異世界トイレ

デッドコピーたこはち

孤島世界

 人生とはなにか? 私はゆるやかな海風の中、十二畳ほどの大きさの孤島に設置されたトイレに座りながら考えていた。こうして、便座に座っていると、いつもこのような答えのない問いについて考えたくなる。  


 いままでの人生、私はいつも腹痛に振り回されてきた。いや、腹痛に支配されてきたといってもいい。小学生時代のあだ名は『ウンコマン』。日常生活だけではなく、受験や面接、人生の節目を迎えるたびに、不意の腹痛が私を苦しめた。社会人になったいまでも、いつなんどき襲ってくるかわからない腹痛に備え、即効性下痢止め薬を常に携帯している。

 その人生の帰結が、いまのこの状況なのかもしれない。いつものように、会議中に腹痛に襲われ、中座してトイレの個室へ駆け込んだ。そこまではいい。ひと心地ついたところで、脂汗をトイレットペーパーで拭っていると、自分の居場所が見知った会社のトイレの個室ではないことに気が付いたのだ。

 あたりを見回せば、四方は海。陸地は見えない。雲一つない青い空。圧倒的な青に取り残されたような十二畳の砂地。その中心に陶器製のトイレ……の上に私がいる。

 まったく、意味がわからなかった。わからな過ぎて、逆に私は冷静になった。私はまず自身の正気を疑った。仕事のし過ぎで、幻覚でも見ているのだろうか? だがしかし、この海風の匂い、革靴越しに感じる砂地の感覚。五感で感じる圧倒的実在感は、私の脳みそが作り出したものとは思えない。

 私はしばらく考え込んでいたが、ふと、違和感を感じた。空を見上げる。私は気が付いた。この空には、太陽が二つある。

「なんじゃこりゃあ……」

 思わず、声が出た。記憶喪失だとか、何者かが、トイレにいた私を一瞬にして気絶させて孤島に置き去りにしたとか、そういうレベルの話ではない。ここは私の知る世界ではない。すくなくとも、地球ではない。私はただ茫然と、どこまでも広がる海原を見つめていた。


 そして、私は人生とはなにかを考え始めた。散々、腹痛に悩まされた挙句、よくわからん世界にトイレごと瞬間移動させられる、私の人生とは一体何だったのか?

 この理不尽さ、この不条理さ! 神はトイレこそ私の居るべき場所だとでも言いたいのだろうか。私はキレた。このまま、便座の上で座して死を待つと思ったら大間違いである。せめて、一ミリでもトイレから離れて死んでやる。

 しかし、その前にやらねばならないことがある。私はスーツのポケットから、ティッシュを取り出した。もちろん、水溶性である。突発的腹痛に襲われて駆け込んだ先のトイレに、いつもトイレットペーパーがあるとは限らない。常に備えはしておくものだ。

 私は始末をつけ、トイレの水を流した。そして、全裸になって海に飛び込もうとした―—ところで気が付いた。私がいるのは見知った会社のトイレの個室だった。


 服を着る。そっと、個室の扉を押し開ける。見知った会社のトイレだ。間違いない。私は洗面台で手を洗った。革靴の底がじゃりじゃりとする。

 私は会議室に向かった。ノックなしで扉を開ける。会議室にいる全員がこちらを見る。部長がむっとした表情を見せる。

「吉田くん、いきなり―—いや、ちょっと待った。ひどく顔色が悪いぞ。大丈夫か」

 部長は不機嫌な表情を和らげていった。

「ダメです。今日は休みます」

 私は言った。

「そ、そうか。有給とかの手続きはまあ、明日でもいいから。気を付けて帰りなさい」

 部長は引きつった顔でいった。

「はい。失礼します」

 私は扉を閉めた。


 私は家に帰って、すぐベッドに入った。帰路のことは覚えていない。飯を食う気にもなれなかった。

 柔らかい布団に包まれて、私は夢を見た。海に囲まれた孤島。その中心にはトイレがある。その世界に、私はいなかった。

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界トイレ デッドコピーたこはち @mizutako8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