強強絵師、鬼に腕を喰われたること

@b4ea

第1話

夏である。

太陽がすっかり沈み、名もなき虫達がリーリーと一斉に歌っている。夏の日射しを受けてのびのびと育った野草達は、今は月の光を受けてえもいわれぬ美しさを醸し出す。

開け放している窓からはしかしどういう仕組みか、虫が部屋に入ってくることはない。

一組の男女がそこにはいた。親密そうでいて、しかし特有の艶のようなものはない。

そんな二人である。


「贅沢だな」

「そうかい?」


男の低いテノールに、女の高いソプラノが疑問で返す。


「そうだ」

「そういうものかい?」

「だってそうだろう。今の時分に、本物の土を使った庭に本物の植物を生やしている。そして、窓を開け放しても快適なこの環境。いくら望んでも手に入るものではない」

「ふむ、つまり君にとって贅沢というのは、あくまでもこの空間そのものというわけか。全くつまらん男だね、美しい風景に目を奪われた程度のことは、言って貰いたいところだね」


愉快そうに男を批判する女に、しかし男は軽く肩をすくめる。


「すまないな。俺はあくまでも俺の価値観でしか物を語れないのでな」

「そんなことを、物の語り手たる君が言っても良いのかい?」

「ご存知の通り、俺の特技は嘘だからな」

「ボクは君のそういうところだけは、好ましいと思うよ」


そうかいありがとうよ、と男は宙に言葉を吐き捨てて、手元のコップに口をつけた。香ばしい薫りが鼻の奥にスッと抜ける。


「うまい」

「礼は、彼女に言ってくれ」


女が手を振ると、その場にそれまで一切姿がなかった人影が表れる。そのたたずまいから尋常の人間でないことが明らかであるが、男は動じることなく感謝の言葉をその影に投げ掛けた。慣れたともいう。

その人影は、一礼してまたもや姿を消す。ひらりと白い花びらが柔らかな紙のように舞った。


「相変わらず、この家には人間が少ないな」

「おや、彼女が人間ではないと?」

「お前は普通の人間が、花に姿を変えられるとでも?」

「そこは認識の相違というやつだね」


何が面白いのか、女はくすくすと笑いながら、氷の溶けた琥珀色の液体を口に運ぶ。こくりと、喉が動いた。

しばし、静寂が空間を支配した。


「それで、今日は一体なんの用だい?」

「お前の顔を見に来たと言ったら?」

「そう問いかける時点で、それが目的ではないことは明らかだね」

「一割位は嘘ではないのだがね。知人が夢を見るらしい」

「ほう」


女が、カランとカップを鳴らした。


「悪い夢だそうだ」

「実にありふれた話だ」

「鬼に、腕を食われるらしい」

「続けたまえ」


女は、興味をひかれたらしい。しかし、残念なことに男はそれ以上語る言葉をもっていなかった。


「話はこれで全てだ」

「だから、君には面白味がないのだよ。君は、紙の上ではもっと雄弁だろうに。他に、語るべきことは多くある。例えば、鬼の姿、君の知人の人柄、夢の種類。君がボクに伝えるべきものは、いくらでもあるのだよ」


