〖短編〗ノベル_ONE_でいず

YURitoIKA

ノベル_ONE_ でいず_____|

「あんたのことが、好き」

「あたしは、あんたが、好き」

「あたしは大好きだ!あんたがッ!」

「あたしは───」

「終わった?」


 彼の言葉で手が止まる。

「あぁ、まだラストスパートで詰まってるよ。告白するシーン」

「あれ、そこで詰まってから一週間も経ってるじゃん。コンテスト、提出は来月らしいけど、間に合うの?」

 当然の疑問と心配に、わたしはまるで他人事のように首を竦めた。

「さぁね。ほら、迎えにきてくれたんでしょ?下校時間ちと過ぎてるし」

「そゆこと。ほら、お前のバッグ」

 ひょいと乙女のバッグを投げたのは、幼馴染みの矮躯少年こと隅隅 昌磨すみずみ しょうま

「化粧品が入ってたらどうすんのさ」

「化粧なんて単語、幼稚園の頃から今日という日まで一度も口に出してこなかったろ。大体、ラクはそんなタイプじゃない」

「タイプってどういう?」

「う~ん、野蛮?」

「張り倒すぞ」

 そうゆうとこ、とこちらに人差し指をつきつけてきた。失礼極まり無いが、これ以上続くと長年の決着をつける喧嘩勃発ことになりそうなので、駆け足で校門へ。


 校門を抜けて大通りへ。強制下校時間をちょっと過ぎて人通りの少なくなったこの道を、二人で並んで帰るのが中学三年間の日課だった。

 奴との付き合いは十二年。どんなに場所が変わろうと『一緒に帰る』という日課は、当たり前のように守られている。

 晴れの日はしりとりでもしながら。曇りの日は晴れることを二人で祈りながら。雨の日は傘を差して、でも傘をどっちかが忘れたら、文句を言い合いながら相合傘をして。ちょっとドキドキして。

「こうやって一緒に帰るのも、そろそろさよならになるのか。寂しいな」

 昌磨は嘆くように話を切り出した。

「なにサラっと気持ち悪いこと言ってんの?別に、一生の別れじゃないんだし、高校生になっても時たま会えるでしょ」

「ラクってロマンが無いよな」

「夢見がちな乙女ってキャラが嫌いなだけ。第一、こうして十二年も一緒に帰ってると親が早く付き合えとか言ってきて、鬱陶しいのよね」

「あー、俺の家もそうだ。どうする?このまま付き合う?」

「な」

 時が止まったような。

 開いた口が塞がらないような。

「......っ、ロマンが無いのはどっちよ。んな冗談言ってる暇ァあったら、あたしの小説のネタくらい考えな」

「でもなぁ。告白ぐらいちゃちゃっと好きです!って言って、あとは海なりプールなり川なり行けばいいだろうに」

「水ばっかじゃん」

「こうも外が暑いと自然と口に、ね」

 今日も今日とて気温は三十五度越え。ニュースには新型ウイルスと異常気象の件が常にレギュラー入り。とち狂った日常も、慣れてしまえば存外怖くないのが人間の愚かさだ。

「じゃ、ここで。また明日」

「ん、じゃあね」

 手短にも程があるような挨拶を終えて、わたしは今日の学校生活を終えた。


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 言えない。あいつには絶対に言えない。今書いている小説が、わたしが彼と望む関係そのものであるということ。つまり、彼に告白したい、だなんてこと。バレたら終わる。顔から火を吐いて怪獣さながら町を焼き払う。


「前から思ってたんだけどー。あ、気を悪くしたらごめんね。これ小説さ、昌磨君とラクちゃんの関係じゃない?」

「へ?いや、あの、ままま、ま、まさかぁ」

「よくそのボロの出し方で彼とやってこれたね。まぁ微笑ましいからいいけど。図星なんだ?」

「............。いずれはバレると思ってましたから。アイツにバレなきゃいいですよ」

「どうかなぁ。名前は変えてるけど、モロ出しだよぉ?」

 グーの音もパーの音もチョキの音も出なかった。しかし、自分の書きたいものをストレートに書け、と言ったのは他の誰でもなくココノ先生だ。これが狙いどおりなら、こんな辺鄙な学校なんて出て心理カウンセラーの先生にでもなった方がいい。

