

「は?」

「色々と説がありすぎるんだよ。地下の巨大貯水槽に沈められるだの、不気味な実験施設で解剖されるだの、果てには異世界に引きずり込まれるんだ、とかさ。」

「.......はぁ」


 なんだ、それ、胡散臭いことこの上ないじゃないか。


 こんなのにビビる様な高校生がいるわけ.......


「ちょっとぉ!怖い話やめてよォ!夜一人で帰れなくなったらどうすんの!」


 おっと前言撤回、この歳になって噂が怖いと騒ぎ出す奴が結構身近にいた。


「しかし、この学校ってその手の都市伝説結構あるよなー」


 佐々木のふとした言葉に、俺は同意する。


「そうだな。まぁ、信ぴょう性があるやつなんてほとんど皆無だけど。」

「あ、でも、あれは結構本当ぽいよ。」

「あれ?」

「うん。ほら、旧校舎の屋上の噂。」


 原田にそこまで言われて、俺はあっと思い出す。


 結構前に2人から聞かされたことがあったのだが、思い出す機会がなかったため忘れてしまっていた。



 そうやって少しの間雑談をしていたのだが、


「あ!そうだ、私今日は生徒会の仕事があるんだった!」

「あ、俺も部活だ。じゃ、お前も早く帰れよ。」


 佐々木と原田はそういって足早に教室から出ていった。


 ふと気づけば、教室は既にがらんとしており、残っている生徒もわずか数名になっていた。

 残っている複数人も日直や勉強の類だろう。


(俺もそろそろ帰るか.......)


 俺は勉強道具のほとんどをロッカーに押し込み軽くなったカバンを手に、自分のクラスである二年一組の教室を後にする。


 そのまま階段を降り、下駄箱までいき、自分の靴を履いて校舎を出る。


 この学校に入学してから、ざっと数百回以上繰り返した行為である。


 そこに迷いなど皆無であり、そのまま自らの聖域(マイルーム)まで直帰するのがいつもの俺の行動パターンである。


 部活?青春?何それ美味しいの?


 そんなものはいいんだよ、俺には愛しのFPSゲームがあるのだから、、、、


 そんな俺の日常とも呼べる帰路、しかし、その日は少しだけ違った。


「.......おっ。」


 一筋の柔らかな風が、外に出た俺の学ランを優しく撫でた。

 

 暖かく心地よい風は、既に春過ぎてほとんど落ち尽くした桜の花びらを、優しく持ち上げ空へと運んでいく。


 ヒラヒラと舞う花びらに俺の視線はなんとなく引き寄せられた。


 その花びらは、本校舎のすぐ隣にある旧校舎、それをみるみると駆け登る。


 それは1階、2階、そして3階分上がりきると、屋上に佇む一人の人物の手のひらにフッと舞い降りた。


「..............」


 そこにいたのは、一人の少女だった。




 少女の風貌を一言で表すならば、【漆黒】という言葉がピッタリとハマるだろう。


 長く伸ばした深みのある黒髪と、暗黒に沈む黒曜石のような瞳、そして今どき珍しい黒い制服に身を包んだ少女。



 彼女はこの学校では有名人だ。


 【成績優秀】【容姿端麗】そして【文武両道】と完璧なまでの才能に加え、生家は日本でも有数の一大企業という、まさにハイスペックお嬢様。

 

 そんな彼女の名前は、


「古神 ツカサ......」


 俺がそう呟いた時だった。


 気の所為だろう、ほんの偶然であろう。


 古神の瞳が、地上に向けられる。



 天高く佇む彼女の視線と、地を歩く俺の視線が、交わった。


「.......!」


 言葉にし難い動揺が俺を襲った。


 まるで、心臓を直接握られているような、不快で怖気を催す感覚。


 なのに、何処か血が沸き立つ、異様な感じ。


 奇妙で、奇怪で、それでいて心の奥が鼓動する、異常で非常な感覚。

 

「..............っ!」


 その感覚に耐えかねた俺は原因も分からぬまま、屋上へと上げていた視線を下げて校外へと急いだ。


 身体中を走る不快感のせいで、自然と歩く速度が上がり、半ば小走りのようになる。



 しかし、あと一歩で校門といった所で、俺の足はピタリと止まった。


 背中に冷や汗が滴り落ちるのが、感覚で分かった。


 自分の背後に【何か】がある。

 何故かそう思った。


 気にせず帰るべきだったかもしれない。


 しかし、心の中のざわめきが、自らの愚かな好奇心が、俺の視線を振り返らせた。


「.....................」


 古神がいたはずのその場所。


 そこにはもう、誰の姿もなかった。



◆◇



「..............」


 俺は自分の家に帰ると、パッパと着替えを済ませ、リビングでボーッとテレビを眺めていた。


 テレビでは、最近頻繁に起きている失踪事件について報道されているが、俺は全く別のことを考えていた。


 先程の漆黒少女、古神 ツカサ。

 

 彼女のいた旧校舎にある噂というのは、実の所彼女自身の噂にも直結する。



 彼女にまつわる噂というのは、


 『かの女帝の«聖域»に足を踏み入れた者、«深淵»に引きずり込まれるだろう』というものだ。


 ちなみに、女帝というのが古神のことだ。

 言葉使いがどこか古臭いのは一旦置いておくとしても、【聖域】だの、【深淵】だの、胡散臭い厨二臭がプンプンだ。


 しかし、これが意外と信ぴょう性があった。


 というのも1年ほど前、彼女の聖域と(一部でのみ)呼ばれているあの旧校舎の屋上に、無作法に足を踏み入れ荒らした不良たちがいたらしい。


 しかし、彼らはその後ことごとく不幸に見舞われ、学校を去るか、病院送りになったらしい。


 それが噂の起点なのか、それよりもっと前からあった噂なのか、俺は知らない。


 しかし、そんなことがあったからか、いつしか彼女の存在は不可侵となり、一部では信仰の対象になってるとかいないとか。


「.....................」


 まあ結局のところそんな話は、根も葉もないただの噂話。

 

 あの古神という女子生徒は、周りから少し浮いているだけの、ちょっと黒い噂のある不思議ちゃんということだ。


 .......それでもかなり異様なのだが。


 それだけのはずだ。



 だと言うのに、何故俺の胸はこんなにざわめき立っているのだろうか。

 なぜこんなに彼女のことを考えてしまうのだろうか。



 もしかして.......



