身代わり少女はケダモノ王子に婚約破棄を突き付ける。

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身代わり少女と神獣に愛された少年


 この世界には神獣と呼ばれる神様がいる。

 普段は動物の姿をしているが、家族の危機ならば姿を変えて助けに来てくれる。

 そんな家族思いの、優しい神様がこの世界のどこかにいるそうだ。



 大陸の覇者である神聖ウルフェン王国。

 この国の始祖は神獣と結ばれ、王となって国をおこしたという伝説がある。

 神獣の血は今もなお受け継がれ、王家や貴族となってこの国を治め続けている。


 これは王家が自分たちを讃える為に適当にでっち上げた、安い作り話などでは無い。

 実際に神獣の血を引く者は、魔法という強大な力を使うことが出来る。

 ある者は手から火を放ち、またある者は地面から氷の刃を無数に生やしてみせた。


 ウルフェンの民はその力を国を守る盾であると崇め、他国の者は国を貫く矛であると恐れた。


 故に血が尊ばれる風潮のあるこの国であるが、稀に神獣の血を濃く継いだ人間が生まれることがある。

 膨大な魔力と強靭な力。さらには驚異的な回復力。

 そしてその者は身体に神獣特有のとある特徴が現れることから、畏怖を込めて神獣人と呼ばれていた……。




 神獣暦四一〇年の冬。

 一〇〇年ぶりの神獣人として生まれた神聖ウルフェン王国の第二王子、シルヴィニアスは記念すべき一〇歳の誕生日を迎えた。

 彼には兄や弟がいるものの、恐らく次の王座にはシルヴィニアスが座るだろうと予想されている。

 理由は勿論、彼が偉大なる神獣人だからである。



 そんな王家の事情もあり、彼の誕生祭には貴族を集めた盛大なパーティが開かれていた。


 王城の一角に用意された、豪華な食事にきらびやかなダンスホール。

 会場にもうけられた特別席には、銀髪の少年がチョコンと座らされている。

 幼くとも不思議なオーラを周囲に放つその少年こそ、本日の主役であるシルヴィニアス王子だ。


 彼の周囲には、各地から集められた特産品の山が所狭しと並べられている。

 そして色とりどりのドレスに身をまとった令嬢たちが、まるで花畑を作るかのように彼を取り囲んでいた。

 次期王となる彼に自身の娘をあてがおうと、王国中の貴族が集まってきているのだ。



 やれ王子は顔が良い、将来が楽しみだ、好みの女性はどんな人物か?