「でもいいじゃない?こういうストレートなのがまた受けたりするのよ?ほら、最近の小説ってどうも回りくどいのが多いじゃない。だからこそ、ストレート一本でバシッと決めるのが吉。当然、作者はあなた。書きたいものを書くのが第一」

「耳にイカが出来るほど聞きましたよ、それ。やってます。やってますよ。でも最後にあの場面が壁になるんです」

「そうねぇ」

 図書室の隅で逡巡するココノ先生。あ!っと声を出した暁には、彼女の頭上に光る電球を錯覚した。

「実際に彼に告白すればいいじゃない!」

「はぁぁぁぁぁッ!?」

「シー、ここ図書室。大声ノン」

「でも告白って、あの、告白ですか?」

「他にどの告白があるのよ。いいじゃない、これはもう勢いよ、勢い」

「そーゆーの、なんか駆け落ちみたいでやだなぁ」

「十二年もの付き合いなら駆けすぎなくらいよ。ね?ここは一発!」

チャンスは一発しかないんですよ。もっとこう、タイミングを......」

「意外とロマンチストなのね、ラクちゃん」

 矛盾だ。

「でも、コンテストで一番、取りたいんでしょう?」

「そりゃもちろん。一番以外は眼中無し」

「なら書き上げなさい。青春」

「......前向きに検討します」


 昼休み終了のチャイムが会話を区切った。

「失礼しました」

「あ、結果出たらすぐに教えてね!」

「やっぱ自分の為でしょ!」

 八月終わりの青空とは裏腹に、晴れる気配のない曇りがわたしの胸を包んでいた。


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 煌めく夕日はいつもとおんなじ。

 せっかく心地の良い眺めなのに、ちっとも暑さは変わらない。じりじりと肌を焼かれながら、今日はわたしが彼を待つ。


「あれ、迎えに来てくれたの?今日は小説書かないの?」

「うん。あんたは後輩の指導?」

「まぁね。二十人もいたのに、引退後に指導に来てるのは俺含め三人だとさ。冷たい奴らだ」

「同情するよ。ほら、あんたのバッグ」

「おぉ、重いのによく片手で」

「元剣道部ですから。文豪にして剣豪なの」


 帰り道。道草を喰らおうという名目で、こじんまりとしたスーパーに二人で寄ることになった。

「ここ、元は駄菓子屋だったよな」

「なによ急に、懐かしい」

「いやなに、こうお菓子の棚を見てるとつい思いだしちゃって。同じ商品で味は変わんないかもだけど、やっぱ駄菓子屋で食うお菓子とスーパーのとじゃあ風情が違うよね」

「風情ねぇ......。あたしはうまけりゃそれでいいからなぁ。ま、ちょっとは分からなくもなくもないかもだけど」

「どっちだよ。あ、これ買って勝負しない?」

 昌磨がわたしに差し出したのは、丸いガムが三個入った、定番のお菓子だ。三つの内一つが酸っぱいという、お手軽ロシアンルーレット。

「勝負の内容は?」

「酸っぱいのを食べた方が、相手に思ってる事を言う、でどう?」

「はぁ?なにそれ。あんたいっつもやる事唐突すぎなのよね」

「えー、逃げちゃうのかぁ」

「ぐ......」

「勝負事でお前に俺が勝ったことは一度も無い。やぁやぁクイーンよ。ここは勝負、受けてくれるよね?」

「むむむ。いいでしょう、乗ってあげる。その勝負。ちなみにそのガムはどっちが買うの?」

「ごめん今日財布忘れた」

 周りに人がいないことを確認してから、奴の靴を思い切り踏んづけてやった。


「さてさて勝負だ!それっ!」

「ふんっ!」

 両者同時にガムを口に。

 ゆっくりと噛み締める。

 刹那、自分が今どのような状況に置かれているのかを整理した。相手に思ってる事を言う。思ってる事、とは?知らん。いや、知っている。胸が痛くなるほど知っている。刻まれている。幼稚園児の時から今日に至るまで、心の容量の限界ギリギリまで詰め込まれた「好き」という言葉が。

