稲生将臣帰路にて笛を拾ふ

彼方

第1話 稲生将臣帰路にて笛を拾ふ



 ミーンミーンミーン……


 暑い。

 とにかく暑い。

 頭上で回る扇風機の風は、俺の所まで来ない。


 暑い。俺は、暑がりなのだ。


 ミーンミーンミーン……


「……将臣まさおみ、将臣」

 教室の外でわめき散らす蝉の声に交じって、しわがれた、老人のような声がする。||

「……将臣、将臣。お前、かような所で何をしておる」

「……」

 声は、周りにいる生徒にも、黒板にひたすら数式を書いている先生にも、聞こえていないらしい。

「……将臣、将臣」

「……」

「将臣」

「……あーもう、うるせえなぁ! ちょっと黙っとけよ!」

稲生いのう! 静かにしろ!」

「……はい」


     *     *    *


「……ったく、お前のせいで怒られただろ。鬼桜きおう

「俺のせいではない。お前が勝手に声をあげたのだ」

「フン。周りを気にする必要がない奴はいいな」

 道に転がっている小石をポーンと蹴る。

 そして、話し相手――鬼桜の方を向いた。

 鬼桜は俺が蹴った小石を拾って手で玩んでいる。

「仕方がないだろうよ、将臣。俺は普通の者には姿も視えぬし、声も聞こえぬのだからな」

 鬼桜はしわがれた声で言った。


 ――そう、鬼桜は人に視えない。

 鬼桜は、鬼――妖怪なのだ。


「お前にしか視えぬのだから、何をしてもかまわぬのではないか?」

「……」


 ――そう、そして俺、稲生将臣は、鬼桜を――妖怪を視ることができるのだ。


 鬼桜と出会ったのは今年の春、高校の入学式の日だった。

「お前、俺が視えるのか――?」

 校庭の桜の木を依代としていた鬼桜が、その下で休んでいた俺に話しかけてきた。

 それが、すべての始まりだった。

 『鬼桜』と言う名は俺が付けた。鬼桜が名付けてくれと言ったからだ。

 そしたら――、

「クククッ。これでお前と俺は縁(えにし)で結ばれた。俺の姿を視る者は久しぶりだ。お前でしばらく遊んでやろう」

 ……なんて訳の分からないことを言った。

 それからというもの、ところ構わず俺にちょっかいをかけてくるようになったのだ。

 そんなこんなで早四ヶ月――。

「それで将臣、お前と数人の小童(こわっぱ)どもはどうして学校に来ておったのだ? 世の者はみな『夏休み』なのではないのか」

 しわがれた声で鬼桜が尋ねてくる。

 見た目は俺よりも年下なのに、その声はまるで、齢何百年の老人みたいにしわがれている。 

 その声だけが、重ねてきた年月を表しているかのように。

「将臣」

「……補習だよ補習! しつこいな!」

 一学期、数学の成績で欠点を取ってしまったため、この暑い八月に、暑い学校に来る羽目になっている。

  ……もう絶対欠点は取らねえ!

