love letters

薮坂

第1話「あの夏の日」


 周防すおう夏帆かほ


 お返事ありがとう。

 夏帆からの手紙には、いつも元気をもらっています。


 そろそろ夏が来るね。夏が来るたびに夏帆と出会った時のことを思い出すのは、やっぱりあの夏がそれだけ印象的だったからなのかな。

 あれから何年が経ったんだっけ。小学校五年の時からだから……もう五年になるのか。早いよなぁ。


 気がつけばもうお互い高校生になってしまったけど、新しい学校生活はどう? 仲のいい友達は出来た?

 夏帆は俺とは違って本当に優しい人だから、夏帆のことをわかってくれるいい友達に巡り会っているように心から祈るよ。


 ちなみに俺は、高校に入ってもいつも通りかな。結局、中学でも二回転校したから、仲のいい友達なんてまだ一人もいないんだ。高校に入ってもどうせそうなると思って、いつも通りどこか距離を置いて人と関わってる状態だよ。さすがに高校で、また転校するとは思いたくないけどね。

 この学校は、いい意味で他人に無関心なヤツが多い。深く関わってこようとするヤツも少ないし、俺みたいに部活に入ってない人間にも寛容だ。

 他人との距離感を測るのが楽だから、そういう意味では俺に合っているのかもしれないな。

 まぁ、少しだけ寂しいけどね。人が多い学校でも、やっぱり俺は一人だから。


 だからこそ、改めて思うんだ。夏帆と出会えて、そして仲良くなれたあの夏はやっぱり奇跡だったんじゃないかって。

 だからかな。こうして夏が来るたびに思い出すよ。夏帆と出会った、山口での夏のことを。



 いつかまた、2人でゆっくり話したいね。あの夏のことはもちろん、その他のことも、そして今のことも直に会ってゆっくりと話したい。

 お互い高校生で、まだ自由とは言えない身分だけどさ。もっと大人になって、本当の意味で自由になれた時、ゆっくりご飯でも食べながら話そう。


 この夏も暑くなりそうだ。だから熱中症とかには充分、気をつけて。それじゃあ、また。



 上総かずさ海斗かいと





   ────────────────





 お気に入りの万年筆のキャップを閉めて、俺は書き上げた便箋を手に取った。決して美しくはないけれど、できるだけ丁寧に綴った文字。普段は殴り書きが多いけど、せめて夏帆には読みやすいようにしたいから。

 もうこれで何通目になるだろう。夏帆からの手紙を入れている小さなクッキーの空き箱は、もうそろそろ三箱目がいっぱいになりそうだった。


 俺はもう一度、その便箋に目を通した。決して長くはない文章。書きたいことが、本当はまだまだたくさんあった。自分がどんな状況なのか、どんな風に思って過ごしているのか、もっともっと詳しく夏帆に伝えたかった。

 もちろん伝えたところで現状が変わるわけではないのはわかっている。それにいきなり何万字にも上る手紙を送ったとして、夏帆に嫌われてしまったら元も子もないのだ。夏帆は優しいからそんな心配はないかも知れないけど、自分がそんな男になるのが嫌だった。


 だから俺の手紙はいつも結局、こんな風に当たり障りのない簡素なものになってしまう。いつも見返して思う。こんな無味乾燥な手紙、貰って嬉しいのだろうかと。


 夏帆がどう考えているのかはわからない。それでも夏帆は二ヶ月に一度は手紙の返事をくれるし、早い時は一月ひとつき経たずに返事が来る。

 文頭にはいつも、「お返事ありがとう」と感謝の文字が記されている。

 俺ももう高校生だ。言葉の裏を読めるくらいには大人になっている。だけど。

 夏帆の言葉には裏がないと、そう盲信している子供じみた自分がいる。そう考えるに足りるほど、夏帆は純粋な女の子だったのだ。



         ◆◆◆



 今から五年前の夏。小学五年生。俺は親の仕事の都合で山口県に居た。そこで出会ったのがこの手紙の相手。そして俺の初恋の人。周防すおう夏帆かほ、その人だった。


 きっかけは些細なことだったと思う。背が低くて引っ込み思案だった夏帆は、いじめられているわけではないけど、明らかにクラスで浮いている存在だった。そこにもう一人、東京から転校してきた俺がそのクラスに混ざった。

