英雄が死んだ日。
@saya--
第1話 出会い
――
すーっと最後の一息を吸い終え、濡れた床に煙草をポイ捨て。
「あぁ。
裏路地の十字路で呑気そうに一人呟く、栗毛を束ねた妙齢の女性。
帰宅途中のサラリーマンを思わせる、やや草臥れたワイシャツにネクタイ、黒いレディースパンツ。スレンダーながらも、要所要所はメリハリの効いた女性的な体系に、物憂げな薄幸美人。
そんな印象の彼女を、下品そうなチンピラが十数名、ぐるりと取り巻いていた。
彼らの首筋には、どれも鉤十字の手術痕。
その起源はかつての第三次世界大戦時に遡る。
瀕死の重傷を負った軍人の治療、及びそうした軍人を前線に復帰させるための医療技術を発端として生まれた技術で、サイコロの目をぴたりと当てる様な狂気の成功率と引き換えに、オリンピックの全種目でメダリストになれる程の高い身体能力、さらに特性に応じて様々な特殊能力を得る。
特徴は首筋に付いた、鉤十字の手術痕。
基本的には一部の手術を希望した軍人、あるいは他に助かる可能性がない瀕死の患者が最後の希望で受ける手術だが、その技術は裏世界に流出。
マフィアやテロリストなど、人命の軽い裏世界の人間は多くの犠牲を払いつつも、改造人間を次々に生み出していた。彼らもその内の一人というわけである。
「お姉さん綺麗だねェ。一人?」
「オレ達と遊ぼうよォ」
「気持ちいいことしようよォ」
「まずは拉致って、ヤク漬けにしてェ~。あ、動画録ってるか?」
四方から下卑た声と視線を感じながら、その女性――三笠は溜息を漏らした。
先刻から尾行られていることは分かっていたし、あえて防犯カメラのない、囲み易い場所に誘導したというのに。
あまりにも事が上手く進み過ぎている時は、その状況自体を疑うべきである。そんな当然のことすら分からない、ある意味で能天気な相手への失望。
(さて、どうしましょうか)
周囲を見渡しつつ、まるで晩御飯のメニューを考えるような気楽さの三笠。
「おいおい。聞いてんのかよ、お姉さん――」
そんなあまりにも危機感のない彼女の背中に手を伸ばした男の顔が――いきなり地面に叩き付けられた。
いや。叩き付けられたという表現は正確ではない。頭上から降って来た少年に、いきなり頭を踏み付けられたというのが実態である。
ぐげ、と不快な声を漏らし、彼は石畳に沈んだ。
「――あーあ、着地失敗だなァ」
無造作に伸びた黒髪。額に大きな火傷跡。何日も洗っていない様子が伺えるボロボロに汚れたシャツ、ズボン。首元には黒いチョーカー。
「なんだ!? このクソガキが!!」
チンピラの一人が、突然現れた少年の脳天に金属バットをフルスイングした。まるで人を殺すことなど屁とも思っていない、躊躇のない一撃。
普通の人間なら重傷。そのまま一生目覚めない身体になっても不思議ではない。
――筈なのだが。
「・・・は?」
男は思わず声を漏らした。
殴った方の腕が、まるで電気でも喰らったように痺れる。理由は明白。少年の頭を殴ったバットが、ぐにゃりと曲がっていた。
まるで鉄塊を殴った様な手応えである。
「痛てェなァ。ますます馬鹿になっちまうだろうがァ!」
ノータイムで反撃の右フック。男は鋼鉄の拳を持つヘビー級ボクサーに殴られたように吹き飛び、あえなくノックアウト。
その動きで僅かにズレた少年のチョーカーから、鉤十字の手術痕が姿を覗かせた。
「――ッ!!!!!」
改造人間である。彼らと違って正真正銘、本物の。
思わぬ敵の登場に、動揺を隠せない彼らの頭上から別の声が響く。
「――心配するな
こちらは優雅で華麗。
集団のど真ん中に、まるで演技を終えた体操選手の様に着地。驚き戸惑う彼らに、ハイタッチでもするかのように触れた。
響き渡る絶叫と、僅かに肉の焦げる嫌な臭い。そんな音に混じって、漏電中のケーブルの様な青白い火花と、何かが弾ける様な音。
「程々にしろよ、
「お前が先に降りてなきゃ、一瞬で終わってたんだけどな」
「・・・それもそうだなァ」
赤い髪に、中性的な顔立ち。頬に縦一文字の切傷跡。
黒髪の少年――武蔵と同じくボロボロだが、本人の性格か、最低限は繕ったタイトなシャツ、ズボン。こちらも首元の鉤十字を隠すチョーカー。
「つーか、弱ェなぁ。ホントにコイツら、同じ改造人間かよ?」
「これは
「それ、意味あんのかよ?」
「強そうに見える。それくらいだな」
