第4話「朱に想う」

 第3話


https://kakuyomu.jp/works/16816700426640641138/episodes/16816700426783765498


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 上総海斗かずさかいと


 お返事ありがとう。今年も、あの夏みたいな暑さがやって来たね。そちらはクーラーがないと大変そう。また最高気温を更新したってニュースで見たよ。海斗くんの体調が心配だな。


 歳を重ねるごとに一年が短く感じるなんて、おじいちゃん? 私は授業についていくのに必死で、感慨にふける暇がないや。文系は問題ないんだけど、理数科目が足を引っ張ってしまうから。赤点を回避できてるのが不思議なくらい。


 海斗くんの進路が気になっていたけど、進学を決めたんだね。高校受験はしぶしぶ取り組んでいたけど、今回はかなり成長したみたいで驚いちゃった。一緒に受験勉強を頑張ろうね。念願の一人暮らしのためにもファイト!


 私はずっと実家暮らしだから、地元がないって思う海斗くんのことを全部分かってあげることはできない。よく分かる、なんて無責任な言葉を言いたくない。でも、自分の居場所が分からない苦しさは私も同じだよ。大学生活こそ、少しでも居場所を見つけたいよね。


 具体的な志望校は、担任と家族以外に教えたことがないからドキドキする。勇気を出して書くね。


 私は学芸員資格の取れる大学を志望してる。博物館で展示をしたり、ガイドをしたりする姿に憧れていたの。歴史系の学科じゃなくても資格取得のカリキュラムを組んでいる学科はあるから、海斗くんの目指したい学科次第で同じ大学に通えるかもしれない。でも、私に合わせて志望校を決めちゃ駄目だよ。一度きりの、大事な、海斗くんの人生なんだから。そりゃあ、同じ大学に進みたくないって言ったら嘘になるけども。


 例の友達って、スキー合宿で仲良くなった子のことだよね。二年になって別のクラスになったけど、廊下で擦れ違ったときに話し込むくらいには仲良しだよ。それに、クラスメイトとも話せているの。夏期講習の後、文化祭の出し物の準備をしているんだけど、みんな私が作った看板を褒めてくれた。今も思い出して、ちょっぴり誇らしくなってる。


 海斗くん、「相変わらず」の使い方を間違えてるよ。気楽に話せるヤツって、既に友達認定してるじゃない。でも、安心したなぁ。だって、海斗くんの優しさを私以外の人が理解してくれたってことでしょ? その人のこと、大切にしてあげてね。私にくれる優しさ以上のものを向けてほしい。


 今年も、海斗くんにとって最高の夏になりますように。海斗くんが使う万年筆のインクみたいに、青春の思い出を綺麗な群青色が染め上げてくれればいいな。どうか元気でお過ごしください。



 周防夏帆すおうかほ




 ***



 山口に来たらいいのに。

 海斗くん、今年も忙しいのかな。それとも、山口は帰りたい場所だと思ってないのかもしれない。私は角島大橋の切手を撫でる。


 ポストに入れた手紙を、底へ落ちるまで見守った。そばに停めた自転車にまたがり、高校へ向かう。


 まとわりつく風がぬくい。排気ガスにむせると、後部座席の子供と目が合った。西瓜柄のビーチボールを抱き締めている。


 いつか、私の好きな海を見せてあげたい。


 県内の移動は車がないと不便だ。私の頼みなら、父は店のドアに休業の札を掛ける。海斗くんが加わっても、快く運転手を名乗り出るはずだ。

 友達の家に行ったことがない娘が、誰かと外出すると聞けば喜ぶだろう。最近は、帰宅した後で友達ができたか訊かなくなった。思春期だからと、干渉しないよう気遣わせて申し訳ない。早く親孝行せんと。


「このまま嘘つきでいたら、たった一人の友達も離れていっちゃうのかな」


 スキー合宿の思い出が脳裏をよぎる。肺を凍らせるような冷気に、身を委ねてしまいたかった。



 ***



 余りもののスノーボードを慈しむように、私は転ぶ度に雪を払った。スムーズに曲がれるまで何度も立ち上がる。


「わわっ!」


 六歳から始めたスキーと違って、コントロールが難しい。いつもなら滑れる斜面が、違う地形に見える。バインディングの固定に疲れ、ゲレンデの隅に座り込んだ。


「きゃああああ」


 私は悲鳴が聞こえた方向を見る。スピードを出しすぎて、コブのところまで進みそうな人がいる。コブはスキーでも難しいのに、スノーボード初心者が滑走できる訳がない。


 気付けば、自分でも驚くくらいの声が出ていた。


「ブレーキ! 手はつかないで。尻もちのイメージで転ぶ!」


 私と同じように、プロテクターもヘルメットも装備している。転倒したときの衝撃は、ちゃんと吸収するはずだ。痛みに怖がらないでほしい。


 思いが届いたように、エッジが雪に引っかかる。顔面から転ばなくて良かった。


「痛ったぁ」

「大丈夫? 怪我してない?」

 