 しかし、それを言ってしまったらどうなる。これまでの関係は、どこへ消える。返事がどうあれ、楽しかった今までが全部虚しく散ってしまうような気がして、怖かった。恐ろしかった。『恋人』と『恐怖』の二単語が同義だった。ココノ先生であれば、今の気持ちを『切ない』と評すのだろうな。


「ぐぁぉあ!?スッパッ!!」


 切なさから解放されることは無かった。思考が途切れる瞬間、味覚が強く甘さを訴えていることに、やっと気がついた。

「あっはは。あんた、また負けたね?」

「......二百二十六敗目、だ......ぎ。ぐ。ほんとすっぱいな、これ」

「大袈裟すぎじゃない?いいけどさ。そういやこの三つ目はどうすんの?甘いのは確定だろうけど」

「お前持って帰ってよ。妹ちゃんへのプレゼントだ」

「こんなんプレゼントしても、あいつ喜ばないと思うけどな。けどあたしも二度もこんな甘ったるいもん食いたかねぇや。口直しに食べればいいじゃん」

「え?いや、いいよ。敗北者は最後まで苦しみを味わうのさ。文字通り」

「ほほぅ。そりゃご苦労なこった。で、なにか話すことは?」

「あぁ、えっと、そうだな。待て。待って。やっぱ酸っぱすぎて話せそうもないや」

「おいおい。あんたから始めた勝負でしょうに」

「ごめんごめん。ほら、今日帰ったら電話するから。必ず。ね?」

「......。いいけど。女王クイーンは敗者にも救いの手を差し伸べるからね」

「ありがたや」


 その後は、またいつものようにくだらない話を続け、短い挨拶を終えて別れた。


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「なにとにらめっこしてるの?電話機は変顔なんてしないわよ?」

「っさいなぁ、知ってるっての。電話を待ってんの」

「誰からの」

「内緒」

 ぐびっとレモネードを呷る。

「......あ!分かった。昌磨くんね!」

 喉を通りかけ、逆流。レモネードの噴水。

「ぎゃ、きったね~」

「なんでそうなる!?」

「なんでって、ねぇ。うーん。とにかく、青春楽しみな」

「やかましいわ」

 受信器を片手にリビングを後にした。


「......いや拭いてけよ、ジュース」


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「もしもし?あれ?出るの早いね」

「待ってなんかないけど!」

「まだ聞いてないんだけど......」

「で、用件は!」

「君も分かってるだろ。戦利品だ戦利品」

「......それで?」

「君のことが好きだ」


 ─────。


 長い、永い、一瞬。

 わたしの心臓は、

 一生分の鼓動を味わった。

 気がした。


「............。そう。......なんだ」

「............」

「............」

「........................」

「........................」

「あの、さ。ラク?」

「......なに?」

「今日自治会の方でさ。花火やるんだって」

「あー......。あたしも聞いてる。ウイルスの件もあるから、公表はせずにやるんだっけ?」

 先程から声が上擦っていることも自覚している。しかしそれは、昌磨も同じだった。

「シガメ公園で、二人で見ない?」

「なんでさ」

「なんでって、その。ほら、折角だし。中学の夏、最後だし」

「去年も似たようなこと言ってたよねあんた」

「やっぱり君はロマンが無いな」

 矛盾だ。

「まぁいいよ。話も、したいし」

「......うん」


 早口で待ち合わせ時間を決めて、通話は終了した。二秒後、部屋のドアを数センチ程開いて覗き見をしている母親と妹に対し、枕を全力でぶん投げてやった。


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 実のところ、待ち合わせ時間まで二時間ほどの余裕があるにも関わらず、わたしは通話後すぐに公園に来てしまった。家に居ても、否、この公園以外どこに居ようが生きた心地がしないからだ。