それもそうかと男は、軽く唇を湿らせる。


「まず、知人についてだが、俺と同業者だ」

「ふむ、つまり今時珍しい人間の小説家であると」

「いや、人間の創作者という意味での、同業者だ」


人工知能が、かつての偉大なクリエイター達の思考を完全にトレースできるようになって久しい。そのため、現在では人気AI画家や、文壇の重鎮AIが存在するようになった。


「知人は、絵を生業にしている。上江紫苑と言えば分かるか?」

「ああ、あの」

「知っていたか」


無論、と女は答えた。


「彼、いや彼女か?あの世界観は無二のものだと、ボクは思っている」

「彼で良いぞ。その言葉は本人に伝えておく」


喜ぶだろう、と男は薄く笑う。


「そして、鬼の姿なのだが」

「なのだが?」


女は、肴のチーズに手を伸ばしつつ、身を乗り出した。


「………………………聞いていなかった」

「…………やはり、か。君は、そういったところで間が抜けているな」

「い、いや。鬼、ということで姿形は分かるだろう?」

「さてさて」


女は、脱力したように壁に身体を預けながら、伸びをした。そして、一転男を厳しい目で睨み。


「鬼といっても、色々と種類があるのは君も知ってはいるだろう。例えば、餓鬼、暈鬼。泣いた赤鬼なんて、童話もあるね。また、西洋の吸血鬼やオーガあたりも、広義では鬼になるかもしれない。鬼上司といったように、人間を指し示す場合に『鬼』が使われることもある。さらには、怨みにのまれた人間がその身を変えてしまって鬼もいるな」


さて、君はこれでも『鬼』というだけで姿形がはっきりと分かるとでも?

男は両手をあげて、降参の意を示す。


「すまなかった。鬼に腕を喰われるという体験を聞かされたことが衝撃で、細かいところまでの調査を怠った」

「まあ、良い。本人から伺えばより細かいことが、はっきりするだろう」


女が指を鳴らすと、先ほど花びらに姿を変えた人影が再び表れた。すっかり空になった皿を、男は会釈しつつその人影に渡す。


「いくぞ」

「いってくれるのか」

「勿論」


そういうことになった。



「と、ところでサインは貰っても大丈夫かい……?」

「……案外ミーハーだな」

「しょ、しょうがないだろう!」

「まあ、それくらいなら本人も喜んでしてくれるだろう、多分」


上江氏は、ずいぶんとやつれたように男には感じられた。

現在、彼ら二人は上江氏の作業部屋に訪れている。


「元気、ではなさそうだな」

「そうですね、夜毎に奴が夢に現れるのが恐ろしくて、あまり眠れていません。ところで……」


上江氏は、居心地が悪そうに男のとなりで背筋を伸ばし正座する女に目をやった。


「紹介が遅れたな。彼女が専門家だ」

「はじめまして。上江紫苑先生のご高名はかねがねうかがっておりました」


そう言った女はにっこりと上江氏に笑いかけた。上江氏は、気恥ずかしかったのかすぐに女から目を背ける。


「で、では、彼女があの……?」

「ああ、君が考えている人物だ」

「実在していたんですね!てっきり我々のような人種に共通の妄想の類いかと」


男は床に崩れ落ちそうになるのを、何とかこらえた。女は、くすくすと上品に笑う。

お前、そんな笑い方ふだんしないだろうが。


「心外だ……」

「すみません、ですがあまりにも荒唐無稽だったもので」

「私のような、専門家の存在がですか?」

「ええ。私自身、一笑に付されるような悩みを知人に相談しておいて、といわれると返す言葉もありませんが」


分かります、と女はうなずいて。


「それでは、先生の体験を私にも話してくださいませんか?」


◇◇◇


どこからお話しすれば……。

といいますのも、私の体験は彼に伝えたもので全てです。

はい、鬼に襲われるのです。それはもう、恐ろしくて。

一月ほど前のことでした。その日は、確か納期前のイラストの仕上げをしていました。突然、私がいつも使っている液タブ、ああ、はいもっぱら私はデジタルのイラストをメインとしておりまして、ご存じでしたか。ありがとうございます。

それで、その液タブの調子が突然悪くなってしまいまして、ちょうど詰まってきた頃合いでしたので、少しだけ休もうと思い横になりました。

どこでって、床に直接ですけど。身体に悪い、ですか?あなた、この前風呂場で全裸で寝ていたとききましたが?

ああ、すみません。はい、この男そう言うところがあるので、是非注意してあげて……おっと、話がそれていますね。

それで、疲れていたのかすぐに寝入ったのですが、その時に初めて夢に鬼が現れました。

姿ですか?

鬼でした。

ええ、現れただけです。

どんなところに、ですか?

