第5話 王子の魔法と侍従の魔法


 まぶたを閉じてすら治まらない、刺すような目の痛みは失明への恐怖を、ジクジクとした頬から唇にかけての痛みは、火傷によるひきつれへの恐怖をもたらしました。

 恋すら知らないまま、醜い顔になりたくはない。


「ううう、ううっ……」


 瞳からは涙があふれ、火傷で膨れた唇は一部が切れていて血の味がしました。

 このまま鏡を見られないような姿になってしまうのか。あるいは、鏡すら見られない状態になってしまうのか。怖くて怖くて仕方がなかった。


 と――。


 顔全体に、ひんやりとした柔らかな感触がありました。


(気持ちいい……)


 冷水に漬けられたタオルだったのだと思います。瞳や頬、唇の痛みが少し和いでゆくのが分かります。しかし、チクチクとした痛みは続いていました。


「そのまま楽にしていてください」


 男の人の声。それは聞きなれないけれども、聞き覚えのある声でした。


「癒しの精霊よ。我が精神力を対価として力を貸し与え給え」

「ぁ……」


 瞳を責めさいなんでいたチクチクと刺すような感覚が薄れ、楽になりました。

 頬も、唇も、ひきつれた感覚がなくなっていきます。

 すぅぅと、薄荷を鼻に近づけた時のように爽やかな息吹がわたくしの顔全体――熱湯がかかっていた部分――に感じられ、痛みは春先の雪のように溶けてなくなっていきました。


「ああ……」


 何の痛みもなく目が開きます。ちゃんと見えます。


「え、エドワード様?」


 忘れようもない顔でした。だってつい一時間前まで対面したお顔、しかもわたくしの料理を絶賛して下さった唯一の殿方の顔でしたから。

 わたくしは、エドワード様の腕の中にいました。


(ふわぁ、相変わらずかっこいい……)


 間近で見るイケメン王子様の姿は、猫さんに囲まれた時とはまた別の役得でした。

 わたくし、自覚はありませんでしたが殿方を顔立ちで判断する浅ましい女だったようです。きりりとした目鼻立ちの王子様がこちらを心配して見下ろす様は、眼福の一言。


「何本ありますか?」


 手をかざし、指をピースサインに折り曲げて、エドワード殿下が尋ねました。


「二本です」

「見えていますね」

「はい。あの、わたくしの顔は――」

「大丈夫です。治しました。すぐに処置できたのが幸いでした」

「なおし……?」

「エドワード殿下は、治癒魔法を修めておられるのです」


 エドワード殿下の後ろの方から男の方の声がしました。視線を向け、誰だろうと考えていると、それを察したのでしょう。エドワード殿下が紹介してくださいました。


「侍従のアルバートです」

「ああ、晩餐会にいらっしゃった……」


 エドワード殿下がわたくしのお菓子を食べて叫んだ時に、近くでひときわうろたえていた殿方がいらっしゃいました。短い金髪に、アイスブルーの鋭い瞳。見上げるような長身に、エドワード殿下よりもさらにたくましい身体つき。これぞ武人という体格で、護衛にはうってつけの殿方です。


「あのう。わたしの侍女の傷を治してくれたのは感謝していますけれども。そろそろ離れてもらえませんか」

「ああ。失礼。フェリス様。立てますでしょうか」

「様だなんて。殿下、呼び捨てで結構ですわ」


 名残惜しいですが、王子様の腕の中から外へ。

 ロゼッタ様が珍しく気を利かせ、手鏡を渡してくださいました。


「ああ……ばっちりですわ」


 そこそこの美人、どちらかと言えば美人と呼ばれた微妙なわたくしの顔立ちが鏡に写っております。火傷の痕は見当たらず、強いて言えば右頬のあたりがわずかにカサカサ肌になっていた程度でした。


「ありがとうございます。ありがとうございます殿下。なんとお礼を言えばいいのか」

「どういたしまして」


 下手に謙遜しないところがまた、わたくしには好ましく思えました。

 後から思い返せばこの時点で、わたくしはかの御仁に対して好意を抱いていました。だからどういう返答をしても好ましく思っていたと思います。一生モノになるかもしれなかった傷を治してくれたのは事実ですし。


「ええい、フェリス! おさがりっ! 王子もちょっと距離をとって! 近い! 近いわあんたら!」


(おのれ、お邪魔虫め)


 わたくしの心情をよそに、フェリス様が体当たりするようにわたくしとエドワード殿下との間に突撃し、身体をねじ込んで両手を広げ、無理やり距離をとらせました。

 ものすごく邪魔ですが、表向きの身分差ゆえにわたくしの立場では手が出せません。おのれ。


「エドワード殿下。偶然通りかかったというわけではないでしょう。ご用件は何かしら。そろそろ夜も更けてきますし、淑女の私室へ押し掛けるには不適切な時間帯です。兵を呼びますわよ」

「あの、姫様。兵なら先ほどからそこにいるようですけれども」


 つっこむわたくし。

 部屋の中には、軽装の鎧を着た数名の兵士がいて、遠巻きからこちらを見ておりました。


「そうよっ! あなたが怪我したから叫んだら近くにいる兵たちが来たわ。それは分かってるわよ! ええそう、既にいるわよ! 集まっている兵たちに頼んでつまみ出してもらうってことよ!!」


 ロゼッタ様。いちいちキレて大声を出さないでも……。


 しかし先ほどの事故のために反省をしたのでしょう。いつものにゃんにゃんラッシュはありませんでした。


「ロゼッタ様。すみませんがわたくしの恩人に対してあまりに……」

「フェリスは黙っていなさい!」

「…………それは」

「何よ。文句があるの?」

「姫様――」


 わたくしはロゼッタ様をにらみつけ、ロゼッタ様が睨み返し、女二人の醜い喧嘩が始まろうとした寸前――


 にゃーん。


 猫が鳴きました。

 にゃーん。にゃーん。にゃーん。


「ロゼッタ様。またそれですか」


 呆れて声をかけたわたくしですが、ロゼッタ様が驚いて目を見開いています。


「わたし、何もしていないわ」


 その視線はわたくしではなく、わたくしの斜め後ろ、エドワード殿下のさらに後ろに向けられていました。

 殿方が膝をついています。

 その膝に、たくさんの魔法猫が甘えかかっていました。

 猫を出したのはロゼッタ様ではなく、その殿方でした。


「その若さで、素晴らしい魔術の才能だ」


 アルバート様でした。


 にゃーん。にゃーん。にゃーん。


「なるほど。そういうことか」


 アルバート様は、まるで猫と会話していらっしゃるようなご様子でした。

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激辛料理から始まる身分差の恋、猫をぶつける偽王女 鶴屋 @tsuruya

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