きょうはおうちに帰さない

猫田芳仁

きょうはおうちに帰さない

 旦那さんにはもったいないほどのお友達だ。

 エーリオはルナール卿のことをそう評価していた。

 お仕えして3年になる自分が言うのもどうかと思うが、気分屋で浮気性で色情狂でへんなものを集めて喜ぶ癖があり、加えて行動力も過剰に持っているので誰にも連絡を入れずにひどいときには半月もぽんといなくなる、そんな旦那さんには年単位で続くお友達は稀だ。にも拘わらず、このルナール卿はエーリオがお仕えするよりずっと前から旦那さんの親しいお友達なのだという。

 悪い噂は少なからずある。が、旦那さんに比べりゃかわいいほうだし(もっとも、それを言うと人類の大半がかわいいほうであろう)、使用人であるエーリオのことも無下にしたりすることはない。エーリオは旦那さんのお気に入りなので、屋敷で何かあるときには酌をさせられたりもするのだが、ルナール卿は旦那さんとエーリオだけの時に限り、エーリオにも椅子をすすめて酒を注ごうとする。最初こそ丁重にお断りするものの、旦那さんも気にしないどころか予備のグラスを用意している有様なので、最後にはとても平民があがなえないような酒とつまみのご相伴に預かることができる。

 ここまでなら単にエーリオにとって都合のいい人なのだが、ルナール卿は旦那さんがどんないかれた話をしようとも穏やかに対応し、ただしかわいい愛人とどうこうという時だけ返事の声が低くなる。怒るのは旦那さんがいなくなって心配をかけた時くらいだろうか。直接はまだ見たことがないが、旅疲れの気配もない旦那さんがルナール卿の屋敷に行って戻ってきたらげっそりしていたからきっとこってりしぼられたのだ。そんなに人格者で外見はぽってりふくよかなところも嫌みがなくてかわいげがある。


 前置きが長くなったが先ほどこの評価はがらぽろと崩れだした。

 やっぱりルナール卿は、旦那さんにお似合いのお友達であったらしいのだ。


 ことのおこりはエーリオがルナール卿の屋敷にお使いに来たところからである。

 これは別段珍しいことではない。いくらお気に入りといってもエーリオは旦那さんにべったりというわけでもなくて、名目上は雑用係である。来客対応をしたり、手紙を出したり、掃除をしたりもする。そのうちのひとつに「旦那さんが気まぐれで用意したすてきなものをルナール卿に届ける」というのもときどきある。往々にして「休んでおいき」とルナール卿が福々しい微笑で言ってくれて、お菓子やワインが出てくるのでお得な仕事である。

 思えば最初から今日は変であった。

 いつもはルナール卿の従僕が影法師みたいに壁際に立っていて、たまに給仕をしたりするのだがこれがいなかった。そのためルナール卿が何くれと世話を焼いてくれて恐れ多かったのだが、あの鉄面皮の従僕も人間なのだし風邪を引いたか里帰りでもしているのだろうと気楽に考えていた。もっとよく考えれば、普通は別の使用人を置いておくくらいするだろうと思えたのかもしれないが、ルナール卿の気さくさにずっぽり慣れていたエーリオは気づかずじまいだった。ルナール卿の進めるままにいつもより杯を重ねてしまい、エーリオはほろ酔いだった。


「エーリオくん、雨が激しくなってきたみたいなんだ。お酒も呑んだし、今日はいっそ泊っていったら」

「さすがに悪いですよう。おれが帰らなかったら、旦那さんも心配するでしょうし」

「わたしのうちに行って帰ってこないんなら、大丈夫じゃない? この雨だもの」

「大丈夫ですって。濡れて困るもん持ってないですし」

「じゃあ、わたしが、どうしても帰らないでって言ったら?」

「はあ」


 いつの間にやらルナール卿は扉の前に陣取っており、逃がさない構えである。エーリオはまったくもって意図が分からず、また貴人を押しのけて出ていくほど緊迫した気持ちでなかったのであほ面をさらしてぽかんとルナール卿を見ていた。しばらくの膠着。ルナール卿はゆったりした足取りでテーブルに近寄り、まだ座ったままのエーリオの前に来た。


