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おさるへの応援コメント
ああ、きっと彼女は羨ましかったのですね
そして、たぶん恐れてもいた
奏山さんは、切子さんが、自分を上回る人気者になってしまうことを防ぎたかったのではないでしょうか?
以下、長文失礼します
ご迷惑でしたら、いつでもおっしゃって下さい
なるべくすぐに消しますので
奏山さんは、自分が切子さんの新しい魅力に惹かれ、また圧されていることを否認したかったのではないか、と私は推測します
それになにより、彼女は、今までのクラスでは自分より遥かに格下に位置付けられていたはずの切子さんが「自分に並ぶことが出来る」さらには「上回りその地位を簒奪することさえ出来る」かもしれないという、そんな可能性を否定したかったのでしょう
なぜなら、もしそんな可能性が実現してしまえば、泰山さんは、クラスの中心という地位を失ってしまいますからね
そしてさらには、そんな「楽園喪失」は、クラスカーストのトップという、彼女の自信とアイデンティティの中核を成しているであろう要素すら、実は砂上の楼閣であったことに気づかせてしまう
そうなれば、奏山さんにとって不動のように思えたであろう、彼女の地位と名誉など実際には「いつでも交換可能なものであり、それを支える序列(ヒエラルキー)など、本当は、ちょっとしたことでいつでも逆転し得るものだ」というその真実が、彼女にとっての世界中(クラス全体)に知れ渡ってしまうのです
それは、クラスの女王だった奏山さんが、たちどころに裸の王様になってしまう、ということを意味するのです
あるいは、彼女は人間関係もしくは世界を、勝敗だけでしか捉えられるなかったのかもしれませんね
他人に勝ち、威圧しなければ、代わりに自分が負けてしまう
マウントを取れなくなれば、すなわちそれは、今度は自分がマウントを取られるということ
そんな世界観では、「誰かの取り柄を認める」ことは基本的にあり得ません
いずれにせよ、そんなふうに追い詰められた彼女がとっさに放った一言が、「ホテル」であり、それが精一杯の悪口だったのでしょう
その言葉こそどうせ、周囲の大人の猿真似だったのでしょうに
ああ、あるいはこのとき、学校以外の二人きりになれる場所で、思いきりケンカしてホンネを言い合えたなら、あるいは二人の人間関係も今とは違うようになっていなのかもしれませんね…
しかし、そうはならなかったのですね
そうは、ならなかった…
学校が、真に人間関係の学びの場であるというのなら、固定したカースト体制を見過ごすのではなく、そういった変化をこそ促進すべきだったというのに…
やはり、体制や派閥を維持するだけの宗教では、真に人を救う宗教的役割を果たせないのでしょう
その現状肯定は、まるで旧ソ連やナチスドイツのようです
そういえば、ナチスドイツでは、ユダヤ人をブタと呼び、障がい者やロマといった体制側の美意識に反しているとされた人々を殺戮していったのですよね
この短編の社会にも、それに通じるところがある気がします…
作者からの返信
長い文章でのご感想をいただくことが、ご迷惑などいうことはまったくありませんので、どうぞご安心いただければと思います。むしろ、こんなに読み込んでいただけること、コメントをいただけること、いつも大変ありがたく思っております。本当にありがとうございます。
そして奏山さんが切子さんに対して、なにか自分より上回るような気配を感じていたのかもしれないということ、正直申しますとそこまで書いていて気づけなかったのですが、言われてみればその通りであるかもしれないと思いました。
奏山さんのようなタイプにとって、自分にとって心底どうでもよく絶対に脅威にならなそうな人間はそもそも視界に入っていなさそうですし、神田さんに気にかけられているところからしても、もしかしたら切子さんにはそういうポテンシャルがもともとあったのかもしれませんね。
「楽園喪失」というお言葉はもうほんとうにその通りといいますか、その表現が自分で思いついていればよかったなと思いました。少女たちの世界はいつでも、小さくいびつな楽園で、だからこそ、そこでの立ち位置の変更はまさしく楽園を喪失することに他ならないと思います。
でもその楽園はとってもいびつなので、おっしゃる通り、他人のマウントを取ることでごく一部の少女たちのなかで勝手に成り立っているのかもしれません。
「ホテル」という悪口が精いっぱいであったことも、たしかだと思います。彼女のなかでは必死に考えた言葉だったのでしょうね……。
そんな奏山さんだからこそ、「裸の王様」のごとく、素肌を晒して服も着られない馬の立場になったのかもしれないですね。
固定された体制は、真実の意味での交流を妨げると私は思います。
ほとんどの場合、理念や理想は悪くなくて、でも人間が運用していくシステムである「体制」となるとどうしても、人間の本来もつさまざまな問題が出てくるものですよね。
