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2021年8月19日 13:03 編集済
今度の短編は、科学の時代が終わり、宗教の時代になった世界なのですねフィクションを安易に現実と重ねてはいけないのでしょうが、どうしてもこういった物語からは、今のコロナ禍を連想してしまいます…科学的対処しか選択肢がないはずの問題なのに、この1年半ほどでどれだけの迷信が飛び交ったことか…以前、東日本大震災のことを「天罰」と言い放った都知事がいたように、人は、自分が納得行くように宗教的世界観をでっち上げてしまうもの迷信やそれから来る迫害も、元をたどれば、避けられない不安や恐怖に怯える人間の心から来るものなのでしょうね言ってみれば、心理学で言うところの「防衛機制」、現実の「歪曲」や状況を支配したいという思いの「投影」なのだと思いますもちろん、それは宗教に限らない話ですし、そういった思考の偏りにしても、死の受容などでは必要不可欠なわけで、まったくの短所というわけではないのでしょうなにより、宗教は、現状の社会からの迫害への対抗存在と成り得るものでもあります「社会の外」にあるとも言われる、宗教のその独自の価値観・世界観は、一種のカウンター・カルチャーとして虐げられた人々を救うものにもなるのですねかつてはカルト的な小集団であり、差別されていた徴税人や女性を受け入れていたキリスト教などは、その良い例でしょうか現実でもいつか宗教化した社会が訪れるとしても、そこは愛や慈悲や許し、そしてそこに住む人々の意志が反映されるような、そんな宗教の良い面を持った社会であってほしいですね…SNSなどで広がるいくつかの思想を見るに、この短編のように、体制を肯定する宗教の社会しか来なさそうな気はしますが…まあ、それはともかくとしてそのあたりを考えさせてくれるこの短編は、時代にあった良い作品だと思いますよ!
作者からの返信
科学も宗教も根本的には世界観であることには変わりないと私は思っておりますが、異なるのは、科学は実際に結果に影響を及ぼすことができるという点であるとも考えております。世界を理解するときに、個々人が根本的には科学的世界観を信じるか宗教的世界観を信じるかは、それこそ自由であると思いますが、しかし、科学の力は今後の人類は個々人の価値観にかかわらず、認めていかねばならないひとつの事実であると思っております。だからこそ、多くの宗教がもはや科学を真正面から否定することは少なくなり(すべての宗教が、とは言いがたいですが)、科学的世界観との「共存」を目指しているのかなとも思います。賛否両論はあるにせよ……。逆に言うと、科学を否定……というか、拒絶した途端に不幸が生まれがちなのだと社会を見ていて思います。おっしゃる通り、その思考の偏りは短所ばかりというわけでもなく、ある意味人間にとっては必要なものかもしれません。私は個人的に、どの宗教に対してもいわゆる「信仰」を持っていない、どの宗教の「信者」でもない立場の者ですが(宗教に対して深い敬意はありますし、強い可能性を感じてはおりますが)、宗教には宗教だからこそできることがあると考えています。(私事で恐縮ですが、以前在籍していた大学での卒業論文はまさにこういったテーマを扱いました。いろいろ取り扱ったのですが、宗教だからこそできることとして、たとえば、死に関するセレモニーやグリーフケアなどを挙げました)また、「社会の外」にあるとも言われる宗教、というお話も、ほんとうにおっしゃる通りで、私は「ひとから外れてしまった者」こそに目を向けていきたく思っているので、そういった者に深いまなざしを向ける宗教というものには、だからこそ深い敬意と強い可能性を感じます。ただ、宗教はその性質や歴史上の事実から、やっぱり手放しに肯定していいものでもなく、その良いところと問題点と、どちらにも焦点を当てて考えていくべきものであると思っております。こちらも私事で大変恐縮ではあるのですが、私は自分自身が特定の宗教の信者でないとはいえ、前に在籍していた大学では宗教学で卒論を書き、いま在籍している大学は神学部ということで、まわりに多くの信者や宗教者の方々、宗教関係者の方がいらっしゃいます。そういった個々のお知り合いの方々からはほんとうによくしていただいているので、こういった短編を書いているとなかなかこう、申し訳ないような気持ちにならなくもないのですが……それはそれ、これはこれ、として割り切って、今後とも自分の考えをテーマにして小説というかたちにしていけたら、と思っております。「時代にあった良い作品」とのご感想、大変嬉しいです。ありがとうございます!
