タケウチは墓を立てる

 タケウチは膝から崩れ落ちた。

 どうして地球が変わり果ててしまったのか、自分が冷凍睡眠されている間にどれ程の時間が経ったのか、到底理解が追い付かない。

 ただ一つ、タケウチには分かったことがある。この施設にあるもの全てに既視感があること。スペースコロニー『タヌキ』で見たものばかりだということ。

 次第に頭の中で当てはまるピース、それは『タヌキ』に乗ることが決まってから脊髄に埋め込まれた居住権チップの存在。元々は住人の生活と管理を簡便化する為のものだった。

 過去の遺物は、それに反応しているという仮説がタケウチの中に浮かび上がる。

 そして、過去の遺物と呼ばれる建造物は、明らかに文明崩壊への備えだ。

 崩壊前に飛び立ったコロニーの住民たちに物資を託し、一人でも多くの地球人を宇宙そらに連れて行くためのものだとするならば、吟遊詩人が扉を開けられないこととも辻褄が合う。

 『タヌキ』の為に用意されたのだから、当然だ。

 『タヌキ』の住人全員が、救世主だったのだ。

「救世主は、僕じゃなくても良かったんじゃないのか……?」

[そうかもしれない。だが、現に生き残ったのはただ一人。たった一つの事実に大きな価値があると私は思う]

 吟遊詩人の言葉に、タケウチの涙は枯れた。

「やっぱりそうだ。たまたま僕が生き残っただけなんだ。スペースコロニータヌキに入った時と同じ。人殺しの子供で、宇宙のゴミになっても構わないからって、適当に選ばれて……僕は偶然ここに居るだけ。何も、何も変わらない。何も」

[……どうした、救世主よ]

 タケウチに吟遊詩人の疑問は届かない。

 彼の中に湧き上がるのは諦観。

 自分は決して特別な存在などではなく、取りこぼされただけなのだと思い知るのは二度目のこと。

 地球から助けがやってくるかもしれないと、心の何処かで抱いていた淡い希望すら潰えた。

 居住権チップさえあれば良いのなら、タケウチという自我も意思も個性も必要ない。それこそ、死体からチップを剥ぎ取りさえすればいい。

 今一度タケウチは自問した。

 生には苦痛と責任が伴う。生き甲斐も意義もなく、崩壊した世界で生存する理由とはなにか。何故、自分はこの世界に居るのか。

 重くのしかかる現実を体現するかのように地鳴りが響く。

 揺れ動く足下と天井。倒れかかる棚を軽やかに避けて、カンテラが部屋から脱出した。

 彼はタケウチの様子を気に掛けながらも、両脇に抱えた鞄を下ろして状況を確認する。

「何が起きたのでしょうか」

 吟遊詩人は出入口に向かい、外の様子を窺った。

[ジュラーフの群れだな。囲まれている]

「まさか……さっきの光に反応したのか!」

[可能性は高い]

 返答を待つ間に、カンテラは建物内から取り分け鋭利なものを探す。

 彼は工具箱からエネルギーカッターを取り出し、使い方を確かめた。

 武器を握るカンテラの目つきは、群れを守る狼のそれだ。

「数は分かりますか」

[四頭は目視した。それ以上は確実にいる]

「もたもたしていると、三人とも踏み潰される……俺が注意を引くので、二人は鞄を担いでそのうちに逃げて下さい」

[あまりにも無謀ではないか]

「大丈夫です。二頭は確実に狩れますよ。経験がありますから」

「待って、カンテラさん!」

 タケウチの必死な呼び声が木霊する。

 カンテラと吟遊詩人はタケウチと目を合わせた。

「僕の脊髄を取り出して、残りを餌に使って下さい」

 タケウチの黒い虹彩が、一糸乱れぬ視線をカンテラの瞳に送る。

「な、何を言っているんだタケウチ……」

「過去の遺物はきっと、僕の脊髄にあるチップに反応しているんです。僕は要らない。僕の脊髄さえあれば、皆助かるんです」

「馬鹿を言うな、タケウチ! そんなこと、君を殺す理由にはならない」

「幾つかありますよ。船に残っていた死体のチップは、損傷して使えない可能性があるけど、僕のチップは正常に機能しています。もし僕が生きていれば、貴重な食料を余計に消費する。ここで有効活用するのが、一番確実で賢い選択だと思いませんか」

