第26話 魔女
寝ていなさいと言うルーシャに家のことを任せるのだけれど。
不安が募る。
おかゆってどうやって作るのかしら、なんて言っているのが聞こえるし。
森羊の世話をしてくると言ったのに、なぜだか金属をこすり合わせるような音が聞こえてくるし。
悲鳴のような大声と、明らかに森羊が小ばかにした笑い声の類の鳴き方をしているのも聞こえた。
あの鳴き方はフラァマも最初の頃にされたものだ。
森羊はわりと賢い。不慣れな者と見るとコケにするようなことをする。
砂利で転がっている虚亀をどうするか聞かれたので、老木に戻すように頼んだ。
わたわたと騒がしい物音の後、ちゃんと老木に戻しましたわと自慢げに報告にきたけれど、服の裾が泥まみれだった。苦労したらしい。
おかしくて笑ってしまったら、むうっとした顔をしたあとにルーシャも笑い出した。
不慣れなことで失敗する。それでも何とかしようと頑張ってくれている。
フラァマが出ようとすると怒るのだ。怪我も癒えていないのだからおとなしくなさいって。
甘えるというのはなんだか落ち着かない。
ルーシャの優しさに甘える。
夜中に何度もフラァマの具合を確認する気配を感じるけれど、不快ではない。
お姉ちゃんって思ってもいいのかも。
だけど、こんな安心に慣れてしまうのが怖い。またいなくなっちゃうんじゃないかって。
「都って、どんなところですか?」
襲撃から二日後の夜更けにルーシャの気配に目を覚まして、訊ねてみた。
「なんですの、急に?」
「ルーシャのおうちってどんなところでしたか?」
お師様が問題を片付けてしまえば帰れるかもしれない。
帰りたいって思うかもしれない。
帰りたくない場所ならいいのに。
そんなところより、この魔女の家の方がずっといいって。そう言ってくれたらいいのに。
ルーシャが話してくれた都の話は、やっぱり便利でなんでもあって安心して暮らせるような場所で。
フラァマの知らないそんな世界にルーシャが帰りたいんだと思うと、寂しかった。
◆ ◇ ◆
また朝が来た。
ルーシャは帰りたいなら仕方がない。当然だもの。
お師様が帰ってきて、ルーシャが家に帰れるならそれでいい。フラァマのわがままで残ってなんて言えるわけもない。
「これ、いいんですの?」
「この前取った分を漬けていますから、こっちは食べちゃってもいいでしょう」
どうせお師様が帰ってくるまではあと五十日くらいはかかる計算。
お師様好物の梨薔のはちみつ漬けをパンに乗せてしまう。たっぷりと。
「まだまだ森にはおいしいものがいっぱいです。もう少ししたら白苺も採りにいきましょう」
「わたくし、大好きですのよ」
「私もです」
ルーシャと一緒に過ごす時間が限られるのなら、楽しもうって。
都に帰ってしまっても、またここに来たいって思ってくれるように。
だから、今夜は。
お姉ちゃんって呼んであげても、いいですけど。
――なぁんであんたがここにおるかね?
朝食を終えてゆったりとした時間を過ごしていたら、外から荒々しい声が聞こえてきた。
――あぁ? 畑をこげに荒らしてからに、こんだらぁず!
「お……お師様?」
「ニウ・リンゴが?」
慌てて外に出ると、最近家の外で座り込んで動かなかった双鼻竜が、鼻を丸めて頭を下げている。
フードをかぶり、大きなハチの巣がくっついた杖を持つ魔女に。
「あたしゃ、家に近づくわりぃもんを払っとくれって言ったんだよ。かわりにここいら辺の陽桃を食ってもええって」
「PuuPae」
「間違えて結界を破ったぁ? このドンガメぇ!」
双鼻竜を叱りつけているのは、まぎれもなくフラァマの師。森の魔女リンゴ。
亀じゃなくてそれ竜ですけど。
「お師様、お帰りなさい」
「にう……リンゴ、お世話になっていますわ」
「あぁ、ちぃと待ちな……んっとに、こんなに畑を荒らしてからに」
「……」
それは双鼻竜がやったわけじゃないのだけれど。
家より大きな巨体をしゅんと小さくしている双鼻竜と憤慨しているお師様を見て、とりあえず言うのはやめた。
お師様は双鼻竜と意思疎通ができるようだが、双鼻竜の方はどこまでが自分のしわざかわかっていないみたいなので。その辺はあいまいなままで。
「Puu,Poo」
「はあぁ……そんで結界から離れていたら今度は邪妖が入り込んだって? んっとに、あんた食べた陽桃返しなぁ。だぁらずがぁ」
「Pue! Puiii」
「やっかましいさね」
双鼻竜が近くにいたのはお師様の要請だったのか。
家の周りを警戒するように。だけど間違えて結界の紐を切ってしまったと。
二か所続けて切れていたのはそのせいだったか。自然に切れたにしてはおかしいなと思ったのだ。
周辺の守りを頼まれたはずが、結界を切って慌てて逃げた。
その結果、忌吐きが入り込んだり邪妖の侵入を許したり。
邪妖の存在を感知して慌てて来たのだろう。フラァマたちを助けてくれたが、何のことはない原因がこの双鼻竜。
感謝していいんだかどうなんだか。
「お師様……竜と話せたんですか?」
「こいつはね、まだあんたよりちっちゃい頃から知ってるのさ」
どっちが、フラァマより小さい時?
お師様が?
それとも双鼻竜が?
聞いても答えてくれそうにないので確認しない。とにかく昔馴染みということで意思伝達ができるらしい。
「騒がしいから普段は近づくなって言ってあるんだけどねぇ。この辺もいやぁなのが臭っていたし、あんたらの助けくらいにゃあなるかって思ったのさ。それがまったく」
「Pauuu」
「い、いえ。助けてくれましたよ。ねえルーシャ?」
「そうですわ、邪妖からわたくしたちを」
「そんの邪妖だって、結界がありゃあそうそう入り込むもんじゃなかったんだよ」
見ているとかわいそうで庇おうかと思ったけれど、状況が悪すぎる。
家より大きな双鼻竜が叱られて小さくなっているというも可愛いけれど、お師様のことがますますわからなくなった。
魔女ってなんなのだろう。それもあやふやで定義できるものじゃないのか。
「だけどまぁ……フラァマ」
「はい?」
お師様がフラァマを見て、ふんと息を吐いた。
笑ったのだ。
「あんた、ちぃとは成長したみたいじゃないかい」
「成長……」
妹弟子ができて、わずかな間にいろいろな体験をして。
自分と他人と、なんとも言葉にできない感情とかそういうものを知って。
森の声みたいなものをなんとなく聞いたような気もする。
「そう……かも、しれません」
「あたしの見立て通りってことかね。ルーシャ、あんたが来てよかったんだろうよ」
「わたくし?」
ルーシャが来て、変化があったから。
妙な方向に超越しているお師様とは違う、同世代の女の子。
ルーシャの存在がフラァマの内面に波を立たせて、自分の心の色の変化を見ることができた。みたいな。
「そ、それよりもニウ・リンゴ」
「たいそうな呼び名はやめな。首がかゆくなるよ」
「ええと、師匠? でいいのかしら」
後ろ首を掻きながら面倒くさそうにしているお師様。
戸惑いながら、フラァマが聞きたいことをルーシャが尋ねる。
「どうしてこんなに早く?」
「あぁ?」
「伯爵領首都ゴーラドから王都ゼルカラまでは片道でも三十日はかかるはずですわ。ここからゴーラドまでだって十日ではとても」
計算が合わない。
王都に向かったはずのお師様が帰ってくるのが早すぎる。