 最近は嫁入り修業を頑張っておりましてよ。刺繍ししゅうにダンス、最近は芸術にも興味がありますのよ……。

 そんな一方的な話題が、四方八方から王子へと飛んで行く。


 当然、それを聞かされているシルヴィニアス本人は楽しくはないし、ニコリとも笑わない。

 というより関心が皆無なのか、令嬢たちと目を合わせようともしていない。


 だが、それも仕方のないこと。

 いくら頭脳明晰で年齢の割に大人びているからといって、彼はまだ一〇歳の子どもだ。

 自分の誕生日にそんな話をされて興味を持て、と言う方がおかしいのである。



 ――だが、たった一人だけ。

 シルヴィニアスが興味を持った女性がこのフロアに居た。


 別にとびきり可愛いだとか、目を引くドレスを着ていたという訳では無い。

 自分と同い年ぐらいの、平凡な少女だった。


 彼女はシルヴィニアスには目もくれず。ホールの端で、同じ年ぐらいの男の子と「さっきのダンスは楽しかったね」などと談笑している。

 先ほどのダンスタイムでは王子に近寄りもしなかったし、会話なんて簡単な挨拶だけ。


 正直このパーティにいったい何をしに来たんだろうと思えるほどに、シルヴィニアスに興味が無い。

 彼女はただ、仲の良い異性と純粋にこのうたげを楽しんでいるのだ。


 だからこそ、だったのだろう。

 ほんのりと頬をあかく染め、心の底から嬉しそうに男の子と話す様子はシルヴィニアスにとって新鮮に映ったのだ。



 それを彼のそばで見ていたウルフェン国王陛下は決まりだ、と言った。

 人嫌いのシルヴィニアスが珍しく興味を持ったのだから、彼女にしよう、と。


 王はただ自分の息子を祝うためだけに、この場を開いたのではない。

 将来は王となって民を導いていくであろうシルヴィニアス。

 その伴侶となる王妃に相応しい人物を見定めていたのである。



 王が急に立ち上がったかと思えば、おもむろにその少女へと近寄っていく。

 それまで賑やかだったフロアが静まり返り、皆の視線が彼らに集まった。



「そなた、名をなんと申す」

「……み、ミーア=キャッツレイです」

「そうか……ではミーア。そなたを我が息子、シルヴィニアスの将来の妻とする」



 突然の婚約発表にざわめくパーティ会場。

 しかし王の口から直接出たのだから、紛れもない王命である。

 誰も反論することはできないし、許されもしない。


 運の悪いことに、ここには全国から貴族が集まっている。

 つまり彼女はほぼ全ての貴族に、次期王妃として認知されてしまった。



 その場に居た令嬢はミーアを羨望の眼差しで見つめていた。

 だが彼女にとって、それはあまりにも唐突に引き起こされた悲劇でしかない。


 幼いながらにあわく燃え始めた、初めての恋心。

 これから大事に大事に育てようと思ったところに、大人の都合で無情にも踏みにじられたのである。

 それも、たった一晩の間に。


 国や貴族の事情でそう決まったから、と言われて到底納得できるものではない。

 彼女は会場から帰る馬車の中で、父親である侯爵になぐさめられながらポロポロと大粒の涙をこぼし続けた。



 愛妻家で、子煩悩で知られるキャッツレイ侯爵はなげき悲しむ娘の姿を見て、心を深く痛めていた。

 自分の子どもが王妃になると決まれば、普通は両手を上げて喜ぶところであろう。

 しかし彼にとって、愛娘のミーアがいつまでも笑顔で居てくれる方がよっぽど大事だった。



 泣き疲れてしまったのか、やがてスヤスヤと寝息を立て始めるミーア。

 彼女の頭を優しく撫でながら、侯爵は少し疲れた様子で馬車の外を眺めていた。


 来た時は気持ちの良い晴天だったのに、外はまるでミーアの心中を表すかのごとく荒れ模様となっていた。

 星空は厚い雲に覆われ、天より落ちる冷たい雨は吹き荒れる風に乗って馬車を激しく打ち付けている。



「ああ、どうにかしてやれないものだろうか。私に、もっと力があれば……」


 ――可愛い娘の為ならば、なんだってしてやりたい。だが相手は王家で、しかもあの神獣人だ……


 不穏な考えが一瞬、脳裏をよぎる。

 だが、それは駄目だとかぶりを振った。



「……ん? なんだ、急に」


 もうすぐ我が家に着くというところで、馬車が急停止した。

 何か問題が起こったのか、馬車の外が何やらザワザワと騒がしくなる。


「んっ……どうしたんですか、お父様……」


