エピローグ

第37話 エピローグ

 ある日の放課後、その少年は石碑の前で一人佇んでいた。

 新城学園の一角にはガラス張りの庭園がある。木製の長椅子が多数設置されているドーム状の大きな庭園で、昼休みともなると多くの生徒達で賑わうような憩いの場だ。


 ――先日、この庭園の中央に一つの石碑が建てられた。


 志半ばで散った《追跡者》を悼むための石碑――《英霊碑》である。

 三メートルほどの涙滴型のその石碑には、現在一人だけ生徒の名前が刻まれている。

 今後、在校生・卒業生に殉職者が出た場合、ここに名が刻まれていく事になるのだろう。

 自分としては、この刻まれた名前が最初で最後になることを祈るばかりだ。

 そんな事を考えつつ、その少年は静かに《英霊碑》を見据えていた。


 すでに少年には、ほとんど時間は残されていなかった。

 もうじき自分はあるべき場所へ還ることになる。それを肌で感じていた。

 そんなわずかに残された時間を削ってまでここに来たのは、何かの直感を抱いたからか。


 その時、庭園の繁みから一匹の猫が現れた。

 正確には山猫であるその猫は、少年に近付くと、軽快な動きで彼の肩に登った。

 少年は山猫のあごを撫で、苦笑を浮かべる。


 ――わざわざ僕に付き合わなくてもいいんだよ?


 と、尋ねる少年に、寡黙な山猫は目を細めるだけだった。

 あれだけの仕打ちをしたというのに、本当に優しい相棒である。

 そして山猫を肩に乗せた少年は、もう一度 《英霊碑》に目をやった。

 すると、

 ――パン!

 いきなり背後からそんな音が聞こえてきた。

 少年は驚いて後ろへ振り向く。と、そこには一人の少年が手を合わせていた。

 見覚えのある少年だ。さほど話したことはないが、知り合いとは呼べる少年だ。


 その少年は、真剣そのものの顔で石碑を拝んでいた。

 友人だと思っていた相手の本性にも気付けなかった間抜けな自分ではあるが、これは流石に分かる。


 ――この少年は今、心から悩み、悔やんでいる。


 多分、ほとんど会話もしたことのない自分のために。

 山猫を肩に乗せた少年は、静かにそれを見つめ――ふっと笑った。



       ◆



(……鷹宮君……)


 その石碑の前で、悠樹は無言で手を合わせていた。

 ――この一ヶ月間。新城学園は蜂の巣をつついたかのように騒然としていた。

 よりにもよって、生徒の中に第八階位トパーズの《妖蛇》が潜入していたのだ。騒然としない訳がない。しかも犠牲者まで出ているのだ。


 あの日の事件は、少しばかり形を変えて全校生徒に知れ渡っていた。

 要点だけまとめると、あの日、正体を現した《妖蛇》に鷹宮を含めた四人で挑み、結果、騙されていたとはいえ、《妖蛇》に心の隙をつけこまれたことを悔んだ鷹宮が自爆覚悟の特攻をして《妖蛇》と相討ちになった、というものだった。


 この事実の改竄は、悠樹と由良の素姓を隠すための翔子の提案だった。

 鷹宮の死を利用するようで翔子自身も心が痛んだが、やむ得ない苦肉の案だった。

 まだ二人の事情に確証が持てない以上、《魔皇》の存在は一旦隠すしかなかったのだ。


 悠樹達はこれを了承し、この話はすぐさま理事会に報告され――激震が走った。

 全教諭・全校生徒にもこの情報は伝わり、教諭も含め、徹底した内部調査が行われた。

 ――幸いにも、ザガ以外の《妖蛇》は見つからなかったが。

 そして次に行われたのは《妖蛇》ザガが潜んでいた神楽崎家の内偵だった。……残念ながらこちらは手遅れだった。すでに神楽崎家は《妖蛇》の巣窟になっていたのだ。


 事実が確定した後、仇打ちに意気込む鷹宮家を中心に、討伐隊が編成された。

 上級 《妖蛇》との戦闘も想定した戦力だったが、不幸中の幸いか、神楽崎家に潜んでいた《妖蛇》はすべて第三階位カルサイト以下のみで、戦死者を出す事もなく殲滅できたと聞く。

 そうして最後に、鷹宮の死を悼むための石碑が建てられ、今に至るのである。


 悠樹は瞳を閉じて、物思いにふける。


(……鷹宮君……結局、話をする機会なんてなかったな……)


 それが今でも悔やまれる。

 もしも彼と友人になれていたら、神楽崎の正体にも気付けていたかもしれない。

 そんな今となっては、どうしようもないようなことばかり考えてしまう。


(……情けないな、僕って奴は……)


