まっしろレクイエム いじめっ子、ある日突然馬になる。
柳なつき
馬になった、いじめっ子
いじめっ子は、変わり果てていた。
教室のいちばん後ろのいちばん窓際の席に座る、少年みたいに髪の短い
昨日までの溌剌とした彼女とは、もうすべてが決定的に異なっていた。
「奏山さんは、馬になってしまいました。みなさんも知っている通り、動物化したひとを救う手だては、ないのです」
修道女の格好をした担任のシスター・ルチアは、教壇からそう説明した。厳かに。
「ただし法律に基づいて、一定の時期はようすを見なければなりません。動物化してしまっても、よっぽど改心すれば――まれに、人間に戻れるケースもあるのですから」
嘘じゃん、と切子は思った。
科学的立場から言えば、改心だとか、内心だとか、なんにも関係ない。新時代に入ってから突然流行り出した、人間の動物化。その現象の原因はいまだ不明だが、心やら内面やらの問題にしてはいけない、と科学者たちは主張する。切子も、そう思う。でも間違っても、学校でそんなことは口にできない。科学なんて時代遅れだ、って言われてしまうから。シスターたちにも、怒られてしまうだろうし。
科学の時代はもう終わった――いまはふたたび、宗教の時代。宗教こそが一般的に正統性をもって、常識になった時代。
まあ、でも。
奏山明日美が改心すべきだってことじたいは、切子も賛成だったけれど。
「そうですね、この一学期のあいだは、ようすを見なければなりません」
いまは五月の中旬。一学期が終わるのは、七月の中旬。ちょうど二ヶ月ほど。
「そのために、奏山さんは、一学期のあいだは、ポニー、つまり仔馬としてこの貞淑薔薇学園で飼育することになります。一学期が終わるまでに人間に戻る気配がなければ、正式に人権を取り上げ、牧場に送ることになります」
クラスメイトたちは緊張した面持ちだったけれど、切子は頬杖をついて、窓の外を見上げた。雲のかたちが、カニに似ている。いまこの五年一組でレアなことが起こっているのは、理解していた。けれども、だんだん飽きてきてしまったのだ。奏山明日美と、そう仲よしだったわけでもない。ああカニパンが食べたいなあ。
「田辺さん」
「はいっ」
急に名前を呼ばれて、切子は思わず立ち上がってしまった。ガタガタリと不格好な音が鳴ってしまい、何人かのクラスメイトがこちらを見て、ニヤニヤしている。切子は、一気に頬を火照らせた。
「あなたに奏山さんのお世話を任せましょうか」
「えっ」
「いい機会でしょう。いい経験にもなりますよ」
「いや、その、私は、けっこうで」
けっこうで。クラスのだれかが悪意をもって、ひそっと物真似をした。シスター・ルチアが注意してくれるかと思ったけれど、彼女の青い目はただ静かに切子を捉え続けているのみなのだった。
「もちろん、自由意思です。でも、善行を積む人間を、神は喜ばれます」
「え、でも、あの」
前から二番目の列に座っている
「先生! 発言してもいいですか」
「はい、神田さん、どうぞ」
「やろうよ、田辺さん!」
神田さんはそう言って切子を振り向いて、いえい、とでも効果音がつきそうなガッツポーズをする。優等生として、シスターたちからの評判がいい。
「私も、お手伝いするからさ!」
「さすがは神田さんですね。どうですか、田辺さん、励まされて勇気が湧いてきたのではないでしょうか」
「私は……」
分が悪い。神田さんはシスター・ルチアのお気に入りだし、奏山さんが実質いなくなったいま、これからの五年一組のボスは神田さんになるだろう。
「やります……」
「はい、よろしいです。田辺さんに、拍手!」
ぱちぱちぱちぱち。
クラスじゅうからの火のはぜるような音の、拍手。
席についた切子は、すでに、ぐったりしていた。まだ朝のホームルームだというのに。
シスター・ルチアがその他の連絡事項を読み上げはじめる。切子は奏山明日美に視線を向けた。黒板の横に四つ足で立ちっぱなしの彼女は、うつむいていた。
哀れなすがただった。
身体のかたちは、あきらかに人間のものではなくなっている。馬そのものだ。つまり、頭があり、にょいんと伸びる頸があり、肩があり、たぷんとした胴があり、ひづめのついた細長い四本の脚があり、薄い茶色の尻尾が垂れ下がっている。
だが、ほんとうの馬のように体毛が生えるわけではない。髪の毛と尻尾を除けば、全身、人間の肌のまま、つるつるだ。どこも隠しようがない。発育途中だった胸は剥き出しのまま重力で垂れ下がり、尻尾で多少ごまかされるとはいえ尻も穴まで丸見えで、女性としてだいじな部分も垂れ下がり丸見えの状態である。
そして、なにより、その顔じたいは人間のときのままだ。
そのままだ。
顔だけは、変化なく。首の下からの身体がすべて改造されてしまったかのような状態。
体毛が生えてくれたほうが、いくらかましだったろうと思わせるような容姿だった。それに、顔だって馬の顔に換わってしまったほうが、いっそよかったのかもしれない。
けれども、現実はそうではなかった。奏山明日美は、唐突に、露出狂のような悪趣味な身体になり、しかもそれを社会的にも受け入れなければならなくなった。だからだろうか、馬となった彼女は呆然として、虚ろな目で教室の床を見ていた。
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