 感情そのものがオーバーヒートでもしたのか、公園の遊具に一人腰掛ける哀れな少女の中身は、空っぽだった。思考能力だけは残されてしまっていた。

「どうしよう」

 そろそろお月様が顔を出す時間。まだ橙色を残した空に問い掛ける。しかし、答えは返って来ない。

「どうしよう」

 公園外周にて道に迷っている様子のお婆さんに、聞こえるはずのない声で問い掛ける。

 いつもであれば迷わず助けに行くのだが、今日、今、この時間のわたしだけは駄目だ。目的地に辿り着けないどころか、下手すればあの世へ直行だ。

「どう、しよう」

 結局、待ち合わせ時間になるまで独り言は続いた。

 最後には多分、泣いていた。


 待ち合わせ時間の七時五十分。彼の姿は見えない。掠れた声で、自分でもはっきりと分かるほど苛立ちを含めた声で、

「意気地無し」

 そう、呟いた。


 待ち合わせ時間を三十分ほど過ぎた頃、彼から電話が掛かってきた。

「......もしもし」

「ごめん!ほんとごめん!!考え事してたら遅くなった」

「考え事ってなに」

「え?いやぁえと、後輩へのアドバイスとか」

「とか?」

「とにかくいろいろあって。本当にごめん。今急いでそっち向かってるから!じゃ、」

「切らないで」

「へ?」

「あんたの家からこの公園まで、走っても十分は掛かるでしょ。待たせた分喋らせろ」

「普通に走った方が早いと思うけど」

「あんたもロマンの無い奴だな」

 逆転だ。

「ロマンの意味ってなんだっけ?」

 正論だ。

「と、に、か、く。さっきの言葉、本当なの?」

「さっきって、花火?」

「違うわよ。その前にどでかいの打ち上げたでしょ、あんた」

「......あれは。うん。本当だよ。冗談じゃなく」

「わかった。と、とにかく花火もう始まってるから、早くしてよね」

「呼び止めたのそっちだろうに。はい。分かった」

「小説」

「ん?」

「小説の最後。決まったから。後で読んでくれない?」

「君も唐突な奴だなぁ。もちろん」

「そっか。ありがとう」

「もう着くよ。じゃあ───」

 通話が切れる瞬間、なにやら大きな音が響いた。まるでナニかが爆発したような、ドォン、という衝撃。多分花火の音だろう。


 公園の先。信号。少し背を伸ばせば見える位置。通話を切って背伸びをしていたあたしには見えた。青信号を渡る彼。急接近したグレーの車。BGMは花火の音。


 花火のように、弾ける朱。


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 隅隅昌磨という人間は死んだ。

 車との衝突事故。ドライバーはただの酔っぱらい。そんな事実を知った時、酔ってもないのに吐き気がした。

 彼の葬式には行かなかった。

 学校にも行かなくなった。

 ベッドの上で、死体のように、意味もなく転がっていた。

 思考も感情も空っぽになったわたしには、死体の二文字が相応しい。


 家族はたまに声をかけてくれるが、生憎、声を受信する体の一部が腐っているので聞き取れない。涙を流すこともなく、ただ時間の波にずぶずぶと沈んでいた。


 九月の終わり。コンテストの終了日。ココノ先生からも何度か連絡があったそうだが、全部無視したのでとっくに呆れられて無かったことにされているだろう。あぁ、そうだ。であればあんな要らないものさっさと消してしまわねば。