「これが.......恋?」

「なにひとりで気持ち悪い事言ってんの.......」


 一人ちょっとしたボケを吐いていると、どこからともなくツッコミがとんできた。


 そちらに顔を向けると、そこには俺とは似ても似つかない可愛らしい少女の姿があった。


「あ、帰ってたの。おかえり。」

「はいはい、ただいま。」


 そんな素っ気ない挨拶をしたのは、俺の妹であり現役中学3年生である夜凪 アコだ。


 ここで少し、俺の家族構成について説明しよう。


 俺の一家は、両親とアコ、そして俺で構成されている。

 少し遠くに独り立ちした姉もいるが、実家に住んでいるのはこの4人である。

 

 両親の稼ぎはそこそこであり、立派な一軒家を持てるくらいには裕福な家庭である。


「あ、そうだ。今日お父さんたち遅くなるらしいから、先に食べといてだってさ。」

「うーい。」


 俺はやる気のない返事を返すと、いそいそと二階にある自室へと戻る。


 なぜなら、リビングにいるとキッチンにいるアコに、料理を手伝わされてしまう可能性があるからだ。


 基本的に、料理の担当は母かアコだ。理由は簡単、そっちの方が飯が美味しく作れるから。


 俺や父はいつも肉体労働(買い物やごみ捨て等)に駆り出されるのだが、たまに料理の雑用を手伝わされることもある。

 俺は基本的に頼まれると断れない質なので、ならば最初から頼まれなければいいと考えて以来、こうしていそいそと自室に戻る習慣を続けている。


「.......」


 そんな日常を繰り返していると、自分が何に悩んでいたのかすら、忘れてしまいそうになる。


「まあ、いいか。」


 悩んでも仕方ないと割り切り、俺は自室の扉をあけ、ゲーミングチェアに座ると、パソコンの電源を入れた。



◇◆



「.......勝てない、FPSむずかしい」


 俺はセールでかなり安く手に入ったゲーミングチェアに全体重を掛けて、首を後ろに傾けながら呟いた。


 ここで言うFPSとは、ファーストパーソン・シューティングゲームの頭文字をとった略称である。


 噛み砕いて説明すると、キャラクターの視線と同じ目線で操作し銃をバンバン撃ち合うゲームの総称、みたいな感じだ。


 それだけ聞くと単純なように聞こえるが、これがかなり奥深い。


 相手を銃で狙う技術、逆に狙われない技術、戦場を優位に進めるための技術、そして味方との連携が合致してようやく勝てるような難しいゲームだ。


 最近じゃ国際スポーツ的な感じにもなっている。


 そんなFPSゲームなのだが、ある一定レベルまで進むと、途端に敵が強くなり、勝てなくなることがしばしばある。


 これは他の分野にも言えることだが、いわゆる壁にぶち当たるのだ。


 で、今俺はそのデカい壁にぶち当たっている状態なわけである。


「..............」


 俺はチカチカした目で時計を見ると、長針が11時を指していた。

 たしか夕飯を食べたのが7時過ぎだったので、約4時間近く行き詰まっていることになる。


「はぁ.......コンビニ行くか。」

 

 気分転換に散歩に行くことにした。

 まだお腹はあまり減っていないので、アイスかお菓子でも買ってこよう。


 俺はラフな外着に着替え、財布とスマホだけ持つと、大きな音をたてないように家を後にする。


「..............すぅ.......ふぅ」


 玄関を出ると、俺は鼻から息を吸い込み深呼吸をした。


 別に特に意味がある訳では無い。


 深夜テンションというやつである。


 

 コンビニは家から結構近いところにある。大体歩いて五分くらいの場所だ。


 そんな迷うはずもない道筋を、俺は鼻歌交じりに歩いていた。


 夜の散歩はいいものだ。

 静かだし、綺麗だし、昼間とはまた違った一面が見れるのも良い。


 気分転換には最適だ。



 そうして気分よく歩いているうちに、コンビニにたどり着く。


「らっしゃっせー」


 来店すると同時に、やる気のない店員と聞きなれたテーマソングが俺を歓迎した。


(そういえば、今日は雑誌の発売日だったな)


 ふとそう思い、俺は窓際の雑誌コーナーへと足を運ぶ。

 お目当ての雑誌を手に取りパラパラとページをめくる。


 そうしていると、ふと視界の端で自動ドアが開閉するのが目に入った。


(お、珍しい。)


 自分で言うのもなんなのだが、基本的にこの時間帯に人が訪れることなんてほとんどない。

 俺は何年もこのコンビニを利用しているが、夜中の散歩中に他の客に遭遇したのは、ほんの数回程だろう。


(こんな時間にコンビニに来るなんて、どんな人なんだろ)


 そこで俺の微かな好奇心が唐突に働き、視線が自動ドアに留まる。


 コンビニの僅かな明かりが照らし出す夜の道、そこからにじみ出るように現れた【影】に、俺の目は固まった。


 自動ドアをくぐり入店したその影は、明るい店内にも関わらず、変わらず光を反射しない真っ黒な見た目をしている。


 俺は思わず自分の目を疑い、眉間に手を当てて長時間のゲームで疲労した目をほぐした。


 そうして視線を戻す、すると俺は二度目の驚愕に襲われた。


 黒い影の正体、それは一人の少女だった。


 服装も、髪も、瞳も黒だったため、そう見えたのだ。


 古神 ツカサ

 

 二度目の邂逅である。


「!?」


 俺はその事に気づくと、思わず凄い勢いで目を逸らしてしまう。


 半ば反射的なものであった。


 もしくは、夕方のあの不思議な感覚が抜けきっていなかったのもあるかもしれない。


(なんで、こんな所に古神がいるんだ......!?)

 

 俺はそこそこ長い間この辺りに住んでいるが、今まで古神とすれ違ったり、たまたま見かけた経験すらない。


 ならば、なぜ古神はこの辺りに現れたのか。


(まさか、俺を追ってきた?.......いやないか)


 そんなことを考えるが、即座に否定する。


 たまたま目が合っただけの俺が、古神に追いかけられる理由はないからだ。


(だとすれば、古神はなんでこんな所に.......それもこんな遅い時間に)


 俺は雑誌を顔の前まで持ち上げて読むふりをしつつ、横目で古神を伺う。


 

 古神はコンビニに入ると、俺や店員の傍を通り過ぎ、ドリンクや複数の商品を手に取ると、迷いなくカウンターに向かう。


 よく見ると、その姿は変わらず制服のままであることに気づく。


(気分転換にたまたま立ち寄っただけ、か?) 


 最終的にそう結論付けるが、やはり違和感がある。


 古神は会計を終えると、そのまま足早にコンビニを後にしようとする。


「.....................!」


 しかしその直前、古神の横顔を伺うように覗いていた俺は、その古神の瞳が一瞬、こちらを向いたのを捉えた。


(.......気づかれた?)


