大きな鏡

keithia

大きな鏡

「ということで『鏡』にやってきました。厚さが無いとかニュースで言ってたんですけどマジで零ミリ。ってかめっちゃさみぃ」


 画面に映し出されているのは三名の民間人と雲一つない青い空。そして、画面は上下対照になっている。文字通り彼らは、巨大な鏡の上に立って撮影をしているのだ。

 彼らはニュースで報じられた情報等を簡潔にまとめ、今ようやく本題に入ろうとしていた。


「じゃまずはうちのリスナーさんのリクエストからやって行きましょう」


 と言うと彼らは画面縁から出てきたハンマーを受け取る。少しだけ同盟の冬季迷彩が見えたのでやはり軍が協力しているのだろう。

 全世界に見守られながら、若者は五メートル程歩き、ハンマーを振り上げる。


「おりゃぁ」


 ガンッという鏡と金属がぶつかったとは到底思えない音を撒き散らす。そして金属の塊が打ちつけられた部分は、何事もなかったかのように再び空を映しだした


「いってぇ。これ本当に鏡か? マジでびくともしねぇ」


 厳密に言うと鏡では無い。ただの平面が光を反射し、かつ先ほどにも見られたように質量を持っているという事実から、この超常現象は『鏡』と名付けられた。




 人類が『鏡』を発見したのは二〇XX年。北極圏での停戦合意がなされてから僅か三ヶ月後の話である。

 

 私はその時、同盟空軍の管制室にいた。室内は静かで、しかし極度に張り詰めた空気で満ちている。


『こちらニードル。指定空域まで残り三十秒』

「ウォーキャリアー了解。衛星は間に合わない。目標を目視で確認せよ」


 つい二十分前、北緯九十度の地点で謎の爆発が確認された。同盟側はスクランブルをかけ、航空隊はもう間もなく北極点に到着予定である。


『……! 連邦軍機を確認。機数八。空中のを攻撃中』

「ニードル隊、左へ旋回し距離を保て!」


 管制官が指示を出した直後、航空隊から送られて来たデータが部屋のモニターに表示される。連邦軍機を示す八個の赤点が、北極点を中心に動き回っていた。


「ニードル隊。連邦軍が攻撃しているのはなんだ?」

『確認出来ない。上からは円形の穴のように見える』

『こちらタイガー1。遅れて悪いな。下からは氷が浮いてるみたいだぜ』


 モニターを確認すると別方向から来た、ニードル隊では無い青い点が表示されている。


「タイガー隊。そのまま上昇してニードル隊と合流しろ」

『了解!』


 タイガー隊は上昇しながら状況を報告してくる。そのは平面状、つまり円盤であること、連邦軍機がミサイルや機銃で攻撃を仕掛けているが全く効果が無いことが分かった。


『こちらコブラ。久し振りだな』

『貴官、生きていたのか』


 と、パイロット同士が会話を始める。コブラとは、確か連邦軍のエースだ。


『こんなに早く再開出来るとはな』

『毒蛇野郎。ここで決着をつけてやろうか?』

『この円盤がお前達の物ならそうしてもいいが、あいにく上から止められているんでな。その様子だとお互いスクランブルってとこか』


 散開していた赤点は次第に集まり、連邦領に帰る素振りを見せる。


『おい逃げんな!』

『また墜とされたいのか? まぁここで少し頭冷やしていけ虎野郎』

『テメェ』

「やめろタイガー1」


 連邦軍機は空域から離脱していき、残るは同盟側の二つの航空隊と正体不明の円盤。


『ありゃ俺達にもやれって言ってたな』

『そのようだ。ウォーキャリアー、円盤への攻撃許可を要請する』


 それを聞いた司令官は機銃での攻撃を許可した。すぐさま青い点は北極点へ接近する。


『レーダーが反応しない』

『これじゃミサイルは使えねぇな。そういやあいつらの装備は無誘導ロケットだったけか』

「ニードル、タイガー両隊は攻撃後、速やかに帰投せよ」


 航空隊の機銃掃射後、管制室に通信が入る。同盟軍司令部からだった。


『中将。航空部隊をそこで待機させろ』

「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 その場で、先ほどから命令を飛ばしていた中心人物が応答する。


『両軍合意の下、マスドライバー砲台を使う事になった。それの観測任務だ』

「……分かりました」


 ジェット戦闘機のミサイルやバルカン砲で効かないのらば大口径砲弾を叩きつけようという腹らしい。


 十数分後、モニターに二つの点が現れる。方角からしてアラスカとアイスランドの砲台から放たれたものだろう。


『砲弾確認』

『ありゃ直撃コー……ザー…』


 命中したようだ。着弾のノイズで通信が乱れている。


『…聞こ……命中…然…効いてね…』


 モニターの砲弾の表示が消えてから少し経ち、通信が回復してくる。断片しか聞き取れなかったが、やはり効果は無かったようだ。


 そして人類が『鏡』と遭遇して一ヶ月後、初めて『鏡』の科学的な調査が実施された。停戦のゴタゴタや政治的問題、主に領有権を主張する国が出てきたりで一カ月間何の進展も無かったのは少し悔やまれる。


