トモキのエピローグ 本屋にて
その日、オレは珍しく早起きして、朝の開店時間と同時に大学最寄りの本屋へ駆け込んだ。
ツジミ サトの新作の発売日だ。
「あった」
目当ての本は、文芸の新刊の棚に平積みされていた。半年前にオレの話を元に書いたと読ませてもらったあの小説。かなり書き換えたといっていたから、気になっていたのだ。
ミサトは、モデルなのだからできた本も渡す、と言ってくれていたのだが、どうしても自分で本屋に行って買いたくて断ってしまった。今度サイン貰おう。
本を手にとり、レジへと向かおうと方向転換する。
「あ」
背後から聞き覚えのある女性の声がして思わずそちらを向いた。
「ハルちゃん」
メグミとオレと同じゼミのハルがしまったと言う表情をして立っていた。オレにメグミに告白しろと散々たきつけていた人物だ。
ハルはオレの手にある本と、オレの顔を交互に見て、さらに気まずそうな顔をして、おはようとだけ言った。
「そんな顔しなくていいよ、フラれたのはハルちゃんのせいじゃないし」
ハルはオレがメグミにフラれてから、オレから少し距離をとっているように感じていた。メグミは以前と同じように接しってくれていたが、ハルはなんだかよそよそしくなっていて、周囲からオレはハルにフラれたことになっているほどだ。
「ミサトさんと会ったんでしょ」
「うん、ハルちゃんも知り合いなの?」
「何かあったときの、連絡係だから」
なるほど、ミサトは一言も言っていなかったが、メグミの周りにある程度情報を流してくれる人がいるのではと思っていた。
それがハルのようだ。しかしそうなると、フラれてからのハルの態度は理解できない、メグミちゃんのこともある程度理解していただろうに。
「フラれるってわかってたの?」
「メグミの近くにいれば、恋愛に興味ないことはわかる。それはトモキくんも一緒でしょ」
黙って頷く。あの時に告白したのは、本当に勢いだった。
「トモキくんの恋を近くで見てたから、残してほしかった。ミサトさんに」
けど、私の自分勝手だから、ごめん。ハルはそう続けて、平積みにされたミサトの本を手に取り、そのまま立ち去ろうとする。
「まって!」
思ったより大きな声が出てしまった。周囲に他の客はいなかったことに安堵して、今度は声の大きさに注意しながら口を開く。
「別に、謝ることでもないよ。オレがフラれたことはオレの話だから、それに」
手に持った本を、見せびらかすようにして、ハルにむけて笑う。
「いい出会いもあったからね」
「そう、か……よかった」
そう言って小さく笑うハルはオレの話を受け入れてくれたようで、よかった、と噛み締めるようにもう一度呟いた。
ハルちゃんとは本屋の前で別れて、オレは本屋の並びのカフェに入る。講義は午後の4限のみ、まだ時間はたっぷりあった。
席について、アイスコーヒーを注文する。鞄からさっき買った本を出して表紙をそっと撫でた。
リュウタとミサトは、あの日、オレが小説のモデルになることを承諾してもしなくても、今後はもう会わないつもりだったらしい。
人の感情を食い物にする行為は気持ちが悪いと言う人が多いから、だそうだ。
そんなことは、オレが許さなかった。
表現者としてのミサトはオレにとって刺激になるし、リュウタ視点のミサトの話をもっと聞きたい。そう言って2人を説得し、定期的に3人でご飯に言ったり、リュウタの家に遊びに行く程度までに関係を進展させた。
特にリュウタは懐にいれた人にはとことん甘いタイプのようで、あれこれ甘やかしてもらっているし、ミサトにも誕生日にちょっといい焼肉に連れていってもらった。
しかし、オレは2人にある報復を目論んでいる。
こんなによくしてもらっているが、オレを題材にした小説を書いたことは間違いない。
表現の仕返しは表現で。
そう、オレが2人を題材に絵を描くのだ。
この企てをいつ実行に移すか、媒体は何にするか、そもそもどう表現するか。考えるだけで胸が高鳴るのだ。
それこそ、恋をしているときのように。
だから、ハルは何も気にすることはない。むしろ、引き合わせてくれたことに感謝しているくらいだ。
オレも表現者のひとり。いつか来る仕返しの時は、思い切りやってやろう。
それこそ、2人の関係を名前のあるものにしてやるくらいに。
ミサトの書く、もしもの世界のいつかの話。これは、それにたまたま救われてしまったオレの、ちいさな決意。
驚く2人の顔を思い浮かべながら、小説の1ページ目をめくった。
確かに好きだった彼女の未来に幸あれ。これで、本当に最後のお別れだ。普段は気がつかないほどほんの少しだけ残っていた、メグミちゃんへの恋心に告げる。
オレの未来は、オレの手のなかに無限にある。あの時、こぼれ落ちた未来は、ちいさな欠片となって、今へと吸収されていった。
彼女は、形になることなく、消えていく心を、未来を、拾い集めて、1冊の本に押し込めて標本にしていた。
来るかどうかもわからない「いつか」を、今日もあの人は拾い集めるのだろう。
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