 咄嗟に目をそらすが、古神は気にすることなく、自動ドアを通って闇夜に溶け込んでいく。


 その後ろ姿をただ眺める俺。


 唐突に、【暗闇の恐怖】が襲ってきた。


 あの暗闇の奥には何があるのだろう。


 ナニがいるのだろう。


 

 彼女はナニモノなのだろうか。


「.....................」


 そんな、恐ろしくも気になる不思議に、俺の中の好奇心は耐えきれなかった。



◆◇◆◇◆◇



(これ、はたから見たら完全にストーカーだよな.......)


 俺はコンビニを後にし、暗闇の中で僅かに見える古神の背中を追っている最中にそう思う。


 こんなことをしている理由だが、あまりハッキリとした答えは出せない。


 強いていえば、全てが謎に包まれている古神ツカサの正体に、興味があったからだろうか。


 まぁ、だからといってストーカーをしてもいいとはならないが。


 いや、これはストーカーではない、探偵だ。

 気分は謎多き美少女の秘密を追う名探偵である。


 .......そういうことにしておこう。


 なんとなく、これ以上考えるとややこしくなると感じたので、いったん思考を打ち切る。



 俺は現在、足音を立てないように慎重に歩きながら、古神の約20メートル後ろにくっ付いている。


 古神だが、先程のコンビニを出たあとから何処に寄るでもなく、夜道を淡々と歩いている。


(.......どこに向かっているんだ?)


 場所は住宅街を過ぎ去り、静まり返った商店街にまで到達するが、古神が歩みを止める気配はない。


 この商店街の店のほとんどは9時や10時程度には閉店するものが多く、夜中にここを訪れる人はほとんど居ない。


 なので、俺は古神の目的がますます分からなくなる。


「あ.......」


 ふと、古神が足を止める。


 俺は咄嗟に電柱の影に身を隠し、息を潜める。


 古神を伺うと、彼女は商店街の店と店の間にある裏路地に目を向けると、スタスタとその中に入っていった。


「..............もう、ちょっとだけ」


 あと少しだけ、探偵の気分を味わってから帰ろう。


 そう思って、その裏路地に足を向ける。


 

 


 突然、暗闇の中から腕を掴まれた。



「.......ッ!?」

 

 俺は突然の出来事に声も出ないほど驚くが、そんなことはお構い無し。

 その手は物凄い力で俺の腕を引っ張り、裏路地へと引きずり込む。


「.......痛った!」


 裏路地に引き込まれた俺は、そのまま何かに足を引っ掛けて、うつ伏せに転倒する。


 一体何が、俺が思考に整理をつけ、立ち上がろうとするよりも圧倒的に早く、事態は進む。



 カチャ



 突如、聞き慣れた金属音と共に、何か硬いものが俺の後頭部に突きつけられた。


(.....................やばい)


 体の芯が凍りつくように錯覚する。


 気温はそこまで高くないにも関わらず、変な汗が滴り落ちる。

 

 心臓の鼓動がありえないくらい大きく、そして激しく動いて煩わしいほどだ。



「.......手を頭に当てて、ゆっくりと、顔を見せろ」


 初めて聞いた彼女の声は、びっくりするほど冷たく、鋭利な刃物のように俺の鼓膜を貫いた。


 

 ゆっくりと、手を頭のてっぺんに当て、これまたゆっくりと後ろを覗き見る。


 そこには、思わず影と錯覚してしまうほど黒い格好をした、古神ツカサが立っていた。


「.......拳、銃?」


 俺は頭に当たる感覚と、視界の端にギリギリ映る黒い塊から、古神のもつ物体の正体をそう判断した。


 日頃からゲームで遊んでいて、銃器が出る作品も多くプレイしていた経験も役立ったかもしれない。



 しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。


 古神がモデルガンが趣味のちょっと変わった女の子、という可能性は彼女と目があった瞬間から消失している。




 見えないのだ。


 俺はこれでも17年間日本で生きてきて、多くの人たちと触れ合ってきた。


 良い人や意地悪い人も大勢いて、彼らや彼女らと色々な話をした。


 どんな人でも、目を見て話せば相手が自分に対し、どんなことを思っているのかくらいは何となく伝わってくる。


 なのに、こんなことは初めてだ。



 相手の瞳から何も感じないのは。


 好意も、悪意も、何も感じない。


 見続けば飲み込まれてしまうと感じる程の黒い穴。


 それが、彼女の瞳にぽっかりと空いていた。



「.......君、」


 彼女からの問いかけに、俺の体は大袈裟なほど震えた。


 その様子が面白いのか、彼女は微かな笑みを浮かべる。


「.......あぁ、3度目か」


 3度目、その言葉は俺たちにとって一つの意味を指す。


 夕方の学校で一度、深夜のコンビニで一度、そして、今ここで3度目。


 全て把握されていた。


 その事実に、途方もない恐怖が襲いかかる。


「なんで私を尾行していたの?」

 

 古神がそう問いかけるが、俺は恐怖と驚愕に頭が混乱し、タジタジになってしまう。


「よ、夜中にコンビニで見かけて、こ、こんな深夜に、何をしてるのか、す、少しだけ気になって、その.......」

「.......それだけ?」

「す、すみません」


 しかし、古神は納得がいかないのか、俺の後頭部から拳銃を離そうとしない。


 それどころか、古神は自分の小さな顎に手を当てて、小声で何かを考え始めた。


「なら、こいつは.......じゃあ、違う?....じゃないの.......?なら.......」

(.......俺は何も聞いてない.......)