 音がうるさかったのか、隣りで寝ていたミーアも起きてしまった。

「心配するな」と彼女をなだめつつ、事情を説明しにやって来た御者に何事かと尋ねる。



「すみません、旦那様。実は……」


 その彼によれば、道端に行き倒れが転がっていたので慌てて馬を止めたのだと言う。


「そうか、なら仕方がない。ミーア、このままでちょっと待っていなさい。お父さんが様子を見てくる」

「はい、お父様。お気をつけて……」


 普通の貴族であれば部下に任せて処理させるか、そのままき殺していくだろう。

 しかし彼は貴族には珍しい、心優しき善人だった。

 雨に濡れることもいとわず、彼は馬車の外へと降り立った。


「おい、こんな所でどうした……って、なんだ。まだ幼い子じゃないか!!」


 御者に案内された先を見てみれば、そこに居たのは小さな子どもだった。

 全身が泥まみれで着ている服もボロボロだが、間違いなく生きた人間の女の子だ。


「……ミーアとよく似た顔をしているな。まるで双子のようだ――だが」



 ミーアとは身体つきがまるっきり違う。

 服の隙間から見える肌はガサガサで、あばら骨も浮き上がるほどに痩せていた。

 明らかに栄養が足りていない状態だし、雨に濡れて衰弱もしている。


 放っておけば、今日中に死んでしまうかもしれない。

 この、冷たい雨の降りしきる嵐の暗闇の中で。


「可哀想に……おい、誰か手伝ってくれ! 急いで我が家で治療するぞ!!」





 ◇


 ――あの嵐の夜から五年が経った。


 一五歳となったミーアは美しく成長した。

 あれから必死になって教養と礼儀作法を身に着け、王妃に相応しい淑女へと生まれ変わったのだ。


 加えて、婚約者であるシルヴィニアスとの仲も良好だった。

 二人は定期的に顔を合わせ、互いに交流を深めた。

 終始無言でお茶を飲んだり、王城の庭園をただ散策したりという、とても大人しいものであったが……それでも二人の間には、何かが確実に芽生え始めていた。




 ――冬のある晴れた日。

 シルヴィニアス王子は公務に使う純白の正装に身を包み、馬に乗って街道を駆けていた。

 毛並みの良い白馬にまたがり、美しく伸びた銀糸の髪は太陽の光でキラキラと流星のようになびいている。


 一五歳という若さながら、長身で程よく筋肉のついた、均整の取れた身体つきだ。

 顔も五年で幼さが取れ、国中の令嬢が見ただけで頬を染めてしまうほどに美しい。

 何より彼のこれから会えるのが楽しみで仕方ないといった笑顔は、女を芯からとろけさせる魅力を持っていた。


 次期国王である彼にそんな表情をさせているのはもちろん、婚約者であるミーアだ。

 彼は今、ミーアに会うためにキャッツレイ侯爵家に向かっていたのである。



「ふふっ。彼女も心待ちにしてくれているだろうか?」


 この国では、新婦となる者を新郎が馬で迎えに行くという習慣がある。

 それはたとえ王族でも例外ではない。


 なんでも初代国王が妻となる神獣を迎えるために、彼女が住まう聖地に自ら赴いたのが起源なのだそうだ。

 彼らのような幸せな夫婦になれますように、という願いが込めているらしい。



 当然、シルヴィニアスもこの日の為に準備を進めてきた。

 この白馬のヴァイスを相棒として育て、騎士団と共に身体を鍛え、プロポーズの言葉を連日徹夜で考えた。


 二人きりの時はお互いにあまりそういった態度は見せないが……見ての通り、シルヴィニアスはミーアにどっぷり惚れ込んでいた。


 あくまでも彼は大人しい彼女に合わせ、猫を被っていただけ。

 本当はもっとお喋りがしたいし、手も繋ぎたいし、キスもその先のことだって……。


 だが彼は紳士だった。

 彼女に嫌われたくなかっただけ、とも言えるが。



「さて、着いたか」


 白馬の王子様は姫が待っている屋敷を見上げた。


「僕の一世一代の見せ場となるか……ヴァイスはここで待っていてくれ」


 一連の流れは何度もシミュレーションをやってきた。

 あとは手筈通りに侯爵から彼女を奪い去り、ヴァイスの背中に乗せて無事に城へ帰るだけ。

 最後にもう一度気合を入れ、シルヴィニアスは歩みを進めるのであった。





「綺麗だ……」

「……ありがとうございます、シルヴィニアス様」


 シルヴィニアスの目の前には、赤色のドレスを身に纏ったミーアが立っていた。

 