 寝たまま手を伸ばし、スマホを手に取った。小説のデータを探そうとしたが、起動すると同時に浮かび上がったのは通話履歴だった。丁度いい。こっちも削除していこう。


 まずは履歴。

 消せない。

 次にメール。

 消せない。

 次に彼との写真。

 消せない。


 選択はしているのだが、どうにも削除ボタンに手が届かない。小一時間掛けてボタンに指が届いたと思えば、今度は訳の分からない液体によって阻まれた。透明で暖かいナニかが、たまらなく鬱陶しかった。


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「なんだ。迎えに来てくれたのか。遅れて本当にごめん」

「いいよ、別に。花火始まるから早く行こ」

「うん。でさ、なんで俺の手、握ってるのさ。走ってきたから手汗すごいよ」

「あんたのことが、好き」

 昌磨がリアクションを取る前に、彼の指がへし折れるくらい強く手を握りしめた。


 ┗┓┗┓┗┓


 九月の終わり。わたしとショウマは時期外れのバカンスに来た。いや、受験生がこんなことをしている場合なのかと聞かれたら、まず無言になってしまうのだが。ともかく、羽目を外すのも大事という名目で海に来ている。

「おれー、海、嫌いなんだよなぁ」

「ここまで来てなにいってんの」

「いやぁ別に、海そのものが嫌いなんじゃなくて、入るのが嫌いというか。昔、クラゲに刺されたのがトラウマなのよ」

「ふーん。んなの蹴り飛ばせばいいじゃない」

「蹴り飛ばした足がチクッとなるだろ」

「ぶん殴る?」

「殴った手がお陀仏だ」

「そうねぇ......。ま、気にしていても仕方がないでしょ。犬も歩けば棒に当たる。人間泳げばクラゲに刺さる。同じもんでしょ」

「全然違うだろ!?」

「つべこべいってないで、はいドーン!」

 冷や汗を垂らす彼の額を海水で拭うべく、放り投げてやった。見事、姿勢を崩しばしゃばしゃと足で噴水を作る彼の姿は傑作だった。

「笑ってんじゃねぇよ死んじゃうよ刺されるよ死ぬよ!?」

「ほら待ちなって。それ!」

 いくら浅瀬でもパニックになって溺れられたら困るので、わたしも飛び込んだ。すかさず彼の手を引っ張り、水深の深い方へ。

「立場逆だと思うけど、クイーンなら仕方ないかぁ」

「そう。もしクラゲいたら盾になってね、家来君」

「なんでこんな奴と付き合っちまったんだ。まぁそういうとこが好きだから、いっか」

「───っ、ふん!」

 場違いなことを言い出す口に、海水という名のチャックをお見舞いしてやった。


 ┗┓┗┓┗┓


 九がつのおわリ。わたしとショウ磨は時期外れの息抜きとして、小さな市民プールにやって来た。

「おれー、プール、嫌いなんだよなぁ」

「ここまで来てなにいってんの」

「いやぁ別に、プールそのものが嫌いなわけじゃなくて、誰かの尿が流れてるやもしれない水に浸かるという行為が嫌だというか」

「それはもうプールに来なければ良かったんじゃないの?」

「うーん。実はさ」

 ショウ磨はなにやら真剣な表情だ。冗談めいた意見にも、裏があるというのか。

「お前の水着が見たくて」

「が」

 持っていたビーチボールを落としてしまった。言いにくそうに小声で話していたが、この距離なので聞き漏らすわけがない。つまるところ、

「ここって飛び込み禁止だっけ?」

「市民プールでオッケーなとこは中々無いと思うけど、あの、なるべく近寄らないでもらえませんかね殺気がす」

「ア、テガスベッタ」

 ドン、というより、べちん、という平たい音が鳴った後、罪人は墜ちていった。


 ┗┓┗┓┗┓


 くがつのおわりのオワリ。わたしと昌磨は川へやって来た。特に、意味は無い。