 まくし立てるタケウチを前に、吟遊詩人もカンテラも言葉を失った。そして再び地鳴りが響く。先ほどよりも大きく、そして近い。

 切迫する状況の只中で、吟遊詩人が一つの大きな選択を行う。

 彼はフードをおもむろに下ろした。

[チップが反応しているのかどうか、原理は私にも分からないことだ。早まるのは良くない]

 露わとなった素顔は、人のものではなかった。

 人工皮膚が破けて、骨組と配線が露出した吟遊詩人の――アンドロイドの顔は、清々しく微笑んでいる。

 タケウチとカンテラは互いに顔を見合わせて目を丸くした。

[私は導き手の役目を終えた。加えて私は、君たち人間と違い生きてはいない。活動限界も既に超過しているのだ。囮役には適任だろう]

「吟遊詩人……やめてください。どれ程の人が貴方に救われたことか。まだ俺は、何もお礼が出来ていない」

 カンテラの震えた言葉に、吟遊詩人は優しく首を横に振る。

[礼は要らない。人を救うのは人だ。私は人に創られたのだから間違いない]

「いいえ、そうではなくて! 俺がディディアと、皆と出会えたのは貴方のお陰だった」

 無慈悲な地鳴りが更に近づく。轟音と迫りくる足音が二人の会話を遮った。

[杖を救世主に! 後は任せた]

 カンテラに杖を押し付け、颯爽と外へ繰り出す間際、吟遊詩人は振り向いてタケウチを見つめる。

[タケウチ。アンドロイドの私がこんなことを言うのもおかしなことだが……君と出会って、自らの存在意義を実感できた。私の心は救われたんだ。ありがとう、生きていてくれて]

「…………!」

 最期の言葉が、暗く淀んだタケウチの胸中で残響した。

 呆然とするタケウチの肩をカンテラが掴む。

「行こう、タケウチ!」

 タケウチは、頷いた。そして渡された杖を握る。

 カンテラは両脇に鞄を抱え、タケウチを背負い、建造物から飛び出した。

 独り先を歩き、ジュラーフの群れに近付いていく吟遊詩人は、自らに残された動力源を最大限使って全身から大きな音と光を発する。

 注意を引かれたジュラーフたちは長い首をしならせて、一斉に吟遊詩人の肢体にかぶりついた。

「見ちゃだめだ、タケウチ! しっかり捕まっていてくれ!」

 カンテラの声に応じて、タケウチは彼の背中に顔を埋める。

 背後から轟くジュラーフの雄叫びに、噛み砕かれる金属音が混じっている。

 カンテラは全身全霊の力を込めて坂を駆け上がり、踏み潰される建造物にはわき目も振らずに走り続けた。


 集落に辿り着き、鞄とタケウチを下ろしたカンテラは、疲労のあまりその場に倒れ込む。

 タケウチも尻餅を付いて中々立ち上がれない。

 ライーロが二人の帰還に気が付き、憔悴した二人の下に駆け寄った。

「おかえりなさい! すごい汗だよ、カンテラ! 大丈夫?」

 カンテラの体を揺するライーロを、遅れてやってきたディディアが優しく制止する。

「無事でよかった。カンテラ、タケウチ」

 二人は力なく頷く。

 ディディアは吟遊詩人の姿がないことに気が付く。そして察する。二人の顔が浮かばれない理由を。

「犠牲が出たのか……?」

 疲れ切ったカンテラに代わって、タケウチは泣きじゃくりながら旅の顛末を語った。

 