 古神がボソボソと独り言を呟くが、俺は一生懸命聞かないようにする。


 なぜなら、うっかり独り言を聞いてしまい『口封じに殺さなきゃ』となるのはまっぴら御免だ。


 もう既に手遅れかもしれないが、やれることはやっておくのが俺の信条である。




「あぁ、なんと幸運なんでしょうか」





 突然、聞きなれない男の声が響き渡る。



「誰」



 古神はいち早く男に反応し、俺に向けていた銃口を今度は男に向ける。


 男は俺と古神の後ろ、つまり商店街の大通りから現れた。


 その見た目は、一見普通のサラリーマンのよう。


 しかし、街灯に照らされた様子を見ると、放課後の記憶が思い起こされる。


【白いスーツを着た男】


 そいつは真っ白な白いスーツに、これまた白いハットのような帽子を深く被り顔を隠している。が、その歪に浮かべる笑みが歪な特徴として見て取れた。


 男は笑みを浮かべたまま、あくまで紳士的な行儀で挨拶をする。


「はじめまして、〖亡血の姫〗。私は【ラボ】の者です。」


 男はそう言って頭を下げると、続けて頭を上げながらこう言った。


「貴方の血を、頂きに参りました。」



 パァーン



 乾いた音が響く。


 ふと古神を見ると、彼女の手に握られている拳銃から、硝煙が立ち込めていた。


 次に男を見ると、上げられる途中だった頭に銃弾が直撃したのか、顔が空を向いている。


 バサッという音と共に、ハットが地面に落ちた。


「.......え!?めっちゃ躊躇なく撃つじゃん!!」


 状況の飲み込みに辛うじて成功した俺は、思わず古神に盛大なツッコミを入れてしまう。

 これには流石の古神もすこし驚いたのか、「急に何よ」と問いかけてくる。


「え、いや、そんな簡単に銃撃っていいの?それ本物でしょ?いくらお金持ちでも罪犯して大丈夫なの??」

「.......まぁ、そうね。これで大丈夫だったらいいのだけれど。」


 俺の真意とは少しズレた返答をした古神、俺はその意図を直ぐに理解することになる。


「.......うっそだろ」


 頭に銃弾を受けた男、彼はややぎこちない様子で顔を戻すと、右の2本の指を額に出来た小さな穴に、突っ込んだ。


 頭を貫いたはずの銃弾が、コロンと地面に転がり落ちる。


「ふぅ、危ないところでした。あと少し銃弾を止めるのが遅ければ、流石の私も危険でしたね。」

「.......やっぱり、大丈夫じゃなかったか」

「え、この人銃弾を止めたって言った?マジ?やばくね?」


 男がわざとらしい様子で胸をなでおろし、古神は苦い顔をして男を睨む。


 そして俺は、ショックのあまりか語彙力が最近の小学生レベルにまで低下していた。


「おっと、君は何者ですかね?」


 ふと、男が俺の方を見て問いかけてくる。


「え、えっと.......通りすがり?」


 あまりいい答えが見つからなかったため、自分でも疑問形になってしまった。


 これでは、男の怪しさをとやかく言うことは出来ない。

 不審者度でいえば五分五分.......いやそれでも6:4くらいであっちの方が怪しいな。


「なるほど.......それは邪魔ですね。」


 男が呟いた不穏な言葉に、俺は自身の危機感知センサーがけたたましい音で鳴り響くのを感じた。


「避けろ!」


 その言葉に、即座に反応した自分の体を褒め讃えたい気分だった。


 とっさに路地の奥へと跳んだ俺は、後方から襲いかかる衝撃に吹き飛ばされる。


「あいたっ!?」


 俺は無様に転がりつつも、なんとか体勢を立て直すことに成功する。


 そのまま後ろを伺うと、土煙が辺りに舞っていた。


「これはこれは、確かに潰したと思ったのですが、やはり先程の銃弾の影響が残っていたようですね」


 土煙が晴れると、そこには男が立っていた。


 しかし、さっきとは明らかに違う部分がある。


 それは、腕だ。


 男の右腕は、まるで筋肉が膨張したのかと疑うほどに大きく変貌しており、地面を割ったその威力から、その力がハリボテではないことがハッキリと感じ取れた。


「やはり、刺客はお前の方だったか.......」


 男の攻撃をあっさりと回避した様子の古神が、異形となった男を睨む。


「何を勘違いしていたのか知りませんが、私は最初からこの街に仕事をしに来ていましたよ。」

「し、仕事?」


 俺のうわ言のような疑問に、男はニヤニヤとしながら「えぇ」と答える。


「この街では多くの【サンプル】を得ることが出来ましたし、そろそろ潮時。最後に大物を頂いて帰ろうかな、と」


 サンプル、その言葉に俺は一つのおぞましい可能性を思い浮かべる。


 そして確信する、噂の【白いスーツを着た男】は実在したと。

 

「さ、そういうわけなので早く.......やられてください」

「走れ!!」


 古神の叫ぶような忠告に、俺は素直に、そして全力で従う。


「待ってくださいよ」


 変わらず、ニヤニヤと笑いながら言う男の声が後ろから迫ってくる。


「あ、アイツ何者だよ!!腕がバイオハザードのラスボスみたいになってるんだけど!?」

「.......私も詳しいことは分からない。知ってるのは、アイツらがとんでもない実験を繰り返してる犯罪者ってことくらい」

「と、とんでもない実験って?」

「聞かない方が良かったと後悔するレベル」


 なるほど、それは詳しく聞かない方が良さそうだ。

 マッドサイエンティストにろくな奴はいない、それが事実だと分かった。


「.......うぉっ!!危ねぇ!」


 いきなり、後ろから風を斬る音が聞こえてきたかと思うと、俺の真横を何かが通り過ぎる。


 地面に叩きつけられ粉々になったのは、そこら辺に普通にあるプラスチック製のゴミ箱だ。


「ハハ、そんなに急がないでくださいよ」

「あいつマジで化け物だろ!!」


 思わず後ろを見ると、男は道端にあるゴミ箱をその巨大な右腕で掴み、大きく振りかぶってこちらに投げていた。


 あまり精密性はないのか、投げられたゴミ箱は俺たちに直撃する可能性は低そうだが、ゼロではなかった。


「.......くっそ!こんな調子じゃ、いつかはあれに当たっちまうよ!」

「.......入り組んだ道に入れば投擲は使えなくなる、かもしれない」

「入り組んだ道.......!?」


 その時、俺は十数年住んでいるこの街の知識をフル回転させ、最善手を探し出す。


「あっち!」

「え?」

「あっちに行けば、細くて入り組んだ路地に入る、そこを抜ければ比較的人通りのある場所に出るし、いざとなれば通行人に通報してもらえば、解決!」


 俺は、路地裏から通じるさらに細い道を指さす。


 あの男の巨腕ならば、細い路地を満足に走ることも出来ないだろう。


「.......分かった、先導して」

「!?.......お、おう」


 古神の予想外の反応に、俺は少し驚いてしまう。

 てっきり、『なんで貴方みたいに怪しい人に従わないといけないの?』みたいな感じで反抗されるとも思ったのだが。


 もしかしてこれは、頼りにされていると思っていいのだろうか。


 そう思うと、体の底から力が湧いてくる感じがする。


 

......先程まで実銃を突きつけられていた相手に、我ながらちょろすぎるとは思うが。


「ぬぅ、面倒ですね!」


 男は変わらず道端にあるあらゆるものを投げながら追いかけてくるが、それらは全て俺たちの遥か遠くに着弾する。

 散らばる破片も、顔や頭を守っていれば防げる程度だ。


 このように細すぎる道ならば、男自慢の怪力による投擲もうまくは使えないようだ。


 加えて、奴の腕の弱点とも言える部分も判明した。


 それは、やつ自信が鈍重である点だ。

 

