第3話 銀月の冒険

 皆様、お久しゅうございます。

 皆様はお覚えでしょうか。

 僕、管狐の銀月と申します。

 この度は、僭越ながら僕が物語を語らせて頂きます。

 このような大役、大変緊張しております。ハイ。

 それでは、僕の小さな冒険に、しばしの間耳を、いや……目? どちらでも結構、傾けてくださいませ。


     *     *     *


「わーやべえ! 寝坊した!」

 朝から慌てていらっしゃるのは僕の主、稲生将臣さまでございます。

「行ってきまーすっ!」

 ああ、朝ご飯も食べずに行ってしまわれました……。一日の健康は朝ご飯からでございますのに。

 僕ですか? 僕はきちんと食べましたよ?一日の健康は朝ご飯からですから。


 さて、ここらでちょいと、僕と将臣様についてお話したく存じます。


 僕が将臣様のもとへ来ることになった所以は、七月の中頃に遡ります。

 将臣様はその日、地域の皆様のために献身的活動をしておられたそうです。

 その活動の中、将臣様は、我らが頭、稲荷大明神様が鎮座しておられる神社の辺りをお掃除なさっていました。

 その時でございます。

 不届きもの二名が現れて、『がむ』なるものをこすりつけていったのです!

 それをご覧になった、心優しい将臣様は、不届きものたちを咎めることもせず、『がむ』を丁寧におはがしになりました。

 そのことを大層感謝なさった大明神様は、ささやかなお礼として、僕をお贈りになったのでございます。

 そして、僕は『銀月』という名を与えられて、このように将臣様と楽しい毎日を過ごしているのです。


 さて、将臣様が学校に行ってしまわれました……。

 家では今、お母様が洗濯をしていらっしゃいます。お母様はこの洗濯を終えると、家の掃除をなさってから、パートにお勤めに行かれます。

 すると、この家には僕一人になってしまうのです……。

 正直に言いまして、少々退屈でございます。

 夕方になれば将臣様が帰ってこられるのですが、それまでは、僕は一人で時間をつぶさねばなりません。

 ……ヒマでございます。


「……おや?」


 将臣様のお机に、本が置いてあります。近付いて見てみますと、ミミズがのたうちまわったような文字が書いてあります。どうやら西洋の文字のようです……。

「……ハッ! もしやこれは、教科書ではなかろうか!」

 きっとそうに違いありません。思い出せば、将臣様は時折、これとよく似た本を使って、勉学にはげんでおられました!

「もしかしてお忘れになったのだろうか?」

 将臣様は、今朝は大変慌ただしくお出になられました。きっと、あせって入れそびれたのでしょう。

「…………」

 机に置かれた教科書を見て、僕はひとつの考えに至りました。


「この教科書を、将臣様のところへ持っていって差し上げよう!」

 こうして僕、銀月の小さな冒険が始まったのでございます。


     *     *     *    


「……ハァ、ハァ、ハァ……」


 九月に入ったとはいえ、まだまだ残暑厳しい季節。

太陽は容赦なく道という道を照らし付けます。

 陽炎ただよう中、僕はへとへとになって歩いていました。


「ハァ、ハァ……。もう、駄目でございます……」


 ひとまず休憩と、街路樹の影に身を寄せました。緑の日傘が、少しだけ僕の汗をひかせてゆきます。


「……やはり、歩いて学校に行くのは無謀だったかしら……」


 教科書を届けにいくと決めたものの、学校に行く手段は徒歩以外にはありません。

 以前、将臣様のもとへ向かった時は、稲荷大明神様の神力をもって移動しておりました。

 しかし、今は大明神様もいらっしゃいません。

 もっと大きくなれば(管狐ですので体の大きさはそんなに変わりませんが)、妖力で移動することも叶いましょうが、僕はまだ子供の管狐(百歳になったばかりです)でございます。妖力もそんなにございません。

 やはり行くのをやめようかとも思いました。

 けれど、将臣様は教科書をお忘れになってきっとお困りでしょう。

 今こそ、この僕の出番でございます!

 将臣様は徒歩通学。決してたどり着けない距離ではございません。

「待っていてくださいませ! 将臣さま!」

 そうして勇み足でここまで歩いてきたのですが……。


「もう、一歩も歩けません〜……」

 落ちていた木の葉で顔をあおぎます。

 背中に結びつけた教科書のはしがピラピラとめくれました。

「将臣様申し訳ございません……」

 思わず弱音を吐いてしまいました。情けない次第でございます。

 涙で、陽炎でぼんやりとしていた道がさらにぼんやりして見えました。


 せっかく将臣様のお役に立とうと思ったのに……。


 その時でございます。

「……あれは?」

  ゆらめく景色の向こうに、木々に囲まれた建物が見えます。

「……学校だっ!」

 あそこにあるのは学校です! 将臣様の学校でございます!


「こんな所でへたっている場合ではない!」

 教科書をしばった紐をしめ直し、もう一息の辛抱と、立ち上がって木陰から飛び出しました。


 目指すは学校! 将臣様のもとでございます!


     *     *     *


「稲生く〜ん!」

「なに?」

「はい、コレ。英語の教科書」

「…………あ」

「昇降口に落ちてたわよ? 落としたの?」

「あ、いやそういうわけじゃないけど……。悪い、ありがとう」


 ……何やら、将臣様の声が聞こえます。

 どうしてでしょう、学校につくと、そのまま気を失ってしまいましたのに……。

「……銀月、銀月。あ、よかった。起きた」

「……こん?」

 目を開けると、そこには将臣様のお顔がございました。どうしてここに? 

「英語の教科書にくっついてたから驚いたよ。わざわざ届けに来てくれたんだね?」

「こん……!」


 ああ、将臣様……!

 僕は、お役に立てましたか?

 

「ありがとう銀月」


 将臣様、大好きな将臣様。

 僕は、あなた様のお役に立てて、まことに嬉しく思います。


「疲れただろう? 今日は一緒に帰ろうな」


「こん!」

 はい、将臣様。


 こうして僕の小さな冒険が終わったのでございます。


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稲生将臣帰路にて笛を拾ふ 彼方 @hozuki_yokocho

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