すー、あー、確か私の部屋、だったと思うのですが……すみません、幾分夢なので確信は持てません。

その日からです。いつも眠るとそこに必ず鬼が。

日に日に近づいてきて。

丁度三週間前のことです。

鬼が私の腕をつかんで。

チュクリチュクリと啜りました。もう皮膚もなく。白いものがむき出しで。

不思議なのは、夢の中ではそれを受け入れているのです。

もちろん、私は恐ろしくて逃げ出したいと思っているのですが、私は、僕は、それを恐れておらず当然の仕打ちだと。

おかしなことを言っているのは分かっています。ですが、そうとしか私は表現できない。

そして、ええ、多分3日ほど前でしょうか。

現実の──はいこの世界の──私の腕が。

食われました。

こちらを。

だんだん濃くなっているでしょう?

日に日に、肩に近づいているのですよ。ええ、この二つが牙で、この辺りは肉をすりつぶすような構造になっているらしいですね。

なんでそんなに冷静なのかですって?

私は、冷静なのでしょうか。いえ、冷静なのでしょうね。

教えてください。

あれは──あの鬼は──一体僕の何なんでしょうか。どうして僕は──私は──あれを恐ろしいと感じて──恐ろしくないと感じて──いるんですか。


◇◇◇

しん、と音の無い間が広がっていく。

上江氏は、顔を伏せたままである。

友人が語り終えてから、部屋がどことなく暗くなったように男は感じられた。

女が、パン!と手を鳴らす。部屋の主は、その音で正気に取り戻したかのように、顔を上げた。


「先生、お話ありがとうございました。いくつか、質問をさせていただいても?」

「……ああ、はい。どうぞ」

「ひとつ、この部屋はいつ頃からお使いに?」

「そうですね……駆け出しの頃からですので、十年程でしょうか。そろそろ手狭になってきましたので、引っ越しをしようとは考えているのですが」

「なるほどなるほど」


女は真剣な面持ちでうなずく。


「もうひとつ、液タブ……でしたか?申し訳ありません、私はイラストに造詣は深くないものでして。その道具の調子はいかがですか?」

「ああいえ、一般の方が詳しくないのも当然ですので、大丈夫です。液タブは、そうですね、騙し騙し使えています」


男は、ひとつ気になることがあった。


「あれ、大分前の機種じゃないのか?」

「そうですね、なんせ駆け出しの頃から使っていますからね」

「買い換えないのか?」

「いやー、愛着と言いますか、なんだか買い換えるのも忍びないと言いますか。まだまだ使えるわけですし」

「そうか。修理には出したのか?」

「いえ、サポート期間も終了してしまって……。やはり時代は、VRでの作業に移行していくんでしょうね」


そうだな、と男は返す。

女は、男にもういいか確認してから。


「先生、多忙な中お時間を取っていただきありがとうございました。つきましては、いかがなさいますか?」

「すみません、そのどういう意味でしょうか?」

「先生の抱えてらっしゃる問題について、今回は鬼ですが、対策をお教えできますし、祓うこともできます。後者の方は、少々準備が必要なので時間がかかりますが」

「ということは、あれの正体が分かったということですか?」

「はい」


上江氏は、女の返答に驚いた様で声を上ずらせる。


「で、では、私の夢にあれが出てこないようにすることも、可能なのですか!」

「もちろんです。一度祓ってしまえば再び先生の前に鬼は現れません。ですが、本当にそれでよろしいですか?」

「おい、それはどういう意味の質問」

「私は今、上江先生にお尋ねしております」


だから今は黙っていてくれたまえ、と女は言外に男に告げた。

男は、否の返答はないものと思っていたのだが、上江氏は女の言葉を受けて。

沈黙する。

そして、時計の長針が三回ほど回ってから。


「少し、時間を頂けないでしょうか」

「おいおい、なんで」

「分かりました、上江先生。決断ができましたら、この男にご連絡を。重々後悔なさらないように、お考えください」



結局、男が上江氏から連絡を受けたのは翌日のことだった。

その翌々日には、上江紫苑の名で男宛に礼とサイン色紙が送られてきた。持っていけと言うことなのだろう。


例によって不思議な気配のある使用人に案内されている男は、やはり不思議な場所だなと思う。

実のところ、男は女の住居への正式な行き方を知らない。無論、ある程度の道のりは分かるのだが、そこからの詳細がとんと分からない。ある時はマンションの最上階に招かれ、ある時は高架下だった記憶がある。