 スノーボードを持って駆け寄った私に、彼女はゴーグルを外して笑った。同じクラスの子だ。美術の授業で会話をしたことがある。


「へーき。あなたのおかげで何とか止まれた」

「良かった。ねぇ、一緒に回らない?」


 彼女に手を差し出しながら言った。

 自然に誘えていた。小学校のとき、何度も断られてきた台詞なのに。


「いいよ」


 心が折れる音は慣れている。いらないと言われる確率が高いことは、分かっていた。

 涙は流さない。目尻に浮かぶ雫は汗だ。深呼吸すれば、落ち着くはず。


 彼女は黙り込んだ私の両手を握る。


「友達、みんなスキーの方に行っちゃったから不安だったの」

「え。いいよって、駄目ってことじゃないの?」


 イントネーション間違えちゃった。はにかんだ笑顔が、私の凍った心を溶かしていく。


 少し早い春の訪れ。

 一人行動が多かった学校行事で、ずっと楽しい時間が続いたのは初めてだ。


 このときの私は気付かなかった。友情と感じたものが、桜と見まがう雪の幻想だってことを。




 四月、廊下ではクラス替えに一喜一憂する生徒で溢れていた。私は小走りで、元クラスメイトの女の子を呼び止める。


「スキー合宿のときは楽しかったよ。違うクラスになったけど、二年もよろしくね。これ、私が作ったクッキー」

「は? あんなの同情に決まってるじゃん」


 クッキーの袋が叩き落とされる。

 幻聴だと思いたかった。ぐにゃりと歪んだ口角に、私は肩を震わせる。


「あんた一人にさせたら、担任がうるさいでしょ。高校生にもなって、みんな仲良くとか聞きたくない。好きなメンツとつるませてって話」

「そんな……」


 一緒に滑れて楽しかったのは、私だけだったの。無理に付き合ってもらっていたんだ。視界がぼやけてくる。


「じゃ、次からは付きまとわないで。こんなんで餌付けするとか労力の無駄だから」


 取り残された私を好奇な視線が射貫く。どうして浮いてしまうのだろう。私だって、平穏に過ごしていたいのに。 



 ***



 自転車のペダルを力一杯漕ぐ。

 私の青春は黒い灰だ。みんなの青春を輝かせるために燃え尽きた残りかす。昨日もそのことを自覚した。


『看板できとる。すごっ!』

『ぶち可愛い。集合写真撮らん?』

『全員、入ってるね。はい、チーズ!』


 蛇口でパレットを洗っていた私の耳に、クラスメイトの黄色い声が聞こえる。周防さんいないよと、制止する人は誰もいなかった。


『あとは、クラスTシャツとビラのデザインか。二年四組、一致団結していこうぜ!』


 円陣を組む。絆を確かめ合う行為が、私の胸を掻き乱した。


 駄目だ。まだ吹っ切れていないらしい。せっかく腫れが引いたのに。


「一人くらい、私の存在に気付いてよ。見ない振りなんかしないで」


 額から流れ落ちた汗が唇を撫でた。しょっぱい海水の味がする。

 駐輪場から校門までの坂を駆け上がった。


 友達と談笑する光景が眩しい。あんな風に、海斗くんと登校できたらいいのに。


 ハンカチで目元を拭い、下駄箱に向かう。自分のクラスの場所に一人の男子生徒が寄り掛かっていた。上履きの色は三年生のものだ。


「おはようございます」


 私は会釈してローファーを脱いだ。邪魔だと思いながら上履きに手を伸ばす。


「きみ、周防夏帆?」


 ぶしつけな質問に眉をひそめた。


「そうですけど」

「付き合ってる人いる?」


 こ、こここれは、いわゆる告白ですか。

 動揺しすぎて、ぐるぐる目になりそうだ。


「なぁ、返事は?」


 先輩が距離を詰める。

 はわわ、初対面から強引な方は苦手なのです。早く教室に逃げ込まなきゃ。


「すみません。そういう方はいません。さようなら!」

「勘違いすんな。中庭で辛気くさそうに昼飯食ってる奴がいると、俺と彼女のいちゃいちゃタイムが台無しになるんだよ」

「んっ?」


 状況を整理できないのは、コミュ障のせいでしょうか。厄介な人に絡まれてしまいました。どう切り抜けるのが正解ですか。


 先輩はさらにまくしたてる。


「付き合ってる人がいないなら、ダチを紹介してやろうって言ってんの。ありがたく思えよ」

「お気遣いは嬉しいのですが、申し出を受けることはできません。中庭に行かなきゃいいんですよね。もう教室に行っていいですか? 夏期講習の予習をしておきたいので」


 ありがた迷惑だ。