 根拠は、先程から男との距離が全く縮まっていないことである。

 

 流石に振り切ることができるほどの差はないが、それでも日頃から運動不足の俺に追いつけていないことから、奴の足の遅さは相当である事が分かる。

 

 

 恐らく、奴のその大きすぎる腕が、逆に重しとなっているのだろう。


 そりゃあ、あれだけ大きければ重さも相当あるだろうな。


「.......抜けた!」


 緊急事態の緊張の為か、それとも異常事態の興奮のためか、記憶よりもずっと早く目的地にたどり着く。


 そこは、街の中でも比較的人通りの多い場所であり、今のような時間帯でもそれなりの人が集まっている。

 

「ハァハァ、古神!人のいる場所にぬけた.......」


 俺がそういいながら歓喜の笑顔で後ろを振り向く。


 しかし、その言葉は半ばで霧散してしまう。


「.......古神?」


 俺の後ろを見ても、古神の姿はなかった。


 古神だけではない、あの異形な腕を持つ男も同様にいなくなっていた。



「え.......」

 

 突然の二人の消失に、俺の頭は再び混乱する。


(はぐれた?二人同時に?そんなに複雑な道は通っていない。俺も奴を撒けると思ってここを選んだわけじゃないし.......待て)


 俺はここで、先程の男の言葉を思い返す。


『はじめまして、〖亡血の姫〗』


『貴方の血を頂きに参りました』



「あいつの狙いは、最初から古神.......なら、俺は最初から対象外だった、なら......」


 最初に俺を攻撃してきたのも、奴は『邪魔だったから』と言った。


 つまり、男は俺が邪魔でさえなければ、俺をわざわざ追いかける必要はない。


 古神はもしや、俺を逃がすために、わざと俺を先行させたのではないか。



「.......いや、そんなこと関係ないだろ!今すぐ戻って古神を.......」


 探しに行こうと、そう思った。


 少なくとも、頭は。


 しかし、体はそうは思わなかったようだ。


「.......なんだよ」


 足が、震える。


 ガクガクと、産まれたての鹿のように。


「はぁ?なんで.......」


 そこまでいって、思考に整理が追いつく。

 



 あ、俺っていま死にかけたんだ




 

「..............」


 ゾッとした。


 一歩間違えていれば、あそこであの巨大な腕に、体を押し潰されていたかもしれない。


 もしかした、あの無骨な拳銃で頭を撃ち抜かれていたかもしれない。


 もしかしたら.......


 もしかしたら.......


 

 無数の『もしかしたら』が溢れ出てくる。



 俺はいま、奇跡的に生き残ったに過ぎないのだ。


 死神の鋭い鎌は、俺の首筋にピッタリと張り付いていたのだ。


 

 その事実に気づいた途端、急激に力がぬけ、壁にもたれかかってしまう。


「......警察」


 俺は通報をしようと自分のポケットをまさぐるが、感触がない。


 逃げる最中に、スマホを落としてしまったようだ。



「.......どうすれば、いいんだよ」



 あの少女は、今もあのバケモノとの戦いを続けているのだろうか。


 不気味な暗闇の恐怖と、闘っているのだろうか。



「.......怖ぇよ」

 

 俺はそのまま、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。




◇◆◇◆◇◆◇



「ハァハァ.......」

「頑張りますねぇ、そろそろ辛くなってきたのでは?」


 二人は裏路地から繋がっていた開けた空き地に向かい合っていた。


 しかし、目立った傷のない男に反し、古神ツカサの服には所々に土や汚れが着いており、その肌には過度な運動による玉のような汗が滲み出ていた。


「そろそろ、終わりですかね」

「.......くッ!」


 男がそういって隙を見せた瞬間、ツカサはその手にもつ拳銃を再度男に向かって発砲する。


「効かないんですよ、先程から言ってるとおり」


 しかし、男の言う通り、ツカサの放った銃弾は男の巨腕に命中するが、特になんのダメージも与えられずに地面に転がる。


「.......ッ!」

「おっと、」


 しかし、その銃撃はブラフだった。


 男の注意が一瞬でも逸れた瞬間を狙い、ツカサは懐から〖あるもの〗を取り出し、男にぶつけようとする。


「.......なっ!?」

「なるほど、それが貴方の切り札ですか。」


 しかし、いくら訓練しているとしても素人の攻撃、戦闘のプロである男には通じない。

 

 それを予知していたかのように、男はツカサの腕を容易く掴み、握りしめた。


「ぐッ、あァ!!」

「おっと、殺さないようにしなくては.......ん?これは.......」


 男はツカサを宙ずりのようにすると、その腕をよく観察する。


 そこには、謎の液体が入った細長い瓶のような物が握られていた。

 その物体の正体に予想がついた男は、気が触るような笑い声をあげる。


「アハハハ、これは貴方の〖血〗じゃないですか!おぞましいですねぇ!!また罪を重ねるつもりだったのでしょうか?」

「.......ギリッ!」

 

 

 ツカサは奥歯を噛み締める。


 その行動は、男の言葉がツカサの精神を大きく揺さぶったが故のものであった。


「しかし、あなたも惜しいことをしましたねぇ」

「.......なに?」

「通りすがりのあの少年ですよ。彼を逃がすために、わざわざ手をかけなければ、貴方だけは逃げられたかもしれないのに。」

「.....................」


 男は心底不思議な様子で呟くが、それにツカサの返事はない。


「まぁいいでしょう、貴方の血は私たちが必ず【解明】して差し上げます。なので.......安心して眠っていてください」


 その言葉を最後に、男はツカサの首に手をかける。


「.....................ッ!」


 気道が押し潰されて、酸素と血液の循環が止まり、意識が暗闇に落ちる。




 そのはずだった。


「.......な、に?」


 男は違和感に襲われる。


 ふと、自分の腹部を見る。


 そこに、違和感の正体があった。


「パ、イプ!?」


 男の腹部から、貫通した鉄パイプが飛び出していたのだ。


「ガッ!?」


 突如、暗闇からの攻撃に男は反応出来ず、頭に打撃を受けてしまう。


 驚愕と痛みに気を取られツカサの拘束が緩む、その隙を逃さず彼は男からツカサを奪い取った。


「クッ!.......なるほど、戻ってきたのですか!」


 男は人影に向けて怒気を込めた笑みを向ける。


「.......なんで」


 そしてツカサは、彼に驚愕の瞳を向ける。

 