 暫くして、集落では宴が始まった。吟遊詩人を弔い、想うための、そして集落の家族が一人も欠けなかったことを祝うための宴だ。

 タケウチは調理係に保存食の使い方を教えて、出来上がった料理を少しばかり口にした後、夜風に当たるとディディアに告げてから集落を離れた。

 向かった先は、墜落した『タヌキ』の残骸。

「明日には、二人にもこの空が見えるようにするよ。ヒビキさん、ナギサさん」

 彼の頭上で、鮮やかな紅色べにいろの星空が煌めいている。

 混在する淡いコバルトブルーは、タケウチが零した涙と同じ色をしていた。

 頬を伝う涙を拭って、タケウチは握り締めた杖を見つめた。吟遊詩人から託されたものだ。

 どんな意味が込められているのか……彼はじっと考える。

「タケウチ」

 背後からの呼び声に応じてタケウチは振り向く。声の主はカンテラだった。

 彼はタケウチの隣に腰を下ろす。

「ごめん、一人になりたいだろうに。どうしても話がしたくてさ」

「いえ、大丈夫です。実は僕も、ゆっくり話したいなと思っていて」

「そりゃ良かった」

 タケウチもカンテラと同じように、その場に腰を下ろした。

「タケウチはこの後、どうするつもりなんだ」

「そういえば、二人のお墓を作ること以外、全然考えてなかった……」

「問題が山積みだったからな。だからこそ、時間がある時に話しておきたくてね」

 タケウチは頷いて考え込む。

「その、今も思い出すと怖くて……このまま、この星で生きていく自信がないっていうか」

「分かるよ。短い間だけど、俺は今よりも恵まれた生活をしていたことがあってさ。集落の皆は過酷な環境に居る。タケウチは尚更辛いだろう。こんなに大きな船に乗っていたんだから……」

 少し言い淀んだ後、カンテラは目を据えて続ける。

「もし、本当に辛かったら言ってくれ。いい方法なら幾らでも知ってる。その時は、君の友人たちを悲しませないように墓を立てるから」

「ありがとうございます」

 タケウチが神妙な面持ちで返事をすると、カンテラは温かみのある笑みを返してタケウチの背中を叩いた。

「本気にしないでくれよ! そんなおっかないこと出来ないって!」

「いえ、その、すごい真剣な感じだったからつい……」

「まだ迷っているなら、俺達に付いてくればいい。集落の皆も、ディディアもライーロも、きっとタケウチを歓迎してくれる。勿論俺もね」

 カンテラは朗らかに歯を見せて立ち上がる。

「こっちの話は本気だからさ、真剣に考えておいてくれ。それじゃあ、また明日話そう」

 二人はおやすみとだけ言葉を交わして別れた。

 集落が灯す明かりで、カンテラの後ろ姿は暗闇に黒く浮かび上がっている。

 彼を暫し見送った後、タケウチも立ち上がって集落に向かおうとする。

 その時、持ち方を変えた杖が甲高い音を立てて光を発した。

 杖の先端から伸びた青い光はドーム状に拡散し、宵闇にローマ字と網目模様を描き出す。

 それらは方角と緯度と経度、そして特定の地点について詳細な座標を記していた。

 音と光に気が付いたカンテラは、引き返してタケウチの傍に歩み寄る。

「タケウチ。これは一体?」

「僕にも分からないけど……多分、過去の遺物が何処にあるのか、記した地図なんだと思います」

「なるほど……だから吟遊詩人は、タケウチにこれを託したのか」

 ふと、タケウチはカンテラに視線を送る。気が付いたカンテラもタケウチを見返す。

「カンテラさん。僕、杖のことが分かるまで、何とかして生きようって、そんな風に思ってました。でも……」

「でも?」

「今は、杖を使って、誰かにありがとうって言われるようになりたい」

「そっか……応援するよ。なんなら、俺も手伝うさ」

「ありがとうございます、カンテラさん」

 

 タケウチは翌日、ディディアからの誘いもあって、正式に集落の一員となった。

 それから約束通り、カンテラと共に友人たちの、そして吟遊詩人の墓を建てた。

 胸に悲哀と想いを宿し、献花に美しき星空を添えて。

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献花に美しき星空を アンガス・ベーコン @Aberdeen-Angus

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