 お世辞にも人付き合いが上手いとは言えない俺が、クラスで浮くのは時間の問題で。だから夏帆と俺の接点が増えるのは、半ば必然のことだったのかも知れない。



 その日。クラスの飼育委員という役職に当たっていた俺は、夏休みの学校に夏帆と二人で居た。ウサギやらニワトリやら金魚やら、学校で飼っている動物たちの世話が仕事だった。その日は学校の裏に作られたビオトープに住む、金魚とメダカにエサをあげることになっていた。

 夏休み間近という中途半端な時期に来た俺に拒否権はなくて。そして元々クラスで浮いていた夏帆にも拒否権はなかった。

 余りものの二人組が飼育委員。誰にも相手をしてもらえないから、動物の相手をする。それは何かの皮肉みたいだった。



「……ねぇ、上総かずさくん。どうして私と仲良くしてくれるの?」


 明らかに方言を抑えた夏帆の言葉。山口の方言は俺にとって耳ざわりが良くて可愛く聞こえるのだけど、夏帆がそうしてくれているのはきっと、俺に合わせてくれていたからだろう。

 本当は方言で話してほしい。でもその優しさを無碍にはできない。だから俺は余計なことを言わず、ただ事実だけを簡潔に言った。


「別に、そんなつもりはないけど。そんなに仲いいか? 俺たち。飼育当番が一緒だってだけだろ?」

「あっ、と……ごめん。違ったよね」

「いやでも、クラスで誰と一番仲がいいかって言われたら、それはまぁ周防すおうになるんだけど。だから間違ってはない、のかな」

「それ、本当?」

「まぁ事実だし。五年生って中途半端な時期に来た俺に、普通に話してくれるのって周防だけだしな。だから嬉しいよ、俺は」


 夏帆は恥ずかしそうに、「私も嬉しいよ」と小さな声で言う。

 夏帆が屈む池の淵には、金魚やメダカがエサを求めて群がっている。そいつたちにエサを与えながら、夏帆はまた小さな声で言った。


「……ここの金魚やメダカたちってさ。ちょっと可哀想に思っちゃうんだ」

「毎日エサをもらえるのに? パクパク食べてて、見るからに幸せそうに見えるけどな」

「ここは閉ざされてる池だから。エサをもらえるけれど、でもどこにも行けない。まるで私みたい。私もここにいるだけで、どこにも行けないから」


 何を言えばいいかわからず、ただ黙って夏帆を見ることしかできない。夏帆は少し寂しそうな顔で、太陽が反射する池の水面みなもをただ眺める。


「それにこんな池で生きててもさ、不思議とあるんだよね。仲間外れにされたりとか、からかわれたりとか。特に体の小さな金魚や群れに馴染めないメダカは、いつもエサを横取りされたり突かれたりしてる。何も悪いこと、してないのにね」


 みんながもっと優しければいいのにな。足元にぱらぱらとエサを撒いたかと思うと、夏帆は群れから離れたメダカの方にもエサを投げてやっていた。

 美味しそうにエサを食べるはぐれメダカ。俺はその姿を見て、優しいとはこういうことだと知った。


「……あの時さ。伊予いよくんと因幡いなばくんに私がからかわれていた時、覚えてる? あの時に上総くんが助けてくれたこと、本当に嬉しかったんだ。そんな人、今までいなかったから。だから本当に嬉しかったんだよ」


 夏帆の優しさに比べれば、俺のなんてその範疇に入らない。クラスで幅を利かせていた伊予と因幡に俺が食ってかかったのは、夏帆のためを思ってのことではなかった。事あるごとに俺を「よそ者」と揶揄してきた二人に、俺はいつかカウンターを入れてやろうと狙っていたのだ。その機会がたまたま目の前にやってきた。ただそれだけ。要は自分のためにやったことだ。


