第7話「出せない手紙」
第6.0話
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第6.5話
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「どうしたの、
秋祭りの翌日、秋晴れの日曜日。俺は例の噴水広場に
長門は昨日、俺に告白してくれたことを忘れたかのようにいつも通りだ。でもそれが強がりだということは、ほんの短い付き合いからでもわかった。勘違いかも知れないけど、長門の顔は少し緊張しているように見えたから。
人との関わりは長さじゃない。短い時間でも深く互いを理解できることだってある。長門はそれを、改めて俺に教えてくれた大切な存在だ。
「それで上総くん、今日の用向きは? お休みの日に学校に呼び出してくれるなんて初めてじゃんか。これは昨日の話の続きって、そう期待してもいいのかな」
「それも含めて、長門に伝えたいことがあるんだ」
「うん、聞くよ。どんな返事だって構わない。答えをくれないよりは全然いい。もちろん上総くんが、答えをくれない人だなんて思ってないけどね」
そこまで言うと長門は、少しだけ強張っていた表情を崩して。そしていつものように小さく笑った。
そのままポケットから例の小瓶を取り出して。金魚のエサが入ったそれを優しく傾け、水面に静かにエサを撒く。
二匹の金魚は、すぐにそれに寄ってきた。どうやら二匹の「初めまして」は無事に済んだらしい。
「二匹になったら、名前を付けようって言ってたよね。私、考えたんだ。結構、いい名前だと思うよ」
「なんて名前?」
「新しい子は『うみ』。前からいる子は『なつ』。どうかな?」
『うみ』と『なつ』。どこからその名前を取ったのかは、すぐにわかった。俺は長門にゆっくり頷く。たぶんこれ以上の名前はないと、そう思いながら。
「俺たちが出会った季節にぴったりな名前だな」
「いいセンスでしょ」
長門は目を細めて笑う。とても楽しそうに、そして嬉しそうに。だから俺は、次の言葉に詰まってしまった。どう切り出せばいいのか、まるでわからなかったから。
でもこれは、俺から話さないといけないことだ。昨日、長門はきっと勇気を振り絞ってくれた。だから今度は俺が勇気を出す番だと、そう思った。
「……長門。昨日の話だけど、嬉しかったよ。誰かに好きだって言ってもらえたのは初めてで。こんな俺でも誰かに好いてもらえるんだって思えて。今まで自分に自信が持てなかったけど、今のままの自分でも良いんだって思えることができた。だから、長門には本当に感謝してる。ありがとう」
小さく頷く長門は、何も言わない。俺は言葉を続ける。長門に伝わってほしいと、そう願いをこめて。
「長門の言葉は本当に嬉しいよ。今までの人生で一番嬉しかった言葉だ。でも、ごめん。俺は長門の気持ちには応えられない」
「……まぁ、何となくわかってたけどね。理由を聞いてもいい?」
「好きな子がいるんだ。小学五年の頃に出会った子で、今は遠く離れた場所にいる。いつかその子に再会したいと、ずっと思ってる。現実的にそれは無理だと思うけど、それでも好きなんだ。たぶんこの先もずっと、たとえ会えなくても、その気持ちは変わらない」
こうして言葉にすると、よりはっきりとわかる。俺は今でもやっぱり、
小学生の時に出会って、一年と少しで離れることになってしまって。でもそれからずっと、手紙のやりとりを続けてくれた夏帆。
たとえ夏帆にもう会えないとしても。それでも俺は変わらず、夏帆のことを思う。
きっとこの気持ちは自分が死んでしまうまで変わらない。重いと思われたって変えられない。今の俺を形作ってくれたのは、間違いなく夏帆だから。
だからずっと。そう、ずっと。俺はあの夏に出会った夏帆のことを、これからも思い続ける。たとえそれが、もう届かない思いだと知っていても。
しばらく無言の時間が続いて。大きく息を吸ったあとで、長門は小さく言葉を紡いだ。
「……そっか。ありがとう、上総くん。ちゃんと答えてくれて。私のことを真剣に考えてくれて。それだけで私は嬉しいよ」
長門は諦めたように小さく笑った。そんな顔はしないでほしかった。でもそうさせているのは他でもない自分だ。
泣き出しそうになる長門を見て、言葉が詰まる。息も詰まる。でも俺には何もできなくて、ただ見ている事しかできない。そしてそう決めたのは俺だ。だから今はその選択を、全うするしかない。
おれは固く口を閉ざして。そして、長門を見続けた。
「でもやっぱり、ちょっと悲しいな。ううん、嘘。すごく悲しい。どうしたって私の気持ちは上総くんに届かない。それが悲しい。でも上総くんを困らせるのは、もっと悲しいことだから。だからこの話はこれまでにする。でもさ、」
少しだけ涙を湛えて長門は続ける。何かに縋るような、そんな目をする長門。