しかし、毎度同じ所を訪れている気もするので、そういうこともあるのだろうと受け入れることにした。

いつもの部屋に通される。今日も窓が開け放たれていて、照明は一つもその役割を申し付けられていないらしい。だが、雲間から覗いている月の光は眩しいほどに、窓枠に足をかけてくつろいでいる女を照らしていた。


「よお」

「やあ。今日は一体どうしたんだい?」

「ほれ」


男は紙袋を掲げる。勿論、知人の絵師が女に宛てた礼の品々だ。

一つ瞬いた間に、女は男の眼前に立っていた。むせ返るような木々の香りに混ざって、ふわりと酒のにおいが香った。


「これはこれは」

「かなりの大作だな。それにしても……」


紙袋から覗いたその色紙に描かれているキャラの数々は、えらく少女趣味というか。なんというか。

恐らく、女がある程度リクエストしたのだと思うのだが。


「今君から不快な気配を感じたのだが」

「気のせいだろう」


男は肩をすくめる。

女は、半目で睨めつけた。


「……まあ、良いだろう。酒を用意しよう。どうせ、ボクから上江氏に関して色々聞きたいこともあるんだろ?」

「そうだな」


どことなく現れた座布団に男が腰かけると、女はその真っ正面に座る。膳が運び込まれた。男は、使用人に礼を言おうとしたのだが、印象がはっきりしない。


「中々の美青年だろう?新しく身のまわりの世話をしてもらうことにしたんだ」

「……ああ、確かに」


女にそう言わると、顔立ちがくっきりと見えた。鼻筋はすっと通っていて、巷で話題の俳優にそっくりだった。

その使用人は、男に会釈をすると部屋から出ていく。人間としての気配が薄く感じられるのは、ここの使用人たちに共通だった。


「乾杯といこうか」


両者のグラス同士がチンと軽い音をたてる。


「それで、結局今回の件は一体何だったんだ」

「そういうところが君の悪いところだよ。相手に結論を求めすぎる。会話を楽しもうというつもりはないのかい?」

「俺は、気になることはすぐに解決したいタイプなのでな」

「まあ、良いさ。先に答えてあげよう」


赤ワインが女の唇を、紅く湿らせる。


「今回は君の得意分野だよ」

「は?」

「呪いとまじないだよ」


結論から言われて、男は逆に訳が分からなくなる。

そもそも、俺の得意分野が呪いとまじないってどういうことだ。


「時に、君はこの世界に存在するための、もっとも基礎的な行為は何だと思う?」

「呼吸か」

「うん、君らしい。確かに、ほとんどの生物は酸素から有機物を化合する過程を必要とするね。だが、違う。その理屈だと、例えばこのワイン、グラス、そしてこの空間そのものは存在し得ないことになるだろう」