 その嫁入り姿は、彼が必死で考えてきたプランを全て吹き飛ばすほどに美しかった。

 あまりの感動で言葉も出ないのか、その場で立ちつくしてしまっている。


 だがそんな飾らない反応が嬉しかったのだろう。

 普段はあまり表情の変わらないミーアも、彼のストレートな褒め言葉に頬をピンク色に染め、口元を緩ませている。



「本当に綺麗だぞ、ミーア。昔の頃の母さんを見ているようだ」

「お父様まで……」


 侯爵まで一緒になって娘を誉めそやす。

 彼の妻である侯爵夫人はミーアを産んですぐに亡くなっている。

 母の分も愛情を注いだだけあって、娘を嫁に出すのは複雑な気分なのかもしれない。



 そんな父娘の様子を眺めていて、ようやく冷静を取り戻したシルヴィニアス。

 当初の計画を思い出し、実行に移すことにした。


 ミーアの面前に向かい、その場で片膝を突いた。

 そして優しく手を取ると、瞳を真っ直ぐ見つめながら語りかける。


「さて、愛しのミーアよ。これからはこの国の王妃として……いや、僕の愛する妻として共に生きて欲しい。一緒に来てくれるかい?」

「……はい」


 照れ臭そうにコクンと頷くミーア。

 シルヴィニアスはニッコリと微笑んで、その手にキスを落とす。

 そして立ち上がると、「ありがとう」と言ってミーアを優しく抱き寄せた。



「それではキャッツレイ侯爵。本当にこの娘を我がきさきとして良いのだな?」

「はい、殿下……自慢の娘です。どうか良くしてやってください」


 複雑な想いを心の中でとどめながら、父として娘を笑顔で送り出す。

 これでようやく肩の荷が下りた、そう思ったのだろう。だが――



「侯爵。その言葉に嘘は無いな?」



 ――キャッツレイ侯爵は目の前に居るのが誰であるのかを忘れ、油断した。



「……そうか。だ、そうだよ、名も知らぬ少女よ。キミの育ての親は、実の娘可愛さに貴女あなたを売るらしい」

「なっ……殿下!?」

「シルヴィニアス様……」


 それまでとは纏う空気が変わり、ミーアを知らぬ女性だと言い始める王子。

 あまりに突然のことに、静まり返る侯爵家の面々。

 先ほどまでの温かな空気が一瞬で凍り付いた。


 シルヴィニアスの笑顔は変わらずだが、視線は凍てついている。

 少なくとも彼には冗談のつもりはないらしい。


「もう少しだったのに残念だったな、キャッツレイ侯爵。僕の神獣人としての能力は、ずば抜けた嗅覚と聴覚。一度嗅いだ人間の匂いは決して忘れないんだよ」

「まさか……」

「ああ。最初から気付いていたさ。五年前のパーティで会ったミーアと、五年間会っていたこの少女は全くの別人だ。見た目は誤魔化せても、匂いで僕を騙すのは不可能なんだよ」


 ドレスを着たまま固まっている少女をスンッ、と鼻で嗅いだ後、部屋の中をぐるりと見回し始める。


「うん、確かにこの屋敷にはホンモノのミーアの匂いが残っている。ふふっ、どうやら彼女は死んだわけじゃなさそうだね」


 その言葉を聞いたキャッツレイ侯爵はみるみるうちに青褪あおざめ、その場で床にひれ伏した。


「なんだ、思っていたよりもあっさり認めるんだね。……まぁ、家族しか知らない僕の秘密をこれ以上バラさなくて済んだけど」


 誰に言うでもなく、小声でそう呟くシルヴィニアス。

 どうやら彼の能力は、ただ嗅覚が優れているだけではないようだ。


 シルヴィニアスは自分より倍以上も年上の侯爵に、冷ややかな鋭い瞳で見下ろしている。

 嫁ぐ寸前の娘の前で、床に這いつくばる父親の姿はあまりにもみっともなかった。


 侯爵も自身のやらかしてしまったことの重大さは、十分に理解している。

 だが、彼にも譲れないことがある。


「も、申し訳ありません!! しかし殿下や王家に叛意はんいがあってのことでは無いのですっ!! 私はどうなっても構いません……ですがっ、どうか娘だけは!!」

「その娘、とはどの娘のことを言っているのやら。ミーアか? それとも、この少女のことかな?」

「そっ、それは……!!」


 この国で一番怒らせてはいけない人物の逆鱗に触れてしまった。

 ましてや彼はあの神獣人であり、次期王ともくされている人物だ。

 そんな神にも等しい人間を怒らせたら、一族郎党が死罪にされてもおかしくない。


 しかしシルヴィニアスが本当に怒っているのは、長年自分が騙されていたことに対してでは無かった。

 それもそうだろう。

 二度目に会った彼女がミーアではないことなど、すぐに分かっていたのだから。


 シルヴィニアスは自ら侯爵家を調べ上げ、あの嵐の夜に起きた真相をつかんでいた。

 それでも、彼はえて自分から問い詰めるようなことはしなかった。

 ――少なくとも、彼女を迎えに来た今日までは。


 では何故、侯爵をめるような演技までしたのか?

