第27話 見習い魔女の森暮らし
フラァマは今朝のうちに腹を据えていた。ルーシャがこの森にいる間だけでも、と。
こんなに急に話が進んでしまうと思わなかったけれど。
ルーシャは、思いもしなかったのだろう。
まだしばらくはこんな日が続くから、後で考えればいいと思って。
物を壊さないようにのそのそ近寄り、二本の鼻をそれぞれ軽く左右にねじりながら鳴く双鼻竜。
フラァマとルーシャを気遣うように。
竜は暴れたら手が付けられないと聞いたが、こうして穏やかなら気の優しい生き物のようだ。
「ねえ、フラァマ」
背中を向けて、顔を見ないままルーシャが言う。
「……」
「もしあなたがよければ……」
そんな道もある。
選ぶか選ばないか、お師様が許してくれのかもわからない。
だけど、フラァマはたぶんその手を取れない。だから言わないで。
「よければ、わたくしと――」
「なぁんだいこりゃあぁぁ! フラァァァァマアァァ!」
ドアが爆発した。
爆発したみたいに、さっきお師様が入ったドアが開かれた。
「お、お師様?」
「どうしたんですの?」
「どうしたもこうしたもあるかい!」
いつもの杖ではなくて、少し大きめの瓶を手にドアを蹴り開けたお師様。
目を見開き、忌々しそうに歯を食いしばって。
「あたしの蜜漬けはどこだい!?」
「みつづ……あ」
「こんな渋いのしか棚にないってぇのはどういうことさね! ええフラァマ!?」
お師様の好物。梨薔の蜜漬け。
どこにあるかと言われたら、ええと。
「……」
「な、なんでわたくしのおなかを見るんですの!?」
だってそこにあるんだもの。
ルーシャの下腹、おへその奥あたりに。間違いなく。
やけに家に入りたがると思ったら、蜜漬けを食べたかったからなのか。
疲れた体に好物の甘味、それは誰しも至福の時間。たとえ森の魔女でも。森の魔女だからこそ。
作り置きの保存食は、新しいものを奥にする。
手前の棚にあるものがよく漬けられた梨薔だと思って、食べてみたらひどく渋い。
それはまあ、怒るか。
「あんたかい、ルーシャ?」
「わ、わたくしは……」
「そうですお師様」
「フラァマ!?」
ごめんなさいルーシャ。
たぶんフラァマよりはルーシャの方がお仕置きがゆるくなる。たぶん、ゆるいと願う。
腹を裂いて取り出そうとまでは言わないはず。
「食べたのかい?」
「わた……う、はい……食べましたわ。でも」
「でももへったくれもあるかい!」
一喝され、びくぅっと身を小さくするルーシャ。
いけない。いよいよとなればフラァマが庇ってあげないと。
「森の魔女の秘薬を盗み食いなんてぇ、よもやよもやだよ。まったく」
「……」
「都で好きなもん食って育ったわがまま娘ってぇことかい。その心根を叩き直してやるには何年かかるんだろうかねぇ」
「……?」
別に秘薬ではない。楽しみにしていた甘味がなかった気持ちは、わからなくもない。
けれどお師様、その言い方だと?
「ルーシャ、あんた。このまま都に帰れるなんて思っているなら大間違いさぁ」
「……リンゴ師匠?」
「伯爵でも兵隊でも、迎えにきたところであんたは帰さないよ。あたしが許すまではね」
ふん、と。
忌々しそうに鼻を鳴らして背中を向けるお師様。
ひねくれものなのだ。わがままで偏屈だけど、その背中が優しいことをフラァマは知っている。
「フラァマ、あんたもだよ。姉弟子のあんたがしゃんとしないから妹弟子が盗み食いなんてするのさ」
「お師様……」
「いつもよりもっと南なら白苺が熟れ頃だぁね。夕刻までに採ってきな」
もう一度肩を上下させて、やれやれと言うように。
森の魔女リンゴ。年齢不詳で人かどうかもあやふやで、怒りっぽいのか穏やかなのかもよくわからない。
「ルーシャが森の魔女の弟子って名乗れるくらいまで、あんたがちゃあんと教えてやりな。何年かかってもね」
そう言ってまた扉の向こうに消えていった。
素直じゃない。さっきのやり取りでフラァマが寂しそうな顔をしたのを知って、こんな芝居を。
……いや、たぶん蜜漬けがなくて怒ったのは本当。素で。
そういう人だから。
「フラァマ、わたくし……」
「お師様の蜜漬けを食べちゃうからですよ」
澄まし顔で言ってみる。
共犯だけど。
「ひどいですわ、もう」
顔を合わせて、笑って。
まだしばらくはこんな日々が続く。
「魔女リンゴの秘薬ですもの、許していただくのに何年かかるのかしら?」
「さあ、お師様は気まぐれですからね」
とりあえず、と。
ざると鉈と、枝や何かで手足を傷つけないように巻く布切れを用意して。
井戸から水も汲んで水筒に。
「双鼻竜」
「Pou」
「そう、あなたはポウね」
「言葉がわかりますの?」
驚いた様子のルーシャに、軽く肩をすくめて舌を出す。
「なんとなく、ですよ」
どうせ世界はあやふやなものばかり。
この双鼻竜の呼び名だって、フラァマがそう呼べばそうなのかなっていうだけ。それでも少しは確かに近づく。
ルーシャをお姉ちゃんって呼んだら、もしかしたらそれも。
「ポウ、私たちを乗せて南へ連れていってくれる? 魔女リンゴのお使いですよ」
「Pouu」
六本の足で立ち上がる双鼻竜はどこかうれしそう。
フラァマの手伝いをするよう言いつけられた。怪我が治りきっていないのだから、白苺を採りに行くのも大変。手伝ってもらおう。
「姉弟子として、ちゃんとルーシャを指導なさいって。お師様の言いつけですから」
「わたくしがお姉ちゃんですのに」
「それはどうでしょう、ね」
ふたつの長い鼻で竜の背に乗せられて。
姉弟子と妹弟子は、まだまだ知らない魔女の森を一緒に巡ることにした。
あやふやで確かなことなんてない世界を、二人で手を取り合って。
「せっかくですから、陽桃を食べながら行きましょう。ルーシャ」
「食べたことがありませんわ」
「とってもおいしいんですよ。秋には秋の、冬にしか採れない雪蜜って樹液もすごくおいしいんですから」
「楽しみですわ、フラァマ」
二人で一緒に食べたら、きっとその幸せは何倍にもなる。重なって響くみたいに。
アムレトの森の魔女。その姉弟子は妹のようで、妹弟子は姉みたいなのだとか。
近隣の村や町では、そんな意味があるのかもわからないあやふやな噂が伝わるようになったという。
~ おしまい ~
《見習い魔女の森暮らしレッスン》元令嬢のちょっと危ういスローライフ 大洲やっとこ @ostksh
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます