第25話 あやふや姉姉
温かい感触。
唇から中に、喉を通っていく気持ちのいい爽やかさ。
体中を引っ掻き回していたトゲトゲを洗い流してくれるみたいな。
身を焼くような熱い痛みが優しい温かさに変わって、肌を粟立てていたぶつぶつが治まっていくのを実感する。
「もう、大丈夫ですわ」
優しい声。
薄っすらと光が差し込んでくる部屋の中に、フラァマの心を溶かしてしまいそうな柔らかな声。
「る……しゃ……」
「目が覚めたのなら、もう少し飲んで」
「ん……」
口元に水差しの口が差し出され、直接口に注がれる。
覚えのある爽やかな優しい味。意識が朦朧としていた時には、飲む時に唇に温もりを感じたような気がするのだけど。
水差しの冷たい感触。
「るぅしゃ……」
「ええ、フラァマ」
木窓の蝶番を外して上に押し開けるルーシャ。
外は小雨。夜中に聞いた音はもっと激しかったけれど。
強すぎない光が部屋に入ってきて、ルーシャの金色の髪が揺れる。
ずいぶんとひどい有様。
髪は乱れ、頬には泥がついている。少し擦りむいたような跡も。
「もう大丈夫ですわ、フラァマ」
「ルーシャ……」
寝台の隣の卓には、今ほど飲んだ水差しと一緒に青い花が。
名前も知らない花。
「塩の洞窟に行った時に見たのですけれど」
「雨の中、川に……?」
「チオノドクサ。雪解けの頃の高山に咲く花ですわ。季節も違うし場所も合わないのに」
花には詳しいのだった。
フラァマの知らない花で、見ても気にも留めない野草。
「高熱に苦しむあなたに、きっと……言ったでしょう。崖にしか咲かない青い花はどんな病も治してくれるって」
「おとぎばなし、って……」
「ええ」
フラァマは否定した。その話を聞いた時に。
理屈が通らないそんなおとぎ話、あり得ないと。
「どうせ世界はあやふやなもの。確かなことなんてないって、フラァマが教えてくれたのですわ」
「わた、し……」
「不思議で不確かなこの花は、きっとおとぎ話みたいな力がある。そう思いましたの」
だからって雨の中に崖の花を取りに行くなんて。
危険すぎる。そんなあやふやなことの為に。
「どこかに、いっちゃったって……私を置いて、どこかに……」
「馬鹿ね、フラァマ」
寝台の縁に腰を掛けたルーシャの手がフラァマの頬に当てられる。
その温かさにまた涙が零れ落ちた。
「わたくしが、あなたを置いてどこかに行くはずがありませんわ」
「ルーシャ……」
だって、と。
優しく微笑むルーシャを見上げる。
「わたくしはフラァマのお姉ちゃんですもの。喧嘩をしても怖くても、あなたを置いていったりしませんわ」
「っ……」
お姉ちゃんだから。
嫌いだなんて言ったフラァマのことを許してくれる。
助けてくれて、優しく介抱してくれて。
高熱に苦しむフラァマの為に、夜の雨の中をいとわず花を取ってきてくれた。
「わたくしだって怖かったのですわ」
「……」
「フラァマが死んでしまうのではないかって。教えてもらった薬をあげても苦しむばかりで、どうしたらいいのか。この青い花が本当に薬になるのかもわからないのに飛び出してしまうくらい」
ルーシャだって確信があったわけではない。
でも苦しむフラァマにどうすればいいのか考えて、いてもたってもいられずに。
「あの双鼻竜は守ってくれそうでしたし。蒲垂包って、光りなさいと命じると明るく照らしてくれるんですのね。川まで行ったけれど届きそうになくて、切れない蔓草と聞いた
蒲垂包はルーシャの魔女として素質が優れているから。
万引草のことは教えていた。ちゃんと覚えていて、その場で活用したのか。
「途中、足を滑らせて落ちそうになりましたけれど、どうにか」
「ルーシャの、ばかぁ……」
「馬鹿とはなんですの、馬鹿とは。わたくしは」
雨の夜に川で足を滑らせるなんて、危ないどころじゃない。
間違えれば死んでいた。フラァマだけじゃなくてルーシャが。
「ルーシャの、ばか」
「……」
近くに来たルーシャの袖を掴んで、もう一度。
右手だったからあまり力が入らない。だけどもう離したくなくて。
フラァマの気持ちを察したのか、ルーシャは再び寝台に腰掛けて頷いた。心配いらないと言うように。
「私が……」
「ええ」
「私が姉弟子です。妹弟子のくせにお姉ちゃんなんておかしいです」
「えぇ? 今ここでそれを言いますの?」
口を尖らせて訴えたフラァマに、ルーシャもまた不満そうに口を曲げた。
期待した言葉と違ったのだろう。
「今言わないと、なし崩しに姉の椅子を取ろうとするでしょうから」
「わたくしをなんだと……だいたい、わたくしの方が大きいのだから当然ですわ」
「身長だけですよ」
「そうなの?」
「そうです」
年齢の話はしていない。
フラァマが姉弟子。ルーシャは妹弟子。その立場が揺らぐような事実はあいまいなままでいい。
「本当に、強情な子ですわね」
ふっと、呆れ半分で笑うルーシャに、フラァマの頬も緩んだ。
昨日から苦しみ続けた熱で体が強張っていたのに気づいて、体から力が抜ける。
「私はルーシャの姉弟子ですから、いつでも気張りますよ」
だからずっと傍にいてね、なんて。
今は絶対に言えないけれど。
◆ ◇ ◆
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