「いやなんでって、助けに来たに決まってるだろ」


 夜凪キヅナは当然のように、そう答えた。



◇◆◇◆◇



 いやー、我ながら思い切ったことをしてしまった。


 まさか、化け物の土手っ腹に鉄パイプを突き刺してしまうとは。


 先端が尖っていたからなのと、バイオハザードで出来たから現実でも出来るかもと思ったのでやってはみたが、今更ながらよくあんなこと思いついてさらに実践したな、俺。


 恐るべしゲーム脳。


「立てそうか?」

 

 俺は消耗した古神に対してそう問いかける。


 俺は現在古神をお姫様抱っこのような形で抱えている。


 時と場合によればご褒美とも呼べる行為かもしれない。

 が、生憎ガチムチなおっさんの目の前でしても気が気でない。


「なんで.......」


 古神を地面に下ろした時、ボソッと彼女が呟いたのが耳に入る。


「え?」

「なんで来た!!」


 突然、古神に胸ぐらを掴まれる。


「なんでって、あのままだったら大変なことになってただろ」


 俺は心底思ったことを口に出す。しかし、古神は納得がいかないようだ。


「.......死ぬかもしれないんだ、怖くないのか!」

(.......こいつ、よく俺にそんなこと言えるな)


 特大ブーメランが刺さりまくっている。


 とにかく言いたいことは多くあるが、男の様子も気になるので手短にいく。


「.......怖ぇよ、もちろん」

「.......」

「ないわけないだろ、下手したらさっきの鬼ごっこの時点で、あいつの腕で押し潰されてたかもしれない。もしかした、あんたに脳天をぶち抜かれたかもしれない。」

「.......そんなことは、しない」


 ほんとかよ。

 まぁ、そういうことにしておこう。


「.......ホントのことをいえば、いまさっきまで、死ぬ事の怖さに腰が抜けてた、足もガクガク震えてたさ」

「じゃあ、なんで来たの」

「.......助けたかったから」

 

 古神は二度、俺の命を救ってくれた。


 一度目は男に殴り殺されそうになった時。

 二度目は男に追いかけられそうになった時。


 古神の声が無ければ、俺は動けなかったと思う。


 つまり、古神は俺の命の恩人ということになる。


 多少理由が強引でも問題はない。


 これは、彼女と俺を騙すための、ただの理由付けだ。


「古神を見捨てて一人だけ生き残ろうなんてのは、俺もごめんだから」

「.......」

「それに.......」

「?」


 俺は途中まで思っていたことを発言するか、少しだけ躊躇した。


 でも、できるだけ様になるよう笑いながら言う。


「かっこいいでしょ、ちょっとだけ」


 

 ドヤ顔で言ったのが恥ずかしくてちょっとだけ後悔した。



◆◇◆◇◆



「さてと、待っててくれてありがと。意外と優しいところあるじゃん」


 俺はすっかり体勢を整えた男に向き合って形だけの感謝を伝える。


 ちらりと男の腹を見ると、俺が突き刺した鉄パイプは既に引き抜かれており、腹に空けたはずの傷穴すら塞がっていた。


 その異常な光景に、俺は直ぐに目をそらす。

 いわずもがな、現実逃避である。


 これ以上奴の異常性をまともに考えれば、せっかく決めた覚悟も折れてしまいそうだ。


 そんな男は、俺の言葉にいえいえと首を振って答える。


「このように興味深い状況はそうそうないのでね。観察していただけですよ。」

「観察?」

「えぇ.......ラボに行けばそのようなキザったことは、2度と言えませんからね」


 今日何度目かも分からない鳥肌が、全身を駆け巡る。

 ラボとやらに連れていかれたらどうなるのだろう。

 まぁ、絶対ろくな目に合わないので考えても仕方ない。

 強制的に思考を切り替える。



 現在俺の装備は、路地に落ちていた鉄パイプが一本。


 もう一本は既に男が自分の腹から引き抜き、力任せにねじ曲げていた。


 よって、俺の武器はこの鉄パイプのみである。


 対して男の武器、それは何度も言うように、大きく発達した強力な右腕。


 たった今ねじ曲げられた鉄パイプから察するに、その力を真っ向から受ければ、敗北は火を見るより明らかである。


 つまり、俺はこの頼りない鉄パイプで、あいつの裏をかかなければならないのだ。



 ハードモードすぎる。


 自分の意思で戻ってきたとは言え、やはり怖いものは怖い。


 でも、このまま何も出来ないまま、何も守れないまま死ぬのは嫌だ。


(頑張れよ俺、せめて古神だけでも逃がすぞ!)


 俺は覚悟を決めると、一気に地面を蹴り男との距離を詰める。


「自分から接近してきましたか!これは少しだけ予想外ですね!」


 男がそんなことを口走っている間に、俺は男の間合いに入る。



 俺は男の動きをよく観察し、攻撃を【予測する】。


 そんなこと良くできるな、と思うかもしれないが、実は俺は毎日のようにこのような戦いを繰り返していた。


 FPSゲームは一分一秒を争うゲームだ。


 たかがゲームと侮ってはいけない。


 現に、俺はその経験のおかげで今この戦いに立てている。

 

 確かに、ゲームと実践では状況も難易度も、命の危険性も段違いである。


 でも、その毎日続けてきた技術が、俺に化け物に抗う力を少しだけ与えていた。



「.......キャラコン意識ィ!!」


 俺はゲーマーにしか分からない単語を叫びながら、迫り来る攻撃の軌道を予測し、その結果を信じて体を動かした。


 半ばお祈り状態での回避ではあったが、なんとか一命を取り留めることに成功する。


 男の右腕の大ぶりを脇の下をくぐるようにして回避すると、そのお返しに男の脇腹を鉄パイプでぶん殴る。


「.......痛ってぇ、」


 しかし、俺は思わず痛み悶絶する。


 痛みの出処は、俺が手にもつ鉄パイプ、これが奴の脇腹に当たった時の衝撃が、直接俺の手に襲ってきたのだ。

 対する男は、なんの痛みすら抱いていない様子である。


 恐るべき硬さ。


 脇腹だけではない。

 

 右腕以外の体、胸も、額も腹も、全てが硬く強化されているのだ。


 改めて思うけどこいつ何者だよ。

 