「別に助けた訳じゃない。アイツらが気に入らなかっただけだよ」

「それでも私は嬉しかったんだ。上総くん、とってもカッコよかったよ。『お前ら周防のことが好きなのか? それじゃガキの恋愛だろ、しょうもねぇ』だっけ。まるでマンガに出てくるヒーローみたいだった」

「やめてくれよ、恥ずかしい」

「恥ずかしくないよ。カッコ良かったもん」


 しゃがんだままの夏帆を見ると。真夏の太陽のせいか、それとも違う理由なのか。夏帆の耳は赤く染まっていた。


「上総くんって、どうしてそんなに勇気があるの? その勇気があれば、私もからかわれないかな」

「勇気じゃない。俺はまた転校するかも知れないから、だから無理して仲良くする必要がないだけだ。あんなこと言うヤツらと仲良くしたくない。それだけだよ」

「また転校しちゃうの?」

「多分、いつかは。まだ先だと思うけど」


 ずっと屈んでエサをあげていた夏帆は、そこでゆっくりと立ち上がった。俺に向き直って、そしてまっすぐな目で言う。


「……じゃあそれまで、私と仲良くしてほしいな」


 その時、夏帆がどう言う気持ちだったのかはわからない。でもきっと、大きな勇気がいるセリフだっただろう。

 それを見て、なんとなく気恥ずかしくなってしまって。俺は無言で頷くことしかできなかった。

 もっと気の利いた言葉を言えば良かったようにも思う。でも、それができないほどに俺はまだまだガキだったのだ。

 俺の子供じみた返事に夏帆は気を良くしてくれたようで。嬉しそうに微笑みながら、また言葉を続けた。


「上総くん、次はウサギ小屋だよ。エサをあげに行こう」

「……海斗でいいよ。前の学校の仲いいヤツらはみんな、そう呼ぶから」


 それは小さな嘘だ。転校続きだった俺に仲のいい友達なんていない。でも、自分を信用してくれる女の子には少しでもいいように思われたい。そんな打算的な返答だったけど、夏帆は俺の言葉を聞いて、今まで見たことのない笑顔で答えてくれたのだった。


「じゃあ、これから海斗くんって呼ぶよ。だから私のことも夏帆って呼んで欲しいな。この名前、すごく気に入ってるから」


 差し伸ばされるその手を、俺は握った。自覚したのはその時から。

 小学校五年生の夏休み。入道雲が高く背を伸ばし、真夏の太陽が燦々と輝くその夏に。


 ──俺は、周防夏帆に恋をした。




      ◆◆◆



 書き終えた手紙に封をして、俺は家の近くのポストへと向かった。

 玄関を出た途端、強い日差しに目が眩みそうになる。今日の夏空も美しい。夏帆と出会った夏の日みたいに入道雲は高く背を伸ばしている。セミはうるさいくらいに鳴いていて、吹く風はアスファルトの熱気を吸ったように熱い。


 少し歩くと、そのポストにたどり着く。手紙を入れる前に少しだけ祈るのは、ヘタレな俺のルーティンだった。

 高校生にもなって、小学生のころの思い出を胸に生きているのだ。これをヘタレと言わずしてなんと言うのだろう。


 でも仕方ない。山口県での出来事は、俺自身を変えた重要な日々だったから。

 夏帆と過ごせたのは、結局一年と少しだけ。俺は小学六年でまた転校することになった。別れの時に夏帆と約束したのが、この手紙のやりとりだ。


 手紙を出すたびに思う。夏帆からの手紙は返ってくるだろうか。時間と共に思い出が薄れてしまわないだろうか。俺という存在は、いつまで夏帆の中で生き続けられるのだろうか。

 等量の期待と不安が胸の中で渦巻く。だけどこの繋がりを失わないために、意を決してその手紙をポストへと入れる。



 ──どうか君に届いてほしいと、もう一度祈りながら。




【続】


第二話

https://kakuyomu.jp/works/16816700426686529380/episodes/16816700426686536431

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