第9話「今度こそ、君に届きますように」

第8話

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「おーい、兄ちゃん! ポイが足りへんのや。裏行って取って来てくれんか?」


 了解、という間も惜しかった。目の前には客の山。俺は即座に頷くと、屋台の裏の荷物置き場へと走る。無造作に積まれた段ボールの中からポイの束を引っ掴み、その指示を出した店主の元へと戻る。店主は額に汗を浮かべながら、俺に問うた。


「兄ちゃん、これ何番の箱から取ったヤツや?」

「六番です」

「六か、了解了解。もっかい言うけどフツウの人にはコレ渡してぇな。ほんで、ちっさい子供にはそっちの四号やで」

「さっきも言ってましたね。番号で何か違うんですか?」

「ポイは番号の数が多なれば多なるほど薄なるねん。四号が一番丈夫で、七号が一番破けやすい。子供には四号で金魚掬いを楽しんでもろて、フツウの人からは七号よりはちょっとマシな六号でアガリをいただくんや。どや、完璧なプランやろ? ちゃうか?」


 客の手前、最後は小声になって店長はニヤリと笑った。今回の単発アルバイトの雇い主、見た目は三十代後半。ちょっと強面なこの人は、見た目に反していい人そうだ。



 大学に進学できなかった、十九歳の夏。去年は受験することすら叶わなかった。でもまだ進学を諦めたわけではないので、今の身分は浪人生になるのだろう。

 俺は今期も受けられるかどうか微妙な受験勉強に勤しみながら、空いた時間はこうしてアルバイトに精を出していた。

 一向に風向きが変わらない、家庭の現状。でも相変わらず父親は身を粉にして働いてくれているし、母親はそれを必死に支えてくれている。だから俺も、少しでも家計を助けられたらと思い、こうして単発のバイトをしたりしているわけだ。


 それでも自分の本業は勉学だと思っている。だから必然バイトは控えめに、そして登録制で割のいい単発のものを探すことになった。登録制のバイトはわりと給料がよくて、さらには人間関係が希薄で俺にはよく合っている。


 今日は神戸の「みなとこうべ海上花火大会」だ。毎年盛夏に行われるこの催しは、美しい神戸の夜景をバックに一万発を超える花火が打ち上がる、関西圏でも屈指の規模の花火大会。人出も多く、会場には浴衣姿の人々が楽しそうに歩いていた。

 それに付随して開かれる屋台のバイトが、今日の俺の仕事だ。そして俺が配属されたのは、何の縁なのか金魚掬いの屋台だった。


 金魚には不思議と縁があった。関東で過ごしていた時、高校の噴水広場に住んでいた金魚。そして、山口県の小学校のビオトープに住んでいた金魚。

 金魚を見るたびに、二人の女の子を思い出す。そして。その片方を、俺は今でも想っている。もちろんそれが叶わない想いだと知っていても。


「兄ちゃん、ボケっとしとったらあかんで! 花火が始まるまでの一時間、ここがいっちゃん忙しいんや! 目ぇ回る勢いやで! ほんま頼むで!」


 深まりそうになった回想は、店主のデカい声によって遮られた。確かに今はそんな場合じゃないだろう。俺は顔を上げて気合を入れる。あれこれ考えるのは後でもいい。残念ながら、その時間だけはあるのだから。



  ◆◆◆



「──そろそろ一段落やなぁ。花火が始まるわ。みぃんな花火に夢中で、その時間だけは閑古鳥や。ま、しゃーないな。ちょっと休憩しよかァ」


 店主はどこからか仕入れたラムネを、俺に投げて寄越してくれた。ありがとうございますと礼を言い、ビー玉を勢いよく落とす。カラリと響く澄んだ音。少し温くなったそれは、まさに夏の味がした。


「兄ちゃん、ゆっくり話す間ァもなかったな。大学生か? こんなイベントにバイトとか、彼女おらんのかいな」

「俺、大学生じゃないんです。その歳なのは間違いないですけど」

「ほーん、ほなフリーターか」

「まぁ、そんなとこですね」

「なんか夢はあるんか?」


 ラムネを呷りながら、店主は言う。ラムネよりもビールが似合いそうな格好だけど、店主は美味そうに瓶を傾けて言葉を継いだ。


「フリーターが悪いとは言わんで。自分が納得して選んだんやったら、それは立派な生き方や。オレも長いこと似たようなことしとったしなァ」

「自分で納得した……わけではないですね」

「ほな、兄ちゃんにはこうしたいとかああしたいとか、そんな夢はあるんか?」

「夢ですか」

「そや、夢や。夢は原動力やで。それがなかったら死人とおんなじや。今はこんな現実やけど、いつか絶対自分の夢を叶えたる。その気概で生きていくんや。そうすると、ええことがある……かも知れん」

