∃『追憶のゲシュタルトⅢ―八岐ノ大蛇篇―』-Reminiscence of Gestalt Ⅲ-eight neck nightmare-

柊 佳祐(紡 tsumugi)

◆序章≒1∨26∴Ⅲ―八岐ノ大蛇篇―〜▼

序章『時化』――

『追憶のゲシュタルトⅢ』―八岐ノ大蛇編―

 


 序章『時化』―――



 快楽に溺れてしまうのはいつだって簡単だった。


 それが間違っていることはいつだってわかっていた。けれどもこの『堕ちていく』感覚が心地良すぎて抗えない。

 今だってそうだ。

 満たすために幾度も体を重ねているのに、一向に満たされる気がしない。むしろ渇きは、新たに生まれるばかりで、非常なほどの不毛さえ感じさせる。


 しかしそれでも……いや、だからこそ、繰り返す、繰り返してしまう。


 思考がとろけ白昼夢を見る如く、現実味がなく、己に対する俯瞰認識の一切が許されない。


(ああ、これが夢中というやつか……)


「もっと……」


 滑らかな曲線から漏れる熱望とも、渇望とも、切望とも取れる……温度、湿度、質感……。

 首に回された細く白い腕は、なんの力もこもっていないにも関わらず、絶対不可避の引力を雄介にはたらかせる。


(これ以上、美しいものなんてない)


 今、目の前にある裸体を愛撫する以上のことなんて、きっとこの世にない。馬鹿げていて構わない。この圧倒的主観だけでいい。

 それを誰が否定できるっていうんだ? 何者にも奪えない、この衝動こそ……快楽こそが、きっと自分なのだ。


「あぁ……」


 そのくぐもった声が合図だった。行為に一区切りがついた。

 何度か軽いキスを交わした。こうすると奈美はいつも喜ぶ……少し安心しているようでもある。きっと『肉欲だけに動かされているのではない』という、ささやかな証が欲しいのだろう。


 ……そんな言葉にすれば無粋なこと、だがそれに応えることは雄介にとって至極当然で、かけがえのないことだった。


「雄介……好き」

 見つめ合う度 同じことを言われる。なのにその度 新鮮な印象を受ける。

「……俺もですよ」

 こんな馬鹿馬鹿しいやり取りを、もう何度繰り返して笑っただろう?


 水を差すのはいつだって時間だった。


「もうバイバイかあ」

 小さな置き時計に目を向けた奈美が、残念そうに言った。


「仕方ないですね」


「なんでそんないつもあっさりしてんの」


「別にそういうわけじゃ……」


「あといつになったらその敬語やめるの」


 こんな言い訳すらまともにさせてもらえない詰問だが、自分に今なにが求められているのか、雄介にはちゃんとわかっていた。


「私ばっか好きみたいじゃん」


 駄々を捏ね、拗ね、尖らせているその唇を、自分の唇で塞ぐ。


 次に舌を絡ませる。その次にその動きを激しくする。すると徐々にまた脳内の働きが鈍り、馬鹿になってくる。


 しかし今回は理性を失うほんの少し前に、体を離した。


 そして立ち上がり、雄介はさっさと服を着出す。それを苦々しげに見送って、奈美は枕に顔を埋めた。


「ホント、かわいくないね……」


 うつ伏せのまま白いシーツに隠れ、ジタバタしている奈美の姿を端目で捉え、気づかれないように雄介は微笑んだ。


「あ、ネクタイ結ばせて」

 シーツを器用に身体に巻き付け 起きてくると、雄介の首に紺と白のストライプのネクタイを回してくる。まだ少し手間取るが、それでも結ぶこと自体は随分上達していた。

 キュッと、仕上げの一締めをすると同時に「ねぇ」っと、声を掛けられる。

「はい?」

 気のない声で返事をすると、なぜか少し間が空いた。


「浮気したら殺すから」


 雄介は即座に振り向かないことにした。



  ※



「じゃあね雄介、また明日」


 そう言いながら、ふざけて袖を引っ張ってくる奈美を引き剥がす。


(……もう、勘弁してくれ)


 雄介は軽く手を振って部屋を後にした。背後には長身のスーツ姿の男が立っていた。


 ……だだっ広いくせに数台しか車の停まっていない地下駐車場に到着する。


 プカプカと得体のしれない匂いのする薬タバコを吹かし、灰色のクラウンにもたれ掛かる黒沢。

 雄介はその姿をぼーっと立ち 眺めていた。

(早く帰りたい)

 ふーっと、白い煙が吐き出された。


「今日もご苦労様、まあこれからが本番だけどね」

 黒沢は両の口角を上げた。

「……久しぶりですね」

 最近 雄介は、この白々しい笑顔に同じ笑顔を返すようになった。


「聞いたろ? 来月、河口湖の」

「ええ見ましたけど、随分大規模ですね」

「そりゃぁ、関東甲信越の結界の張り直しだからね」


「五百年に一度なんでしたっけ?」


「そうそう、昨今の状況を鑑みて時期は多少早められたけどね」


 その『多少』とは数十年単位の話だという……雄介にはその基準も規模感も一切不明だったので、何とも言えない。


 二人は車内に乗り込むと『今日の本番』である所の任務に向かう。



※2023,4,30 ここまで更新!※



 結華が巻き込まれたクリプトキーパーの件以来、亜紀や渉美、結華、茜などを初め他人と直接接触することはもちろん連絡することさえも控えていた。それでどれほどの効果があるかはわからないが、少なくとも身近な者が新たに人外関連の事件に巻き込まれたということはない。


「いやさ雄介君だいぶ駆除任務に慣れてきたのはいいんだけど、『撒き餌』としての役目もちゃんと果たしてくれないとさ」


 もう数回黒沢から同じことを言われている。つまりこの体質を利用して人外を引き寄せて人災を引き起こせということだ。どうかしている。しかし、反抗することなど許されるはずもない。


「今度の土日街を歩こうと思います。どの辺りがいいですか?」

「数字を見る限り新宿御苑辺りだろうね、時間は一、二時間で充分かな」


 街をただ歩くだけで人外災害を引き起こす存在……そんな性質も使いようだ。捲き込まれる側からしたら冗談ではないだろうが、生憎そんなことを察知する人間もいない。そしてそれは結果的にはこの社会のためになることだ。パラドックスや矛盾など小難しい理屈などいらない。なぜならそもそもそんなことを大衆に説明し、理解を求める必要などないのだから。


 全ては『最小限度で総合的な成果を得る』ためだ。


 道徳や倫理人道的な観点や思考は大衆煽動や統制のためにある概念に過ぎない。社会という単位を適切に支配管理出来ることの方がよっぽど大多数の人類にとって益になることだろう。しかし、それをそのままスローガンに掲げたとしても、人は『歯車』として上手く機能しないから『建前』という潤滑剤が必要になる。


 ――ホントによくできているな。


 雄介は薄笑みを浮かべ、自分が『機関』という存在が何なのかを感覚的に徐々に気づき始めていた。


「この辺も人通りが戻ってきたね」


 ギアを切り替えながら黒沢が独り言のように口を開いた。丁度、乃木坂から赤坂までの公道を走行していた。確かに一時は世界規模で頻発し、手の施しようがなくなりかかっていた人外災害発生率は昨今ヨーロッパ、中東、アジア圏を中心に減少傾向にあった。


「そうですね」


 しかし、それが時化の前兆であることなど誰も知るはずはなかった。



 ―――



 一章一節『先行』へ続く


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