全く関係のない事を話しながらも手を休めることのない、文字通り不死身の鉄塊人間に、不可触の電気人間。
本物の改造人間に、多少武装した程度の人間が敵う道理はない。
「・・・ふふ」
目の前で突然始まった無慈悲な殺戮劇を楽しそうに見ながら、三笠は胸ポケットから新しい煙草を取り出し、ジッポーで火を灯した。
「オレ、焼肉屋行きたい。焼肉屋。食べ放題で、生で食っても大丈夫そうなトコ」
武蔵は失神する哀れなチンピラ達から、順番に財布の中身を抜き取っていた。
抵抗する者もいたが、追加でボコボコ蹴られる、電撃を受けるなど、抵抗空しく全ての金銭を奪われるのだった。
「食べ放題の生肉は二度と食うなと言ったのに、懲りない奴だな。また腹を壊すぞ」
「はァ? 生の方が旨いに決まってるだろ。ユッケだったっけな。アレを飽きるほど食いてェな」
「・・・胃薬でも買おうかな」
「胃のムカつき? それとも胸焼け?」
「そんなトコだ」
大和は呆れて溜息を吐いた。略奪を終えた武蔵は満足そうに笑うと、呑気そうに煙草を燻らせて、こちらを見ている三笠の方向を向いた。
「さァ。あとは綺麗なお姉さんだけだぜ? 金を出せェ、金を」
「・・・あらら。私もですか。困りましたね」
予想外。まさにそんな表情で三笠は苦笑した。こういう状況は、大抵自分の様なか弱い存在は見逃されるのが、定番な筈なのだが。
「悪ィな。オレら、別に改造人間っつっても、
「そうですか。
この言葉の始まりは、裏世界に所属する改造人間達に起因している。
改造人間を捕えることは困難だ。
もちろん殺すだけなら、ミサイルやクラスター弾など本来個人に使うものではない戦術兵器を使えば、大抵の改造人間を始末することが出来る。
しかしこの現代社会において、そんな身も蓋もない戦術は許されない。そもそも改造人間の大半は、そのハイリスクな条件から命の安い下っ端が圧倒的に多く、情報を吐かせる為にも生け捕りが望ましい。
とはいえ、警察や軍で改造人間を捕えるのは難しい。容易く手錠を壊し、数人がかりで押さえ付けても、力づくで跳ね飛ばすような存在である。例えるならば、人間並みの知能を持つ大型の猛獣である。
そこで取られた苦肉の策が
元々は、改造人間の力を得たとある退役軍人が、数人の同僚と共に設立した民間軍事会社である。社旗は鉤十字を背負うという意味も込めて、シンプルな十字架。
彼らは自分達を
そんな英雄達の組織は、世論に後押しされる形で軍・警察に準ずる武装集団となり、国家資格となった最上位の一級≪
閑話休題。
「俺らはコソ泥さ。相手を選ばねェだけのな。善良な市民からも、クソったれな悪党からも平等に奪うのさ」
「成程。せめて
「五月蝿ェなぁ。報酬金、いや消費税だと思って諦めな。税率100%で全額だ」
三笠は武蔵の冗談みたいな言葉に、思わず吹き出した。
知ってか知らずか、
希少な存在、かつ軍や警察では対処出来ない危険人物を相手取るのだから、ある意味当然ではあるのだが、医療破産ならぬ
例えば、先程の様な改造人間10数体(結果的に贋者だったのだが)から、依頼者を守るという内容であれば、今の三笠の手持ちでは二つ合わせても手付金にもならない。
「ふふ、消費税なら仕方ない。大人しく渡しましょうか」
三笠はポケットから小銭用の財布を抜き取り、武蔵に向けて緩く放った。武蔵はフリスビーを投げられた犬の様に飛び付くと、その中身を見て声を上げる。
「あの綺麗な姉ちゃん、すげー金持ちみたいだぜ、大和」
「・・・それはよかったな」
大和は三笠の動向を警戒してか、鋭い視線を遣りつつ応えた。拳銃を取り出すなどの反撃等に備えてか、それともそれ以外か。
「その財布。結構高かったので、大事に使ってくださいね?」
三笠は両手を上げて無抵抗をアピールした。ついでに軽くウィンク。
「そうかァ! それなら大事に使わせてもらうぜ!」
「・・・・・・」
何故かグーサインの武蔵に、ますます三笠へ鋭い視線を向ける大和。
三笠はそんな二人の愉快な改造人間達が夜の街に消えていくのを見届けると、ワイシャツの襟元を直しながら、静かに呟いた。
「うーん、バレたかなぁ」
首元に鉤十字。そして三本目の煙草に火を灯そうとするジッポーの裏側には、鮮やかな十字架の紋章。
彼女は一級≪
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