 そう決心して小石を鬼桜から奪い取り、草むらに向かって蹴る。


 コツン。


 何か固いものにぶつかるような音がした。


「……今のは何の音だ? 将臣」

「わかんない……。ゴミかなんかにぶつけたかな」

 そうつぶやきながら小石が飛んだ方向をのぞき込んでみる。

「……筒?」

「筒?」

 俺のすぐ後ろから鬼桜がのぞき込んできた。

 小石のそばに落ちていたそれを拾って手渡す。鬼桜がくるくると回して調べ始めた。

「うむ……。これは筒ではなくて笛だな。横笛だ。竹で出来ておる」

「それ、笛なの?」

 もう一度手に取ってみる。

「本当だ。息を入れるところと指の穴みたいなところがある」

 竹独特の細かな縦状の模様に、よく見ると、細かい彫刻が施されていた。すごく、きれい。

「妖怪の気配は感じないな……。誰かの落とし物かなあ?」

「かようなものを落とすなど、勿体ないことをするのう、この笛の持ち主は」

「そんなこと言ってやるなよ……。とりあえず、目につきやすいトコに置いとくか」

 辺りを見渡して、一番人目のつきそうな、草むらの中のベンチに置くことにした。

 ミーンミーンミーン……

 そして俺は、蝉の大合唱の中、帰路についたのだった。


     *     *     *


「……あれ?」


 俺は今日も補習。

「……昨日、たしかにベンチに置いたよな?」

 昨日鬼桜と拾った笛が、どういう訳か、学校の校門の脇に立てかけてあった。

 竹でできた、きれいな笛。たしかに昨日草むらで見付けたものだった。

「ベンチから落っこちて、誰かがまた拾ってここに立てかけたのかなぁ……」


 補習が終わって帰るときには、笛はすでにそこにはなかった。

 持ち主が見付けて持って帰ったんだな。

 そう思っていた、次の日。


「……何で?」


 ミーンミーンミーン……

 今日も暑い。

「……何で昇降口に笛が落ちてるワケ?」


 ミーンミーンミーン……

 蝉の声が異様に大きく聞こえた。


     *     *     *


「……で、俺にどうしろと言うのだ」

「なんとかしろよ。お前だって妖怪だろ」

「なんとかと言われても出来ぬ。ただの笛ではないか」

「……ただの笛が、ストーカーするかっ!」


 昇降口に笛が移動していたのが昨日。

 そして今日、補習の教室の、俺の机の上にちょこんと置いてあったのが――今手に持っている笛である。

「四日も続けて同じ笛が自分の目の前にあったら、さすがに変だと思うだろ!?」


 最初に鬼桜と笛を見つけたのが三日前。

 校門に立てかけてあったのが二日前。

 昇降口に落ちていたのが昨日。

 そして、今日は俺の机の上ときた。


 明らかに俺を狙ってるだろ!


 そこで、補習が終わり、晴れて自由の身となった俺は、笛を持って鬼桜に会いに校庭の桜までやってきたのだ。

「しかしだな将臣。この笛から妖気は感じぬことはお前も気付いておるのだろう」

「それはそうだけど……」

 そう。こんなに摩訶不思議な笛なのに、何故か妖気は感じない。それがまた謎だ。

「大方、ただの人間によるいたずらであろう。将臣、お前心当たりはないのか?」

「ないから不思議がってんだろ……」

 俺は妖怪を視ることができる。

 不思議極まりないことも、妖怪の仕業だとわかっていれば、そんなに怖いと思わない。

 だけど、妖怪ではない不思議は初めてだ。

 正直、ちょっと怖い。

「とにかくさ……、鬼桜、その笛持っといてよ。そんで、原因がわかったら俺に教えて」

「なぜ俺が持たねばならんのだ……。まあよい。暇つぶしにはなるだろう」

「頼むよ鬼桜。じゃ、俺帰るから」


 そして俺は、学校を後にした。

 補習が終わった今、俺は鳥よりも自由なのだ!


     *     *     *


「……お前の母親の作る『ころっけ』なるものはまっこと美味であるのう」

「……ありがとよ。俺は、母さんにコロッケが空中で消えていくのがバレないように必死だったよ」

「次は『はんばあぐ』なるものを食べてみたいのう。前に学校で食べている者がいて、心惹かれておったのだ」

「……お前、また俺ん家の夕食食べるつもりかよ……。つーか、帰れよ。桜の木に」

「少しばかり目を離した隙に笛が消えておったのだ。お前に報告せねばならんだろう」

「……ご報告どうもありがとう。家に帰ってカバン開けたら笛が入ってたよ」

 俺は笛をこれ見よがしに鬼桜に見せた。

「鬼桜に預けてから一時間もしないうちに移動してるってどういうことだよ。ちゃんと見張ってろよ」

「……それにしても、不思議な笛だな。ためしに吹いてみるか」

 そういって鬼桜が俺の手から笛を奪い取り、優雅な仕草で構えた。

 

