ミサトとリュウタのエピローグ

 スマートフォンが振動でメッセージの受信を告げた。


「あ、トモキくん、買ったって」


 向かいに座るリュウタにトモキから送信されてきたメッセージアプリの画面を見せる。送られてきたのは本の写真と、サインくださいねの一言だった。


「おぉ、はやいな」


 リュウタは画面を見てそう言うと、テーブルに置いたままだった本をこんこんと人差し指の関節で軽く叩いた。私がさきほど渡した今日発売の新刊。トモキが今読んでいるであろう本だ。


 企画も出さず、担当編集にも何も言わずに書き上げたこの小説は、無愛想な担当編集にまたですかとため息をつかれながら受け取られ、4ヶ月の二人三脚の推敲の末、出版が決まった。そこから編集やら校正が入ってさらに2ヶ月。

 季節も変わって、厚手の上着と防寒具が必要になっていた。


「トモキくん一昨日あったぞ」


「本当に仲良くなったわね」


「まぁな。ミサトも可愛がってるだろう」

 

「なーんか企んでそうなのよ」


「それは楽しみだな」


 リュウタがそう言って笑う。最初は私もリュウタも、私たちから離れようとしないトモキに警戒していたが、半年も過ごせば悪意のあるなしは感じ取れる。

 私たちになにかしたいことがあるようだが悪意のあるものではない。とりあえずは動きが出るまで様子見と言ったところだ。


「次はいつになりそうなんだ?」


「いま、コンクールで忙しいみたいだから、しばらくはないわね、きっと」


「そうか」


「だんだん題材は減っていくわよ、あの子の周りに理解者は増えていくから」


「そうだろうな」


 リュウタは少し寂しげに笑う。妹に恋をした者としては複雑なのだろうか。


「まだ大丈夫よ」


 減っていくだろうけれど、まだなくなるわけじゃない。そう続けて笑う。


「いや、そうじゃなくてだな」


「ん?」


 苦虫をかみつぶしたような顔をするリュウタに首を傾げると、リュウタは小さくため息をついて首を振った。


「……いいや、なんでもない」


 なんでもなくないのはわかっている。でもその先は言わないで欲しい。そう思いながらカフェオレを一口。


「前にね、メグミに言われたのよ」


「なにをだ?」


「お姉ちゃんはみんなのこと、わかってるよねって」


 メグミの話し方を少し真似て言うと、リュウタは首を傾げる。


「どういう意味だ?」


「わからないでしょ? 私もわからないのよ」


 言われたとき、もしかして、妹を題材に小説を書いていることがばれたのかと思ったが、詳しく聞いても真意はわからなかった。


 そう言うと、リュウタは少し考えているようで、俯いて小さく唸った後顔を上げた。


「メグミが言いたかったことはわからないが、俺もそう思う」


「どういうこと?」


「さぁな」


 今日のリュウタは少し捻くれているようだ。意地の悪い笑顔をこちらに向けてコーヒーを飲んでいる。


 顔が困惑で歪むのを感じながら、息をつく。いつもと立場が逆だ。


「いいわ、そのうちわかるでしょう。多分褒められているのだろうし」


「だろうな、俺も褒めてるし」


 いたずらが見つかった子どものように笑うリュウタにつられて私も笑った。


「そういや、トモキくんにミサトさん恋人いないの本当なんですかって聞かれたよ」


「なんて答えたの?」


「メグミと俺がいる限り無理じゃないかって言っておいた」


「リュウタは関係ないでしょう」


「それはない。メグミより俺の方がフラれた原因になった回数多い」


「それはリュウタも一緒でしょ」


「まぁ」


 リュウタとの関係は戦友とか、悪友とか、そういう類いのものだというのが共通認識だ。よく勘違いされるが恋愛感情とかそういったものはない。ただ、中学からの付き合いで、距離感はかなり近い自覚はある。それに関連したいざこざもあったので、私もリュウタも恋人を作る気がなくなってしまっていた。


「今の状態が心地いいのよね」


 そう言って笑うと、リュウタが困ったようにそうだなと答える。


 わかっている。


 わかっているが、今はまだ、予防線を張らせてほしい。


 周囲に目を泳がせて、またリュウタにもどす。さっきよりも凶悪ないたずらが見つかった子どもの笑顔をしている。



「まだ、待ってやるよ」



 さきほど話を流した仕返しか、核心をついてきたリュウタに驚いた。


 出会ってから約10年、この関係になってからは5年。

 私はまだこの関係に名前をつけることが出来ずにいた。



「トモキくんがなんとかしてくれるとおもうんだけどな」


「どういうこと?」


「ミサトは、わかってるはずだ」


 リュウタの顔を直視できずに、スマートフォンに目を落とす。通知も何もないので諦めて顔を上げるとリュウタの意地の悪い笑顔とかち合う。


「のんびり待ってやるけどな」


 まぁ、あと1年くらいだ。リュウタはそう続けて机に置いた本を手に取る。


「俺はもう、お前の小説のネタになるつもりはないからな」


「……わかってるわよ」


 苦し紛れに出た言葉に、リュウタは満足げに頷いた。顔が熱くなっているのを感じる。


「よし。昼時だし、ご飯行こう。中華がいいんだけど」


「いいんじゃない」


 私が答えながら身支度を整えはじめると、リュウタは立ち上がって、先に行ってるからゆっくり来なと言って会計しに行った。


 その後ろ姿を見ながら、なんとなく考える。


 私が踏み出さないと、リュウタは踏み込んで来ないだろう。


 ただ、私は思ったより臆病者のようで、このわかりきったストーリーを進めることが出来ないでいる。


 誰かが背中を押してくれる、小説であればそんなこともあるだろうけれど、今のところそんな登場人物はいない。


 向き合うことを望みながらも、どうしても今のままを願ってしまう。


 恋愛小説家が聞いてあきれるが、私の本質はこんなものだ。


 自分の気持ちを直視できない私は、他人の気持ちに向き合うことで自分の気持ちに向き合った気になっている。


 いつまでもこのままではいけないと思いながらも、誰かの後押しを待ってしまっている私にほとほと嫌気がさす。


「本当に、私は臆病なのよ」


 そう呟いて、リュウタの方に歩き出す。


 家に帰れば、私はまた小説を書くだろう。


 いつか向き合わなければいけない恋心を見ない振りをしながら、私は誰かの恋心を標本にするのだ。

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辻本ミサトの失恋標本~妹は恋愛ドラマの主役の素質があるらしいので姉の私は妹を主人公に小説を書くことにした~ 藤也いらいち @Touya-mame

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