第6.5話「クリスマスの後で」
十二月二十五日。私は安芸家の前に来ていた。大きく息を吐き、ショルダーバッグからスマホを取り出す。
手土産のタイミングは客間に通された後。紙袋ごと渡さない。靴を脱ぐときは正面を向いたままで、玄関に上がってから靴を隅に寄せる。マナーの基本を確認した。
ちょうど約束の時間になったからインターホンを押そう。大丈夫、一時間前に最寄り駅に着いたときより緊張がほぐれている。千洋のお母さんが応答しても、フリーズしないはずだ。
「どちら様でしょう?」
「周防です。十四時からお伺いすると約束していたのですが」
「夏帆さんね? 千洋、涼風。ドアを開けてあげて」
第一関門はクリアした。手提げ袋の紙紐が汗で劣化しているものの、イメトレ通りに進んでいる。
ドアが開く前、私は喉の調子を確かめた。クリスマスパーティーに誘ってくれたお礼を改めて伝えるんだ。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「夏帆先輩、ようこそ」
普段は右目を覆う前髪が、ジンジャーブレッドマンのヘアピンで留められていた。涼風の服装に目を見張る。
「涼風ちゃん、それは?」
「主の帰還を待ちわびていた下僕である」
茶色いパーカーのフードには、トナカイの角が付いている。私は普段着を選んだことを後悔した。女子力すごい。
千洋はクリスマスにちなんだ色の服を着ていませんように。玄関の奥にいる人影を見つめる。
「姉者! さっさと挨拶したらどうだ」
涼風の声に銀髪が姿を晒す。サイドテールにしているが千洋で間違いない。化粧をしているのか、いつもより唇がふっくらしていた。
身にまとっているのは膝丈のミニワンピ。赤い生地に、ウエストマークのベルトが映える。裾を両手で抑えているせいか、白ニーソとの絶対領域が強調されていた。千洋はサンタ帽を目深にかぶる。
「ううっ……ゆ、ゆっくりしていって」
「ありがとう。似合ってるよ、千洋」
女装に慣れていない仕草が、庇護欲をさらに掻き立てる。見ず知らずの男性が見たら、一目惚れするだろう。私の言葉に、千洋は耳まで赤くなった。
「これは罰ゲームなんだ。涼風のプリンを間違って食べたから」
「姉者、まだ文句があるならピラフにグリンピースを投入するぞ」
それだけはやめて。千洋は両手で顔を覆った。可憐な美少女の姿では、兄の威厳が影を潜めていた。
「いいなぁ。仲の良い兄妹で」
私の呟きに二人は声を揃えて言った。
「羨ましいなら涼風を貸すよ」
「喜んで先輩の妹になる」
兄妹のシンクロが微笑ましい。なのに胸がちくりと痛んだ。脳裏を過ぎるのは、天真爛漫だったときの声。
『髪型変えたの? 可愛いね』
見れば分かるでしょ。
『昼休み、一緒に遊ぼうよ』
二人で遊びたいから邪魔しないで。
『その本、面白いよね。新シリーズが最近出たんだよ』
うるさい。黙ってよ。
あれ以来、誰かの邪魔にならないように過ごしてきた。仲の良い二人の間には割り込まない。求められた答えだけ言えば、相手を不機嫌にさせることはない。
だから、千洋と涼風からツッコまれた後、聞き役として出しゃばりすぎたと後悔した。沈黙が怖い。
「むぐっ?」
涼風が私の頬をつつく。
「かたじけない。客人を長らく玄関に滞在させた」
「ごめん。兄妹揃って気が利かなくて。夏帆ちゃん、上がっていいよ。お詫びにホットココア出してあげる」
謝るのは私の方だ。ちょっと考え事してただけなのに。口を開いたとき、リビングから女性が顔を出した。
「ドアを開けるだけで何分掛かっているの? お母さんも早く夏帆さんと話したい!」
ツリーのコスプレをした女性は、千洋の目元とそっくりだった。
猫舌さんが飲めるココアの温度になったころ。私は千洋母の質問攻めから解放された。サンタ帽とケープを付けられて困惑する私を、セーターに着替えた千洋が労う。
「お疲れ様。持ち寄ったお菓子でも食べない?」
「賛成」
「もぐもぐ」
涼風は私が持ってきたシュトレンを気に入ったらしい。既に三分の一が消えていた。
キッチンから千洋がブッシュドノエルを運んできた。サンタや雪だるまのマジパンが可愛い。
私はスマホを取り出した。
「写真撮っていい? カメラ機能を試したくて」
「夏帆ちゃん、冬休みになってスマホ買ってもらったんだ!」
「ううん。サンタさんがくれたの」
写真を撮り終えた私に、千洋と涼風は優しい目を向けた。安芸家のサンタは来なかったのだろうか。
「初めてスマホを持った気分はどう?」
「近未来って感じ。スクリーンショットって言うの? いつの間にか画像がたくさん保存されていて驚いたよ」
「案ずるな。ゆっくり慣れればいい」
涼風の言葉に安心した。もう一つのお願いを言えそうな雰囲気だ。
「あのね、二人のIDを教えてほしいの」
「文通の彼に教える前に、チャットを体験しておきたいんだね」
私は頷いた。
練習のために連絡先を交換するのは、不純な動機だと思う。だけど私を根気強く見守ってくれる二人だから頼みたい。
「了解。夏帆ちゃんにとって、海斗くんはそれだけ大切な人なんだね」
「文通の返事がなくて不安なだけだよ。出さない手紙を書き溜めている分、余計つらくなってる」