 縁側に座る鬼桜に満月の光が当たって、鬼桜の着ている真っ白な水干すいかんが青白く光ってみえる。

 とても絵になる光景だ。


「どれ、お前に俺の笛の音を聴かせてやろう……」


 鬼桜が息を吹き込んだ。

 笛はこの世のものとは思えないような美しい響きを奏で――なかった。


「……音、出ねえじゃん」

「……なぜだ? なぜ音が出ないのだ?」

「お前、ほんとに笛吹けんの?」

「何を言うか将臣。この俺が笛を吹けぬ訳がない」

「じゃあ壊れてんのかな。俺にも吹かせて」

 お前ごときに笛が吹けるわけがない、などと言いながら鬼桜が俺に笛を渡した。

 鬼桜のまねをして息を入れてみる。



 ぴぃぃぃ……っ



 音が、出た。

 繊細で、澄んだ音だった。


「……鳴った」

「どういうことだ? お前にしか鳴らせぬ笛なのか?」

「さあ、わかんない……うわあぁあ!」


 突然、手に持っていた笛がぐにゃりと動いた。

 鬼桜も目を見張っている。

 さらにぐにゃり、ぐにゃりとうごめいて――


「こん!」


「……え?」


 笛の中から小さな狐が飛び出してきた。

 そのまま俺の腕を走って肩までのぼってくる。

「何コレ、かわいい……っ」

管狐くだぎつねだな。細長い筒の中に住む狐の妖怪だ。笛に住まうとは珍しいな」

「これが管狐……、初めて見た……っ」

 小さくて白い狐が俺の頬をぺろぺろ舐めた。

 すごく、かわいい。

「しかしなぜ、管狐がお前のもとに現れるのだ? 将臣、狐に心当たりはないか?」

「狐、狐……。あ……っ、もしかして、お稲荷さん!?」


 一学期の最後、終業式の日の記憶が蘇ってきた。


     *     *     *


 その日の放課後、俺は委員会の仕事で、地域の清掃活動に参加していた。


「おい、ティッシュ持ってねえ? ガム出してえんだけど」

「持ってねーよ。そこのキツネに付けとけよ」


 学校の近くにある稲荷神社の辺りのゴミを取っていた時だった。大学生くらいの男二人が、噛んでいたガムをそばにあったお稲荷さんにこすり付けるのを、俺は目撃してしまった。

 そのまま男達は去っていった。


「どうするよ……」

 

 俺は知っていた。

 その、小さな神社の鳥居の下で佇むお稲荷さんの石像が、時折あくびをしたり、空を見上げたりすることを。

「このままだったらまずいよなあ……」

 ゴミ袋と鉄バサミを持ったまま考える。

「……俺は視えるから、そのまま放っといて祟られるのも嫌だよな……」


 そこで、持っていた鉄バサミで、ガムをめくり取った。


     *     *     *


「……もしかして、あの時のお礼ってこと?」

「そうであろうな。管狐も狐。稲荷大明神の眷属だからな」

「こん!」

 管狐が嬉しそうに首を振る。

「……で、どうすればいいの? この子……」

「ありがたく貰っておけ。小さくとも神からの賜り物だ」

「え、うん……」

「普段はその笛の中におるだろうから、邪魔にはならんだろう。しかし、そうか。それで妖怪の気配がしなかったのだな。管狐は管の中にいる時は気配を消せるからな……」

「こん!」

 管狐が短く鳴いた。そして、俺の方にすり寄ってくる。

「『名』を与えてやれ、将臣。それでお前とその管狐は『縁』で結ばれる」

「俺その『縁』で結ばれるっていう意味がよくわかんないんだけど……」

「簡単に言えば『名』を与えることによって、そのものを『名』で縛り、思いのままに扱うことができるということだ。尤も、そんな芸当はよほどの力がある者くらいしかできんがな。お前の力ではお友達になるくらいだ」

「な、なるほど……」

 式神みたいなもんか。

 そう納得することにして、管狐の名前を考える。

「じゃあ、お前の名前は……『銀月ぎんげつ』。白い毛が銀色に見えるし、今日はきれいな満月だから」

「こーん!」

 管狐――銀月がそれは嬉しそうに鳴いた。


 三人で月を見上げる。

 まんまるいそれは、優しい光を放っていた。


「月はいつの時代でも美しいものよのう……」

「ああ……」

「こん……!」

「将臣、せっかくだ。銀月の笛を吹いてみよ。お前にしか鳴らせぬのだからな」

「よし」


 ぴぃぃぃ……っ


 高く澄んだ笛の音は、闇夜の中へと溶けていった。                   

             

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