飽きない祭事

@23922392

飽きない祭事

 人と云うのは実に愚かな生物でしょうか。僕の父はいつもいつも嘆いておりました。

 何をするにも利益を追求する人間。当たり前なのでしょう、生物足る物、皆自分が有利な方が良い。その為に利益を、利得を求め過ごす。

 父は毎日毎日新聞紙を持ちながら僕に語り掛けます。便利な世の中は不便だと。

 ある夏の風物詩の時です。

 綿あめは美味しく、くじ引きで玩具を手に入れた時の喜びは今でも忘れ難き事。

 何もない、純粋無垢であったアノ時代。懐かしむばかりの頃です。

 昼頃から祭りは盛んになります。けれども、酔いの勢いには敵うる事は出来ない。

 人混みはあまりなく、在ったとしてもというところ。実質的には大通りを闊歩しているのも同義なのです。

 肴がたくさんあると父は言っていました。いやはや懐かしい。

 祭りというモノはいつまで経っても飽きないものです。夏の盆に開かれる盆踊りは日本の芸術と評せる事と感じられる。

 過去の話、コロナと呼ばれる病が世界で流行りました。

 ペストの再来でしょう、僕にとってはインフルエンザと何ら変わりなかった。今思えば不謹慎極まりないでしょう。ですが、特に何も思わなかった。ただのかぜだろうと思っていたのです。

 それに皆一様に侵され、祭りが無くなった。あの父との思い出が潰された気分で仕方なかった。飲み明かす人々も沢山いた。父も嘆いておられた。また祭りをみたいと。

 父はなるものを強いられていました。悲しい事だと母もまた嘆いていた。

 父は行政に対しても嘆いておられた。大人は会社へ行かない様にと推進するにも関わらず、子には学ぶ機会が減ると言って行かせる。そんな事をしているから何も変わらないのだと。大人だろうが、子だろうが変わりない人間だと打ちひしがれるばかりであった。そんな父の背は岩だった。

 正直者が馬鹿を見る、そんな世だったのです。家の床に掛る負担はその頃より少し緩和されました。

 今の職業は小説家です。この文も父への手紙なのです。言葉は未だ拙い事は重々承知。読まれる事は無いと言い張る人もいるかもしれない。でも、父は読んでくれるはずですよね。

 祭りが盛んであった時期、何もないことは無かった。

 ゆかたびらに身を包み、団扇と下駄を持ち履く。その風貌に憧れを抱きました。美しいなと。人同士が肩を寄せ合い、笑いながら祭りを歩む。その道に咲き得るは麗しの彼岸花。

 その優美な宴を止めた行政を恨む事、今でも思います。

 何故父とのを揉み消し去ったのか。

 一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭。父の口癖です。

 父は有名な人ではなかった。それでも小説を書き続けた。会社に勤務しながら、その当時でも紙の原稿用紙に認めていたのです。

 世に出ていない作品も多くありました。。読んだことは一度たりとも在りません。題名だけ拝見いたしたところ。

 不思議な事です。父がそれを母に見せたのは夏のみ。なぜなのでしょうか。不思議ではありません。何か理由が有ったのでしょう。全て、夏を題材にしたという事でしょうか。しかしながら、僕にってそのような理由以外は皆目見当もつかない。

 送り火をしたりすることは今はもうなき事。

 輩がのたうち回る時代は今も続いておりますが、輩は奴らと同じに成り終わった。父が今も光景を見れば嬉々としていた事でしょう。

 人は輪を成し、櫓は灯る。太鼓の響きと手の音色。この四者一丸となる風物詩が今は在るのです。毎年あるのです。

 まるで万博の様に夢を視ていた人たちが思い描いた日常がそこにはある。

 おかしいのでしょうか。いえいえ、父の願いが叶ったという事なのです。

 母は今も尚、公務員として働いております。それ故に父には構えなかった。父は言っておられた、母さんにありがとうと。

 当時は意味が解からなかった。父は死を悟ったのでしょうか。僕に言いましたよね、母さんがこの部屋に入るまでは入るなと。その言いつけを護り、入らなかった。一瞬大きな物音がしましたが、それでも入らなかった。初めて父と交わした約束だったのだから。

 仕事で僕に構ってくれることはあまりなかった。それに対して苦に思う事は決してないと言い切れるでしょう。仕事終わりには沢山構ってくれた、お風呂にも入ってくれた。その時、母にはよく怒られたものです。それはそうです。夜中の9時以降に父は帰ってくるのですから。

 母はぼくを責めませんでした。ぼくが言い出したのですよ、約束したと。すると、母はぼくを抱 締め始めたのです 変な事を母はするなと思いましたよ。父がぐっすり寝ているの そんな大声を出すのです。起きてしまうじゃないかと それが嫌で口に指を置きました。そうすれば なぜかより一層泣いた。

 今でもその理由は不明瞭である事。父は死んだわけじゃないのですよね。

 たた単純に眠っているだけだと。ちちに読んでほしくて今も書いてます。

 きっとよんでくれますよね。だってねむっているだけだもの。ははもまっています。

 しごとはさいきんいそがしいとなげいていますが、ぼくのためだといい、ふんこつさいしんでやっています。ぶしきなことでしよう、そこまでするひつようがどこたあるとりうのでしょうね。

 そ3そろかきおわろうとおもいます。

 父と過ごした夏祭りは潤沢なモノです。そこで父はたくさんお金を使ってしまった。使わなければ、病院に行けたかもしれない。多くのお金を、裏金として。それをしなかったのは良心の所為でしょう。

 今年も夏になりました。十年目の夏です。十回目の弔いとなるのでしょうか。帰ってきているのでしょうから、弔う必要性は無いに等しいのですがね。

 とにかくです、父は無色だったというのは知っておりました。それでもそれを職にしようとした。飽きなかっただけでもすごいじゃないですか。母の行政と父の商売。その二極を愛したいと想います。

 以上。宮川了より。

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