 五年もの間、ミーアといつわった少女と婚約者ごっこを続けた意味は?


 今この場で、その理由まで明かすつもりはシルヴィニアスには無いようだが……。



 脂汗をダラダラと流し、侯爵は床で土下座をしたままブルブルと震え始めた。

 殺意を隠そうともしない王子は、まるで死神のように一歩、また一歩と罪人へと近寄っていく。



 命を刈り取る鎌の代わりに、腰元の剣を抜こうとした瞬間。



「……キミ、それはどういうつもりだい?」



 ミーアの身代わりだった少女が、侯爵をかばうようにシルヴィニアスの前に飛び出してきた。


「もう、お止めください。全ての責任は私……ターニャが取りますので」


 彼女はもちろん武器など持っていない。

 これ以上彼を怒らせてしまえば、いとも簡単に彼女の命は散ってしまうだろう。


「そうか、キミの本当の名はターニャというのか。だが、キミの言う責任とは……?」


 それでも侯爵を殺させまいと、身体を小刻みに震わせながらも立ち向かっている。

 そんな姿勢を見た彼は殺気を少しだけ抑え、ターニャと名乗った少女の真意を尋ねた。


「シルヴィニアス様を今まで騙していたのは、この私です。婚約を破棄し、私の首をその剣でねてくださっても構いません。……ですが、キャッツレイ侯爵家の皆さんをこれ以上とがめるのはどうかお許しくださいませ」