2021年8月18日 22:34
まず見た目がホラーだ。かわいそうだけど。
ホラーで、かわいそうですよね。
編集済
今度の短編は、科学の時代が終わり、宗教の時代になった世界なのですね
フィクションを安易に現実と重ねてはいけないのでしょうが、どうしてもこういった物語からは、今のコロナ禍を連想してしまいます…
科学的対処しか選択肢がないはずの問題なのに、この1年半ほどでどれだけの迷信が飛び交ったことか…
以前、東日本大震災のことを「天罰」と言い放った都知事がいたように、人は、自分が納得行くように宗教的世界観をでっち上げてしまうもの
迷信やそれから来る迫害も、元をたどれば、避けられない不安や恐怖に怯える人間の心から来るものなのでしょうね
言ってみれば、心理学で言うところの「防衛機制」、現実の「歪曲」や状況を支配したいという思いの「投影」なのだと思います
もちろん、それは宗教に限らない話ですし、そういった思考の偏りにしても、死の受容などでは必要不可欠なわけで、まったくの短所というわけではないのでしょう
なにより、宗教は、現状の社会からの迫害への対抗存在と成り得るものでもあります
「社会の外」にあるとも言われる、宗教のその独自の価値観・世界観は、一種のカウンター・カルチャーとして虐げられた人々を救うものにもなるのですね
かつてはカルト的な小集団であり、差別されていた徴税人や女性を受け入れていたキリスト教などは、その良い例でしょうか
現実でもいつか宗教化した社会が訪れるとしても、そこは愛や慈悲や許し、そしてそこに住む人々の意志が反映されるような、そんな宗教の良い面を持った社会であってほしいですね…
SNSなどで広がるいくつかの思想を見るに、この短編のように、体制を肯定する宗教の社会しか来なさそうな気はしますが…
まあ、それはともかくとして
そのあたりを考えさせてくれるこの短編は、時代にあった良い作品だと思いますよ!
作者からの返信
科学も宗教も根本的には世界観であることには変わりないと私は思っておりますが、異なるのは、科学は実際に結果に影響を及ぼすことができるという点であるとも考えております。
世界を理解するときに、個々人が根本的には科学的世界観を信じるか宗教的世界観を信じるかは、それこそ自由であると思いますが、しかし、科学の力は今後の人類は個々人の価値観にかかわらず、認めていかねばならないひとつの事実であると思っております。
だからこそ、多くの宗教がもはや科学を真正面から否定することは少なくなり(すべての宗教が、とは言いがたいですが)、科学的世界観との「共存」を目指しているのかなとも思います。賛否両論はあるにせよ……。
逆に言うと、科学を否定……というか、拒絶した途端に不幸が生まれがちなのだと社会を見ていて思います。
おっしゃる通り、その思考の偏りは短所ばかりというわけでもなく、ある意味人間にとっては必要なものかもしれません。
私は個人的に、どの宗教に対してもいわゆる「信仰」を持っていない、どの宗教の「信者」でもない立場の者ですが(宗教に対して深い敬意はありますし、強い可能性を感じてはおりますが)、宗教には宗教だからこそできることがあると考えています。
(私事で恐縮ですが、以前在籍していた大学での卒業論文はまさにこういったテーマを扱いました。いろいろ取り扱ったのですが、宗教だからこそできることとして、たとえば、死に関するセレモニーやグリーフケアなどを挙げました)
また、「社会の外」にあるとも言われる宗教、というお話も、ほんとうにおっしゃる通りで、私は「ひとから外れてしまった者」こそに目を向けていきたく思っているので、そういった者に深いまなざしを向ける宗教というものには、だからこそ深い敬意と強い可能性を感じます。
ただ、宗教はその性質や歴史上の事実から、やっぱり手放しに肯定していいものでもなく、その良いところと問題点と、どちらにも焦点を当てて考えていくべきものであると思っております。
こちらも私事で大変恐縮ではあるのですが、私は自分自身が特定の宗教の信者でないとはいえ、前に在籍していた大学では宗教学で卒論を書き、いま在籍している大学は神学部ということで、まわりに多くの信者や宗教者の方々、宗教関係者の方がいらっしゃいます。
そういった個々のお知り合いの方々からはほんとうによくしていただいているので、こういった短編を書いているとなかなかこう、申し訳ないような気持ちにならなくもないのですが……それはそれ、これはこれ、として割り切って、今後とも自分の考えをテーマにして小説というかたちにしていけたら、と思っております。
「時代にあった良い作品」とのご感想、大変嬉しいです。
ありがとうございます!