 少なくとも、ジムに通いつめまくったただけのオッサンではないことだけは確かである。


「.......ッ!」


 そんな事を考える猶予すらないことを、側頭部をかすった巨大な殺意が告げる。


「ほらほら、さっそく動きが鈍くなってきましたよ?」


 男が俺を弄ぶように攻撃を繰り出してくる。


 俺はそれをなんとか持ちこたえるが、そう長くは持たないことは俺自身にも分かりきっていた。


「.......まだ、まだ耐えろ.......」


 俺はそういって自分を必死に鼓舞する。


 男はその様子が心底滑稽だったのだろう。

 フッと鼻を鳴らしながらいう。


「そんなに頑張っても、無駄ですよ。あなたでは、私には勝てません。」

「.......うるせぇ!」


 俺は満身創痍の体を引きずるように動かしながら、男に対して悪態をつく。


 そんな俺の見苦しい姿に、呆れたようにため息をつく男。


「わかりました.......もう終わらせましょうか」


 瞬間、男の巨大な右腕がさらに膨張する。具体的には、1.5倍ほど。


 俺は本能的に、これを避けることが出来ないと結論付ける。


 ならば、あえて受けるか。


 否、パイプや腕で精一杯の防御をしたとしても、防げる気がしない。



 なら、どうすればいいのか。



 一つだけ、することがある。



「.......今だ、古神」




 辺りに、乾いた音が響いた。



◆◇◆◇◆


「.......な、に」


 男は再び違和感を感じ、ゆっくりと自分の胸の辺りに目を見やる。


 そこには、直径1センチほどの小さな穴が空いていた。

 たかが1センチの穴、しかしそれは、容易く人の命を奪う凶悪な武器の痕跡でもある。


「.......グッ、」


 遅れて、男が吐血し、膝をつく。

 

「.......お前の弱点には、最初から当たりをつけてた」


 俺は戦闘が始まった時から.......いや、もっと前からある疑問を持っていた。


 それは、奴の異常なほどのタフさ。


 最初に古神の銃弾を防いだことから始まり、奴は幾度となく銃撃や俺の攻撃を無傷で受けていた。


 しかし、ひとつの例外がある。


 それが、後ろからの不意打ちである。


 あれだけは、奴にダメージを与えることに成功していた。


 これとほかの攻撃との違いは、少し考えれば分かる。


「〖意識外からの攻撃〗、それがお前の弱点だろ」

「......ぬぅ」


 図星だったのだろう、男の顔からは先程の余裕などとっくに消え去り、悔しそうな顔で俺を睨んだ。



 弱点に気づいた時には、俺はひとつの作戦を考えていた。


『俺が合図したら奴を撃って』


 古神にそれだけ言い、俺は奴の注意を古神から俺へと移すように仕向け、男の意識が古神から完全に外れる〖殺す攻撃〗の時に、不意打ちを仕掛けたのだ。

 

 簡単ではなかったし、穴だらけだった。

 第一、不意打ちが男の弱点という俺の予想があっている保証もないし、古神にうまく意図が伝わっていたかも怪しい、さらに言えば俺が時間を稼ぐ間もなく殺される可能性もあった。


 しかし、それらはどうやら上手く成功したようだ。


「.....................」 


 古神は、先程まで全く効いていなかった銃撃で、男が倒れたことに心底驚いているようだ。


 はっきり言って、あんな穴だらけの作戦が成功するとは思っていなかったので、うまくいって一安心である。


 あとは、こいつをどうにかして帰るだけ.......


 あれ、なんか忘れてるような?


「..............あ、」

 

 それ言葉を発したのは、俺だっただろうか。


 それとも古神だっただろうか。


 よく分からなかった。


 なぜなら、次の瞬間には俺の視界は大きく揺れていたからで.......


「.......ぁッ」


 突然目の前が大きく揺れると、瞬きする間もなく背中に衝撃が襲ってきた。


 それと同時に、人体から聞こえてはいけない、鈍く耳障りな音が俺の鼓膜を揺らす。


「夜凪くん!」


 重力に従い、地面になだれ落ちる俺は、そんな古神の悲痛な叫びを聞く。


 .......俺の、名前、知ってたのか.......なんかうれしいな


 朦朧とする意識の中でそんなどうでもいいことが思い浮かぶ。


 全身から尋常ではない痛みが襲いかかり、頭から流れる血が視界を紅く染める、しかし何故か気にならない。


 あるいは、脳の一部も既に壊れてしまっているのかもしれない。


「これは出来れば、使いたくなかったんですが、ね」


 男が、ゆらりと立ち上がる。


 その太ももには、空になった大きな注射器のようなものが突き刺さっていた。


「ぐ、グゥッ!」


 突然、男が苦しみの声を上げたかと思うと、その異形の腕がビクビクと震え始める。


「サンプルとして色々いじくってあげようと思いましたが.......気が変わりました。」


 バキバキと、肉体が作り替えられる音が鼓膜に響く。


「【姫】ごとぐちゃぐちゃにして殺してあげますよ」


 とっくに人間をやめていたはずの男の身体が、僅かに残った人間性さえ捨てて俺たちを殺すためだけの化け物に堕ちていく。


 異常なまでの再生能力、それがまだやつの武器として残っていた。



 そんな男の様子を、俺はただ見ることしか出来ない。


 既に声を上げる力すら残っていない。


 掠れた喉で必死に古神を逃がそうと試みるも、音にならない声しか出ない。


 終わり


 死


 そんな言葉が頭に浮かんだ。


「.....................?」


 暖かい、感覚が頭にあった。


 ふと視線を向けると、そこには古神の姿があった。


 倒れた俺を横抱きにし、頭を撫でているのだろうか。


「.......ごめんなさい」


 俺の頭を優しく撫でながら、古神は言う。


「私のせいで、あなたはこんなことに.......」


 そんなことはない、君は悪くないと叫びたいのに、言葉はすぐに霧散して形にならない。


「..せめて私ができるのは、これくらい.......」


 古神はそう呟くと、懐から何かを取り出す。


 それは、ガラスの破片のようなものだった。


 古神はそれを、自らの綺麗な腕に添えると.......力いっぱいに引き裂く。


「.............」



 真っ暗な暗闇の中、月の明かりのみが俺たちを照らす。


 そこで気づく、全く光を反射しない〖それ〗のことを。



 まるで腕から暗闇が零れ落ちているかのように錯覚するほど、黒く、黒い液体。



 古神の血は俺やほかの人のそれと大きく違い、闇のような漆黒だった。



 でも、不気味には思わなかった。


 極限の状態で感性がバグっているのかもしれないが、この時、俺は確かに、



 この血を綺麗だと思った。



 古神は零れ落ちる血が滴る腕を、俺の開きっぱなしの口元に運ぶ。


 漆黒の血液が俺の体に入るのを、俺はぼんやりと眺めていた。


 怖くはなかった。



 亡血が俺の体に入った瞬間、


  ドクンッ.......



