第2話
「な~んかいいモノ入ってねーかなァ。もしもカードとか入ってたら、限界まで引き出してやろうかァ。いや、それはなぁ・・・」
久しぶりに満腹になった腹を抱えつつ、武蔵は財布をくるくる弄びながら呟いた。
鍵が付いているだけの、ほぼ廃墟という表現が適当なアパート。電気は備え付けの電灯がボンヤリ点くくらいで、水はそのまま飲んだら下痢になるような、赤錆の混じった水。
床はところどころ剥がれており、酷い場所だと鉄筋が露出している。それが二人の隠れ家である。
両親が借金漬けで端金で
その後、
それから半年程。二人は改造人間の力でスリや恐喝で小銭を稼いでは、使い切るまでぐうたらしている。
この世界に野良の改造人間の居場所などない。
現在、認定を受けた医者、あるいは
英雄から狙われる対象であるし、一般市民からも正体を知られれば迫害される対象である。
そんな訳でほとんど家から出ない武蔵と違い、大和は猫の様にふらりと姿を消しては、夜になると帰ってくる。今日も野暮用があると言って、何処かに行ってしまった。
かつては神童だったとかで、文字が読めるかどうかも怪しい程度の武蔵と違い、世界情勢やら政治経済、地球環境やらよく分からないことまで知っている。
別にどこで戦争が起こっていようが、地球が球体だろうが平面だろうが、どうでもいいと武蔵は思うのだが。
「ん?」
財布の隙間から、写真がひらりと落ちてきた。
少し色褪せた写真には、穏やかそうな夫婦と、その娘とおぼしき可愛らしい少女の集合写真。おそらく先程の女性と、その両親の在りし日の姿だろうと容易に想像がつく。
「・・・なんで、どー考えても大事そうなのが出てくるんだよ。勘弁してくれよォ」
武蔵は写真を手に取り、頭を抱えた。
その時。
玄関のドアがドンドンと鳴った。訪問販売や、気はいいが、半分ボケたようなオーナーが集金に来る時間ではない。
「合鍵落としたのか、馬鹿だなァ」
そう言いながら、鍵を開けると。
「・・・マジか」
「ふふ。良い所じゃない?」
武蔵はドアの隙間から出した頭を鷲掴みされた。
彼女の財布に偽装した発信器が付いていたからだが、武蔵に知る術はなかった。
不味い。不味い。想像以上に不味過ぎる。
大和は帰路を全力疾走していた。
昨年度の功績で昇格した一級英雄。その一人。
電子喫茶の端末でアクセスしたデータベースより、その顔が先程の不良OLの顔と同一人物と判明するのは、大して時間が掛からなかった。
「最悪だ・・・」
武蔵と離れたのは結果的に失敗だった。
後ろ暗い理由があったとはいえ、引っ張ってでも連れてくるべきだった。そうすれば街を離れるなり、潜伏するなり、いくらでも対処の仕方があった。
彼らは文字通りの戦略兵器である。単騎で戦況を文字通り一変させる。
劣勢を優勢に。惨劇を蹂躙に。
特権の一つである逮捕権。
その是非に関してよく専門、一般を問わず議論になっているが、実態としては逮捕権があるから無闇に犯罪者を殺めるなという規則である。
少なくとも現時点では、逆立ちしても勝てる相手ではない。
「全く。ずいぶん歓迎されてないみたいね?」
突っ伏して動かない武蔵の背中に腰かけながら、三笠は大和を見て笑った。
「あんまり暴れるから、つい。手加減が難しくって」
「そうか」
大和は左足をサッカーボールを蹴るような勢いで振り抜いた。硬い鉄底の靴が三笠の顔面に向けてミサイルの様に飛ぶ。
三笠は立ち上がり、間一髪で躱した。
電磁靴の直撃を受けた背後の硝子が砕け、外に鋭い雨を降らす。三笠は腰元のベルトに差していた
電気人間の大和に本来の気絶効果はあまり期待出来ないが、性質上使用者が痺れることのないように、耐電性は申し分ない代物である。
「ふふ。手の内を知っている分だけ、有利かしら」
三笠は柔和な笑みを浮かべる。
「関係ない」
大和は両手で頭を庇いつつ、電光石火の突撃。捕まえてしまえば打、投、極。そして電撃。手数の多い大和が有利である。たとえ
「まるで猪ね」
