1973/1998 ノーミュージックノーライフ

小鳥遊かずみ

第1話

部屋の片付けをしていたら高校の文芸部OBとして作った冊子が出てきた。


恥ずかしいがちょっと面白いのでまとめてみようと思った。


1973/1998 ノーミュージックノーライフ



「謝罪文」


こういう雑文は

自己顕示欲のアラワレ以外の

ナニモノでもなく

やっぱり書いてしまうのは

やっぱり自己顕示欲のアラワレ以外の

ナニモノでもありません。


ある歌への思い入れというのは

人それぞれあるのであって

こんなものを書くのは

自己満足に過ぎないわけです。


そしてそれは皆他人様の才能です。


私はただ それらをいとしいといっているだけです。


うざったい奴ですね。 


私もそう思います。


気が向いたら御読みください。

気が向いたらこれらの曲を聴いてみてください。


それでは。



一曲目 土手の向こうに はちみつぱい

詞/鈴木慶一 曲/鈴木慶一



中学は4年間在席した。

実際 2年分くらいは出席したろうか。怪しいもんだ。


その頃 私はウツ状態で

そのほとんどを 安倍川の河川敷や図書館 古本屋 もしくは静岡日赤病院でぼーっとしていた。


中学2年の終わり 家の近くに中学校が新設されて移ることになったのだが前校同様 安倍川沿いに建てられたので

登校途中でまたも土手に引きよせられてしまうのだった。


土手では特に何かをするでもなく

川向こうを仰いだり

仰向けに寝ころがって

案外 雲の流れははやいものだ などと思ったりしていた。


時々 同類の小学生や中学生に会うこともあったが目が合ってもお互い声をかけることはなかった。


平日の真昼間にこんな川土手にいる輩は

お互いやっぱり一寸ヘンだとわかっているからだった。



2曲目 夜が明けて 詞/なかにし礼 曲/筒美京平



7歳まで住んでいた家は東田子ノ浦にある紺色の屋根瓦の二階建てで少し暗い階段を昇ると大きな窓のある二階部屋があった。

窓からは正面に大きな富士山が見えて

晴れた日は観測所もはっきり見えた。(今はないのだ。)


部屋には一台のモノクロテレビが置いてあって

日曜日の昼は歌謡曲の番組がよく流れていた気がする。


周りはまだ空き地と畑ばかりで

まだ舗装されていない道を

オート三輪が走っていたりした。


70年代の話だけど うちは田舎だったから

60年代の空気もまだまだ残していたかもしれない。


所はかわって


その頃 東京では一人の外国人作家が来日していて

寺山修司を見たことを日記に残している。


「東京日記」/リチャード・ブローティガン


この詩集をめくると あの頃の空気を思い出すのだった。



3曲目 いい事ばかりはありゃしない 詞/忌野清志郎 曲/忌野清志郎



もちろん悪いことばかりでもない。


1994年8月21日 あがた森魚のライブ帰り。


新宿シネマアルゴから

渋谷オンエアウエスト


PM 11時12分

道玄坂をくだりつつ

「良いことが人生の1%でもOKやん。」と言う中島らものフレーズを思い出す。


夜風は少し冷たくて

「甲州街道はもう秋なのさ」

て気分で風に吹かれていた。



4曲目 香菜、頭をよくしてあげよう 詞/大槻ケンヂ 曲/本城聡章



貧弱な語彙の数とサブカルチャーとカタカナ言葉で

己の「バカさ加減」を覆っていた。(今もだけど)

私は或る年 ケレンのある言い回しをまったく使わず

簡単な言葉で素直に物事を表現し受け取る事の出来るKさんに出会ってすっかり参ってしまったのだった。


私は彼女ともっと話をしてみたいと思いそれはかなった。彼女は中学の同級生であった。


短い期間ではあったがそれでもKさんと話した時間はとても貴重なものであった。


自分の「バカさ加減」にようやく気付くことができたのだから。


しかし改善されてないかなー未だに。苦笑


で。

わりと評論家などが80年代は「何もなかった80年代」とよく言われるけども

もちろんそんなことはいえない。


一人一人にそれなりの10年だったはずだ。


私は自己完結の日々だったけど。


岡崎京子の「東京ガールズブラボー」には

そんなアナタとワタシの80年代が描かれている。


で。


私は今 中古レコード屋を巡って思い出の捏造に励んでいるのだった。笑



5曲目 いとしの第六惑星 詞/あがた森魚 曲/あがた森魚



稲垣足穂/弥勒 新潮文庫刊 「一千一秒物語」所収


読んでみてくだると幸いです。



6曲目 10時間 ムーンライダーズ 詞/鈴木慶一 曲/鈴木慶一



「有事でも起こらなければ

この国の全ての馬鹿馬鹿しい部分は改まらないだろう。」


と思っているかのような鶴見済。


もうずっと続いているこの閉塞感に

「戦争起こんねーかな。」

と軽率にしかし確信犯的にメジャーな雑誌にコメントして少なくない反感を買い続ける行為を望んでやっているように見える鶴見済を全面的に非難することはしかししたくない。


とはいえ他人の後ろ向きで厭世的な論調は同類の人間、私自身みたいなのが見ると自分のことは棚に上げてうっとうしい気分になるのだよね。


人間って勝手なものだ。

私も勝手なものだ。



7曲目 FGG 詞/平沢進 曲/平沢進


8曲目 WIRE SELF P-MODEL 詞/平沢進 曲/平沢進



「SFは売れないよ、文学じゃない。」と言われる。

これは正しいか?

