「完全な無」が無である証明

凪常サツキ

嘘による証明


 クーベル知族クーベルヌ反クーベル知族連合軍アクーベルヌによる星間戦争が、これでようやく終わりを告げた。結果としては前者が勝利を収めたのだが、どちらの被害も甚大だった。しかし勝ったものは勝ったのだし、負けたものは負けたので、クーベル知族は敵たる彼らをどう処理するかについて真剣に、その知能を悩ませる。

「そういった脅威は、全てに葬り去るというのはどうであろうか」

 老光院レギオンのお歴々の一人が、目をぎょろつかせながらそう発言した。この意見によって、今までまさに沈黙状態であった会議に一気に火が付く。「それはいい考えだ!」「それですべてが消え去るのなら」「しかし無の奈落は一度も用いたことが無い。あらゆる有を強制的に無にしては、何か恐ろしい事が起こりうるぞ」

 大小賛否様々な意見が飛び交い、白熱した。音声言語による意見、遠く離れた所からの遠隔意見、そして助言要員たる他種族からの非音声的言語や非言語様言語による意見など、まるで混沌とした宇宙の誕生直後のような状況に、クーベル随一の非肉体頭脳は次の様に取り仕切った。

《完全な無は、その存在自体を全てを消し去るだろう。いくら大量の情報――敵国の兵器や兵士を無の奈落へと陥れたとしても、その影響はあらゆる物事に及ばない。なぜなら、完全なは無であって、無による影響というはあったとしても現実における影響は無であるからである》


 重力兵器、反重力兵器、反物質兵器、不生物兵器など、反クーベル知族連合軍アクーベルヌの所有していた脅威はすぐさま一様に没収され、ひとまずは安全化された。しかし問題はやはり生命体である。彼らを一様に滅ぼすためにはここからさらに兵器を増産し、ことごとく滅ぼさなくてはならない。ただ彼らにはその為の余力がないばかりか、下手にさらなる攻撃を仕掛ければ別の星間同盟による宇宙星際法に抵触する可能性がある。そうなれば今度は、自分たちの未来が危なかった。

 そこで老光院会議レギオヌンドが開かれたのであり、そうした生命体は無へと葬り去ることが決定したのである。まず、反クーベル知族連合軍にくみした知族と知的生命体すべてを葬り去る前に、例の非肉体頭脳は実験体を葬り去り、それの記録をできる限り取るべきだと主張した。そこで白羽の矢が立ったのが、捕虜となっていた名もなき兵士である。「殺すのか」というか弱い一言だけ発しはしたものの、後は全てが処刑人たちのいいなりだった。 

 彼は情報記録装置(その情報がここに書かれた情報である)を取り付けられるとそのまま光速船に放り込まれ、何の予備知識も知らされることはなかった。ただ、彼も「無の奈落」については知っていた。この宇宙創世が大規模な爆発であったことは周知の事実であるが、そうなると宇宙の果てというものがあるはずである。彼らの住む銀河系の知族たちはあらゆる方法を駆使してその果てを探し出し、そしてついに見つけた事実は、この宇宙がであるということであった。

 不運な彼は、彼らの住む「宇宙外」という名の無の奈落へと放出されるのである。光速船が作動し、すぐさま速度を光速に近づけていく。彼は驚異的な加速度の重圧によって間もなく死ぬであろう。しかし死の前に、その船体が事象の地平線へと到達するかもしれない。どちらにせよどうでもよかった。彼は死ぬのだから。そしてとうとう船が地平線へ――


 そして彼は自宅にいた。服装も体の汚れも、そして表情すらあの時と変わらぬままに、自宅にいる。

「おい」

「あら、あなたもう体は大丈夫なの?」

 自分は生きていた。しかも配偶者だっている。そして自分は認識されている。彼はむせび泣いた。自分は助かったのだと。おや待てよ、自分は何から助かったんだ?

 彼の頭から、無の奈落へと葬られたという記憶が消え去っていた。いや、こう言うほうが正しいだろう。「彼が無の奈落へと葬られた時点で、彼が無の奈落へと葬られた事実が無に帰した」。つまり彼の死という事実は無いものであり、彼は生きて自宅にいる。ただそれだけである。


 それはクーベル知族の研究者にとっても同じだった。無名の兵士に付けた情報記録装置から発せられていた万物情報は、ある時点で消滅していた。そして研究者たちを含めたクーベル知族全員も、その記憶と現実の事実そのものを喪失し、次の瞬間にはクーベルのイグーナ首相が、また別の無名の兵士を最初の犠牲として葬り去る計画に承認の印を押していた。

 不完全な無こそ存在するものの、「完全な無は無い」のである。宇宙原則として、情報はどんなに細切れに消化され、分断されても、その素粒子一つ、ヒモ一つが跡形も無くなるということは絶対に有り得ない。それを無理やり実現しようとすれば、その事実自体が無くなり、全ての宇宙を束ねる「宇宙の外側」――平衡の間隙は、そうした逸脱した宇宙の情報保存の大法則を常に守ろうとして働く。無論、その為に時間は巻き戻され、事実は新たな事実へと進行するために改善される。


 なお、勿論この記録すらも無いのである。いや、実際ここには有るとは言え、クーベル知族らの住む宇宙にとっては、無い。それはこの記録情報が小説としての体裁を保っていることからも明白である。兵士から記録された情報はその後別宇宙へと飛び去り、散り散りとなり、やがてその一欠片ひとかけらいち知能体の思考として成立した。その知能体が何を思ってか、ただの妄想となった別宇宙での現実をここに書かれているだけのことである。小説である以上、その事実は存在しない。文字の群れに落とし込まれた以上、どんな現実感を持ったところで、それは現実では無い。この小説は嘘八百であり、嘘として存在する。無い現実としての嘘が有るだけである。


 かようにして、どんな状況下においても、少なくとも宇宙世界において完全な無は無いのである。

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