Iove letters

羽間慧

第2話 「二人の出会い」

 第1話

 https://kakuyomu.jp/works/16816700426640641138/episodes/16816700426640647896



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 私は飛び起きる。シャトルランを離脱したときのように、心拍が早くなっていた。

 また嫌な夢を見ていた。海斗かいとくんが転校してくる前の記憶。


 クラスの女の子は、みんな下の名前で呼び合っていた。私も夏帆かほちゃんと呼ばれたかった。なのに「周防すおうさんは、周防さん。ちゃん付けは似合わないよ」という訳の分からない答えが返ってくるだけ。シャツの袖をぎゅっと握りしめた。

 くだらない。プロフィール帳や鉛筆のキャップ交換なんて。ぼんやりと眺めながら、心の中で負け惜しみを呟いた。

 女の子の輪から外れた私は、男の子の輪にも入れてもらえなかった。


「痛っ」


 私が教室に入る直前、ドアが乱暴に閉められた。手のひらを挟んだ私を、因幡いなばくんと伊予いよくんが笑っていた。


「周防いたんだ? 気付かなかったよ」

「因幡、言いすぎ。いくら周防が豆粒みたいに小さいからって、見えないことないだろ」


 休み時間の教室はごった返していて、二人の笑い声を掻き消してくれた。私は大きく息を吐いて、両手を合わせる。


「二人ともごめんね。私がよく見てなかったから」


 気にしていないよと言って、まだ痛む右手を振る。そんな私を、二人は冷めた目で見ていた。


「はぁ? お前ばかだろ」

「ぺこぺこしてカッコ悪い」


 トゲのある言葉が心に刺さる。


「そうだよね。カッコ悪いよね」


 私は無理やり笑顔を浮かべた。みんなはポロシャツなのに、一人だけ丸襟のブラウスなんて目立つよね。

 自分の席に座ってから、左手をつねる。


 大丈夫、大丈夫。二人はクラスを明るくしてくれる人気者なの。私が泣いたら、クラスの空気が悪くなるでしょ。あぁ、どうして目にゴミなんか入っちゃうんだろう。


 せめて、からかわないでと伝えることができたら。

 お願い。誰か私を、光の当たるところに連れ出して。




「転校生を紹介します。上総かずさ海斗くん。東京から来たんだよ。みんな、仲良くしてね」

 

 先生が黒板に名前を書くと、教室中が湧きたつ。夏休み間近に転校してきたことも物珍しさがあったが、聞き慣れない名前の響きも興奮させた。もちろん私以外のクラス全員。


 海斗くんがクラスに早く馴染めればいいな、とは思う。そこで私の思考は終わっていた。転校生は雲のような存在だ。影の薄い私には、海斗くんと話すチャンスなんて一生来ない。下手に近付いて、女の子達の機嫌を損ねたくなかった。

 私は周りの歓迎モードに足並みを揃えるために、頑張って表情筋を動かしていた。集団の圧力、ぶちせんない。でも、一人だけむすっとしていたら、またからかわれそう。せめて転校初日は、仲のいいクラスにせんにゃぁいけん。

 

「じゃあ、上総くん。何かみんなに伝えたいことはあるかな?」

「親の仕事の関係で山口に来ました。よろしくお願いします」


 もっと話を聞きたいと、数人の女の子が不満を漏らした。

 でも、私にとっては十分すぎる情報だった。前の学校には、制服がなかったのかもしれない。しわのないシャツと、真一文字に結んだ唇が、着慣れていないことを表していた。きっと、無愛想な人じゃない。


 海斗くんが教卓から後ろの席に移動するとき、一瞬だけ私と目が合った。この学校に何も期待していないような眼差しに、似た者同士だと思った。

 自分は悪くないのに周りから距離を取られてしまう。そんな淋しさが分かる人の目だ。海斗くんとどんな会話をすればいいのか分からないが、いつか話をしてみたい。


「せんせー! せんせー! 上総くんのために、自己紹介をする時間をください!」


 勢いよく手を挙げた伊予くんに、先生は一時間目まで待ちんさいと制止する。

 賑やかになる教室をよそに、海斗くんは窓の外を眺めていた。




 ***




「初めて会ったときも、カッコ良かったなぁ」


 クラスの空気に流されない姿に憧れた。

 海斗くんは私にとって、モノクロの世界を変えてくれたヒーローだった。


「高校生になっても、私はまだまだ弱いまま。臆病者なのです」


 私は本棚のファイルボックスを引き寄せた。どのボックスにもクリアケースが詰まっている。中身は海斗くんからの手紙。そして、自分の出した手紙の下書きだ。海斗くんの手紙は色あせないように、丁寧に保管してきた。