 不満が顔に出ないように、柔らかい口調で言った。


「影の薄い奴のくせに偉そうにしやがって」


 肩を掴まれそうになる。身がまえた瞬間、先輩の手を捻り上げた人がいた。


「逆ギレですか? カッコ悪い奴の典型例ですね」

「ちっ」


 リュックをかるう先輩。昇降口の人混みが割れ、大きな道ができた。


「ほら、野次馬は解散して。見世物じゃないよ」


 人気がなくなるまで、彼の背中が私を隠してくれた。


「災難だったね。周防さん」

「助けてくれてありがとう。ええっと……」


 特徴的な丸メガネを見ても思い出せない。


安芸千洋あきちひろ。クラスメイトだよ、一応」

「ごめん。まだ全員の名前、覚え切れてなくて」


 男の子の名前は特に覚えられない。高校に入ってからは接点が皆無に等しい。


「じゃあ、今日は僕の名前を覚えられるね」


 えくぼにドギマギする。私は黙って頷いた。


「僕の名前は?」


 抜き打ちテストに頭の中が真っ白になる。


「あ、あき……秋山洋樹?」

「惜しい。でも、頑張って覚えようとしてくれたのは伝わった」


 もう一度教えられた名前を、心の中で唱える。安芸くん。安芸千洋くん。


「よく耐えたね。見ず知らずの先輩から急に告白されて、怖かったでしょ。しかも、気遣いながら断ろうとしたのに、しつこく言い寄られてさ。僕だったら売り言葉に買い言葉、火に油を注いでいたよ」


 私は俯いた。膝の震えを隠すように、スカートの裾をぎゅっと掴む。


 怖かった。逃げ出したくなるのを必死で堪えた。穏便に済ませようと言葉を選んだつもりだった。


 安芸くんは両手を叩いた。


「はーい。大きく息を吸ってー!」

「すぅ」

「吐いてー!」

「はぁ」

「うん。さっきより血の気が戻ってるね」


 さっきと聞いて、ご飯を食べる場所がなくなったことを思い出した。教室で肩身の狭いランチを送るなんてみじめだ。


 安芸くんは穏やかな声で言った。


「昼休み、手芸部の部室に来る? 弁当持ってきていいから」

「でも、部外者だよ」

「部長の僕がオッケーしてるから問題ないって。それに、僕と妹の二人だけだし。涼風すずかって言うんだけど、人見知りを直そうと頑張ってるから協力してほしい。どうかな?」


 昔なら無言の圧に負けて、役員を引き受けていた。だけど、今は自分から選択したいと思えた。もう一人の自分を見捨てたくなかった。


「分かった。安芸くん」

「千洋でいいよ。夏帆ちゃん」


 名前の呼び方に懐かしさを感じた。海斗くんに見つめられたときみたいに、安心する。


「私にできることがあるなら、精一杯お手伝いするね」

「約束」


 千洋は指を絡ませる。


「指切りげんまん嘘ついたらレジン液のーます! 指切った!」


 針千本でも怖いのに。私の顔は青ざめた。


「あ、冗談苦手? ごめんごめん」

「私は気にしてないよ」


 個性的な言い回しに苦笑した。悪い人ではないと思いたい。

 千洋は腕時計に視線を落とす。


「そろそろ教室に行かんといけんね」

「そうだね」


 私は人知れず額に手を当てた。


 夏風邪、かな。

 

 頬が熱い。千洋に触れられていないはずなのに。

 こんな暑い日はプールに飛び込みたい。


 教室までの道すがら、気になったことを訊いてみる。


「千洋は、手芸部でどんなものを作っているの?」

「商品画像。今は、文化祭で販売するものを制作中なんだ」


 スマホの画面には、かんざしが映っている。池の水面を球体に仕上げたような透明感だ。小さな泡や藻に見立てたドライフラワーが、水の揺らめきを再現していた。輪を描くのは朱色の金魚。小さなひれが、昔の記憶を呼び起こす。


「ビオトープの金魚」

「夏帆ちゃんの母校もビオトープあったんだね。懐かしい?」


 当然だ。ビオトープの金魚には思い入れがある。名字ではなく海斗くんと呼び方を変えた、特別な日だった。


 私は写真を見つめる。海斗くんとの思い出を閉じ込めたみたいだ。すごくほしくなってきた。


「これって一点物だよね」

「ご依頼とあらば、すぐに販売いたしますよ。お客様」


 お願いします。

 私は頭を下げた。夏祭りに着けたら、海斗くんと思い出話が盛り上がる気がした。

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