「た、ターニャ!!」

「……侯爵は少し黙っていろ」


 こんなに喋れたのかというほど、ターニャと名乗った少女はつらつらとシルヴィニアスに陳情ちんじょうする。

 周囲の者も驚いて目を丸くしているが、シルヴィニアスにとって今はそれどころではない。



「……ターニャ。キミはどちらかと言えば被害者だろう。いくら拾われた恩があるからといって、命を懸ける義理はあるのかい?」


 彼女に関しては終始優しい態度をとるシルヴィニアス。

 だが手は剣に置いたまま。

 誰か不穏な言動をすれば、すぐさま切り捨てるつもりなのは変わらない。



「……家族だから」

「家族……? それだけの理由なのかい? もしも事前にそう言うように言われていたのなら……」

「あの嵐の日、私は死を覚悟しました。でもそれでも良かった。生きる意味も無く、ただ道具のように使われる毎日でしたので。……だけど!!」


 ターニャは生みの親に名も与えられず、最低限以下の食事だけで働かされていた。

 やがて衰弱して動けなくなった彼女は、壊れた玩具おもちゃのように捨てられた。

 彼女は本当ならあの日、馬車に轢かれて死んでいたはずだったのだ。


「それでも、私を拾ってくれたキャッツレイ侯爵家のお陰で生まれ変わることができました! 私にも、大好きな家族ができたんです!!」


 侯爵はミーアの身代わりの為とはいえ、ターニャを二人目の娘として愛情を持って育ててくれた。

 ミーアも妹のように可愛がり、母親の形見であるはずの指輪を渡してくれた。


 ターニャはこの侯爵家に来たことで、家族が居ることの幸せを初めて知ったのだ。



 ……それでも、シルヴィニアスはなおさら理解ができなかった。

 家族なら、彼女を身代わりになんてしないだろうに……。


 だが、ターニャも侯爵も嘘を言っていないのが分かっている。

 分かってしまうが故に、心の中でモヤモヤがつのっていく。




 誰も言葉を発さず、沈黙の時間がしばし流れる。

 ジリジリと高まる緊張感。

 このままでは恩人が、家族が処刑されてしまう。


 駄目押しとばかりに、意を決したターニャが口を開いた。


「さぁ、シルヴィニアス様。私を殺し「待て」――え?」


 突然ターニャの言葉をさえぎったかと思えば、シルヴィニアスが剣を抜いた。


「逃げなさい、ターニャ!」

「いやです、お義父様!!」


 お互いを庇い合うように言い合う二人。


 ――だが彼は冷静に「静かに」と言った。



「……キャッツレイ侯爵。貴殿は今日、僕以外に誰か客人を招いたか?」

「――は? い、いえ!! 今日は殿下をお迎えし、そのまま私たちも城へ向かう予定で……なっ、誰だ!?」


 何かを察した侯爵が思わず大きな声を上げた。

 突然部屋の窓が割れ、何かが侵入してきたのだ。

 廊下からも悲鳴が上がり、大勢がここへと押し寄せてきた。


「賊か!? くそっ、よりによってこんなタイミングで……!!」

「だが僕が居合わせていたのは残念だったね。誰もが恐れる神獣人を相手に、賊ごときが……いや、違うな。僕が居ると分かっていてお前たちを寄越したな?」


 自虐を込めた台詞せりふを吐きながら、口元を布で巻いた男たちを睨みつける。

 侵入者たちは一様にして、手に怪しい道具を持っていた。


「それは一体……?」


 その道具をシルヴィニアスたちにではなく、床に向かって一斉に投げつけ始める。

 瞬間、薄い紫色の煙がもくもくと部屋を埋め尽くした。


「こいつら、我が屋敷で火事でも起こす気か!?」

「いや、コレはおそらく……だ」

「なっ、貴族殺しですと!? 貴様ら、禁忌に手を出したのか!?」


 特に嗅覚の鋭いシルヴィニアスは、これが何なのかを瞬時に判別することができた。



 ――貴族殺し。


 初代国王と神獣が出会い、共に暮らしていたと言われる聖地がこの国のどこかに隠されている。

 その聖地でのみ自生する神獣草を使って作られるのが、この貴族殺しという香薬だ。

 これは神獣が人となり、初代国王と結ばれる為に使ったと言われる伝説の薬とも言われている。


 だが貴族殺しの名の通り、神獣の血を持つ者に対してのみ効果を示す毒薬でもある。

 つまりこれは神獣人であるシルヴィニアスにとって、致命的な影響を与えるということ。



「どうやら狙われていたのは僕の方だったようだね……恐らくは兄上か、従兄弟か。いや、全員か? ははっ……どちらにせよ、僕の存在が相当邪魔だったようだ」


 アイツは弟なのに……。自分の方が相応ふさわしいはずなのに。

 そんな嫉妬や執念が人を簡単に狂わせる。

 それはたとえ、家族が相手だとしても。

 今まではあからさまな妨害はしてこなかったが、まさか今日を狙って命を奪いに来るとはつゆとも思わなかった。


 家族の裏切りに、シルヴィニアスは心が張り裂けそうになる。



 だが今はそれどころではない。

