【13】

第40話

 さあ、そろそろメモリも少なくなってきたことですし、出撃の時間も迫ってきています。これでわたしのお話も、もうほとんど終わりです。


 でも最後に、ほんのちょっと近況だけでもお話しておきましょう。出撃と事実上の死を宣告されたわたしは、ヒナタに頼み、『通販』というもののやり方を教えてもらいました。わたしたちセキレイのパイロットは、月百ドルの給付金とともに、月一回だけ『通販』で買いものをすることが許されていましたが、わたしはその権利を一度も行使したことがありません。よくカブリエルが電子カタログを見ていたのは覚えています。あれをやってみよう、と思ったのです。


 電子カタログには、目がチカチカするくらい色とりどりの服やバッグが並んでいて、とても同じ世界に暮らす人びとのものであることなんて、にわかに信じられませんでした。でも目移りすることはありませんでした。わたしの書いたいものは決まっています。


「これでいいの?」

「うん」

「もっと見なくていいの?」

「うん」


 ヒナタのアドバイスも、耳の上をすべっていきました。わたしはお目当ての品を買いものカゴに放り込み、生まれてはじめての『買いもの』をしました。


 赤い靴。

 昔、ヒナタが履いていたような、赤い靴。


 それを履くのが、わたしの夢でした。


「どれくらいで届く?」

「うーん、一週間くらいかな」


 わたしの出撃に間に合うかどうか、瀬戸際です。ヒナタもそれは分かっていたのでしょう。問い合わせ先に、「なるべく早くしてほしい」とメールもしてくれました。


 わたしたちの願いが通じたのか、その赤い靴は昨日、ようやく手元に届きました。ツルツルした箱の中、ガサガサと音を立てる茶色いワックス紙の中から、靴を取り出しました。理想の靴でした。何度も夢に想い描いたまま、その通りの、完璧な赤い靴でした。


「それを履いていくの?」

「うん」


 赤い靴、そして楽園で着ていた、ブルーグレーのワンピース。それがわたしの生涯で得た、もっとも美しい服装でした。


「……アレクサ」

「うん」

「頑張って」

「うん」


 わたしを迎えに来てくれた王子さまは死に、わたしはいつまでも幸せな暮らしをできたわけではないけれど。


 赤い靴を履いて、相手のいない踊りを舞うわたしの姿を、ヒナタは悲しそうに見つめていました。




 靴を『注文』した翌日、わたしは出撃でもないのに格納庫へと出向きました。馴染みの技術士官に『あるお願い』をすると、彼は口をへの字に曲げました。


「そんなこと、急にできないって。だいたい、上の許可があるってのかい?」

「ない」

「じゃあ、ダメだ。ほら、危ないから、帰れって」


 わたしは貴重な存在でしたが、それでも伍長待遇に変わりはありません。


「じゃあ、出撃しません」

「は?」

「聞いていただけないなら、今後の出撃はしません」


 わたしは本気でした。『お願い』が聞き入れられないなら、わたしはもうほんとうに、出撃なんてしないつもりでした。


「あ、おい。バカ言って」


 技術士官がわたしの肩をつかみました。わたしはその手を左手で払い、右手の義手で彼を殴りつけました。生まれてはじめて、他人に暴力を振るいました。でもわたしの中に、罪の意識だとか後悔だとか、そんなものはひとつもありませんでした。


「……聞いていただけますね?」


 だってわたしは、命をかけているのだから。


 たかだかセキレイの塗装を赤く塗り替えるだなんて、命がけの『お願い』にしては、ずいぶん安いものだと思いませんか?



 それから靴が届くまで、わたしは毎日格納庫に通い、セキレイの色が変わっていくのを見ました。


 自分の機体が自分の思うような色になる。わたしの胸の中に、満足感にも似た何かが満ち満ちました。その高揚や安定は、ジョシュアに抱かれた時の感覚にも、少し似ていました。


 その晩、わたしはジョシュアを思い出しながら、自分自身を抱きました。


 なるほど、こういうのも悪くはないな、と思ったのです。


   ※


 恥ずかしいお話をしてしまいましたね。でも今度こそ、これで終わりです。わたしは今、あこがれの赤い靴を履いて、『楽園』にいたころに着ていたブルーグレーのワンピースを身につけています。これはわたしの死装束です。今日はパイロットスーツの着用は拒否して、この格好のまま、セキレイに乗ろうと思います。


 軍港のすべてを見晴らせる高台。ここから見る景色はほんとうに美しいです。久我山基地に季節なんてものはなくて、いつも夏みたいな風が吹いています。今も吹いています。生ぬるくて強くて、まるで作りものみたいに青くてまぶしい海と空が、どこまでもどこまでも続いているように見えています。


 何度もくり返しましたように、これは『遺書』です。つまり死ぬ前に書くものですから、もしわたしが生きて帰ってきたならば、この『遺書』は破棄します。まあ、もっとも、その可能性は限りなく低いでしょう。わたしは死を覚悟しています。怖くはありません。辛くもありません。でもなんだか、なんだかほんの少しだけ、『寂しい』気はするのです。


 最後に、ほんとうに最後に、これだけ言わせてください。わたしは本来『心』を持たずに生み出されたはずですし、実際、わたしが持っていると信じていた『心』は、皆さんから見たら、紛いものでしかなかったのかもしれません。人間ではなく、人間のかたちを模倣した、殺戮兵器の心臓部でしかなかったのかもしれません。


 でも、わたしが生きていた日々は、生きて『敵』と戦っていた日々は、ほんものでした。イーサンとヒナタとともに過ごした幼いころの日々も、ハリエットとして生き、ジョシュアとともに暮らした日々も、すべてすべて、ほんとうにあった出来事なのです。


『心』を持たない兵器として生み出されたわたし。わたしの『心』は偽物かもしれないけれど、それでもわたしがここにいた、生きていたということは、紛れもない事実なのです。イーサンとヒナタを、自分の赤いセキレイに乗せてあげると言ったのは、わたしの『心』からの思いでした。それを否定する根拠は、たぶん、誰にもないはずでしょう。


 どうかこの世界に、たったひとりでも、わたしのことを覚えていてくれる人がいれば、わたしは十分幸せです。セキレイのパーツとしてではなく、『心』あるひとりの人間として、わたしのことを覚えていてくれるのならば、わたしの死も、きっと報われることでしょう。


 たぶん、わたしは『幸せ』でした。この時代のセキレイのパイロットとして生まれた子どもたちの中で、おそらくわたしがもっとも『恵まれた』過去を持ち、そして『幸福』な人生を送れたのだと思います。


 長くなりました。もうこれで、今度こそもう終わりです。


 では行ってきます。皆さん、最後まで聞いていただいて、ありがとうございました。


   ※


 追伸。


 ヒナタへ。結局あなたに、シンデレラの本を返すことはできませんでした。残ったわたしの給付金から、本の代金を取っておいてください。


 でもあの本を読んだ日々が、あなたとイーサンがくれた思い出があれば、わたしはあの青い空を、どこまでもどこまでも飛んでいける。そんな気がするのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

殺戮兵器に心はいらない 山南こはる @kuonkazami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