ロゼ

神無月かぐら

第1話 出会い

 葡萄の香り。それは嗅いでしまった男を酔わせる香り。狂わせてしまう香り。

 たとえ酔わせることをその香りをもつ者が望んでいなくとも……。


 ────────────────────


 俺は異常だ。自分にはよく分からない香りで人を……男を酔わせてしまう。

 その香りのせいで俺は幼い頃から何度も襲われた。何度も何度も数えたくもないほどに。ただ街を歩くだけでも人を……特に男を避けなければならず、買い物すら気軽にすることが出来ない。


 事情を分かってくれている幼なじみのミリーに買い物を頼むことも多かった。しかし、そのミリーも今年で23歳。それに結婚を控えている。ミリーの花婿を酔わせてしまう可能性もあるし、仲良く花婿と過ごしているミリーに頼むのも申し訳なくてしばらく頼んでいない。

 ミリーはいつでも言いなさいと言ってくれているけれど、さすがに良心が痛む。


「はぁ……。そろそろ食材が尽きるな……。買いに行かないと……」


 暗い気持ちになりつつも、ミリーに頼めない今、自分で買い出しに行かなければならない。あまり意味がないのは分かっているけど、どうしても不安で、香りを少しでも誤魔化すために長袖長ズボンに上着を着て白く小さな我が家を出た。


 俺の家の辺りには独身女性が一人暮らしをしている家が多いため、比較的安全だ。この辺に住んで2年ほどになるのもあって道を歩けば声をかけてくれるご近所さんも少なくない。


「あら、ホトゥー。珍しいのね。お出かけ?」


 隣の家のリサさんが俺に声をかける。


「うん。ちょっと食材を買いに」

「いつもミリーちゃんに頼んでるわよね?」


 首を傾げてリサさんは目的を話した俺に返す。


「まあ、ミリーも結婚するし、さすがにミリーに買い出しに行ってもらうのも卒業しないと、と思って」

「あはは。なるほどね〜。頑張れ〜」

「ありがと」


 そうやってリサさんとの軽い雑談を終えて、市場に着く。


「……来たのはいいんだが……どうしようか」



 途方に暮れる。市場は比較的に女性客が多い。しかし、店は夫婦がやっているとこが多く、今俺が欲しい食材を売っている店は夫の方……つまり男が店番をしている所がほとんどで、近寄れない。

