第78錠 憧れ
「お前、憎む対象、間違ってるよ」
「え?」
スパッと切れのある言葉が聞こえて、葵はさらに苛立った。
「なにが、間違ってんのよ!?」
「間違ってるだろ。さっき話した
「け、袈裟って…坊主の?」
「そう。俺を黒の息子だからと嫌ってるみたいに、犯人の動機が、お菓子だったからって理由で、何の関係もない物まで憎んでる。でも、正直、逆恨みもいいところだ」
「……っ」
グリグリと抉るような言葉が真正面から降り注ぎ、葵は唇を噛み締めた。
「もう、ちょっと、言い方ってない?」
「言い方?」
「言葉にトゲがありすぎるっ!」
「それは、アンタも同じだろ。棘だらけの人間には、同じように、棘だらけの言葉が返ってくるよ」
「……ッ」
すると、再びトゲのある言葉が返ってきて、葵は悔しそうに顔をしかめた。
だが、自分でも、よく分かっていた。
トゲトゲしい女だってのは──
「しかたないじゃない! これが、私なんだから!」
「つーか、そういう生き方、疲れない?」
「はぁ?」
「憎まなくて物まで憎んで、あれもこれもと恨む対象を増やして……それじゃ、気が休まる暇もないだろ」
「……っ」
その彩葉の言葉に、葵は苦顔する。
確かに、この10年は、地獄のような日々だった。
周りの人間が、全て敵に見えて、まともな人間関係なんて、築けるわけもなくて……
「とりあえず、これ食べて、のんびりしとけば? 今夜は、ここで一晩、缶詰になるわけだし」
「っ!」
だが、そんな葵に、彩葉は、再びチョコの入った袋をさしだしてきた。
袋の封を切ると、葵の目の前に、袋をさしだす。
「だ、だから、私は、お菓子なんて……っ」
「恨む対象、間違ってるって、さっきも言っただろ。もしかして、家族を亡くしてから、ずっと食べてないの?」
「た、食べてない……っ」
怯む葵は、さっきまでの威勢が嘘のように縮こまり、彩葉は目を細めた。
今の彼女は、17歳。
そして、幼稚園の時に家族を亡くしたのなら、もう10年は、お菓子を食べてないことになる。
家族の命を奪われる原因になったものを──
「そんなに、
「き、嫌い……っ」
「じゃぁ、あんたの家族は?」
「え?」
「あんたの家族は、お菓子、嫌いだった?」
「…………」
そう言われ、葵は、ふと幼い頃を思い出す。
「き、嫌いじゃない……好き…だった……っ」
「じゃぁ、食べた時、どんな顔してた?」
「しあわせ…そうな……かお……っ」
すると、その瞬間、葵の瞳には、じわりと涙が浮かんだ。
家族を亡くした原因を作った物に、強い憎しみの感情を抱いてしまう気持ちも、わからなくはない。
でも、憎しみの対象を、増やせば増やすほど、人は心をすり減らし、刺ばかりの人間になっていく。
自分で、自分の心を苦しめて、周りの人間にまで当たり散らして
そして、いずれ『
「こういうお菓子って、市場に出回るまでに、結構な時間がかかってるんだよ」
「え?」
すると、彩葉は、さらに話を続けた。
「何ヶ月、いや、下手すれば、何年と試行錯誤を重ねて、やっとの思いで商品化までたどり着ける。そして、これを作ってる人達は、みんな食べた人に美味しいと喜んでもらいたくて作ってる。間違っても、人を殺す動機にされるためじゃない。だから、憎む対象は間違うな」
「…………」
差し出された袋からは、とても甘い匂いが香ってきた。
それは
どこか懐かしさを感じる匂いだった。
家族と過した
優しい匂い。
でも……
「ムリ……きっと、吐く……っ」
青い顔をして、フルフルと首を振る。
すると、彩葉は、さっきとは違う優しい声で
「吐きたくなったら、吐いていい。ここには、トイレも風呂場もあるし、いるのも俺だけだから」
「……っ」
そのいたわるような
それは、同い年とは思えないくらい、落ち着いた目をしていて──
「変わりたい?」
「え?」
「今の自分を変えたいなら、無理してでも踏み出せ。そこにいても、苦しいだけだ」
「……っ」
──苦しい。
それは、ずっと思っていたことだった。
苦しみも
憎しみも
恐怖も
怒りも
あの日から、全くなくならない。
家族を奪われて、染み付いた感情は
名前を変えて、日本をはなれても
何一つ、変えられなかった。
だから、この組織に入った。
自分と同じように
黒に全てを奪われた人たちの傍にいれば
何かが、変わるかもしれないと思ったから──…
「……っ」
すると、ついに決意を固めたのか、葵は、目の前の袋に手を伸ばした。
震える指先で、チョコレートを一粒とって、口に運ぶ。
「……ッ」
すると、口の中に含んだ瞬間、葵はきつく目を閉じた。
吐かないように、口元を手で押えて、しばらく息をひそめる。
だが、口の中にとどまるチョコは、次第に雪のように溶けだして、甘やかな風味を舌上に届けた。
そしてそれは、とても優しい味だった。
子供の頃に食べたことがある、幸せな味。
「っ……ふぇ……っ」
涙が溢れたのは、それからすぐのことだった。
チョコが溶けて、いつしか喉の奥に消えた頃には、零れ落ちた涙で、顔がぐちゃぐちゃになる。
「どう?」
「っ……美味……しい……っ」
それは、素直な感想だった。
まるで、幼い子供に戻ったみたいな。
でも──
「でも、人を殺してまで……食べたいなんて思わない……っ」
──お菓子が食べたくなった。
そんな理由で、人を3人も殺した犯人が、憎くてたまらなかった。
そして、その憎しみは、その周りのものにも向いた。
街を歩けば、至る所に、お菓子があった。
そして、お菓子が好きな人間は、みんな、あの犯人のようになるんじゃないかと、怯えるようにもなった。
人が怖い。
お菓子が怖い。
この世界、全てが憎くて、怖い。
でも、それと同時に、羨ましいと思った。
私と同じくらいの女の子達が、お菓子を食べて笑っているのが──…
友達と一緒に
お菓子を囲んでカラオケをしたり。
好きな人に
バレンタインのチョコを作ってたり。
そんな、普通の日常を送る彼女たちが
羨ましくて
恨めしくて
仕方なかった。
だって、それは
私には、無いものだったから。
私には、二度と手に入らない──
「ッ……私も……普通に……生きたかった……ッ」
『普通』に憧れた。
普通に、お菓子を食べて笑っていられる。
そんな女の子に、なりたかった──
「っ……うぅ……っ」
チョコの甘い味は、いつまでも、下に残った。
そして、頬を伝う涙もまた、ずっと止まらなかった。
牙が抜けたように、弱々しく座り込んだ葵は、それから、ずっと、泣き続けていた。
あとがき⤵︎ ︎
https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16818093075050545377
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