まっしろレクイエム いじめっ子、ある日突然馬になる。

柳なつき

馬になった、いじめっ子

 いじめっ子は、変わり果てていた。



 教室のいちばん後ろのいちばん窓際の席に座る、少年みたいに髪の短い田辺たなべ切子きりこは、上目遣いで、黒板の前に立つ変わり果てた彼女を見た。奏山そうざん明日美あすみは、たしかに馬になっていた。可憐なロングヘアは、そのままで。

 昨日までの溌剌とした彼女とは、もうすべてが決定的に異なっていた。


「奏山さんは、馬になってしまいました。みなさんも知っている通り、動物化したひとを救う手だては、ないのです」


 貞淑薔薇ていしゅくばら学園、小等部。五年一組、女子ばかり二十三人。いや、今日からは二十二人になるのだ。

 修道女の格好をした担任のシスター・ルチアは、教壇からそう説明した。厳かに。


「ただし法律に基づいて、一定の時期はようすを見なければなりません。動物化してしまっても、よっぽど改心すれば――まれに、人間に戻れるケースもあるのですから」


 嘘じゃん、と切子は思った。

 科学的立場から言えば、改心だとか、内心だとか、なんにも関係ない。新時代に入ってから突然流行り出した、人間の動物化。その現象の原因はいまだ不明だが、心やら内面やらの問題にしてはいけない、と科学者たちは主張する。切子も、そう思う。でも間違っても、学校でそんなことは口にできない。科学なんて時代遅れだ、って言われてしまうから。シスターたちにも、怒られてしまうだろうし。

 科学の時代はもう終わった――いまはふたたび、宗教の時代。宗教こそが一般的に正統性をもって、常識になった時代。


 まあ、でも。

 奏山明日美が改心すべきだってことじたいは、切子も賛成だったけれど。


「そうですね、この一学期のあいだは、ようすを見なければなりません」


 いまは五月の中旬。一学期が終わるのは、七月の中旬。ちょうど二ヶ月ほど。


「そのために、奏山さんは、一学期のあいだは、ポニー、つまり仔馬としてこの貞淑薔薇学園で飼育することになります。一学期が終わるまでに人間に戻る気配がなければ、正式に人権を取り上げ、牧場に送ることになります」


 クラスメイトたちは緊張した面持ちだったけれど、切子は頬杖をついて、窓の外を見上げた。雲のかたちが、カニに似ている。いまこの五年一組でレアなことが起こっているのは、理解していた。けれども、だんだん飽きてきてしまったのだ。奏山明日美と、そう仲よしだったわけでもない。ああカニパンが食べたいなあ。


「田辺さん」

「はいっ」


 急に名前を呼ばれて、切子は思わず立ち上がってしまった。ガタガタリと不格好な音が鳴ってしまい、何人かのクラスメイトがこちらを見て、ニヤニヤしている。切子は、一気に頬を火照らせた。


「あなたに奏山さんのお世話を任せましょうか」

「えっ」

「いい機会でしょう。いい経験にもなりますよ」

「いや、その、私は、けっこうで」


 けっこうで。クラスのだれかが悪意をもって、ひそっと物真似をした。シスター・ルチアが注意してくれるかと思ったけれど、彼女の青い目はただ静かに切子を捉え続けているのみなのだった。


「もちろん、自由意思です。でも、善行を積む人間を、神は喜ばれます」

「え、でも、あの」


 前から二番目の列に座っている神田かんだ千代ちよが、すっくと手を上げた。


「先生! 発言してもいいですか」

「はい、神田さん、どうぞ」

「やろうよ、田辺さん!」


 神田さんはそう言って切子を振り向いて、いえい、とでも効果音がつきそうなガッツポーズをする。優等生として、シスターたちからの評判がいい。


「私も、お手伝いするからさ!」

「さすがは神田さんですね。どうですか、田辺さん、励まされて勇気が湧いてきたのではないでしょうか」

「私は……」


 分が悪い。神田さんはシスター・ルチアのお気に入りだし、奏山さんが実質いなくなったいま、これからの五年一組のボスは神田さんになるだろう。


「やります……」

「はい、よろしいです。田辺さんに、拍手!」


 ぱちぱちぱちぱち。

 クラスじゅうからの火のはぜるような音の、拍手。


 席についた切子は、すでに、ぐったりしていた。まだ朝のホームルームだというのに。

 シスター・ルチアがその他の連絡事項を読み上げはじめる。切子は奏山明日美に視線を向けた。黒板の横に四つ足で立ちっぱなしの彼女は、うつむいていた。



 哀れなすがただった。



 身体のかたちは、あきらかに人間のものではなくなっている。馬そのものだ。つまり、頭があり、にょいんと伸びる頸があり、肩があり、たぷんとした胴があり、ひづめのついた細長い四本の脚があり、薄い茶色の尻尾が垂れ下がっている。

 だが、ほんとうの馬のように体毛が生えるわけではない。髪の毛と尻尾を除けば、全身、人間の肌のまま、つるつるだ。どこも隠しようがない。発育途中だった胸は剥き出しのまま重力で垂れ下がり、尻尾で多少ごまかされるとはいえ尻も穴まで丸見えで、女性としてだいじな部分も垂れ下がり丸見えの状態である。


 そして、なにより、その顔じたいは人間のときのままだ。

 そのままだ。

 顔だけは、変化なく。首の下からの身体がすべて改造されてしまったかのような状態。


 体毛が生えてくれたほうが、いくらかましだったろうと思わせるような容姿だった。それに、顔だって馬の顔に換わってしまったほうが、いっそよかったのかもしれない。



 けれども、現実はそうではなかった。奏山明日美は、唐突に、露出狂のような悪趣味な身体になり、しかもそれを社会的にも受け入れなければならなくなった。だからだろうか、馬となった彼女は呆然として、虚ろな目で教室の床を見ていた。

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