 海斗くんにバレたら、友達やめるわと言われてしまうかもしれない。だから、この秘密は墓場まで持っていくつもり。


 私は昨月届いた手紙を取り出した。文面を見なくても海斗くんの字を思い出せる。暗唱できるぐらい、何度も読み直していた。

 本当は届いた日に返事を書いている。だけど、自分の言葉が海斗くんを傷付けるんじゃないかって、不安で堪らなかった。時間を置いて読み直さないと、のり付けする勇気が出ない。海斗くんを待たせてしまうことに申し訳なさを感じるものの、返事は早くて二週間が限界だった。


「やっぱり、もう一回読み直そう」


 一ヶ月前に訊かれた問いに、ちゃんと答えられているか自信がなくなってしまう。海斗くんの手紙の横に、清書(仮)を置いて確認する。




 ***




 上総海斗様


 お返事ありがとう。私も海斗くんの手紙から、いつも元気をもらっているよ。


 そちらは過ごしやすい気温でしょうか。山口はあいかわらず、表現するのが難しい暑さです。暑さ自慢できる気温じゃないし、かといって避暑地に向くようで向かないし。山と田んぼの緑と、海の青さが恋しくなったら遊びにおいでよ。


 海斗くんと初めて会ってから、もう五年経つんだね。海斗くんは、かなり背が伸びているんだろうな。私は全然伸びなくて、春の健康診断では149.9センチでした。身長が高すぎて困っていたら私にちょうだい! 喜んで貰うよ。そして、高身長を謳歌するの。


 高校に入ってから、クラスで話せる子が増えました。グループワークもへっちゃらです。でも、帰宅部なので、部活についての話題はついて行けません。頑張って見学に行ってみたけど、先輩の熱量がすごすぎて回れ右しちゃいました。海斗くんなら、マシンガントークされてもうまく対応できそう。私も処世術を磨きたいです。


 優しいのは海斗くんの方だと思うよ。そばにいれたのは短い間だったけど、海斗くんがいてくれたおかげで頑張れたから。海斗くんにとっては無意識の行動でも、私はすごく救われたよ。もっと自分に自信持ってほしいな。 


 いつかまた、2人でゆっくり話したいね。あの夏の日のことも、お互いの生活のことも。手紙で伝えられる思いもあるけど、海斗くんと直接会って話したい。


 いつか会える日を楽しみにしてる。


 じゃあ、またね。私のこと、いろいろと気遣ってくれてありがとう。海斗くんの方こそ、熱中症とか夏風邪にも気を付けてね。水分だけじゃなくて、塩分もしっかり摂ってください。



 周防夏帆




 ***



「と、とりあえず、誤字脱字はなかった。ないはず。たぶん」


 何度も読み直し、この文面で出すことを決めた。

 高校生活について書いた箇所を見て、ちくりと胸が痛む。

 

 グループワークはそつなくこなせても、昼休みには一人きりになる。同じ中学出身者でつるむ小さなグループの中に、溶け込む度胸はない。他のクラスにいる友達のところへ行く振りをして、中庭のベンチで弁当を食べていた。

 でも、淋しくはない。孤独に絶望していた五年前よりは、一人の時間を楽しめていた。


「私にとっての最高の友達は、海斗くんだけ。海斗くんとの縁が途切れないことが、私の幸せ」


 この手紙のやりとりが、海斗くんの負担になっていませんように。私は封筒に宛名を書いた。


「海斗くん、知っちょる? 毎回、季節にちなんだ切手を選んでいるって」


 自己満足だからいいんだけどね。苦笑いを浮かべながら切手を貼る。


 くまの船長がヨットを操縦する切手なんて、子供っぽいかもしれない。それでも、あの夏を特別だと思ってくれる貴方なら、私の選んだものを肯定してくれるかな。

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