今頃王都に着いたくらいでもおかしくないくらいなのに。
「もしかして、お父様たち……」
「あぁ、あんたの親なら今頃王都で」
殺されて――
「歓待を受けてるだろうさ。あたしも残ってりゃ飲み食いできたんだろうに、あんじょうこのドンガメが」
「Pumou……」
「歓待?」
「っとに、どんだけ世間知らずのお姫様なんだかねぇ」
お師様の杖の先のハチの巣が、南西の空を指す。
「あんたの住んでたゴーラドはあっち」
「……」
「ゼルカラは」
今度は北西の空にハチの巣が動く。
「ぐるぅっと森を回って、あっちさね」
「森を……」
「あたしを誰だと思ってんだい。まったく」
ああ、そういことか。
国の地図なんて一部の者しか見る機会がない。隣町までの道順くらいならともかく、他の町のことなどだいたいあっちというくらいしか普通の人は知らない。
ルーシャならもう少しちゃんと知っていたかもしれないが、彼女とてこの森でちゃんとした現在地と方角なんてわかるはずもない。
「お師様なら、森を迷わず進めますからね」
「それで……」
「言っといたはずだけどね。お国の連中の余興みたいなもんだって……火の魔女なんて予言がでなけりゃ、あたしも出ばったりしなかったよ」
「火の……?」
「あたしゃもう疲れたよ。フラァマ、あんたは……怪我してんのかい」
尋ねようとしたけれど話は終わりだと言うように遮られた。
家に入る前にフラァマに言いつけようとして、怪我をしていることに気が付いた。
「
「知っているんですか」
「あたしゃ嫌いさ、どっかのバカ女を思い出させてくれるからね」
バカ女。こんな風に言うのは大河の魔女のこと。
青夢雫とはルーシャが採ってきてくれた青い花のことだと思う。
怪我の治療にそれを使ったと察するあたり、さすが森の魔女。
……いや、お師様はこれの存在を知っていたのか。
知っていて、自分の嫌いな相手に関わる記憶があったからフラァマに教えてくれなかったのだ。なんて自分勝手な。
怒りたいような、もうどうでもいいような。
「ドンガメぇ、あんたフラァマの手伝いで畑を直しな」
「Po PuuPo」
「あぁ? その辺のあんたがダメにした野菜でも食べてりゃいい。わがまま言うんじゃあないよ」
怪我をしたフラァマの手伝いをするよう双鼻竜に命ずる。
おそらく食べ物をねだったのだろう双鼻竜に、荒れた畑の残りを食べろと。
自分はわがままなくせに他のわがままには不寛容。だからわがままなわけで。
とりあえず、怪我をした分の労働力は双鼻竜を使えと。
力強く割と器用な長鼻がふたつあるから、うまく働いてもらえば数日で片付くだろう。
正直、この荒れた状態をどうするかという問題も頭が痛かった。せっかくだから強固な柵を作ったり納屋の屋根を広くしたりできたらいい。
「リンゴ師匠、わたくしは……」
「こまかい話はまたにしとくれよ。あんたは、そうさね」
自分はどうすればいいのかと聞いたルーシャに、家の戸を潜りかけたお師様が振り向いた。
フラァマとルーシャを見比べて。
「ここにいる間は魔女の弟子さね。フラァマの言うこと聞いて手伝ってやっとくれよ」
「……わかりましたわ」
ゴーラドからゼルカラへの往復。お師様だって疲れないわけではない。
フラァマなしで森を歩くお師様の速度は、平地で馬を走らせるくらいに速かったりする。
ルーシャを置いて王都まで急ぎ、伯爵が到着するより前に問題を解決してきた。火の魔女とか言っていたけれど。
問題が解決して、あとは貴族同士の茶番みたいなもの。
ご馳走を食べる機会を逃して帰ってきてくれたのは、フラァマ達を心配していたのだと思う。なんのかんの言いながらも。
自室でくつろぎたいという気持ちはわかる。
いや、お師様からしたらこの森どこでも自室みたいなものなんじゃないかとも思うけれど。
やけに家に入りたがっていた。あんまり見ない様子だったけれど、本当に疲れていたのか。
「……」
「片付けますよ、ルーシャ」
「Po」
ルーシャの背中がやけに静か。
お師様の言葉。
ここにいる間って。つまりはそういうことだろう。
◆ ◇ ◆
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