「ねぇ、昌磨さ」

「うん?」

 大自然の中。流れる美しき......というほど綺麗ではない川を眺めながら、二人で並ぶ。

「告白してよかったと思ってる?」

「変な質問するなぁ。ま、良かったんじゃないの?特に変わったこともないけどさ」

「......変わって、ない」

「いや、そりゃ違うか。変わってるよ。当たり前に。だって昨日の自分と今日の自分でさえ、まるっきり違うんだから」

「へ?」

「一分、いや一秒ごとに時間なんて過ぎてくだろ?で、人間ってのは常に色んなこと考えて、忙しく血や細胞動かして必死に生きてんだから、変わってなきゃおかしいじゃないか。自分で気づけるわけの無い変化だけど」

 昌磨は自分で語りながらも、なに言ってんだか、と笑った。

「まぁ、なんだ。常に変化していたとしても、大事なものは変わらないじゃん?俺とラクの関係とかさ。もし告白してなかったとしても、結局ぐだぐだとここに来てたと思うよ。

 でもほら、人間ってせっかちだから。変わってないって証明の為に、カタチを残すために告白して、付き合って、結婚して。ずっと一緒に居ようとするんだろうね。......ぁ、いや、別に俺は結婚まで考えてないけ、けど」


 照れを隠すように、昌磨は顔をぷいとよそに向けながら川を渡った。

「そんな、簡単な、こと」

 もしかしたら泣いているのかもしれない。自分の哀れさに。なにせ、変わらない変わりたくないとあれだけ気持ちを伝えないまま、友達でいようとしていたというのに。告白したところでなにも変わってないだなんて。あまりにも、滑稽だ。大切にしようとしていたのではなく、大切なものから目を背けていただけ。それが、今までのわたしの全てだった。

「とにかく。ほら、こっち来いよ!遊ぶんだろ!俺、川は好きだからさ」

 川の向こう岸で、彼が呼んでいる。

「昌磨、」

 渡れない。もうに、行くことはできない。だって今も、


 日が沈む時間は

 月が昇る過ぎていく

 月が沈む当たり前のように

 また、日が昇るわたしはまだ生きている


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「───────げ、ぉぁ」


 胃液をひっくり返した。最近は食事を避けていたせいか、溢れ出た中身は透明だった。甘酸っぱい胃酸を手で拭いながら、顔を上げる。

「─────ぁ」

 日はまだ沈んでいない。お日様は、無慈悲にも少女を照らす。

 涙はもう、枯れている。

 先程まで手にしていたはずのスマホには、執筆ページが映し出されたままだ。そこには、一文だけ書き残されている。


 ごめんなさい。


 慌てて削除する。それは駄目だ。それだけは駄目だ。誰に謝っている?思い上がるな。こんな残酷なもの、わたしなんかに止める術など無かった。彼が死ぬことは多分、最初から決まっていたのだ。過程を変えても意味が無い。友達のままでいようが、恋人のままでいようが、多分、ナニも変わらない。だって、大前提として人は常に変わっているから。結果は証明にしかならない。だから、だから、


 楽しかった。


 生きている以上、それは過去形だ。絶対だ。でも、彼との時間は幸せだった。楽しかった。大好きだった。好きで好きで堪らなかった。二人きりでキャンプに行った時も。修学旅行で二人で街を探検した時も。動物園に行った時も、読書感想文を徹夜して手伝いあった時も、殴り合いの喧嘩になった時も、全部ぜんぶぜんぶ楽しくて楽しくて仕方がなかった。


 好き、だった。


 何度『だった』と叫んだのだろう。当たり前か。彼の言う通り、いや、誰に言われるまでもなく、ごく当たり前に、時間は進んでいるから。時間はを奪った。時間は、こうして彼との日々を思い出させてくれた。