「言い切れないんですか」

「オレもまだ夢の途中なんや!」


 大きな声で店主は笑った。「オレは絶対、夢を叶えたるでぇ!」とラムネの瓶を空に掲げて息巻いている。そんな店主を見て羨ましいと思うと同時に、俺は自分の夢について考えた。


 夢。もちろんそれは、幼い頃から抱いている。当時は淡い思いだったけど、今ではそれがどうしても叶えたい夢へと成長していた。

 動機は完全に不純だ。そう言われても仕方ない。だけど俺はもう一度、夏帆かほに会いたかった。そして、一年と少しで終わってしまった夏帆との関わりをもう一度、続けたかった。

 ただそれだけだ。願うのは本当にそれだけ。夏帆と一緒の大学に通えれば全て満たされるけれど、今の現状はそれを許してはくれない。

 夏帆の住所は憶えている。だけど、どうしても手紙は書けなかった。書くと夏帆の迷惑になるのはわかりきっていたからだ。


 夏帆は志望する大学に進学できたのだろうか。訊きたいことはあった。たくさんあった。でも、自分の現状がそれに邪魔をする。

 だから今の俺は、夏帆に迷惑がかからないようにすることしかできない。

 だけどいつか、いつの日か。夏帆と同じ大学に通えるチャンスが巡ってくると、そう信じて。俺は自分の今の生活を、精一杯生きようと改めて誓う。



 ──その時、腹に響くような低く重い音が聞こえた。思わず夜空を見上げると、そこには大輪の花が咲いている。

 赤、青、緑。黄色に紫。ぱっと光って夜空を照らして。退き際は潔く、しゅっと消えていく花火。

 幼い頃に夏帆と見た、山口県での花火大会を思い出す。

 あの夜は特別だった。好きな女の子と二人並んで、一緒に花火を見上げて。手が触れるくらい近い距離にどきどきして。花火が照らす夏帆の横顔に見惚れて。

 そして俺は、夏帆に言おうと思っていた言葉を飲み込んでしまった。


 ──好きだ。


 このたった一言が、どうしても言えなかった。

 断られたらどうしようとか、夏帆は俺のことなんてどうとも思っていないとか、そんなしょうもない理由を勝手につけてしまっていた。いや、結局のところ俺には勇気がなかったのだ。


 だけど、今の俺は違う。あの頃の俺じゃない。

 叶うかどうか、届くかどうか、わからないけれど。でも俺は夏帆と再会できたら、あの時言えなかった、その言葉を言おうと心に決めている。



 その強い決意をもって、また夜空を仰いだ。時間と共に花火の勢いが増していく。そろそろ終わりが近いのだろうか。

 色とりどりの花が咲き、人々はそれを幸せそうに見上げる。夏の夜空の幻想的な光景に目を奪われる。

 もし隣に夏帆がいたら、もっと綺麗に見えるのだろうな。そんな意味のない妄想をしていると、同じように花火を見上げていた店主が言った。


「兄ちゃん、この花火大会の言い伝え、知ってるかァ?」

「言い伝え?」

「毎年、この花火大会のシメは一発の尺玉って決まっとるんや。それもめちゃくちゃデカいヤツな。ほんで、最後の花火の色は毎年ちゃうねんよ。赤の年もあれば、黄色の年もあるって風にランダムなんや」

「そうなんですか。それで言い伝えって?」

「その最後の花火の色や。その色を当てれると、願いが叶うって言われとる。どや、賭けてみんか? 兄ちゃんは何色や思う?」

「──青、だと思います」


 即答だった。夏帆と出会えたあの夏、そしてその色。それは俺の中で、紛れもない「青」だったから。

 青は青春の色だ、なんて夏帆に言えば笑われるだろうか。でも笑われたって構わない。そう思ったのは事実だし、色に願いを懸けるならそれは、「青」意外に考えられないから。


「そうか、兄ちゃんは青に賭けるか。ほなオレは黄色や。まぁ、オレぁ一回も当たったことないねんけどな!」

 

 店主が笑い、俺もそれにつられて笑う。

 花火は怒涛のクライマックスを迎えて、そして。



 ゆっくりと夜空に打ち上がった、最後の花火が大きな音と共に咲いた。


 それは俺の瞳を青く、どこまでも青く染めて。

 潔く夜の空へと消えていった。




  ────────────




 周防すおう夏帆かほ



 久しぶり、夏帆。寒い冬がやっと終わって、少しずつ暖かくなってるね。もうすぐ春だね。体調はどうかな。崩してないかな?