 煙で視界が悪いが、恐らく周囲に居た侯爵家の者たちは既に動けなくなっているだろう。

 自分一人で賊どもを討伐せねば。



 どうにか意識を失わないように耐えながら、一人、また一人と敵をなぎ倒していく。

 それでも次第に剣を握る手がしびれ、視界もボヤけてきてしまった。



「くっ、手ごわいな……」


 相当訓練された影の者だろう。

 まるで機械のように一言も発さず、仲間が倒れようとお構いなしに次々と襲ってくる。

 それまで善戦していた彼も遂に力尽き、床へ膝を突いてしまった。


「足が動かない……ここまでか……」


 目を開けているのもつらくなってきた。

 もう、無駄に抵抗するのは諦めよう……。


 許しをうように頭を項垂うなだれさせ、最期の瞬間が訪れるのをじっと待つ。


 ……が、その時が何故か一向にやって来ない。



 いったいどうしたのかと、おそるおそる顔を上げてみる。

 香薬の効果が切れたのか、立ち込めていた煙がようやく晴れてくると、そこには――


「どうして……どうしてキミが!!」

「シルヴィ……ニアスさ、ま……」


 視界に入ったのは、シルヴィニアスを庇うようにして腹部を短剣で貫かれている、身代わりの少女ターニャの姿だった。



「わた、し……貴族じゃ、ないから……動け……」

「そうだがっ、そんな事を言っているんじゃない! どうして逃げなかったんだ!! どうして僕なんかを庇った!!」


 痺れる身体を引きりながら、ドサリと床に倒れゆく彼女の元へっていく。

 そして赤いドレスを更に自分の血で赤く染めていく彼女を抱き寄せた。



「だって、しるヴぃ、さまは……私の、家ぞくだ、から……」

「おいっ、ターニャ……しっかりしろっ!!」


 ターニャは震える両手で、愛するシルヴィニアスの顔を優しく撫でている。

 彼は涙を流しながらその手を必死に掴み、彼女の名を何度も叫んだ。


「死んじゃダメだ、ターニャ!!」


 残酷にも彼女の瞳は次第に光を失っていく。

 それでも何かにすがる様に、シルヴィニアスは願い続けた。


「たのむ神獣様……僕の家族を、ターニャを助けて……」



 ――彼のその悲痛な願いが通じたのだろうか。


 彼女の指にまっていた指輪が、ぼんやりと淡く光り始めた。



「これは……解毒の指輪!? どうして、これをターニャが?」


 これは侯爵の本当の娘であるミーアが、嫁いで行くターニャに譲り渡した母の形見だ。

 普段は弱い力しか持たないただの宝飾品だが、今この場にいるシルヴィニアスにとっては大きな光明となった。


「……ありがとう、神獣様。これで僕は――家族を救うことができる」



 指輪のお陰で力を取り戻したシルヴィニアスは、ターニャを抱いたままゆっくりと立ち上がった。


 そして目をつむり、なにか呪文のようなものを唱え始める。



 突然身体の自由を取り戻した彼に驚いていた賊も、慌てて彼を止めようとするが……それはもう遅過ぎた。


 輝かしい銀光がシルヴィニアスを包み込む。

 同時に、彼の身体の一部がみるみるうちに変わっていく。


 頭部から狼のようなフサフサの耳が生え、口には鋭い犬歯。

 そして後ろには、もふもふの尻尾。


 ――そう、これが本来の彼の姿。

 シルヴィニアスは己を解放し、真の神獣人となったのだ。



「ターニャ、ありがとう……」


 心からの感謝と愛を込めて、ターニャの唇にキスを落とす。

 その瞬間、出血が止まらなかったお腹の傷がシュワシュワと音を立てて塞がっていった。


「さぁ、起きてターニャ。目覚めの時間だよ」

「う、ん……?」


 一瞬で元通りになったターニャは彼の言葉に答えた。

 深い眠りから目覚めるかのように、ゆっくりと目蓋まぶたを開いたのだ。


「シルヴィ様……キレ、い……」

「待っていてね、すぐに終わらせるから」


 ぼうっと見つめてくるターニャを優しく床に降ろすと、恐ろしいほどに獰猛どうもうな笑みを賊へと向けた。


「さぁ、僕の大事な家族を傷付けた恨み。貴様らの命で晴らさせてもらおうか」




 それから起きたのは、圧倒的強者による蹂躙じゅうりんだった。

 賊はリーダーを残して全滅し、そいつも尋問の末に処分した。


 さいわいにも侯爵側の人間での死亡者は出ておらず、昏睡していた侯爵も意識を取り戻すことができた。


「あぁ、気が付いたか侯爵。悪いが、もうお別れだ。僕達はこの国を去る」

「国を……去るですと!?」


 目を覚ましたは良いものの、ターニャを抱いたシルヴィニアスが馬に乗って何処かへ向かおうとしているところであった。

 侯爵は突然消えると言われても理解が追いつかず、アタフタと取り乱している。



「このまま国に残っても、いずれ僕たちは殺されるだろう。だったら僕はターニャと共にどこか辺境の地で静かに暮らすよ。だから、侯爵。義理の息子の最後の願いをどうか聞いて欲しい」