 変わらない証明の為のカタチ。彼は言っていた。人間は臆病なのだと。大好きな人との思い出が、どんな理由であれ消えてしまうのが嫌だから。恋をして。恋人になって。

 でもそれを拒んでいたのはわたしだ。時間は止められると思っていた。なにもしなければなにも変わらないと信じていた。───それは根底から間違っている。だって、今もこうして時が刻まれる限り、一瞬なんて言葉も曖昧に、人は変わっているのだから。


 今の今まで心の奥へと封じていた、後悔の二文字/過ぎていく。

 ごめんなさいという言葉/過ぎていく。

 さよならも言えないまま/過ぎていく。


 過ぎて、過ぎて、過ぎて。あぁ、こうして何度も彼の名を呼んで、叫んで、涙を垂らして、吐いて、ベッドのシーツをぐしゃぐしゃにしても。変わらないものがある。


「やっぱ───あたし、昌磨のことが大好きだ」


 困った女だとあいつに笑われるかもしれないけど、多分生きてる内はずっとそう言い続けるかもしれない。......時間が過ぎれば、そうでなくなるのかな。

「───」

 スマホを操作して、彼と撮った写真のフォルダを開く。ひとつひとつ眺めながら、そうであろうとそうでなかろうと、忘れない、と。最後の最後の一滴が、目から溢れ落ちた。

 意味もなくリビングへ向かう。家族はみんな帰ってきていないようだ。

 冷蔵庫を開く。奥のほうに、いつぞやのガムがぽつんと置いてある。腐っているかもしれないが、躊躇せず口に運ぶ。酸っぱい。刺激が口に広がる。しばらく酸味という酸味が口内を蹂躙した後、味は消えて無くなった。

「二百二十五勝、一敗、か」

 さっきまであれほど彼の顔を見たくない考えたくないと思っていたのに、今や奴の破顔が目に浮かぶ。してやられたのだ。

「初めて、あんたに負けたよ」

 悔しいけど、悔しくない。

 これも『切なさ』とやらの一つ、かもしれない。


 味が無くなってもガムを噛み続ける。腐っていた脳味噌を動かすには丁度良い。生憎、あいつとの思い出は写真に収まるものではない。なにより文豪様の気持ちが爆発寸前だ。


 自室に戻り、パソコンを立ち上げる。


「さ、この家に隕石でも降ってこないことを祈って、書きますか!」


 ┗┓┗┓┗┓


 強制下校時間ギリギリ。コピー用紙を抱えながら、ココノ先生の居るであろう図書室に駆け込んだ。

「これ、数時間で書き上げたの?」

「えぇ、まぁ。溜まりに溜まったやる気をキーボードに叩きつけましたからね。おかげでお腹ぺこぺこですけど」

「............、コンテストには出せないね」

「───」

「だって、文字数おもいっきしオーバーしてるもの」

「ですよね」

 頭を下げながら、あははと笑う。

「最後の台詞。ちゃんと彼の前でも言ってきなさいよ?」

「もちろん。なんて言ったって、あいつには今夜書き上げる予定の新作、読んで貰わなくちゃいけませんからね」

「......次のコンテストが楽しみね」

 ココノ先生はにっこりと笑った。


 ┗┓┗┓┗┓


 この世には『絶対』が在る。


 時間というのは、

 まさしく『絶対』そのものだ。


 誰にも止められない、

 無慈悲で理不尽な時の砂。


 ココロがある以上、

 生きている内に、

 ソレを恨む日がやって来る。


 けれど、時間は過ぎるから、

「それでも」と立ち上がることができる。

 涙を拭うことができる。

 最後に、楽しかったと笑うことができる。


 生きてる責任とか、

 そんな大層なもの、

 知ったことじゃないけれど。


 最低限大好きだから

 あんたのことは思い出す。


「じゃあね」


 原稿用紙をお墓の前に置いて、また歩き出す。寂しい、なんて戯れ言は残さない。だから、また、ここにやって来る。

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