第2話 将臣、桜の下で鬼と逢ふ


「きれいだなあ……」


 大きな桜を見上げてつぶやいた。

 俺、稲生将臣いのうまさおみは今日からピカピカの高校一年生だ。たった今、入学式が終わったところである。

 一緒に来た母さんは、他のお母さんとかれこれ一時間近く立ち話をしている。

 友達も先に帰ってしまって、俺はヒマだった。

 そこで、一人で校舎探検をすることにしたのだ。

 

 体育館、プール、武道場……

 桜が舞う中、いろんな施設を通りすぎてゆく。

 武道場の角を曲がったところで俺は立ち止まった。

「きれいだなあ……」

 学校内に植えられている桜の中でも、ひときわ大きく、立派な桜の木がそこにあった。

 近づいて、ごつごつした木肌に触れる。

 触れた部分から、桜のとても大きな、かつ清浄な『気』が流れ込んでくる。

「すごい『気』。樹齢三百年は軽く超えてるな」

 そしてそのまま根っこに腰掛ける。


 ひらり、ひらり。

 桜の花びらが、風のままに落ちていく。


「……昨日教科書で見た和歌を思い出すなあ……。何だったっけ。

 

 桜花 散りぬる風の なごりには……


 ……次、何だったかな」

 昨日の晩、新しい教科書をパラパラとめくっていたときにみた歌だ。が、どうしても続きが思い出せない。ちょっと風流人の気分だったのに。

「何だったかなあ……。みせ……みす……」

「……水なきそらに 浪ぞたちける」

「そうだよソレソレっ!」

 思わず叫んだが、周りには誰もいなかった。

 ただ、桜が舞うばかり。

「……紀貫之だな」

 また声がした。

 まるで、百歳を超えた老人みたいな、しわがれた声だった。

「上だ、上。とはいっても、俺の声が聞こえる訳がないな」

 上から声がする。木の上か?

 俺は立ち上がって、上の方を見上げた。

 大木の真ん中ぐらいの枝に、誰かがいる。

「今喋ったのは、あなたですか?」

 俺は聞き返した。おや、という声が聞こえたかと思うと、声の主は器用に枝をつたって降りてきた。

 そしてふわりと地面に降り立って、俺の前に立った。

 俺よりも少し幼いぐらい、中学生くらいに見える少年だけど、その着ているものは明らかに今時の中学生が着るものじゃない。平安時代の人が着てそうな服。その色は混じりけのない白だった。

 そして背中まである髪をひとつに束ね、足は裸足。

 見るからにただの子供じゃない。


「お前、俺が視えるのか……?」

 しわがれた声が響く。

「そうか、お前は視ることが出来るのだな。俺を――妖怪を」

「……ああ」


 そう、俺はヒトでないもの――妖怪を視ることができる。

 小さい頃から幽霊や、妖怪を視た。

 視えるからといって、何かできるわけでもないから、妖怪を視ても基本的に関わらないようにしていたのだが――


「……お前、鬼? この桜の木に憑いてるの?」

「ああ。この桜を依代としておる。それにしても、近ごろは滅多に俺の姿を視る奴はおらぬ。まことに珍しいのう……」

 容姿に似つかない古風な喋り

「俺は稲生将臣。お前は?」

 俺がたずねると、鬼は驚いたような顔をして、それからにんまり笑って言った。

「俺に名はない。名付けた奴はおらぬからな。だからお前が俺の名前を好きに付けるがよい」

「え? 俺が?」

「ここで出逢うたのも何かの縁だ。好きにせい」

 いきなり何なのコイツ!?

 だいたいコイツが俺に危害を加えない保証はどこにもない。

 そのまま回れ右をして逃げようかと思ったけれど、何故かそうしなかった。

「……じゃあ、『鬼桜きおう』。桜の木にいる鬼で、鬼桜」

 俺がそう言うと。鬼――鬼桜が笑って、

「クククッ。これで俺とお前はえにしで結ばれた」

「は? 縁?」

「俺の姿を視る者は久しぶりだ。お前でしばらく遊んでやろう」

「俺で遊ぶって……。訳わからん」

 鬼桜はクククと笑っている。

 

 こいつ、妖怪だけど、悪い奴じゃあないのかな。


 ふと、そう思った。


 一陣の風が吹き、桜が波のように空を駆け巡った。 



  桜花 散りぬる風の なごりには

     水なきそらに、浪ぞたちける

      (古今和歌集 巻一・春上・五三)

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