この短編の社会も、おっしゃる通り、そういった社会に通じる性質をもったものであると思います。
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馬になった、いじめっ子への応援コメント
今度の短編は、科学の時代が終わり、宗教の時代になった世界なのですね
フィクションを安易に現実と重ねてはいけないのでしょうが、どうしてもこういった物語からは、今のコロナ禍を連想してしまいます…
科学的対処しか選択肢がないはずの問題なのに、この1年半ほどでどれだけの迷信が飛び交ったことか…
以前、東日本大震災のことを「天罰」と言い放った都知事がいたように、人は、自分が納得行くように宗教的世界観をでっち上げてしまうもの
迷信やそれから来る迫害も、元をたどれば、避けられない不安や恐怖に怯える人間の心から来るものなのでしょうね
言ってみれば、心理学で言うところの「防衛機制」、現実の「歪曲」や状況を支配したいという思いの「投影」なのだと思います
もちろん、それは宗教に限らない話ですし、そういった思考の偏りにしても、死の受容などでは必要不可欠なわけで、まったくの短所というわけではないのでしょう
なにより、宗教は、現状の社会からの迫害への対抗存在と成り得るものでもあります
「社会の外」にあるとも言われる、宗教のその独自の価値観・世界観は、一種のカウンター・カルチャーとして虐げられた人々を救うものにもなるのですね
かつてはカルト的な小集団であり、差別されていた徴税人や女性を受け入れていたキリスト教などは、その良い例でしょうか
現実でもいつか宗教化した社会が訪れるとしても、そこは愛や慈悲や許し、そしてそこに住む人々の意志が反映されるような、そんな宗教の良い面を持った社会であってほしいですね…
SNSなどで広がるいくつかの思想を見るに、この短編のように、体制を肯定する宗教の社会しか来なさそうな気はしますが…
まあ、それはともかくとして
そのあたりを考えさせてくれるこの短編は、時代にあった良い作品だと思いますよ!
作者からの返信
科学も宗教も根本的には世界観であることには変わりないと私は思っておりますが、異なるのは、科学は実際に結果に影響を及ぼすことができるという点であるとも考えております。
世界を理解するときに、個々人が根本的には科学的世界観を信じるか宗教的世界観を信じるかは、それこそ自由であると思いますが、しかし、科学の力は今後の人類は個々人の価値観にかかわらず、認めていかねばならないひとつの事実であると思っております。
だからこそ、多くの宗教がもはや科学を真正面から否定することは少なくなり(すべての宗教が、とは言いがたいですが)、科学的世界観との「共存」を目指しているのかなとも思います。賛否両論はあるにせよ……。
逆に言うと、科学を否定……というか、拒絶した途端に不幸が生まれがちなのだと社会を見ていて思います。
おっしゃる通り、その思考の偏りは短所ばかりというわけでもなく、ある意味人間にとっては必要なものかもしれません。
私は個人的に、どの宗教に対してもいわゆる「信仰」を持っていない、どの宗教の「信者」でもない立場の者ですが(宗教に対して深い敬意はありますし、強い可能性を感じてはおりますが)、宗教には宗教だからこそできることがあると考えています。
(私事で恐縮ですが、以前在籍していた大学での卒業論文はまさにこういったテーマを扱いました。いろいろ取り扱ったのですが、宗教だからこそできることとして、たとえば、死に関するセレモニーやグリーフケアなどを挙げました)
また、「社会の外」にあるとも言われる宗教、というお話も、ほんとうにおっしゃる通りで、私は「ひとから外れてしまった者」こそに目を向けていきたく思っているので、そういった者に深いまなざしを向ける宗教というものには、だからこそ深い敬意と強い可能性を感じます。
ただ、宗教はその性質や歴史上の事実から、やっぱり手放しに肯定していいものでもなく、その良いところと問題点と、どちらにも焦点を当てて考えていくべきものであると思っております。
こちらも私事で大変恐縮ではあるのですが、私は自分自身が特定の宗教の信者でないとはいえ、前に在籍していた大学では宗教学で卒論を書き、いま在籍している大学は神学部ということで、まわりに多くの信者や宗教者の方々、宗教関係者の方がいらっしゃいます。
そういった個々のお知り合いの方々からはほんとうによくしていただいているので、こういった短編を書いているとなかなかこう、申し訳ないような気持ちにならなくもないのですが……それはそれ、これはこれ、として割り切って、今後とも自分の考えをテーマにして小説というかたちにしていけたら、と思っております。
「時代にあった良い作品」とのご感想、大変嬉しいです。
ありがとうございます!
