だい一わ 【貴様自身だろうが】

 シーツの擦れる音で夢から引き戻された。久方振りの良い目覚めだった。最近は原稿で徹夜続きだったから、惰眠を貪るなんてのは彼にとってしてみれば幸福この上ないことだ。

 どうしてこんなに気持ち良く眠れたのか、そもそも何故眠ろうと思ったのか、寝起きの頭で深く考えることも無く目を開ける。

 

「起きたか、“魔法少女ソフィア”。先程は素晴らしい怪物退治御苦労だった、まあ登録を済ませていなかったのは叱責に値するが」


 ……夢でも見ているのだろうか?思わずそんな感想が彼の頭を過る。

 目を開けた途端視界に入ってきたのは美しい少女だった。いつも彼が仕事場にしている机に座り、足を組んで器用にペンを回している。

 スクエア型の眼鏡の奥にある瞳がつまらなそうに此方を見つめていた。染めているのだろうか、涼やかな水色の髪をシニヨンで纏めている。華奢な体躯と色白な肌は壮健さこそ感じさせないものの一種人形の様な麗しさを持っていた。

 何にせよこんな令嬢を家に上がりこませた覚えは何一つ無い。まして妙に苛立ちながら机に座って唐突な説教を食らわせてくれなど頼んだはずもなかった。

 取り敢えず、“魔法少女ソフィア”と呼ばれた人間は上体を起こす。身体の節々が痛んだ。


「まだ万全の状態じゃない。無理に動くとまた血が出る、もう少しで医療班が来るから大人しく寝て待ってろ」


 視線が絡んだ。人と目を合わせるのは得意では無いのか、水色の髪の少女は即座に視線を逸らして素っ気なく呟く。

 徐に立ち上がると、用は済んだとでも言いたげに玄関へ向かって歩き出した。


「ま、待ってください! 」


 分からないことが多すぎる。“魔法少女ソフィア”?万全の状態じゃない?振り返りざまに、シニヨンの少女の首に掛かった名札がふと目に付いた。

『MIO』というロゴの入った、妙にゴテゴテしい名札。それを見てやっと今までの点と点が繋がる。いやでも、まさか。


「……ボク、魔法少女になったんですか? 」


「…………は?さっきそう名乗ったのは貴様自身だろうが、魔法少女ソフィア」


 灰色の瞳が僅かに不愉快そうに歪んだ。「まさか覚えていないなんて言わないだろうな」 とでも言いたげに切れ長の眉を持ち上げ、三度「魔法少女ソフィア」と自分のことを呼ぶ。

 ……ああ、まさか、こんな自分がよりによって魔法少女なんて。

 絶望顔の“魔法少女ソフィア”を、さして面白くもなさそうに少女が鼻で笑った。


* * *


 魔法という存在を語るならば、先ずその前に“大樹”についても触れておかなければならないだろう。

 切っ掛けは五年前のことだ。東京都に位置する“東都スカイタワー”の直ぐ右側、ビルとビルの隙間に突如、天まで届く大きな木が現れた。何万の葉をつけ、風に揺れる一本の大樹。

 それだけでも異質だが、この事件はただ謎の木が現れたというだけには留まらない。

 本来樹液がでる筈の木の幹や枝から、何か新たな生命の様な黒い塊が現れたのだ。哺乳類とも爬虫類とも、魚類とも鳥類ともつかぬ妙なこの塊を、人々は“怪物”と呼んだ。“怪物”はかたや人間社会に降り立ち、こなた木から降りずにじっとして、直接の危害こそ全く加えないものの人々の心に大きすぎる不安を与えたのだ。

 科学の分野では証明出来ない異常事態に、日本だけでなく世界全体が振り回された。政府の対応が間に合うはずもなく、宇宙人からの警告、神の鉄槌、そんなトンデモ本にも近い俗説が数多く流れ、しまいには自称ノストラダムスの再来とやらが世界の終わりを告げる始末。


 てんてこ舞いの最中、“怪物”の中から一人の少女が現れたことによって、事態は急速な進展を迎える事となる。

 “怪物”のうちの一人だと名乗る、しかしとてもあの化物達と同じ存在だとは思えない、美しくも怜悧な少女は、慌てふためく人類を他所にこう言ったのだ。


「我ら“怪物”に対抗する為の魔法を使う事のできる人間を世界にばら蒔いた。奴等が力を合わせ我々に攻撃を嗾ける事が出来たなら、我々は大人しくこの世界から姿を消そう」


……と。

 この発言があった直後、妙な力を手に入れる少年少女が世界中に現れた。それは炎を操るものであったり、体力を回復するものであったりと十人十色。

 二十歳以下の人間しか発現しないことを除けば、誰がいつ魔法を使えるようになるかは完全なる無作為だった。

 これが魔法だと確信した人間達は、すぐさま政府管轄による新組織を設立する。

 名付けて“魔法研究委員会”…Magical Investigation Organization、通称『MIO』。

 潤沢な資金と多くの担当者による全面サポートによって、魔法少女/少年になった彼ら彼女らは心置き無く怪物討伐に励むことが出来た…というのが、表向きの筋書き。


 実際はそんなにいい事でもない。魔法を使えると言っても突然発現したものを当たり前に使いこなせるわけが無いのだ。しかも誰がいつなるのか分からないのだから、望まずして怪物討伐の義務を負うことも全く珍しくない。

 更に言えば、“魔法”という前代未聞の概念に適応できる専門家がいる筈もなく、実質的にMIOの管轄を行っているのはまだ未成熟の魔法少女少年達自身というのも厄介だ。政府は資金のサポートこそすれ怪物討伐はほぼ全投げ、担当者とやらも本当に時折顔を出すだけ…という、建前だけの順風満帆な生活。

 人間達に危害を加えない事から怪物討伐で魔法少女達の犠牲が出たことはまだないものの、それでも危険を伴うことは全くの事実。


 要するに、現代社会において『魔法が発現する』という事は、少年少女達にとって絶望以外の何者でもなかった。



 そして、この絶望顔の“魔法少女ソフィア”こと赤坂優衣こそ、新しく魔法を発現してしまった可哀想な子供の一人だったのである。

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