 まず最初に謝らないといけないんだ。長い間、手紙を出せなくてごめん。それにもう一つ、夏帆に謝らないといけないことがある。

 この手紙も、ポストに入れるつもりはない。本当に、ごめん。


 今更どのツラ下げて、って言われても仕方ないと思う。書こうとすれば書けた手紙を書かなかったのは、全部俺がそう決めたことだから。その方がいいと思ったのも俺だから。だから夏帆は何も悪くないよ。悪いのは全部、俺だ。


 夏帆からの最後の手紙を受け取ってから、本当にいろいろあって。何から話せばいいのかわからないくらいで、劇的に生活が変わってしまった。具体的に言うと、自分の名前が変わってしまうくらいにね。

 でも、ひとつだけ変わらなかったことがあるんだ。今からそれを、説明させてほしい。


 さっき言った「いろいろ」があって、去年の大学進学の夢は断たれてしまった。詳細を話すと夏帆はきっと心配してくれると思う。でもそれは悲しいことだけじゃなかったんだ。


 浪人することになった夏が過ぎて。秋になって、それでも諦めずに、受けられるかどうかもわからない大学受験勉強を続けていた時のことだ。

 偶然、本当に偶然。SNSで、夏帆を見つけた。


 最初、まさかとは思ったよ。後ろ姿だったし、夏帆は驚くほど大人になっていたから。

 確信したのは、夏帆が着ていた浴衣の柄だ。クリーム色にカラフルな縦縞。その浴衣を見て、二人で遊んだ夏祭りのことを不意に思い出したんだ。

 あれって、あの時に祭りで取った水風船の柄にそっくりだよな。あんな安物の水風船を、夏帆はとても嬉しそうに大切にするって言ってくれたっけ。

 あの時、俺は多分ぶっきらぼうに「好きにすれば」とか答えたんだと思う。あの時はごめん、恥ずかしかったんだ。それくらい、俺は子供だったんだな。


 SNSで、夏帆が俺を探してくれてたのはもちろん嬉しかった。本当に嬉しかった。夏帆が俺を忘れてなかったことも、こんな俺を好いていてくれていたことも、とても嬉しかった。今すぐ返信したい、そう思った。でもどうしてもその返信は出来なかったんだ。


 その時の俺はまだ宙ぶらりんな状態だったし、どんな顔で夏帆に会えばいいかわからなかった。今の状態で返信すると、きっと夏帆の迷惑になる。そう考えると、返信はしないほうがいい。その時の俺には、そうとしか思えなかったんだ。



 だけど、今は違う。生活の風向きがようやく変わった。元に戻った、って言えばいいのかな。家庭の事情はあらかた片付いて、諦めてかけていた大学受験ができるようになった。

 どの大学を受けようか、真剣に迷ったよ。そして色々と志望校について調べていたら、ついに見つけたよ。自分がどうしても行きたい大学を。


 神戸の大学のホームページ、そこの「在学生の声」のコーナーで。学芸員になりたいって楽しそうに話す、一回生の「周防さん」を見つけた。正直、驚いたよ。夏帆がこんなに近くにいたなんて、信じられなかった。今、俺も神戸に住んでいるんだ。



 十年ぶりくらいに、夏帆の顔を見たよ。夏帆は美しく成長していて。目を奪われるくらいで。でも、あの頃の面影も残ってた。間違いない、ってもう一度確信した。どうしても会いたかった夏帆を、俺はついに自分の力で見つけたよ。


 その大学への志望動機は不純だって言われるかも知れない。でも何を言われたっていい。これは俺の夢だから。俺の夢を笑いたいヤツは笑えばいいと思う。誰に何を言われたって、この気持ちは絶対に変わらない。



 夏帆が好きだ、っていうこの気持ちだけは。

 何があっても、変わらなかったんだ。

 

 夏帆の存在が、ギリギリのところで俺を支えてくれた。本当にありがとう。紙に書いた言葉では伝えきれないくらいに、感謝してるよ。ありがとう。


 だからさ。

 この気持ちは手紙じゃなくて、やっぱり直接言わないとって思ったんだ。そして、その機会をついに得た。


 新学期、俺は大学一回生として夏帆の大学に入学する。今の家が神戸にあるから、念願の一人暮らしはまだ叶えられそうにない。でも。

 俺は一番叶えたかった夢を、ついに実現できそうだ。


 だからこの手紙は、桜が咲く春のキャンパスで。

 夏帆に会えた時、直接渡すよ。



 夏帆が好きだっていう、その言葉とともに。





 ──今度こそ、この手紙が君に届きますように。


 海斗かいと




【続】

 

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