第2話 月と星 1

 去年の、夏の事だった。

 その日も外はセミの大音声で満たされていて、太陽は私たちを燃やす尽くす勢いで地面を照らしていた。それとは打って変わって、部屋はクーラーの音と冷気で満たされていた。その時の私は少しデビューしてから数年がたったばかりのしがない作家で、その日も原稿とにらめっこをしていたのだった。

 私はパソコンに向かいながら次作の文章を練っていた。

「ゆかりさんゆかりさん」

 ソファに座りながらアイスをほおばっているあかりが話しかけてきた。

「なんですかあかりさん。邪魔するなら無視しますよ」

「いえ、邪魔ではないんですがね」

 彼女はそう言いながらソファから立ちあがり、こちらに歩み寄ってくると、私の首に腕を回し、体を密着させながら続ける。

「今書いてるの、どんな展開になるんですか?」

「企業秘密です」

「弟子にくらい教えてくれてもいいじゃないですか」

「かの高名な夏目漱石だって弟子には小説の展開を教えてなかったんです。私が教える理由はないですね」

「え~」

 ケチ、と彼女は不満そうにつづけた。そして私の首に顎を乗せる。

「それに弟子を名乗るのであれば、少しくらい私に作品を送ってもいいと思うのですがね。デビューほやほやの紲星先生?」

「でもゆかりさん褒めてくれないじゃないですか」

「鉄は叩かないと伸びません」

「褒めて熱を持たせて叩いた方が効率的です」

「私からしたらどちらでも構わないことです。紆余曲折はありましたが、結局二年でデビューできたんだからいいじゃないですか。私なんてその倍かかりましたよ。というか集中したいので邪魔しないでください」

 あかりは私がそう言うと、少し不満そうにしながらも口を閉じた。そして私の頭に顎を乗せたまま、スマホを取り出して、何かを見始める。おおかたSNSでも見ているのだろうが、それこそ今の私にとっては関係のないことだった。

 意識を目の前に集中させ、キーボードの上で指を走らせ、文字を画面に紡ぎだす。

そしてそのうちに終業のタイマーの音が鳴って、私はパソコンを閉じた。そして腕を天井に広げて伸びをする。体がほぐれていくのを感じると同時に、私は私の頭の上にあかりがいなくなったことに気づいた。

 彼女はいつの間にかソファの上に座って、熱心にスマホの画面を見つめていた。

 私は席を立ってキッチンでコーヒーをブラックと砂糖入りの二杯を淹れるとソファに座り、彼女と私の前に明かりの前には砂糖入りのを、私の方にはブラックのコーヒーを出した。

「どうかしましたか?ああ、そこコーヒーあるので気を付けて」

 あかりは私がそう訊くと、視線はそのままに言った。

「ゆかりさん。ゆかりさんは地名とか詳しいですか?」

「え?まぁ人より少しくらいは詳しいつもりですが」

「だったら、月読村って知ってますか?」

 彼女は私にそう訊いた。そして、私は月読村という村に心当たりはなかった。その村の名前は私の心になんだか嫌な感覚を湧かせた。しかしなぜそのような感覚を覚えたのか、ということについても、私にはまったく覚えがなかった。

「……いえ、訊いたことがありませんね。一体何なんです?その月読村って」

「いやですね、私にもよくわからないんです」

「……どういうことです?」

 彼女は私がそう訊くと、スマホの画面をこちらにかざした。そのスマホには、タイムラインいっぱいに月読村の画像や、それについての文言が並べられていた。そして彼女はそれを器用にスクロールさせながら、私に言った。

