しるし

 奏山明日美の、猶予期間は終わった。

 シスター会議の結果、予定よりもひと月近く早いが、もう人間に戻る見込みなしとして、早々に牧場に引き渡してしまうことが決定したのだ。



 聖堂。並んだ長椅子に、純白の祭壇。

 人権剥奪のセレモニーである。

 小学部全員、強制参加だった。五年一組は最も前に座った。さらにそのなかで、世話係をつとめた切子は、生徒のなかではいちばん上座に座った。積極的に手伝った千代ちゃんは、その次の上座を与えられた。

 六年生の放送委員長が、人権剥奪対象者の到着を、朗々と告げる。重たい鉄の扉が、一年生の代表ふたりによって開かれる。



 そこには、白いヴェールをかぶらされた馬がいた。



 学園長の、マザー・ローズに手綱を曳かれ、馬はしずしずと歩く。その次を、シスター・ルチアが付き添いで歩く。もう二度と暴れないためにだろうか、隣を歩きながら手を添えて、はみをしっかり噛ませていた。

 小学部の女の子たちが、馬を凝視している。馬の歩みに合わせて、この空間の児童たち教師たちによる、視線の総体も動いていく。

 暴れ馬だと有名だったから、低学年を中心に怖がっている子も多かった。けれど、そうやって問題なく曳かれていくすがたを目の当たりにするうちに、みんなほっとしたようだった。


 切子の隣を、ふわり。ふわりと馬が通った。


 異臭と、それゆえに振りかけられたらしい、過剰な香水の匂い。ヴェールの下の頭は、よく見ると、つるつるだった。自慢のロングヘアは、馬にはいらないと剃られてしまったのだ。身体にはみみず腫れの痕ばかり。この短期間で、どれだけ身体を残酷に痛めつけられたことだろう。そしてこれから、どれだけ痛めつけられていくのだろう。当たり前のことのように。


 その目は虚ろで、もうなにも見ていないかのように思えた。



 マザー・ローズが壇上に立って、粛々と、奏山明日美という人間はもうこの世のどこにも存在しないことを告げた。馬はやはり、うなだれていた。


「さあ――」


 シスター・ルチアが目の前に来て、優しく笑いかけ、切子の右手をとった。


「やりましょうね。田辺さん」


 切子は「はい」とはっきり返事をすると、シスター・ルチアの導きに従って立ち上がった。みんなの前に出る。小学部の全校生徒の前に出るなんてはじめてことなのに、不思議と緊張していなかった。

 あとは、事前に決められた通りに、おこなうだけだ。

 マザー・ローズの前に立ち、深く一礼。シスター・ローズはこのうえなく慈愛に溢れた笑みを見せると、そっとその小さなステッキのようなかたちの道具を渡した。真っ白なかたちをしており、てっぺんには天使の羽が刻まれている。切子はそれを恭しく受けとると、ふたたびお辞儀をした。

 そして、馬の目の前に立つ――ここからは、リハーサルでも、やっていない。


「さあ」


 マザー・ローズも、身を乗り出して応援している。


「だいじょうぶだからね。田辺さん」

「切子ちゃん。がんばって!」


 小声で、千代ちゃんも応援してくれた。小さな声だったけれど、静かな空間には思いのほか響いた。でもシスター・ルチアも、マザー・ローズも、シスターたちも、だれも、千代ちゃんを咎めはしなかった。

 うん、と切子は心のなかでうなずいて、真っ白なそれを、右手でまっすぐ伸ばした。

 露出している、肩。これから一生、衣服もつけずに露出しなければいけない、素肌。


「……ねえ……お願い……」


 馬は、切子に媚びていた。


「ゆるして……ゆるしてよお……謝るから……いじめてて、ごめん、だから……いやだ、いやだよ。いやだよお。馬になんかなりたくないよお、たまたまなのに――!」

「うるさい」



 切子の声は澄んでいて、聖堂じゅうにりんと響いた。



 それと同時にこんどこそ躊躇なく、天使の羽の部分を強く押し当てた――ジュッと音がして、烙印が、刻まれた。

 それは焼きごてなのだった。獣としての、一生消えないしるしを刻み込むための。

 馬は、叫んだ。全力で、叫んだ。恥も外聞もない、まさしく、獣の咆哮だった。


 高音域の歌声が聞こえてきた。マザー・ローズが、祝福の歌のソロを歌いはじめたのだ。シスターたちの声が連なり、小学部の子たちの声が重なり、清らかで美しい合唱がはじまる。切子は、さらに、強く、強く、強く、焼きごてを押し当てる。もう一生消えないしるしを。動物化した、罪深い存在なのだということを、一生その全身で見られたくもないのに主張しなくてはいけない、その、しるし、しるし、永遠に残るしるしを、その手で、淡々と、刻み込む。

 肉の燃える異臭が漂いはじめる。

 聖歌のなか。やめて、と馬はなんども言っていた気がするけれど、切子はもうその言葉に耳を傾けようとはしなかった。と、いうか、獣がしゃべるわけがないもの――切子はそう思って、小さく笑った。無邪気に、かわいらしく。

 なんども、なんども、刻み込んだ。


 祝福の歌がクライマックスを迎える。

 おなかの下のあたりが、なぜだかちょっとくすぐったかった。



 セレモニーが終わって、なにげなくトイレに入ると、白いショーツの真ん中に、真っ赤な染みができていた。はじめての生理が、きたのだった。セレモニーの前にはきていなかったから、まさにセレモニーの最中に、切子は初潮を迎えたのだった。

 もう、ただの少女には戻れないのだった。

 切子は、ショーツについた新鮮な経血を見ていた。自分の内臓が引きずり出されたような、女のしるし。

 一滴の血が、ぽたん、と股から垂れた。

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まっしろレクイエム いじめっ子、ある日突然馬になる。 柳なつき @natsuki0710

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