男は首を振って両手をあげる。


「降参だ」

「諦めが早すぎるよ。もう少し悩んでボクを愉しませてくれても良いのに」

「そういうことをはっきり言えるあたりだけは、好感が持てなくもない」

「ありがとう、ボクも自分のことが好きだよ。さて、それで答えだけど」


今日の肴の一つは、酒盗だ。クリームチーズにのせられたそれは、意外なほどにワインにあう。


「名付けだよ」

「名付け?」

「そう、名前をつけること。君は言語が思考を規定するという心理学の一つの学説を知っているかい?」

「いや」

「例えば、そうだね、これは何だい?」


女が、パチリと指を鳴らすと、部屋いっぱいに点滅する光がふわりふわりと飛んだ。


「蛍か。すごいな、どうやったんだ」

「少し縁があってね。では、別の言語──例えば、英語だと蛍はなにと呼ばれるか知っているかい?」


男はなんとか記憶の隅から正解を絞り出した。


「firefly」

「そうだね。直訳すると、火の蝿になる。lighting bugとも呼ばれるらしいがね。こっちはこっちで、光る甲虫だ」

「なんというか、身も蓋もないな」

「そうだね。だったら、これを踏まえて君はこの虫は何に見える?」

「蛍だ」

「その通り」


女は部屋中の光に、ありがとう、と囁いた。光が部屋からなくなる。窓から差し込む光がうっすらと二人を照らす。


「火の蝿といわれようと、光る甲虫と呼ばれようと、君にとってこれは蛍であり、他の何でもない」

「それはそうだろう」

「そうだね。なら、火の蝿でもなく光る甲虫でもなく、蛍である、と定義付けるものは?」

「名前、か?」

「そう!それも、人間が言葉でつけた名前だよ」


なるほどなと男は思う。女の言わんとすることが、なんとなく分かった気がする。

だが。


「それが、今回の件と関係が?」

「君はボクが意地悪で関係の無い話をしたとでも?」

「…………」


目をそらした。若干、思ったり思わなかったり。


「君から、ボクはどう見えているんだい!?」

「聞きたいか?」

「…………やめておこう。うん、お互いのために」

「そうだな。それで?」


男は危うい方に行きかけた話をなんとか引き戻す。


「ああ、これは前も話したが、例えば厳しい上司がいたとしよう。そして君はこの上司を恐れているとしよう。どう呼ぶ?」

「鬼上司か?」

「そうだね。さて、今君は鬼と名付けたね。どうしてだい?厳しいというだけなら、くそ上司でも、厳格な上司ともなんとでも呼べる」


男は、水滴が伝うワイングラスに手を伸ばす。少し喉が乾いた。

軽く口内を湿らせて。


「恐れたから、か?」

「うん、悪くない答えだね。それが、君の鬼だ。恐ろしい存在であるから、ただの上司は鬼となった。つまり、君がその上司を恐れて、その恐怖に名前を付けたことで、たった今一人の鬼が生まれたんだよ。今回の上江氏の件も同様なんだ。何となく恐ろしい存在が夢に現れた。その存在を鬼と思った。だから、鬼が夜毎に出現し、腕を喰われるまでに至ったんだ」

「その言い方だと、彼が名付けたから鬼になったように聞こえるのだが」

「ように、じゃないよ。まさにその通りさ」


窓の外の木々がざわめいて、風が部屋に吹き込んできた。女は、その風で揺れた髪の毛をくしゃりとかきあげた。


「さて、じゃあ本題にはいろうか」

「待ってくれ。今までのは本題じゃなかったのか?」

「何を言うんだい、当然だろう。だってさっきまでの話は、今回の件の鬼の成り立ちについてだけだろう。まだ半分も終わっていない。そうだな、まだまだ長引きそうだから、食べ物も追加しようか」


そういった女は、二人の膳から開いた皿を集めて、それらを軽く叩いた。

すると、それらの無機物たちはカタカタと音を立てて、ひとりでに動く。そして、一枚の皿が先頭に立つと、ざわめきながら部屋の襖を開けてどこかに行った。

男はそれを唖然と見送る。


「今、皿同士が会話していなかったか?」

「驚くところは、そこなんだね」

「驚きすぎて、そんなことしか言えなくなってるんだよ」


それなりの付き合いであるが、まさか意思を持っている皿達を使っているとは思ってもみなかった。


「なにも不思議はあるまいよ。物に意志が宿った物語なんて無数にあるだろう?」

「聞くのと見るのとでは違いが多すぎる」

「まったくもって平凡な返しで、ボクは嬉しいよ」


男は皮肉を言われたのかと思ったのだが、女の表情をみるにそうではなさそうだ。


「付喪神という言葉は知っているだろ」

「ああ。確か使い込まれた家具なんかに意志が宿るという」

「まあそうだね。それは傘だったり今のように皿であったり、風呂釜であったり。様々なものさ。ならば、もし本来なら三、四年で次の物に乗り換えられるはずの電化製品にも、十数年以上大事に使われていたとしたら、意志が宿ると思わないかい?」