「北極圏、上空六千メートルに正体不明の『鏡』が出現しました。直径八百メートル程の円形の鏡が、今連邦側の水平線を映し出しています。同盟国首脳部からは、現在調査中だが少なくとも害は無い、との事です」


 ニュースはそれをただの『鏡』だと発表した。

 調査で分かった事と言えば、厚さが無く、誰が何のために作ったものなのかも分からない、そして何をしても壊れない位なものだった。つまりお手上げになったのだ。空間の断層なら、『鏡』の縁の部分でダイヤモンドでも切れるのではないかといった説も出てきたが、結局何も出来ず、はっきりしたのはそこにある絶対的な強度を持った薄い鏡だと言う事。


 神のいたずらか。


 誰しもがそう考えるようになった。物理的にそんなものは存在し得ないのだ。少なくとも今の科学技術では、この世界にはバグが起こり得るとしか言えなかった。




「この高度超冷えるわ。ってことで次はこれ業務用バーナー持って来ました」


 ハンマーを振りかぶっていた若者とはまた別の青年がバーナーを受け取る。そして前例に習いカメラから少し離れ地面を熱し始めた。しかしその地面もとい『鏡』は、金属のように赤くなったりはしなかった。

 続いて彼らは温度計を取り出す。近づけて間接的に温度を測るタイプのものだ。


「全然あったまらねぇじゃん」


 青年が温度計の表示をカメラに近づける。どうもバーナーによって大気が少し温められただけで、『鏡』自体に温度変化は無かったようだ。


「ってかさっきから足がへんな感じするんだけど」

「それな。金属じゃなくてブーツの上に立ってる感じが……」


 彼らが足下に違和感を感じていると、ガシャッという音と共に一人の男がリュックを落とす。


「寒くて手が」

「ちょっとヘリで休憩して来いよ」


 恐らくあれは軍用の防寒着だろうが、それでも寒いものは寒いのだろう。


「……あれ?」


 画面の三人の視線は一様にリュックに向けられた。


「なんで浮いてんだ?」


 リュックは片方を地面につけ、もう片方は今にも空中に浮きそうになっていた。青年がリュックを広い上げ、その原因となっているであろうものをいくらか取り出し、『鏡』の上に置いた。


「すげー。これあれじゃん。リニア的何かじゃん」

「ってか磁石なんて持ってきたっけ?」

「せっかく北極点だし方位磁石グルグルとかやってみたいやん」

 

 画面には十五センチ位の磁石が映っていた。


「これ宇宙船のやつで見たことあるわ」


 NとSが書かれたその磁石は『鏡』から三十センチほど離れた高さを保ち、回転運動をしている。極に関係無く、風や若者の指の力によって態勢を自在に変化させていた。


「これ『鏡』って何極なん? Nが下になってもSが下になっても浮いてるんやけど」

 

 カメラに向かって驚いた顔で疑問を投げかけていると、その三人は丁重に画面外へ連れて行かれた。そしてカメラの映像は途絶え、配信は唐突に終了してしまった。


 あの奇妙な動画配信から三週間後、三人の民間人の無事が報道される。そして、珍しく軍による『鏡』に関する声明も発表された。


「戦略核兵器による『鏡』の破壊を決定いたしました」


 そのニュースの後、世界各地で暴動が発生。氷の融解による更なる水位上昇や放射能汚染といった科学的なものから、海の底に沈んでいる戦略原潜の怒りだの神罰だのっと言ったオカルト的なものまで、理由は様々なものであった。

 

 私は再び呼び戻された。三ヶ月前に初めて『鏡』と遭遇したあの管制室に。


「核兵器を使うなど馬鹿げています。破壊出来る保証もありません。やるにしても、もう少し科学的なアプローチを…」

「そんな悠長な事を言っている場合では無い! この基地にいる人間の中で君が一番よく理解しているだろう」


 そして作戦が始まった。同盟、連邦双方から一発ずつ戦略核弾頭が供出された。戦争では幸いにも使われ無かった悪魔の落とし物である。そして、偶然か必然かミサイルから取り外された二発の弾頭はどちらも、マスドライバー砲の砲弾と互換性があった。


 双方の着弾を同時にする為の計算は終わり、射撃までのカウントダウンが始まった。数分後、二発の砲弾が北極点に到達する。監視衛星から送られて来る映像は、強烈な閃光を映し出す。


 北極海沿岸からは多数の被害報告が上げられているだろう。しかし、この部屋と同様、世界中の空軍司令室や意志決定機関は感極まっているに違いない。


「我々は地球を救った」


 その考えは軍人や政治家に留まらなかった。こうして『鏡』は破壊された。


「宇宙ステーションからです!」

「どうした?」


 大喜びで騒いでいる管制室に一人の連絡員が飛び込んで来る。


「地球が見えると」

「当たり前だろう。北極圏はどうだと言ってる?」

「異常無しと……」

「ではどうしたのだね? そんなに深刻そうな顔をして」


 連絡員は青く引きつった顔をしていた。


「地球から約二十万キロの地点に地球が見える、だそうです」


 翌日、地球は持てる全ての核兵器を使って新たな『鏡』を迎撃した。しかし、地球から十万キロ離れた巨大なそれは一切の攻撃を受け付けず、地球はゆっくりと公転軌道から外れて行った。

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大きな鏡 keithia @Keithia

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