 あの時、こうしておけば……悠樹の人生はそんな後悔ばかりだ。

 今回の件も然り。大和の時もそうだった。

 自分のネガティブさに、思わず渋面を浮かべていると、


「……随分と悩んだ顔で拝んどるのう。それでは鷹宮の奴も対応に困るぞ」


 背後から涼やかな声が響いてきた。

 悠樹が振り返ると、そこには鳳由良と御門翔子が佇んでいた。


「……何だ由良か。それに御門さんも……どうかしたの?」


「ええ。悠樹さん。お迎えに上がりました」と、お辞儀をして答える翔子。


「……? 迎えって?」


 悠樹が訝しげに問うと、翔子は少年の右腕を少し躊躇いつつも両手で絡め取り、


「あなたの事情聴取です。流れに流れてきましたが、今日こそ詳細を教えて頂きます」


 満面の笑みでそう告げる。悠樹の顔が引きつった。


「え、えっと、由良もそれで呼ばれたの?」


「……まあ、仕方がなかろう。教えると約束していたしな。それにお茶菓子も出すと言うとるしの。羊羹の魅力は抗いがたいのじゃ」


 どうやら由良はお茶菓子でつられたらしい。


「ふふ、色々教えて頂きます。あの獣衣のことは勿論、悠樹さんの生まれや、どう育ったのか、好物は何なのか、す、好きな女の子のタイプとかも……」


「ちょっと待て小娘。何か関係ないものが混じっておらんか?」


「何を仰っているのですか?」翔子はにこりと笑う。「全部必要なことですよ? あ、鳳さんはお茶菓子をお土産にすぐに帰って頂いても構いませんので」


「……ほほう。そうか」


 そう言って、目だけ笑っていない笑顔で翔子を見やる由良。

 悠樹は苦笑した。どうもこの二人は、仲が良いのか悪いのかよく分からない。

 まぁわざわざお茶菓子を用意したという事は、悪い方ではないとは思うのだが。


「むっ、さっきから何をにやにや笑っておる。早く行くぞ悠樹」


 と言って、空いている左手を由良が掴んできた。


「ええ、早く行きましょう悠樹さん」


 負けじと翔子が右手を引っ張ってくる。

 困ったような笑みを浮かべる悠樹は、まだ少し躊躇っていて……。



 ――やれやれ、君って案外情けない奴だったんだな。



「………え?」


 その時、不意に背中を軽く押し出されたような感じがした。

 そのためか、ほんの少しだけ前へと進んだ。

 悠樹は訝しげに眉根を寄せて振り向いてみるが、当然ながら誰もいない。

 そこにあるのは、完成したばかりの冷たい石碑だけだ。

 すると、


「――ッ!」


 思わず悠樹は目を大きく瞠った。

 それは、およそ一秒にも満たない刹那の瞬間だった。

 石碑の前に、山猫を肩に乗せた少年の姿が見えたのである。

 制服姿のその少年は眼鏡を指先でくいと上げて、何やら苦笑を浮かべていた。


(……え?)


 ――いや、今のはまさか……。


(……た、鷹宮君?)


 悠樹はただただ唖然とする。多少ネガティブに入っていようが、幻覚を見るほど悠樹の感覚は鈍ってなどいない。今の姿は間違いなくあの少年のものだった。

 だが、普通こんなことは、特別な術でも使わない限りあり得ないのだが……。

 しばしの沈黙の後、悠樹はわずかに口元を綻ばせた。


(……ははっ、凄いなあ)


 瞬くような……それこそ見落としても不思議ではないような一瞬だけのこと。

 あの少年は、確かにこの場所に現れた。


 ――これといった別れの言葉を告げる訳でもなく。

 ただ、うじうじと悩む悠樹の背中を後押しするためだけに。


 悠樹は内心で苦笑を浮かべる。

 本当に今さらではあるが、最後の最後で一つだけ知ることが出来た。

 どうやらあの眼鏡をかけた少年は、とてもお節介やきな性分だったらしい。


「……? どうかされましたか悠樹さん?」


 右手を引く翔子が尋ねる。


「これ、ぼんやりするでない悠樹。お茶菓子が待っておるのだぞ」


 左手を掴む由良が告げる。

 そんな二人の少女に両手を引っ張られた悠樹は、もう一度だけ石碑を見つめ、


(……ありがとう)


 瞳を細めて微かに笑みを零す。


(これからはしっかり頑張るよ。鷹宮君)


 そして理を超えてまで後押ししてくれた友達・・に対し、心の中でそう告げる。

 悠樹は決意を新たにして前を向いた。少しだけ気分は晴れやかになっていた。


「――うん。分かった。今行くよ」


 にこやかに笑って、そう告げる悠樹。そうして彼は歩き始めた。

 守るべき少女達と共に、友達への想いを背負って――。



〈了〉


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ドラゴンチェイサー 雨宮ソウスケ @amami789

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