 俺の中で僅かに動いていたものが止まった。






「..............」


 少女は静かに少年の亡骸を抱いていた。


 既に彼の心臓の鼓動は止まり、僅かに残る体温が、彼の終わりが直近であったことをやんわりと伝えていた。


 

「.......ほんとうに、予想外ですね」


 変体を完全に終えた男は、語るに尽くせないような姿をしていた。


 体長は先程までの倍、その腕力もまた倍、そして薬品を打ち込んだことで弱点であるスピードも克服していた。


 しかし、男の姿に殺意はない。


 殺す価値のあるものすら、この場にはなかったからだ。


「ファイル06〖亡血姫〗古神ツカサ......」


 男は自分がもつ彼女の情報を思い出しながら、その歩みを進める。


 17年前一大企業の長女として生を受ける。

 しかし、小学校時代にその〖血〗の異常性が発覚し、周りから迫害され、実家では厄介者扱い。


 ついにはその異常性の解明を目的とした【組織】に日々身体を狙われる毎日。



「同情しますよ、さすがの私もね。.......彼も、最後にあなたの味方になれたことを誇りに思っているかもしれませんね」


 男からの心からの同情と慰め、それはツカサにとって侮蔑でしかなかった。


 しかし、ツカサは身動ぎすらせず、変わらず少年の頭を優しく撫でる。

 

 男の言ってることに、嘘なんて何一つなかった。


 7年前のあの日から、仲の良かった友人に裏切られ、血の繋がった家族に裏切られ、頭のおかしい犯罪者たちに命を狙われる日々。


 そんな生活も、やっと終わり。


(.......疲れた)


 ツカサはゆっくりと瞼を閉じる。抵抗する気力も、生きようとする意思も、とうに枯れてしまった。



「.......さて、今度こそ終わりです」


 これからどうなるのか、そんな事を考えることすら、億劫だった。 


 

 男の巨大な手のひらが自分に近づくのを感じながら、ツカサはふと思う。


 一つだけ、心残りがあるとしたら............この少年。


 奴らの実験材料にされるくらいならと、自らの手で命を奪った少年。


 遠目でしか見たことのない自分を、命を賭して助けに来てくれた、そんな少年。


 叶うならば、

 

「.......君のこと、もっと」


 知りたかった、かもな。

 

 ツカサをそう呟き、薄く笑った。











「..............は?」




 全てを諦めたツカサの耳に、男の腑抜けた声が耳に入る。


 それにつられ、ゆっくりと瞼を開けると、そのありえない光景に目を見開く。



 ツカサの目の前にまで迫っていた男の巨腕は、ツカサに僅かに届かぬ距離で止まっていた。


 それを止めていたのは、古神の抱える亡骸から伸びる、一本の腕。


 死体の腕が、男の腕を掴み、そのまま握り潰す。


「なっ!!」


 男は急いでその手を振りほどき、距離をとった。


 その顔は、大きな驚愕と僅かな恐怖に染まっている。


「な、何故だ!なぜ動ける!」

 


 ゆらりと、彼は立ち上がる。


 体中からバキバキ、ボキボキという音が響く。


 それは、ぐちゃぐちゃに壊れた彼の身体が、少しずつ治っていく音だ。


 砕けた骨がくっつき、内臓が機能を取り戻し、傷口が埋まる音だ。


 ドクン、ドクンと、心臓が鼓動を取り戻す。


「..............なんで、」


 彼は、ツカサと男の間に立ち塞がる。


 既に、彼の体には少しの傷もついていない。

 ボロボロになったその服が唯一、彼の直前までの惨事を物語っている。



 しかし、致命傷の怪我が治った彼の身体は、さらに変質する。


「あ、」


 最初に気づいたのはツカサだった、彼の体を流れる血液に、変化が起こったことを。


 

 心臓の鼓動が早まり、身体中を血潮が駆け巡る。


 しかし、その血は先程までの彼のそれとは全く違う。



 黒いのだ。



 彼の血管を流れる血はツカサのそれと同じように、漆黒のものとなっていた。


 それが、彼の血管を巡り全身に力を与える。


 まるで、暗闇が身体中を駆け巡っているかのような、異様な姿。


 その姿と圧に、男はやっと冷静さを取り戻すと、酷く楽しそう嗤う。


「ふふふ、理由は不明ですが、ともかくあなたが生きていたのなら話は単純、バキバキにしてやりますよ!」


 男がフンッと自らの体に力を込める。


 すると、両腕の筋繊維がはち切れんばかりに膨張する。


 その姿はまさに大岩。壊すどころか動かすことすら困難、当たれば即死級の怪物だ。


 

「.......」


 だが、ツカサはそんなこと気にもとめない。


 ツカサが視線注ぐのは、彼女の目の前に立つぼろぼろの少年。


「.......」


 彼女が呪われた血で、自ら命を奪ったはずの少年。


 


 そんな彼に、こんな事を頼むことは、きっと許されないことだろう。


 第一、彼とはさっき会ったばかりだ。しかも、初対面で銃を突きつけ、何度も死にかけるような体験をさせ、ついには彼女に殺されたと言っても過言では無いのだ。


「......ぉねがい」

 

 願いを聞いてくれる保証はなく、義理もない。



 でも、そのボロボロの背中は、頼もしく、優しく、ツカサに生きる希望を与えた。


「助けて」



 その時キヅナは、少し笑った気がした。




 


「しねぇ!!」



 男が、その巨大な右腕を全力で振りかぶり、キヅナ目掛けて振り下ろす。


 対するキヅナは右手を振りかぶり、そして力を込める。



 身体中を駆け巡る亡血がその瞬間右腕に集中し、腕の血管を黒く染める。


 その血に宿るエネルギーは、キヅナの体を通して現実に破壊をもたらす。



 男とキヅナの拳がぶつかり、周りに大きな衝撃と土煙が舞う。


「くっ.......夜凪、くん?」


 ツカサは、ふらりと立ち上がると、目の前にいたはずの少年を探す。


 やがて、土煙が地面に落ちて、その結末を露わにする。



「.......ぐぅ」



 そこには、力を使い果たし地面に倒れ伏す男と、敵を打ち倒しボロボロの体でツカサに向き直るキヅナの姿があった。


「.......あ」


 ふっ、とキヅナは力を使い果たしたかのように倒れる。

 それをツカサはギリギリで支え、そのまま地面に横たえる


「.......助けて、くれた」


 ツカサにとって、それは実に七年ぶりの経験だった。


 呪われた血を持つ自分を、殺したはずの彼が助けてくれた。そんなおかしなこの状況に、ツカサは柄にもなくはっと笑ってしまう。


 なぜ彼が生き返ったのかは分からないし、これからどうなるかも分からない。


 でも、全ては彼が目覚めてから考えよう。


 そう思いながら、ツカサはキヅナの頭を撫でた。





 

 月が照らす初夏の夜、商店街の端っこで、一つの主従が生まれた。


 これが、彼らの黙示録の一番最初のページである。

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