「もし叶うのなら、今の関係のままでいてほしいよ。何もなかったことにしてほしい訳じゃない。私の気持ちは上総くんに届かなかった、それでいいの。それでいいから、この友達の関係でいてほしい。それは私の、我儘かな」
「……ごめん。それも無理だ」
「どうして?」
「家の事情で、急だけど高校を辞めることになったんだ」
「──え?」
長門の表情が固まった。信じられない、というような顔。それは仕方のないことだと思う。昨日、親からそれを聞いた俺だって、自分のことなのにまだ信じられないからだ。全く実感のない降って湧いたような話。
だからだろうか。ただそれを受け入れるしかない気持ちになって、俺は淡々と説明を続けた。
「親の仕事にトラブルがあったみたいで。独立に失敗して多額の借金を背負ったらしい。騙されて、危ない橋を渡ってたってさ。明日から、まぁ簡単に言うと夜逃げになるのかな。とりあえず、ここじゃない場所で暮らすことになると思う」
「……どうして? どうしてそんな他人事みたいに言うの? 自分の将来のことでしょ? 進学はどうするの? 上総くん、大学に行きたいって言ってたじゃんか」
「行きたいよ。家を出て、一人で生きていきたいよ。でも仕方ないんだ。俺はどうしようもなくガキで、まだ一人で生きられない、しょうもない男なんだ」
「諦めるの? 全部、諦めちゃうの?」
「もちろん奨学金を貰って大学への進学だって考えた。でも家がこういう状況だから、どうしようもない。高校を卒業する歳になるまでは、親の庇護下から完全に離れるまでは、どうしたって一人じゃ生きられない。自分では金も稼げないし、バイトしたとしてもたかが知れれるだろ。それにそもそも住む場所がない。だからどう考えたって無理だ、今のままじゃ」
言葉にすると、笑えるくらいに陳腐だ。手垢にまみれ、使い古されたような不幸話。
でもそれが俺の現実だった。非情で異常な、抗い難い確かな現実。
「明日から、もう上総くんには会えないの……?」
「ごめんな、長門」
「どうしても、ご両親について行くの?」
「そうする他ないよ。これでもいろいろ考えたんだ。でも俺にはそれしかない。それに俺は、両親が嫌いって訳じゃないんだ。こういう時、家族は助け合わないとと思う。俺だけ自由に振る舞うことはできない。だから、」
一旦、言葉を止めて。決意を込めて、俺は長門にそれを告げた。
「さよならだ、長門。それにごめんな。せっかく友達になれたのに、一緒に卒業できなくて。長門は俺にはもったいないくらい、いい友達だったよ」
長門は涙をいっぱいに湛えて。震える声で言ってくれた。
「……わかった。こっちこそ、ありがとね。上総くんとは三ヶ月も一緒に過ごせなかったけどさ。でも人との付き合いって、長さじゃないんだってわかったよ」
「俺もそう思うよ」
「うん。どうか元気で。身体だけは気をつけて。そしていつか、必ず再会してね。どれだけ時間がかかっても」
「……今のスマホはきっと解約することになると思う。まだ次の住むところだってきちんと決まってない。だから、約束はできない」
そう答えると、長門は少し怒ったように唇を尖らせた。何言ってるの、と長門は続ける。
「私との再会じゃない。上総くんが好きって言ってた、その女の子との再会だよ。どんな関係か、私にはわからないけどさ。でもきっと、その子は今でも上総くんのことを思ってる。ずっと待ってると思う。だから絶対、再会して思いを伝えてあげてね」
どうして、と俺は問う。どうして俺にそこまで、長門は優しくしてくれるのかと。
その問いに、長門はさらりと笑う。友達だから当たり前じゃんか、と。
「上総くんとその子が上手くいかなかったら、私はキミを諦めきれない。だから私を諦めさせるためにもさ。何年かかっても、ぜったい幸せになるんだよ」
「……ありがとう」
「うん。私は私で上手くやるよ。『うみ』と『なつ』のことは任せて。この噴水を金魚でいっぱいにする。それが、私と上総くんが出会った証だ」
泣き笑いの顔で長門は言った。目元を隠すように、制服の胸ポケットからメガネを取り出して掛ける長門。淡い青色のメガネは、夏の終わりを示しているように映る。
「それじゃあ、元気でね」
「あぁ、長門もな」
「最後に握手をしよう。さよならの握手を」
差し出された、小さくて細い手を握る。
「私と出会ってくれて、ありがとう」
長門のセリフと共に。
その夏が、終わった。
◆◆◆
それからは怒涛の日々だった。
父親がどんな危ない橋を渡っていたのかはわからない。どう騙されたのかも知らない。スマホを解約し、身の回りのものをほとんど処分して、関東で過ごしていた証拠らしい証拠は全て消し去った。それが事態の深刻さを物語っているようだった。
どこから何がバレるかわからない。両親は形だけ離婚した。名前が
逃げるように関西方面に引っ越して、慣れない西の言葉に苦労して。それでもこの状況で高校に通えるのは嬉しいことだった。