「こんな風にそれについて話している人はたくさんいるんですけどね、具体的な場所とか、そう言ったことについては一切触れられてないんです。変だと思いませんか」

「……確かに、そうかもしれませんね」

「それで、さっきまで日本列島をくまなく探してたんです。だけどいっこうに見つからなくて」

「一昔前の杉沢村とか犬鳴村とか、そんな感じなのでは?」

「確かにそうかもしれませんが、杉沢村も犬鳴村も、具体的な場所はありましたし、こんな大量に写真はありませんでしたよ?」

「……それもそうですね」

 私はそう言うと、自分のスマホを取り出して「月読村」と検索をかけた。そしてそれで出てきた検索結果を一通り流し読む。しかし情報を漁れば漁るほど、私の頭はこんがらがるばかりだった。

 なにしろ、ほとんどすべての画像に幼女が写りこんでいて、そのビジュアルはほとんど同じだが、しかし複数人いるかのような記述も見受けられれば、そうでない記述も見受けられるのだ。しかもその幼女は人によって属性が違う。

 ある人は例えば巫女のような感じで書いていれば、純粋な幼女のように書いている人もいるし、なんだかミステリアスな風に書いている人もいるが、しかしその名前はすべて同じで、容姿も似たようなもので、服装もおおむね同じなのだ。

 私は混乱した頭を抱えながらも、何とか口を開いた。

「……どういうことなのでしょうか?」

「さぁ、私もさっぱりですよ。ゆかりさん」

 彼女はそう言うと、自分のスマホに目を戻した。

 私たちはそれからもしばらくの間情報を漁っていた。しかししばらくすると、時間も遅くなったので、私たちはいったん外へ買い物に出た。

 店にいく途中、そしてその帰り道の上でも、私たちの話題は月読村でもちきりだった。

 そして、家まであと数分、というところで、あかりが前を指した。

「あれ、なんでしょうか?」

 彼女の指の先には、黄色い学帽が落ちていた。

「……学帽のようですが、落とし物でしょうか?」

 あかりはそう言いながらその学帽の方に近づくと、それを拾ってよく観察し始める。私も彼女のすぐそばに寄って、そのとなりでその学帽を観察し始めた。

 その学帽はただの学帽であった。が、しかしその学帽には名前が書いていなかったし、どこの小学校、あるいは幼稚園か保育園のものなのか、ということも一切書いていなかった。

「……というか、そもそもゆかりさん」

「うん?なんですか、あかりさん」

「この辺の学校とか幼稚園の子って、普段から学帽なんか被ってませんよね」

「……確かに。私も、この辺で学帽をかぶった子供なんて、見たことはありませんね」

「だとしたら……これは家庭内の私物?」

「……でも、ふつうそんなの用意しますかね。私は親じゃないので」

「私も親じゃありませんね……」

 彼女はそう言うと、学帽から目を離して周りを見渡した。それから彼女は何かに気が付いたようなそぶりを見せると、道の脇の物陰に歩いて行った。

 そして、彼女は笑顔でその陰に隠れているのであろう何かに何語か言葉をかけて、学帽をその物陰にいるのであろう何かに手渡して、こちらに戻ってきた。

「返してあげたんですか」

「ええ。そこに隠れてた、月読って子に返してあげました」

「そうですか……よく気が付きましたね」

「うん?半分くらい見えてましたよ?」

「そうでしたか?」

「ええ。まぁもう暗いので、気が付かないのにも無理はないかと」

「そうですか……。でも、そろそろ帰りましょう。冷凍食品もありますし」

「ええ、そうしますか」

 私たちはあかりがそう言うと、家に帰った。

 次の日。

 私が目を覚ますとあかりがいなくなっていて、テーブルの上には買い物に行ってきますと置手紙があった。それから一時間もすると、彼女は部屋に帰ってきた。彼女は大仰な荷物を抱えていた。テント、ランタン、登山用バッグ、ガスバーナー……。見てみる限り、それらはアウトドアに使うものだった。