「は……願い、ですか……?」

「そう、これは命令ではなく、あくまでもお願いだ。……僕達はこの事件で死んだことにしてほしい。せめて逃げる時間だけでも稼ぎたい」

「ああ……そう、いうことですか」


 つまりは侯爵家がシルヴィニアスを騙してターニャを押し付けたことは不問にするから、今度は代わりに面倒事を頼まれてくれ、ということなのだろう。

 ミーアも死んだことにすれば本命の相手とも晴れて結ばれるのだから、侯爵家としてもメリットがあるはず。

 というより、侯爵にその願いを断るなんて出来るはずもないのだが。



「分かりました。王家にはそう報告致します」

「頼んだぞ、義父上。ああ、それとこれは忠告なのだが……人とは変わる生き物だ。それは良くも悪くも、な。貴殿の家族への愛が嘘へと変わらぬよう、くれぐれも気を付けよ。……では、お元気で」


 シルヴィニアスは彼にそれだけ伝えると、指笛でヴァイスを呼び寄せた。

 美しい毛並みの白馬にターニャを乗せると、二人は風のように去っていった。





 ――数週間後。


 聖地の先にある、古びた小さな家にターニャとシルヴィニアスの姿があった。

 あの襲撃の後は追手が来ることも無く、こうして初代国王と神獣が暮らした地で平穏に暮らしている。


「どうやら侯爵は約束を守ってくれたようだ。まぁ、彼は嘘をかなかったから信用していたけど……ターニャは本当に愛されていたんだね」


 彼の鋭い嗅覚や聴覚は、人間の匂いをただ嗅ぎ分けるだけでは無かった。

 悪意があるか、嘘を吐いていないかなどといった感情的な部分も分かるのだ。

 おそらく、発汗や脈拍、フェロモンといった様々な要素から判断できるのだろう。


 それは王子の家族、つまり国王や王子たちしか知らない、シルヴィニアスの秘密。

 だからこそ彼らはシルヴィニアスが王となり、自身のたくらみが告発される前に彼を亡き者にしようと襲撃したのだ。



「シルヴィは本当に私が妻で良かったのですか?」

「もう、まだ言っているのかい? 元より僕はキミを妻に迎えるつもりだったと、あれから何度も伝えたじゃないか」


 ベッドの上で布団にくるまった状態の二人は、そんな惚気のろけ話をしていた。

 あの戦いの時にターニャが口にしたシルヴィという名が気に入り、それからはずっと彼女にはそう呼んでもらっている。


「どうして? シルヴィニアス様はミーア姉様に一目惚れしたのでは?」

「あはは、僕がいつ一目惚れしたって? 僕が最初に恋をしたのはターニャ、キミにだ」


 ミーアの件は父である国王の独断だ。

 面白いとは思ったが、好きだなんて思ったことは無い。

 一方で次期国王や神獣人といった肩書きにとらわわれず、等身大の自分を見てくれたターニャに本気で惚れていたのだ。


 だから迎えに行った時の覚悟は紛れもなくホンモノだった。

 侯爵が何と言おうと、必ずターニャを妻として連れ帰ると心に決めていたのだから。


 この五年間で、嘘や悪意に染まらず育まれた愛情は。

 人間不信にならず、あの心静かに過ごしたかけがえのない時間は。


 シルヴィニアスにとって、それらは紛れもない、真実の愛だったのだ。



「分かりました。信じます」

「いいの? もしかしたらデタラメな嘘かもしれないよ?」


 シルヴィニアスが意地悪な口調でそう言うが、ターニャは怒ることもなくクスクスと微笑んだ。


「大丈夫です。私は神獣人じゃなくたって、好きな人の考えていることは手に取るように分かるんですからね?」

「……なら、僕がこれからしようとしてることもバレバレかな?」

「もうっ……」


 ターニャが開きかけた口を、シルヴィニアスが強引に塞ぐ。

 この様子では、二人の間に結ばれた家族という絆がほどけることは永遠に無いだろう。




 ――事実、ターニャとシルヴィニアスは誰にも邪魔されることなく、ここに自分たちの国を築いた。

 そして少しずつ家族を増やしながら、いつまでもいつまでも楽しく心安らかに暮らしたそうだ。





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