「エーリオくん、君はずっと誤解していたようだけれど、わたしと子爵は友達じゃない」


 子爵。ほかにも子爵の位を持つ知り合いはぞろぞろいるくせに、なぜか旦那さんだけをちょっと皮肉っぽい言い方でこの人はそう呼ぶ。理由をエーリオは知らない。知らないが、あだ名みたいなものだろうとさほど気には留めたことはなかった。


「友達じゃない」


 鸚鵡のように復唱するエーリオ。友達じゃないなら何なのだろう。あの親しげな距離感。旦那さんの奇行を苦笑ひとつで許す鷹揚さ。実は血縁なのか。にしてはあまりに似ていない。


「わたしは、子爵の愛人のひとりだよ」


 思わず、エーリオはルナール卿をまじまじと見た。ぽってりふくよかな30半ばの男。昔はかわいめの顔立ちだったことが想像できるが、いまはもう年相応に口ひげを蓄えた丸顔。どちらかというと愛人を囲っているほうの顔だが旦那さんの悪食はエーリオもよく知っている。男女問わず本当に見境ないがのだ。どうしてそんなことを”よく知っている”のかといえば。


「きみもでしょう。子爵から聞いたの」


 エーリオはそっとうなずいた。

 ルナール卿とエーリオは全然違う。エーリオのほうがひと回りも若く背だって高い。顔つきはよく言って精悍、悪く言えば吊り目がちょっと意地悪そうである。筋肉質な体つきで、ひげはひげでもわるものくさいあごひげを薄めに生やしている。何から何まで違う。


「……おれは、愛人とかそんなんじゃありませんよ。気まぐれで手ぇだしてるだけですよお」

「本人がエーリオくんを愛人だって言ってるけど」

「わちゃあ」


 エーリオはおどけたしぐさを作って額に手を当てた。困った。大変困った。旦那さんが愛人の惚気をはじめると機嫌が一段落ちるのは、潔癖故ではなく嫉妬なのかもしれない。だとしたらやっかいだ。最悪エーリオは帰れない。2度と。今までの印象だとそこまでめちゃくちゃする人では絶対にないが、旦那さんの愛人を何年もやっていると思うとそのくらいしてきそうな気になる。


「やっぱりね、好きな男がいい男を囲っていると気になるね……それも飽き性のあの人がずっと大事にして」


 エーリオとしては「お小遣いをもらって抱かれている」という感覚なので、かわいがられているとは思うがルナール卿の言う「大事にしている」とはちょっと違う気がする。だがそれを言い出せる雰囲気ではもはやないように思えた。

 ルナール卿の指がエーリオの顎を持ち上げる。この人の手はちんまりしていて、柔らかい。いつも無遠慮に頬や髪を撫でてくる、旦那さんのでっかい蜘蛛みたいに骨ばった手とは大違いだった。このちっちゃいおててで何をする気であろうか。この人の”悪い噂”には血なまぐさいものも散見される。


「そういうわけでエーリオくん、私とも寝てみない?」

「えっ」

「お小遣い弾むし子爵と切れろとか言わないし、嫌がることはしないし嫌なら帰っていいよ。あ、でも雨がひどいのは本当だから何もしないで泊っていくという選択肢もあるかな」

「えっと」

「ご質問どうぞ」


 初めて見る微笑。目を細めた猫の顔。


「な、なんで」

「エーリオくんかわいいんだもの。話すと面白いし、よく笑うしさ。勿論、最初からそういう目で見ていたわけじゃないんだけれど……子爵から、エーリオくんと寝てるって聞いたら……気づいちゃったんだよね。エーリオくん、かわいいだけじゃなくてとびきりいい男だなって」

「というか、男もいけたんですね……」

「好き好んで子爵と寝てるくらいだもの。どちらかというと年下の男の子が好きなので、子爵よりエーリオくんのほうが好みかなあ」

「ちなみに上下は」

「子爵の時だけ下。でも、エーリオくんになら抱かれてもいいよ。わたしのふたりめのオトコになる?」


 ルナール卿がそっと足をすり寄せてきた。ほのかに体温が伝わる。指はあごの下から離れて髪の生え際をくすぐる。エーリオはその手を優しくどかして立ち上がり、ルナール卿を思いきり抱き締めた。

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きょうはおうちに帰さない 猫田芳仁 @CatYoshihito

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