正しくない。SFは立派な文学だ。

SFとはscience fictionの略である。

このfictionという部分が否定派の主要な理由らしいが逆にそこがSFの文学性の主要部分だと肯定派は考える。


読んでみていただきたい。SFはいい。

ヴォネガットの「タイタンの妖女」や「猫のゆりかご」はオススメだ。あるいは「夏への扉」なども。


子供の頃 夕暮れの西の空に人工衛星が落ちてくるのを見た記憶がある。

自宅の庭の木の枝に登って遊んでいたとき 隣に住んでいた幼馴染と一緒に見た記憶。


SFはいい。

スプートニクは風を切り/

アポロの火はまだ燃えているのだ。

それは 科学と祈りの間/のこと。


もちろんBGMは

P-MODELだ。



9曲目 赤い戦車 ヤプーズ 詞/戸川純 曲/中原信雄


と ある成り行きで連れと静岡の森下公園で23時頃

リキュールで一息ついていた。

そこへ自転車に乗った

一見してそれとわかる酔っ払いが近づいてきたのだった。

彼は私たちをつかまえて 我々に「こういう友人は大切なのだ。」と説き 自分の身の上と「オーストラリアを自転車で廻ったんだ。」と語った。

「自分は公務員で長期の休暇を取るのは大変なのだが年齢やら何やら考えると今しかない そう思って行ったのだ。」と。

「結婚もしたんだ。奥さんが待っっているんだ。」

「邪魔して悪かったね。」

と言って自転車で帰っていった。


彼は誰かに話したかったのだと思う。

わかってもらいたい想いを話したかったのだと思う。

今までいろいろなことがあって

これからもいろいろなことがあるだろうが

それでもなんとかやっていくのだということを

その覚悟を その旅を区切りにしてしたのだということを

彼は誰かに話したかったのだと思う。


ところで あのとき隣にいた連れのT君よ、

彼はどこの郵便局員だと言ってっけか。

覚えてる?

私は忘れた。


でもあれって飲酒運転だよなぁ。と野暮なことを思った。

 


10曲目 夏の遺跡 ロングバケーション 詞/KERA 曲/中野テルヲ



白い光が眩しくなる頃

夏向きの選曲をしたカセットテープを持って150号線を清水の三保まで原付を走らせる。


海洋科学博物館を折れると

海がひらけてみえる。


堤防の強い陽射しの中で頭をカラッポにすると

白日夢のように湧く


「バートンフィンク」のラストシーンや

「国境の南」

「1963/1982のイパネマ娘」・・・etc。


静かだ。

どこかで微かにラジオノイズ。


止む。

また静寂。


THE EDGE OF THE WORLD


ここが世界の淵だという気がする。




清水だよ。(ツッコミ)



11曲目 BYE-BYE 有頂天 詞/有頂天 曲/有頂天



物事の終わりは

なにもないのがいいと思う。


フィルムロールがまわって

最後にひとつだけ音をたてて

それだけでいいと思う。


幾度も終わりが

積み重なって

ここまできて


良い終わりでないほうが

多かったけれど。


かなうならば

いい終わり方を願って。



と いうわけで最後の曲です。



どうぞ。




「西暦2000年分の反省」


後書きにかえて。再び謝罪文。


いわゆるポピュラーソングでないこの選曲は

ひとえに こういうことでしか存在証明をもてない私のやっぱりくだらない自己顕示欲によるものです。


どーもすいませんでした。ちくしょーめ。


さておき この11曲の他にも思い入れの深い曲はまだまだあって

それらもやっぱり名曲中の名曲なのですが

バランスを考えた結果と時間の関係で このようになったのでした。


曲とリンクするように書いた私の拙い雑文とその他の文中には

いろんな作家の影響やフレーズの引用が

良く言えば 「コラージュ」

はっきり言えば 「パクリ」

という形で散りばめられています。

どこかで元ネタを発見した方は

「ああ、こいつ、これをパクリやがったんだな。」

と冷笑してくださって結構です。

お粗末様でした。


ちなみに上記の「西暦2000年分の反省」は

今は亡きロックバンド「じゃがたら」のベストアルバムのタイトルで「ミュートビート」のトランペット奏者 小玉和文氏の引用です。


モノを形にするとき

思いを言葉にするとき

それはいつでも暫定的な形にしか成り得ません。(生きてる間は進行形だから)

これらの曲が色褪せることもあるかもしれません。

でも・デモ・DEMO・・・。


最後にこんな言葉を使って締めたいと思います。


「音楽は過去に向かって進行している。」/ポール・サイモン


好きなように解釈してください。


それでは。

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