高校に通えれば、大学進学に向けた勉強ができる。もちろん進学はこの状況が許さないかも知れない。でも風向きが変わった時の準備だけはしておきたかった。
だけど現実は厳しくて。風向きが変わる兆しどころか、悪くなる一方な気がした。
余計なことを考えまいと、俺は縋るように勉強に打ち込んだ。今は我慢の時だと自分に言い聞かせる。桜だって、寒い冬を耐えないと美しく咲けないのだからと。
忙しい日々をやり過ごし、気がつくと高校三年の冬になっていた。街はクリスマスの色に染められて、道ゆく人々はみんな楽しそうにしている。
友達連れ、家族連れ、恋人連れ。大都市とは言えないが、それなりに人が多い神戸の街で過ごす二度目の冬。ここに逃げてきた当初と、状況は大きく変わっていなかった。
相変わらずひっそりと生きる日々だけど、父親は何かの仕事を必死でこなしていたし、母親はそれを懸命に支えていた。
だから父親に、今年の受験は諦めてくれと言われても、思った程のショックは受けなかった。
来年、風向きが変わればいい。そうなった時に備えて勉強に打ち込み、空いた時間は家計を助けるためにとバイトに勤しむ。それが今の俺にできることだった。
その年のクリスマス当日には、サンタの格好をしてチキンを売った。寒風が身に染みて、幸せそうな人たちを見るとなかなか辛いものがあったけど、今はそれでいい。「いつか」を夢見て、自分にできることをする。少しずつ着実に、確実に。堅実な一歩の積み重ねが、自分の夢の実現を手繰り寄せると、そう信じる。
それでも現実に負けそうになった時は、
もう一年半以上も、夏帆と手紙のやりとりはしていない。
俺からの手紙が来なくなって、夏帆はきっと心配してくれているだろう。もしかしたら夏帆は、俺に手紙を出してくれたのかも知れない。でも今の俺に、その手紙が届くことはないし、俺が手紙を出すこともできなかった。
俺の今の状況を伝えればきっと、夏帆は手紙が来ないこと以上に心配すると思う。自分より他人を優先する夏帆のことだ。私も大学に行かないとか、もしかしたらそんなことを言い出すかも知れない。だからそれだけは絶対に避けたかった。夏帆の枷にはなりたくなかった。
間違った方法だと自分でも思っている。でもこれは、俺に残された最後の矜持だったのだ。
夏帆に手紙は出さず、夏帆の幸せを願う。
今の俺にできることはそれだけ。
でもいつか、いつの日か。再び夏帆の隣に居られることを願って、俺は手紙を書く。
出せるはずのない、悲しいラブレターを。
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手紙の返事が遅れてごめん。最後に手紙を貰ってから、もう一年半になるのかな。今年はかなり寒い冬になっているけど、夏帆は元気? 体調は崩してない?
実は、いろいろあって……何から話していいのかわからないくらいで。とにかく本当にいろいろあって、気がつけば高校三年の冬になっていて。本当は大学受験の追い込みの時期だけど、今年の進学は諦めることになったんだ。残念だけど、これは仕方ないことだと思う。
夏帆の方はどう? 学芸員の資格が取れる志望校には合格できそうかな?
そうなって欲しいと切に願ってるし、夏帆なら絶対に大丈夫だと俺は思ってるよ。
夏帆には、楽しい大学生活を送ってほしいんだ。いい友達が出来て、自分の将来のためになるいい勉強をしてほしい。充実した大学生活を送って、そして自分の夢の実現に邁進してほしいと思ってるんだ。俺は、そうやって輝いている夏帆と再会したいから。
だから、何年か遅れるかも知れないけど。俺も必ずそこへ行くよ。そして、許されるなら夏帆の隣に居させて欲しいんだ。
こんな状況になってしまって、全てを諦めてしまいそうになったけど。それでも踏み留まれたのは、夏帆がいたからだ。夏帆の存在が、俺を強くさせてくれたんだ。
いつか約束したよね。同じ大学に行けたらいいねって、あの話を憶えてる?
あの時は他愛のない話だったかも知れないけど。今の俺にとって、それは絶対に叶えたい夢になってるんだ。絶対に。これだけは必ず、俺の手でどうしても叶えたい夢なんだ。
俺は、夏帆のことが好きだ。
初めて出会ったあの夏の日から。それはずっと、ただの一度も変わってない。ずっと夏帆が好きなんだ。
だからこれは、最初で最後のラブレター。似合わないと自分でも思うよ。それに手紙で愛を伝えるのは、ちょっとどうかなとも思う。だから。
この手紙は出さないままでいい。その代わり必ず夏帆の傍に行って、直接「好きだ」と伝えるよ。
その時まで、待っていてくれたら嬉しい。
また夏帆と会えることを、信じてる。
海斗
【続】
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