「どうしたのですか?急に」

「ああ、ゆかりさん。おはようございます。実はですね」

 彼女はそう言うと、スマホを取り出してその画面を私にかざした。

「この前言ってた月読村っていう村ですけどね。場所が分かったんですよ」

「……ほう?」

 私はそう言うと彼女のスマホを取ってその画面を見た。しかしそれには何も表示されていなかった。

「真っ黒なんですか?その村」

「へ?」

 彼女は素っ頓狂な声を上げると、自分のスマホの画面を見た。そして電源を入れようとしたが、果たして電源はつかなかった。首を傾げながら彼女はそれをコードにつなぐと言った。

「まああとで見せますよ」

「そうですか。で、その買い物はそこに行くための装備ですか?」

「ええ、そうですね。ゆかりさんの分もありますよ?来ますか?」

 私はそう訊かれて少し考えた。

「……それじゃあご一緒しましょう。あなただけじゃ、きっと遭難する」

「そうこなくっちゃ」

 彼女はそう言うとこちら側にも荷物を持ってきた。

 私たちはそれからしばらくの間荷造りをしていた。荷造りが終わると日取りを決め、一週間後に村に行くということになった。

 

 一週間後。

 私たちは山中を歩いていた。あたりは鬱蒼としており、獣道一本見つからない。しかし幸いにも視界は明瞭、それに携帯の電波も入っていて、遭難してもすぐに救助されそうな環境だった。

 しかし、山中は岩や木の根が露出しており、それが私たちの行く手を阻んで、余計に疲れさせていた。

「あかり、さん」

 私は疲れて喘ぎながら、少し先の方に行く彼女に行った。

「本当に、この道で、会って、いるんですか」

「んー合ってると思いますよー」

彼女は呑気にそう言いながら前を歩いていく。その足取りは全く疲れを感じていないようで、まるでアスファルトの上を歩いているかのようだった。

「ちょ、ちょっと待って……」

 彼女は私がそう立ち止まって振り返り、そしてこちらに戻ってきた。

「どうしたんですか百メートル11.5秒のゆかりさん」

「どうしたもこうしたも、少し休憩させてください」

「ええ~」

「こんな山道、歩くのも初めてです」

「……仕方がないですねぇ」

 彼女はそう言うと、私の隣に腰を下ろした。

「十分だけですよ。十分経ったら、強制的に私がゆかりさんを動かしますからね」

「はいはい」

 それから私たちは休憩にした。しかしその途中のことだった。

 あかりは突然に何かに反応したかのように立ち上がると、周囲を見渡し始めた。そしてその場を少し離れていろいろなところを探索し始めた。

「……あかりさん。どうかしましたか?」

 彼女は私がそう言うと、こちらに向かって人差し指を立てた。静かに、ということなのだろう。

 しかし私にはなぜそうするのか訳が分からなかったので、再び訊いた。

「何が聞こえるんですか?」

 あかりは私がそう言うと、少し嫌そうな顔をしながらこっちに近づいてきて、私に言った。

「さっきから私を呼ぶ声が聞こえてくるような気がしてるんです」

「声ですか」

「ええ、ゆかりさんには聞こえないんですか?」

「ええ、私にはさっぱり」

「……そうですか」

 彼女はそう言うと、再び周りを散策しだした。遠くの方に声を投げかけたり、何もない場所に急に駆けて行ったりと、奇行に走り出した。

 私は危険を感じると、五分のタイマーが鳴る前にその場を立って、あかりに先をせくように言った。

 彼女は素直に私の方に戻ってきて、そして私の前を歩きだした。しかしその足取りはさっきとは打って変わって、まるでピクニックにでもいくような、そんな楽しそうな足取りをしていた。

 私は警戒しながらも、彼女の後ろをついて行った。

 それからしばらくして、私たちは開けた盆地にでた。そしてしばらく歩くと、あかりは急に駆けだしていった。

「うん?どうかしたんですか?」

 私がそう呼びかけるも、彼女は答えずにそのまま行ってしまった。そして少し離れたところに行くと立ち止まった。そして私もそっちの方に行った。

 するとそこには、虚空と話すあかりがいた。

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月読村キタン @simotukihibine

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