第2話 ホトゥーの話

 青年に横抱きにされたまま辿り着いた我が家の前で、青年に降ろしてもらう。


「ここ?」

「ああ、ここだ」

「……」

「独身女性ばっかの所になんで住んでるのかって思ったか?」

「うん、驚いた」


 素直に頷く青年に驚きながら、俺は家の扉を開けて中に入った。青年も俺の後に続く。


「お邪魔します」

「どうぞ。まあ、座れよ」


 買ってきた食材をキッチンに置きながら青年に椅子に座るように言うと、頷いて青年は椅子に座った。


「うん、ありがとう。えっと……」

「?」


 なんだ?何かあるか?ああ、そういえばまだお互いに名乗っていなかった。


「俺はホトゥー。あんたは?」

「僕はシャル。よろしくね」

「あぁ……」


 でもきっと、俺の話を聞いたシャルは気味悪がって離れていく。俺の香りが分からない女性にすら、幼なじみのミリーくらいしか信じてもらえなかったのだから。香りが効かなくても、こんな初対面の男が信じてくれるはずがない。


「……それで、あんなことに慣れている君の事情、聞いてもいい?」

「早速本題だな……」

「うん。まあね」


 初対面の相手に、何か無理に話を振られるよりも、こうして早く話を進めてくれる方がいい。


「俺は生まれつき、なんか香りを持ってるんだ。自分じゃ分かんないけどな」

「それがその葡萄の香りって訳か」

「自分では何の香りか知らないんだが、葡萄の香りなのか?」

「うん。ずっと香ってるよ」


 ずっと香ってるのか、やっぱり。分かってはいたけど、実際に聞かされると少し落ち込んでしまう。


「でもね、君の香りは僕にとっては落ち着く香りだよ。他は違うようだけど」

「……あんたが特殊なんだよ。それだけは分かる」


 その特殊な人物が俺にとってのなんなのか、いつか誰かに聞いたような気がするけど、思い出せない。とても大切な人から聞かされたような、よく知らない人から聞いたような、変な感じだ。


「君の香りを嗅いだ人はみんなあんな奴らと同じことになるの?」

「ああ。人ってより、男だけどな」

「男だけなの? 女性は?」

「効かないし、香り自体気づかない」


 何故か、この香りは人間の男だけ酔わせる。女性はもちろん、動物も雄雌関係なく効かない。それはもう随分前に気づいた事だが、男の自分に男だけを酔わせる香りがついているのかは分からず仕舞いだ。


「昔はそりゃもう酷い目にあった。わけも分からずに知らない男に手を出され、相手の気が済むまで……、なんてのもよくあった」

「…………」

「でも、俺には幼かったのに俺の体質を理解して守ってくれた姉と、話を信じてくれた幼なじみがいたから」


 この歳まで生きていけたのは、間違いなく生き別れた姉と、ミリーのお陰だろう。きっと、自分一人だったら今頃、心を病んで自殺を選んでいた。


「そっか、助けてくれた人が君にはいたんだね。よかったよ」

「まあ、その幼なじみももうすぐ結婚するし、花婿を酔わせちゃいけないから、買い物とかあんまり頼めないんだけどな」

「お姉さんは?」

「もう何年も会ってない。俺は子どもの頃、義母に引き取られたから」

「そのお母さんには話したの?」

「いいや。信じてくれるような人じゃなかった。現実的な人だったから」


 義母の旦那さんは俺を引き取る前に亡くなっていたから、香りで酔わせるなんてことなく、普通に過ごせた。その義母も数年前に病で死んでしまったが。


「……ねぇ、ホトゥー。君はあんまり外へ出たくないんだよね?」

「まあ……そりゃあ……。けど、ミリーに頼れない今、自分で行かないと飢え死ぬし」

「じゃあ、僕がその幼なじみのミリーさん?の代わりになるよ」

「は……?」


 思わず間の抜けた声が漏れた。ミリーの代わりになるだって?使いっ走りとあまり大差ないのに、自分から進んでやるなんて、どうかしている。いや、ミリーもどうかしてたって意味になってしまうから、初対面で、そこまでしてくれるなんてどうかしている。