三笠は大和の突進軌道を見切って横っ飛びで躱した。そして無防備な背後から、スタンロッドを振り被って一閃。その筈だった。
大和は三笠が躱した瞬間、右足に能力を集中した。
そして床に露出していた鉄筋部分を踏み抜く。電磁力で右足を無理矢理その場に留め、左半身を捻ってその場で反転する。
「地獄に堕ちろ、クソ女」
右拳を振り被り――顔面に向かって叩き込むような一撃。しかし。
「天国。見えた?」
「――が、はっ!?」
視界の暗転。煽る様な嘲笑。
十分な加速の付いていた大和と、その場で一旦足を止めていた三笠。
タイミングは完璧。躱せる筈がなかった。しかし接触の瞬間。三笠の姿が煙の様に消えていた。
否。大和の目は、三笠の残像を視界の端で捉えていた。まるで違う時の流れで生きているの様な、滑らかな高速移動。
その異次元の動きで大和の拳を掻い潜り、胸部に強烈な一撃を加えていた。大和は後方に吹き飛ばされ、倒れ伏す武蔵の身体にぶつかった。
大和は立ち上がろうとするが、激痛で咳き込み、立ち上がる事もままならなかった。
「無理はしない方がいい。しばらくは、まともに呼吸が出来ない筈よ?」
「・・・なんで戻って来たんだよ、大和」
衝撃で目を覚ました武蔵は、咳き込む大和の肩に手を遣り、観念するように言った。
「別に。勝てると思ったんだよ」
大和は心にもないことを言った。おそらく勝機がないことは重々承知していたし、自分だけなら逃げられるタイミングは、いくらでもあったのである。
「だいたいよォ。俺達が何をしたっていうんだよ」
「君達が何をしたとか関係ある? 未登録の改造人間は殺してもいいのよ。そう法で決まってるから」
「・・・アンタ、
「ふふ。やっぱりそう思う?」
武蔵の呆れ声に、三笠は心底可笑しそうに嗤った。
「最近、この辺りで未確認の改造人間が出没するって情報があってね。どんな子達か調査してたら、偶然君達を見つけたって訳」
いわば先程の騒動は囮捜査だった。それに二人がまんまと食い付いてしまったのである。
「今なら、さっきの連中が件の改造人間。君達二人は無関係ってことに出来る。私は別に真偽なんてどうでもいいからね。その代わり、私が君達の管理者になるのが条件だけど」
管理者と被管理者。専用のICチップを埋め込まれ、常に管理者に居場所を把握された上、緊急時には能力剥奪も許可される、文字通り犬の首輪である。
「・・・お前の犬になんか、死んでもなるか」
「あら。随分嫌われちゃいましたね」
「好かれると思ったか?」
吠える大和を窘めるように、三笠はウインク。
「私は好きになりました。決して友の居場所を割らない武蔵君に、勝ち目が無くても友のために戦う大和君。美しい友情です。私より余程、
臆面もなく言い放つと、三笠は胸ポケットから煙草を取り出し、ジッポーで火をつけた。
「はー、やっと一服出来た。思ったより手間取ったな。寝不足はお肌の大敵なんで、私は帰ります」
ぱんぱんと埃を払い、三笠は立ち上がった。
そしてポケットから本命の財布を取り出すと、名刺を一枚抜き取って二人の足元に落とした。
「朝一に、ここまで来なさい。あ、朝一って言っても、あんまり早いと怒るかも」
戦闘の余波で半分壊れたドアを開け、そこで思い出したように振り向いた。
「そうそう、武蔵君にはマーキングしてるから、逃げても無駄よ。大和君は、まぁいいや。逃げるなり、付いて来るなり好きにして」
言うだけ言って、三笠はそそくさと立ち去った。
「・・・・・・」
極大の嵐が過ぎ去り、残された二人は呆然としながら、彼女の提案を反芻する。
「・・・そういえば。大和君、あんな感じだけど女の子だったな」
胸部に一撃を加えた時に、僅かに抱いた違和感。同性だから辛うじてわかる、微妙な身体の使い方。
そして、正体を知られる前から何故か向けられていた、嫉妬の様な薄暗い敵意。
「ふふ。どおりで、最初から警戒されてた訳だ。年下は好みじゃないけど」
英雄が死んだ日。 @saya--
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