しるしへの応援コメント
残酷なことをするのは、悪い人ではなく、その社会その時代の正義を信じる、善良な人間なのだ、ということが伝わってくる、とても悲しいお話でした。ファンタジーとして、比喩的に説いてありますが、現実に今も、まさしくこのようなことが、行われているのだと思います。そのことに対して、私は何ができるんだろうかと考えさせられる物語です。すばらしい作品だと思います。
作者からの返信
ほんとうにおっしゃる通りですよね。
悪いひとが残酷なことをするわけではなく、ほんとうに、その社会その時代においてふつうの人間が、結果的にそういったことをする、というのはいつも感じているところです。
他人も自分も、人間はそういう性質をもつものなんだな、というのも日頃から感じておりますので、このような感想をいただきまして、とてもありがたく思います。
編集済
しるしへの応援コメント
なんか…なんといえばいいのか、馬になったこと自体は天罰じゃなくてたまたまだったとしても、過去の行いがブーメランみたいに返ってくる感じが、ああ……って思いました。現実世界でも、偶然のトラブルにみまわれた人が「でもあんたあの子に嫌がらせしてたじゃん」とか「だってあなた不倫してましたよね」とか直接には関係のない理由から周囲に助けてもらえず見放されていく姿をたまに見るので、そういうのを凝縮するとこんな話になるんだな、うん……と胸に刺さりました。
作者からの返信
そういうこと、ほんとうに、現実世界でもよくありますよね。
なにも問題なかったころの振る舞いが、自分がどうにもならないころに返ってくるというシステムが、なぜだかこの世界にはあるような気がしています。
ですので、そういうのを凝縮するとこんな話になる、と言っていただいて、とても嬉しく思います。
編集済
しるしへの応援コメント
完結おめでとうございます
少女は、己の憎悪を肯定してくれる社会の教義を受け入れ、疑問を無くす
自分と社会との「ズレ」の解消による成人儀礼(イニシエーション)…
悲しい話ですね…
それも結局は、主人公を標的にしていた小さないじめのシステムに代わって、より大きないじめのシステムが別の標的を犠牲にしたに過ぎないというのに…
しかしさて、主人公が、動物化を「天罰」だと納得したところで、実際にはそうではないという事実までは変わりません
科学は単なる世界観ではなく、事実を追求するシステムです
それを他の世界観で塗り替えようとしたところで、起きる事象までは変えられない
むしろ、科学的な思考を排除すると、事実を解明し対抗しようとする動きが阻害されますから、動物化の被害は拡大する一方でしょうね…
今度動物化するのが誰かはわかりませんが、それは本人の「罪」とは全く無関係であることでしょう
あるいは、それは今「天罰」の教義に救われている人物だったりするのかもしれませんね
そう、それはたとえば…
作者からの返信
お祝いのお言葉、ありがとうございます。
各話へのコメント、大変励みになりました。
まさしく、おっしゃる通りのお話であったと思います。
大きなシステムのなかで、違和感を感じる者がたまに出てきても、それに呑み込まれてしまう。
この短編に書いたようなケースであれば、おそらく多くの方が違和感を感じると思いますが、おなじようなことはいつでもどこでも起こっているものだと思います。
ただ、科学が単なる世界観ではないということについては、前も申し上げた通り私もまったくそのように考えておりまして、科学を拒絶したこの社会では悲劇は今後とも起こり続けると思います。
どの社会でも特有の悲劇は起こりますが、しかし、本来防げたはずの悲劇が防げない社会になっていくのでしょうね。
ひとびとが「信じたいものだけを信じる」世界。
私はぞっとしますが、そういった世界こそがユートピアであると感じるひとも、あるいはいるんじゃないかな、などと思ったりもします。