第3話「噴水の金魚」

第2話

https://kakuyomu.jp/works/16816700426686529380/episodes/16816700426686536431



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 季節は一巡りして、またあの季節がやってきた。夏だ。高校二年の夏。

 部活に打ち込んでいる連中は、猛暑の中でも連日練習を重ねている。夏休みのグラウンドから掛け声が聞こえる。あれは野球部だろうか、それともサッカー部だろうか。どちらにせよ凄い気合いで、俺には逆立ちしたって真似できそうにない。

 文武両道を謳う我が高校は、夏休みでもこうして生徒の数が多い。部活に入っていない俺が学校に来ているのは、自由参加の夏期講習に出席しているからだった。


 理由は単純だ。この夏で学力を底上げし、大学に進学したい。ただそれだけの理由。加えて高校の夏期講習はお金が掛からない。つまり無料で学べるこの手を逃す訳にはいかないという訳だ。

 高校を卒業したら、俺は一人で生きて行くと決めている。親の元じゃなかったらどこでもいい。親の転勤によって場所を点々とする根無草みたいな生活はやめて、どこかに根を下ろして生きて行きたいと思っていた。

 もしその場所が、夏帆かほそばだったら。もう一度、自分の生活と夏帆の生活が交わるのなら。それ以上の喜びは、きっとないだろう。



 俺と夏帆の手紙のやりとりは、高校二年になってもつつがなく続いていた。一ヶ月に一度の近況報告が増えていく。手紙のほとんどは他愛のない内容だったけど、それを保管している箱はついに四箱目になった。


 夏帆は高校での出来事を、たくさん手紙に書いてくれていた。

 通学路で出会った可愛い黒猫の話。秋の文化祭でタコ焼き屋をすることになった話。スキー合宿で初めてスノーボードをした話。どれも興味をそそられる話だったけど、その中でも一番は、仲のいいクラスメイトが出来たという話だった。

 その子のおかげで、学校のイベントも楽しみになってきているという。実際、冬のスキー合宿はその子と一緒で、とても楽しめたと書いてあった。

 夏帆が高校生活を楽しめている。それは自分のことのように嬉しいことだ。でも少しだけ。ほんの少しだけ。寂しいという気持ちがあったのも、確かだった。


 高校二年になってから、夏帆の手紙の文面には、将来のことに関することが多くなっていた。高二という時期は、自分の将来をしっかりと決める時期。夏帆は大学に進学したいと綴っていた。

 具体的な大学名は書かれていない。どんなことを学びたいかもまだ決まっていないみたいだ。だけど昔から勉強ができる夏帆のことだから、恐らく難関大を狙っていることだろう。

 もしも叶うのならば、夏帆が行く大学に俺も行きたい。それは不純極まりない動機とも言えるだろう。でも俺にとってはそれが生きる原動力だ。

 明確な目標があれば、この夏期講習だって苦にならない。クソ暑い夏休みの教室で、俺は今日も黒板に向かっていた。


 ちらりと視線を窓に向けると、遠くの海が輝いているのが見える。海のあおと空のあお、それらが遠くで混ざり合って溶けている。

 ──その色は、どこまでも澄んでいて。あえて色の名をつけるならそれは、きっと「夏色」が相応しい。




   ◆◆◆




 夏休みの夏期講習と言えど、昼休みはきちんとある。学食は夏休み期間で開いていなかったけど、辛うじて購買だけは開いていた。昼メシ代わりのバニラモナカアイスを買い、最近見つけた中庭の噴水広場でそれを食べる。

 ここは風が通り抜けやすいことと、ちょうどこの時間は建物の影になって意外と涼しい場所だった。


 ベンチに腰掛けて噴水の池を眺めていると、そこに一匹の金魚を見つけた。気持ちよさそうにすいすいと泳いでいる。

 誰かがここに放したのだろうか。縁日の金魚すくいで見かける小赤こあかより大きい。もしかしたらそれが成長した姿かもしれない。

 小赤は俺の姿を捉えると、意外にも近づいてきた。モナカのカケラを水面に浮かべてやると、迷いもせずそれにパクつく。きっと誰かがこいつに餌付けしているのだろう。明らかに人に慣れている。


 あの夏の日。夏帆かほと一緒に、ビオトープの金魚とメダカに餌をやっていたことを、ふと思い出した。だからだろう。俺はその人物の接近に気が付かなかった。


「何をあげてんの?」


 声のした方向を見る。そこには制服を着た女の子が立っていた。同じクラスの長門ながとだ。ちょっと珍しいヤツで、去年の二学期に転校してきた女の子だ。転校生にありがちなのか、長門は一人でいることが多いヤツだった。その長門は、俺を見据えて言葉を継ぐ。

 

「ねぇ聞いてる? 上総かずさくん」

「この金魚にモナカのカケラをやってたんだ。腹が減ってそうだったから」

「ふうん、そっか。それはよかった。ヘンなものだったらどうしようかな、って思ってた」

「ヘンなものって?」

「……毒とか?」

 

 さすがに毒は持ってない。俺がそう答えると、長門はクスリと小さく笑う。冗談だよと付け加えて。

 長門は断るでもなく俺の隣に座ると、ポケットの中から小さな小瓶を取り出した。フタを開けて、水面みなもに中身を静かに撒く。色形からしてきっと金魚のエサだろう。さっきまでモナカのカケラを食べていた金魚は、待ってましたとばかりにそのエサに食いついている。


「準備がいいな」

「まぁね、一応飼い主みたいなものだし?」

「飼い主?」

「この金魚はさ、私が去年金魚すくいで取ったヤツなのよ。家に水槽がないから、仕方なくここに放したってわけ。こんな環境ですくすく成長してて、ちょっと驚きなんだけどね」


 長門はぱらぱらとエサを追加する。金魚は嬉しそうにそれを食べる。見向きもされなくなったモナカは、ゆっくりと水に溶けていった。


「長門が毎日エサをやってるのか」

「毎日じゃないけど、よく知ってたね」

「いや、それは今知ったんだけど」

「違うよ。私の名前、よく知ってたねって意味」


 長門は意外だという顔を浮かべていた。意外なのはこっちだった。高校二年になって、長門とは同じクラスになったのだ。普段話さないにしても、さすがに名前は知っているに決まってる。


「クラスメイトだから当たり前だろ。知ってるよ、もちろん」

「憶えててくれたんだ? 私、見てのとおり友達いないじゃん? だから誰にも名前を知られてないと思ってた」


 また長門は笑う。いつも一人でいるヤツだから、こんな風に笑うとは思っていなかった。無口でもなければ、人嫌いという訳でもなさそうだ。現に、長門から話しかけてきた訳だから。


「もっとクラスメイトと話したらどうだ。長門なら友達の一人や二人、すぐ出来ると思うけどな」

「別にいいよ。私、嫌われてるし。だって悪人だよ? クラスにも明らか馴染めてないし」

「悪人?」

「……知んないの? 私の噂」

「俺も今のクラスにはほとんど友達いないからな。噂なんか耳に入って来ないよ」

「へぇ、なるほど確かに。上総くんが誰かと積極的に話すところって見たことないかも」

「友達なんて無理して作る必要ない。気がつけば友達になってる、ってのが理想だよ」

「上総くん、さっきと真逆のこと言ってるけど?」


 長門は可笑しそうに笑った。こんなに感情がはっきりしているのに、どうして友達がいないのだろう。さっき言ってた噂のせいだろうか。

 言われてみれば確かに、誰かが長門の噂をしていた気がする。それがどんな内容だったのか、今となっては全く思い出せない。でもあんまりいい噂でなかったことは確かだ。

 俺の思考を余所に、長門は朗らかな声で続ける。


「でもその話だけどさ、ちょっとわかるかも。それに好きで一人でいるのにさ、友達いなくて可哀想だって思われてるのムカつかない?」

「わかる。勝手に人の気持ちを想像すんなよって思うな」

「それそれ! クラスのいわゆる『良い人』な女の子たちもさ、憐れみの感情を向けてくるんだよね。正直そういうのいいから、って思うよ。まぁ有難いことだけどさ」

「自分の生き方は自分で決めるって思うよな」

「あー、わかるわかる。それ完全同意。つまりさ、」

「つまり?」

「似たもの同士だ、私たち」


 クスクスと笑い声を上げる長門。ほとんど初めて話すけど、意外と社交的なヤツなのかもしれない。悪人とか嫌われてるとか、そういう噂は全くわからないけど。


 長門は金魚のエサにフタをすると、それを俺に差し出した。瓶の中でさらさらと流れるカラフルなエサ。太陽の光を受けて、鮮やかに輝いて見える。


「上総くん。これあげるよ、お近づきの印に」

「お近づき?」

「嫌だった? やっぱり友達なんていらないってタイプ?」

「いや、そういう訳じゃないけど」

「だったら仲良くしようよ、せっかくだし。私は全く友達がいない。上総くんもほとんど友達がいない。それなら私たちが友達になればよくない? そうすれば『あいつらまだ友達いねーのかよ可哀想だな』って憐れみの目はかわせるじゃん?」

「……確かに、そうだな」

「なにも本当の友達になってよ、なんて言うつもりはないから安心して。友達のフリでいい。クラスの過度な憐憫の目から逃れられるだけで、価値があると思わない? まぁ、互助会みたいなものだよね」


 互助会か。なるほど上手い言い回しだ。お互いに友達がいない立場で、何故かクラスから憐れみの目を向けられている。そんなものは望んでいないのに。

 クラスの人がいい連中は、もしかしたら積極的に関わって来るかもしれない。それは避けたい。お互いのためにならないのは明らかだから。


「あ、無理しなくていいよ? ただの思いつきだし」

「いや乗るよ、その提案。長門、面白そうなヤツだしな」

「どうかな? とんでもなくしょうもない人間かもよ? あるいはすっごい悪人だとか。でも提案に乗ってくれるのは、素直に嬉しいな」


 はいこれ。そう言って長門は小瓶を俺に握らせた。瓶の中で、さらりとエサが揺れる。金魚はまたエサを貰えるのかと、いいタイミングでぱしゃりと跳ねていた。


「契約成立。私がいない時は、この子に好きにエサをあげていいからね」

「それって長門がいない時は、この金魚に俺がエサをやれってことか?」

「……私たち、友達じゃん? 友達の頼みは無下にできないよね?」


 そこで長門は、さらりと笑った。

 その夏、俺には不思議な友達が一人増えることになった。

 長門ながと知夏ちか。掴みどころのないこの女の子は、どこか夏の蜃気楼に似ている気がした。




  ──────────────




 周防すおう夏帆かほ


 お返事ありがとう。また夏が来たね。気がつけばもう高校二年の夏だ。

 歳を重ねるごとに、一年が短く感じられるのは気のせいかな。このままだとすぐに来年の夏がやってきて、そしてあっという間に高校を卒業してる気がするよ。


 夏帆の手紙に影響を受けて、俺も自分の将来を真剣に考えるようになった。とりあえず、って言葉が適切かどうかはわからないけど、俺も大学に行こうと思ってる。

 将来、どんな仕事をしたいのかなんてまだ決められないけど、それを知るためにもっと学びたいと思ったんだ。そのために、今は自由参加の夏期講習に出席してる。あの勉強嫌いの俺がだよ。すごい進化だろ? どうしても叶えたい明確な目標があると、人って変われるんだな。初めて知ったよ。


 高校を卒業したら、勉強するのはもちろんだけど俺は一人暮らしがしたいんだ。ずっと親の転勤に付き合わされてきた身だから、俺には地元と呼べる場所がない。

 地元はどこかって訊かれた時、自信を持って答えられる自分の居場所が欲しいんだ。

 まだどんなことを学びたいか、っていうのは決まってない。だから自分の視野を広められるような大学があればいいな、なんて考えてる。


 夏帆は大学で、何を学びたいと思ってる? よかったら聞かせてくれないかな。参考にしたい……というか正直なことを言うと、夏帆と同じ大学に行けたらなって、そんなことを思ってる。

 俺の転校で、途中で終わってしまったあの学校生活をもう一度やり直したいんだ。もちろん夏帆の学びたいことと俺が学びたいことが、同時に学べるそんな大学があったらの話だけどね。

 もし夏帆の目指している大学が、女子大学だったら……それはもう諦めるしかないんだけど。

 でももしよかったら、聞かせて欲しいんだ。考えてくれると嬉しい。



 話は変わるけど、例の友達とは順調かな? 夏帆の高校生活が楽しくなると、不思議と俺も嬉しいんだ。だからまた、夏帆の高校での話を聞かせて欲しい。

 ちなみに俺は相変わらずかな。でも友達とは呼べないにしても、気楽に話せるヤツはできたよ。

 そんなヤツがいるだけで、味気のない学校生活は少し変わったんだ。だからって訳じゃないけれど、もし夏帆と同じ大学で過ごせることになったとしたら。俺の人生は、もう一度本当の意味で楽しくなると、そう思うんだ。ただ俺のために志望校を変えるとか、そんなことだけはしないで欲しい。あくまでこれは俺の我儘だから。


 明確な目標ができたから、この夏はいい夏にしたいと思ってる。夏帆にとってもいい夏になるよう、心から願っているよ。


 今年はまだまだ気温が高くなりそうだ。こっちは連日最高気温を更新してる。そっちも暑いだろうから、体調にはどうか気をつけて。それじゃあ、また。




 上総かずさ海斗かいと





【第4話】

https://kakuyomu.jp/works/16816700426686529380/episodes/16816700426822485238




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