 効率は悪いし、手間もかかるが、身の安全が最優先だ。そう考えて、とりあえず、女性が店番をしている所から買いに行くことにした。


 1時間後─────────


 女性が店番をしだした時を狙ってさっさと買い物を終え、日が暮れだしたのを認めて帰路に着く。


「はぁ……。なんとか全部買えたな……。どの店も夫婦が交互に店番をするタイプでよかった……」


 そしてふと嫌な予感がして勢いよく振り返る。

 すると俺の香りに誘われたのであろう何人かの男が嫌な笑みを浮かべながらついて来ていた。


「……あんたら、誰だ? なんの用だよ?」


 できるだけ平静を装って、男達に問いかける。

 するとその男達の内の1人が、俺に1歩近づいて嫌な笑みを浮かべたまま答えた。


「何の用だ、って。あんたこそ、その香りはなんなんだよ?そーんな色っぽい香りをプンプンさせといてよく言うぜ」


 やっぱり、と思った。今まで散々見てきたんだ。香りに酔った男達の欲望を隠そうともしない嫌な笑み。男である俺を襲うことになんの躊躇もないような歪んだ雰囲気。


「俺は男だ。俺を襲ったところでどうせあんたらの欲望は解消されない。」


 言ったところで無駄なのも承知の上で男たちに言う。


「やってみないと分からないだろうが…。だからさ、1度やらせてくれよ、なぁ!」


 俺が言い終わった所で男達がいっきに俺に向かってくる。俺は結局そうなるのか、と諦めて目を閉じる。


「うわっ…!!」


 目を閉じた瞬間、暗闇の先でさっきの男の小さな声が聞こえる。恐る恐る閉じていた目を開けるとさっきの男の姿を隠すほど大きな背中が目に入る。

 誰の背中か検討もつかず、呆然とその背中を眺めた。俺の視線に気づいたその背中が少し動いて、見上げると俺に笑いかける青年の顔が見えた。


「大丈夫だから、ちょっと下がってて」


 何も考えずに無意識に頷く。あの男達に対しては分かりやすく拒否感を抱いたが、ごくごく自然にその青年は大丈夫だと思えて、言われた通り一歩後ろに下がる。


「ねぇ、あなた達はなんで彼にそんな顔で近づくの?」


 驚いた。俺の異常な香りはすべての男を酔わせる香り、そう思っていた。今までに香りで理性をなくさずに俺と話してくれる男は、何年も前に亡くなった父親を除いてただ1人としていなかった。皆、話を聞いているのか聞いていないのか分からない顔で迫ってきて抗議も聞き入れてくれず、無理矢理犯され、香りに酔った男が満足するまで延々と……。そんなことばかりだった。

 なのに、今俺の前に立って、俺を守ろうとしてくれている糸目のコイツは、香りに酔ってないらしい。

 男達も驚いているのか、言葉を失っていた。そしてしばらく沈黙が続いた後に、男が言った。


「あんたはそいつの香りが分からないのか?あんなにダダ漏れになっている色っぽい葡萄の香りが……」

「葡萄の香り? あぁ、なんだかすごくいい香りだね。落ち着くよ」


 開いた口が塞がらないとはこういう時に使う言葉なのかと思うほど、先程の倍は驚いた。今までこの……葡萄の香り?を嗅いで理性を無くし、欲情して迫ってくる男ばかりだったから、相手にとって落ち着く香りだなんて微塵も思ったことはなかった。


 また呆然と青年の背中を見つめてしまう。さっきからこの青年は、俺を追いかけてきた男達とは全く違う考えを持っていて、それを話しているだけだ。だけど、この場にいる者で唯一、俺の香りで酔っていない。ある意味、異常な男だった。

 自分の香りに自信を持ってるわけでも、特別な香りを持つ自分が好きなわけでもない。むしろ逆なのだ。けれど、香りに酔って、頭がおかしくなった男たちを幼い頃から今まで、散々みてきた。それが【普通】なんだといつしか諦めていたのに、それが【普通】ではない、変わった男が目の前にいる。

 その事実に驚きや戸惑い、喜びに似た感情が混じって頭がぐちゃぐちゃになった。ふと頬が水で濡れたような気がして、不思議に思い、頬を指先で触ると、俺は涙を流していた。


「な、なんでっ……」


 その小さな声が聞こえたのか、大きな背中の青年は、驚いたように目を見開いて俺を見ていた。そして乱暴に、掴んでいた男の手首を離す。

 そしてすぐに俺を荷物ごと横抱きにして、走り出した。


「なっ……!?」


 突然のことに驚く俺を一瞬見て、青年はまっすぐに道を見る。


「ごめんね。泣いてたから。そうゆうのってあんまり人に見せたくないでしょ?」

「っ……」


 そうだな……。そうなんだが……!!どうして横抱きにする必要があるんだ!そう言いたいのに涙が溢れっぱなしで、口が開けない。

 しばらく黙っていたら、青年が走りながら俺に問いかける。


「君の家どこ?このまま送るよ」

「いい……自分で歩いて帰る……ぐす」


 鼻をすすりながら答える。すると青年はすぐに言葉を返してきた。


「ダメだよ。さっきみたいな奴らにまた絡まれるよ?」

「……別に……ぐす……慣れてるし……」


 青年は一瞬驚いて、すぐに眉を寄せた。


「……あぁ言うのは慣れちゃダメ。」

「仕方ないだろ……俺は……っ」


 言いかけてやめた。香りの話をした所で、信じてもらえるわけが無い。気味悪がられるか、気持ち悪がられるだけだ。今までだってそうだった。信じてくれたのは、離れ離れになってしまっている姉とミリーだけだったんだ。


「……何か事情があるんだね?このまま君を送り届けたら話してくれる?」

「絶対信じないに決まってる……っ」

「それは聞いてから僕が決めることだから」

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