「いや、初対面のあんたにそこまで頼れないだろ、普通に考えて」

「それはそうだれうけど、これからもあんな風に男達に追われ続けるの?」

「別に慣れて……」

「だから、あんなのに慣れちゃダメだって」

 そんなことを言われても、今までに何度もあったことだ。慣れない方がおかしい。

「……何度も何度もあったんだ、慣れて当然だろ」

「……そうかもしれないけど、そんなんじゃ、君の心も体も傷つき続けるじゃないか」

「…………」


 分かっている。シャルの言うことは正しい。でもそうやって会ったばかりのシャルに甘えて、今まで以上に自分で何も出来なくなるのは、嫌だ。ミリーにも甘えすぎてしまった。だから、あいつの結婚を機に、誰かに甘えて生きていくのを、卒業しなければいけない。


「とにかく……! いいんだ、放っておいてくれ」

「……分かった」

 そう言って、シャルは家から出ていった。



 翌日

 いつも通り本を読みながら過ごしていると、扉がノックされた。本を閉じて扉を開け、そこに立っていた幼なじみに驚く。


「ミリー……」

「はぁい、ホトゥー。元気? そろそろ食材が無くなるんじゃないかと思って来たのよ」

「なくなったけど、昨日自分で買いに行ってきた」


 俺の言葉にミリーは目を見開き、すぐに表情を心配そうに歪めた。何度か一緒に街に出たミリーは、俺が男に裏路地に連れられそうになったのを見ているから、体質が嘘でないと知ってくれている。


「それ……大丈夫だったの? 襲われたりしてない?」

「……助けられたから……」

「誰? 助けてくれたってことはその人は女性よね、この辺の人?」

「いや……、香りが効かない男」

「え?」

「実は……」


 俺は昨日の出来事を全てミリーに話した。話し終えたら、ミリーは腰に手を当てて、俺に詰め寄る。


「あんたねぇ! そのシャル君にちゃんと謝って、素直に手伝ってもらいなさいよ!」

「けど……よく知らないし……」

「よく知らないからって、本人が善意で言ってくれたことを、放っておいてくれって突っぱねるのは失礼よ」

「…………」

「それに、私もそろそろ結婚するし、子どもが出来たらこんな風に様子を見に来てあげることもきっと少なくなるわ。私以外に知っている人はあんたのお姉さんだけだけれど、どこに住んでいるかすら分からないのよね?」

「ああ……」

「そうなると、誰があんたを守ってあげられるの?」


 言いながら、ミリーは俺の手を握る。いつも助けてくれた、暖かい手だ。


「香り持ちだって誰もが信じるような話じゃないし、ホトゥーも話すのに勇気がいるわよね。そんなんで街に出る度に男に襲われるんじゃあ、あんたの体も心もボロボロになってしまうわ。私はホトゥーがそんなことになったら辛くて幸せになんてなれない」

「……でも、ミリー。俺、自分一人で何にもできない人間にはなりたくない」

「ならないわよ。あんたは今だって、私に助けられてたけど、男がいる街に出る以外、何でも出来ていたじゃない。料理に洗濯、掃除。家事は全部自分でやっているし、女性とも普通に話せる。文字の読み書きもできるわ。自分の身を守るために人に頼ったからってなんにも出来なくなるはずないじゃない」


 ミリーは俺を抱きしめて頭を撫でながら、そう語る。ミリーに抱きしめてもらうと、亡くなった母に抱きしめられているような気がして落ち着くのだ。と、その時、家の扉をノックする音が聞こえる。


「誰か来たわね」

「出てくる」

「男だったらすぐに閉めなさいね、私が対応するから」

「分かった」


 独身女性の多いこの通りに住んでいて、来客なんて滅多に来ないのに、珍しいこともあるものだ。扉の取っ手に手をかけ、内側に引く。扉が開くと、長身の男が立っていた。


「……あ」

「ホトゥー! 男じゃない、閉めなさい!」


 ミリーが焦って扉を閉じようとするが、俺は首を振る。


「ミリー。こいつは大丈夫だ」

「え……? じゃあ彼が……?」


 シャルが昨日の今日で俺のもとへやってきた。

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ロゼ 神無月かぐら @kagunn114

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