既読のつかない手紙とのやりとりに、心細くなっていた。海斗くんはスマホのIDを教えられても困るかもしれないが、私は手紙以外でも繋がりたい。
千洋は私のほしい言葉をくれた。
「返事が来なくなっても、手紙は書き続けたらいいんじゃないかな。いつか会う約束をしたんでしょ? そのときまでに、伝えたいことを整理しておくんだよ」
「私は送らない手紙を書いてもいいの?」
「夏帆ちゃんの心の中に、彼の存在が消えないのなら」
夏帆。自分の名を呼ぶ海斗くんの顔が思い浮かぶ。
「ありがとう。元気出た」
「たいしたことは言ってないよ。困っている友達を放っておけないし。それに」
千洋はボソッと呟いた。
「僕が好きになったのは、一途で優しい夏帆ちゃんだから」
「えっ?」
聞き返した私に、千洋は微笑んだ。
「何でもないよ。笑顔が見れて良かったって話」
「兄者、脇腹を痛くさせないで。ブッシュドノエル、綺麗に切れなかった」
頬を膨らます涼風に、私は聞き返すタイミングを見失った。千洋は何を言っていたんだろう。
「夏帆先輩、兄者のアドバイスだけじゃ心もとない。私が考えた気分転換の方法も参考にしてほしい」
涼風が見せた画面に、千洋は眉をひそめる。
「夏帆ちゃんには難しくない?」
「大切なのは想いであって速さじゃない。簡単なことに気付かない兄者は哀れだな」
「挑発は無駄だよ。お兄ちゃんの心はもうズタズタだ」
私は画像に釘付けだった。千洋の言うように、裁縫がうまくない私には難しいかもしれない。だけど海斗くんとの思い出を振り返るには良い機会になる。そんな予感がした。
***
クリスマスプレゼントはサンタさんがくれるものだと思っていた。
友達といられることが宝物のように愛しい。初めて十九時の門限を破ってしまうくらい、あっという間に過ぎた。父から説教されたが、土産話をせがむ母に救われた。
夕食の後、私は自室にこもった。涼風から貰った端切れで試作品を作る。
千洋作のかんざしのように、昔の思い出に浸れるものが理想だ。
「会いたいよ、海斗くん」
私は針を置いた。
あのころに戻りたい。
私はファイルボックスから花火柄の便箋を取り出した。出せなかった二枚目の手紙。手紙のやりやりを始めたころ、濃い鉛筆で書いたものだ。
***
初めて海斗くんと会ったとき、すごくカッコ良かった。それに、転勤が多い両親のことを悪く言わないから、しっかりしてるって思ったよ。
でも、いつも完ぺきなのは疲れちゃわないかな。
誰にも知られたくない思いを、私にだけ打ち明けてほしい。
未来のおよめさんだと思って。
手紙のお返事、すぐに出せなくてごめん。こんな私でも、やりとりを続けてくれてありがとう。またね。
周防夏帆
***
この手紙を出さなくて良かったと思う。どうせガキの戯言だと受け流されたはずだ。
──私は、上総海斗に恋をしていた。
出会ったときから、ずっと目で追っていた。どうしても気になる感情を、憧れや思慕では言い表せない。一緒にいない時間が苦しくなる寂しさには、入道雲が空を埋め尽くすような爽やかさも含んでいた。大人になる前、彼と見上げた打ち上げ花火は綺麗だった。
「今思えば、海斗くんに思いを伝える最後のチャンスだったかも」
クラスメイトの目が気にならないシチュエーション。その上、告白がうまくいかなくても花火の音でごまかせる。
なのに、どうしても一目惚れって言えなくて。転校が多い彼の気持ちを思い、ずっと隣にいさせてほしいとお願いできなくて。
「今日は楽しかった。なんて普通の言葉しか出てこなかったんだよね。しかも、ぜーったい泣き笑いだった」
友達の関係を壊すことができなかった。付き合ってくださいと言って、海斗くんが離れてしまうことが嫌だった。
初恋は報われない。一番好きな人とは結ばれない。そう自分に言い聞かせて、友達のままでいることを選んだ。
私の中で、海斗くんの存在は一生輝き続ける。心の支えになっているだけで十分すぎるほど幸せだった。向日葵のように明るい彼の隣は、勇気を出して告白できる子の方がふさわしい。気軽にスマホでやりとりできる可愛い女の子、そんな人に負けるなら諦めがつく。
私は後ろ髪を撫でた。今では腰まで届く長さになっている。
夏帆は結んでいても浴衣が似合うんだろうな。何気ない一言を忘れられなかった。
「成人式の後で片思いに区切りを付けよう。あの夏の恋を、まだ手放せそうにない」
大人になって再会したとき。海斗くんの左手の薬指に指輪があったら、おめでとうと言ってあげたい。大切なお友達が選んだ道を喜べないのは、人として間違っている。
「そのときは、笑顔でこれを渡そう」
「夏帆ちゃん、ヤンデレが許されるのは二次元だけよ」
おやすみを言いに来た母に、うっかり聞かれてしまっていた。
「いくら私が人間関係をこじらせているからと言っても、さすがにロープは贈らないよ!」
好きな人の首を絞める愛に、魅力は感じない。
私はいつかの便箋を見つめる。
どうか貴方に、出会えたことへの感謝が伝わりますように。
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