「待て、一体何の話をしている」

「鬼の正体、厳密には鬼となる前の存在についてさ」


襖が開かれた。

使用人が先程の皿の付喪神達に、新たな料理を盛って運んできてくれた。

ありがとう、と男と女は礼を言う。部屋を辞そうとする使用人を、今度は女が呼び止めて部屋の隅に控えさせた。


「さて、君は覚えているかい?上江紫苑氏の仕事場で一際使い込まれていた、大事に大事にされていた物を」


男は目を閉じて、仕事場を思い返す。

上江氏は、絵を生業にする。そんな彼が愛着を持って手放せなかった物。


「あの、液タブか」

「そうだよ。それが、夢の中に現れた、今回は便宜上鬼と呼ぶが、鬼の正体だ。だから、上江氏は、未知のものに恐れはしたが、心のどこかでほっとしていたんだろうね。なんせ十数年来のパートナーだ」


男は、目から鱗が落ちた気分になる。一体だれが、こんなことを想像できただろうか。しかし、まだ疑問は尽きない。


「なら、何故その付喪神が、彼を害そうとしたんだ?」

「すでに、ボクはその答えを提示しているよ」

「それは…………呪いとまじないというやつか」

「そうだ。おっと、ボクとしたことが、せっかくの肴だ、冷める前に頂こうじゃないか」


じゃがいもが素揚げされて、塩がふってある。

女は好物なのか、すぐに平らげて男の皿をじっと見つめている。


「食べるか?」

「悪いね」


行儀悪く口いっぱいに頬張りながら女は、


「ふぉふぉいふぉはぁふぢ」

「呑み込んでから話してくれ……」

「んー、悪いね。もうボクが語るべきことは語り尽くしたのだが、これだけではいささか味が悪いだろう。ひとつ、ヒントをやろう。呪いとまじないの共通点は、そうあれかしという、願いだよ」


ここから先は自分で考えろと言うことなのだろう。男は、たった今もらったヒントを精査する。使用人が運んできてくれた追加の芋の素揚げの山が、随分と低くなった頃に男は口を開いた。


「確信はないのだが……」

「良いだろう、話してくれたまえ」

「付喪神は、行かないでくれ、と望んだのか?」


パチパチと女は拍手をおくる。


「そうだ。とある付喪神がいた。それは意思、あるいは知識を持ったことで、自分の寿命が近いことを悟っていた。その上、自分のご主人様が仕事場を移そうとしていることも分かってしまった。ならば、捨てないでくれ、行かないでくれと、まじないをしても不思議は無い。結果として、鬼と認識されてしまい、ご主人様を害するようになってしまったけどね」

「なら、呪いと言うのは」

「上江氏の視点では、呪いに他ならないだろ?」


ああ、確かにそうだ。

結局のところ、呪いとまじないの違いは、正か負か、なのだ。


「ということは今回の件は」

「うん、ボクが上江氏と付喪神の双方に対話をさせて、一件落着。しかし、付喪神の方がご主人を害してしまったことに心を痛めてしまってね。上江氏が新しい液タブを購入したことで、用なしとなった今彼のもとにはいれません!と言ったので、新しく雇用先を紹介したんだ」

「まさか」


男は、部屋の隅に控えている新顔の使用人に目をやる。明かりが暗くて表情ははっきりと見えない。


「ああ、それも元の道具の特性か、姿が定まらないという特性を持っていてね。定義付けてやると、様々な姿になれるんだよ。瓢箪から駒が出たとは、こういうことを言うんだろうね」

「定義付けとは、名前か」


男は心のなかで、絶景の美女と唱える。

すると、使用人は姿を変えた。


「……なるほど、な」

「一体、何と定義したんだい?」

「さてさて」

「ボクには知る権利があるだろう!教えたまえ」


使用人は、眼前の女と同じ姿をしている。

さもありなんと、男は肩を竦める。


虫の鳴き声は、女の抗議の声をやさしく包み込んでいた。

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